ウタの実力
海からにょっきり現れる伊集院さん……シュール。
海坊主。
恐らくは、アストラル系の魔物。海水で肉体が構成されている、というより、海水を依り代にして存在している、という表現の方が近いだろう。あのクジラの死体の傷口が妙だったのは、これが理由か。
言わば、意思を持った海。
これは、放置してたら結構な被害が出ていたかもな。早めの対処に踏み切った田中のおっさんの判断は、正解だったと言えよう。
「やはり良い武器じゃ。仮に儂が全盛期であっても、エンレイならば余裕で耐え得るじゃろう」
「はは、あぁ。緋月と違って、そっちは普通に魔法が放てるし――って痛い痛い! わざわざ実体化させてまで噛んでくんなって。わかってる、お前が最強だって」
わざわざ猫フォルムを出現させ、「遠いなら近付いて斬ればいい。私は悪くない」と言いたげな様子で、俺の足をガブガブしてくる緋月である。
実際緋月は、決して鈍らではなくとも、名刀からは程遠い斬れ味と能力からここにまで至った、超下剋上キャット刀なのだ。
超下剋上キャット刀。響きがなんかもう強い。
「さて、それじゃあユウゴ、儂はあれを退治してくる。お主には船の守りを任せた!」
「おう、こっちは気にするな。好きなようにやってこい」
ウタは、男前に二ッと笑うと――そのまま甲板から飛び降りた。
「ウタ!?」
「一人落ちたぞ!」
「何が何だかわからんが、救助を――!?」
キョウと自衛隊員が慌てたような声を漏らすが、それが途中で、驚愕の声に変わる。
飛び降りたウタは、水面に立っていた。地面に立つのと、全く変わらないように。
ウタなら、これくらいはやる。というか、向こうの世界の一流どころだったら、これくらいは普通に出来る。俺は出来ない。
ま、まあ、結界を出現させてその上に立つ、みたいなことだったら俺も出来るし……アイテムボックスとか、空間系の魔法は得意なんで……。
「……もう何でもありだな、お前ら」
「何でもありなのはウタだけだ。――それよりキョウ、よく見てろ。俺は魔法をあんまり使わず、ほとんど剣術一辺倒だが、アイツは違う。典型的な、魔剣士タイプだ。お前の糧になる部分もあるはずだ」
「わ、わかった」
「……多分だが」
「最後に余計なの付かなかったか、今?」
あるいは全く糧にならない可能性もあるんで……。
そんな俺達の横で、レイトが瞳を爛々に輝かせながらウタの様子を見ていた。
◇ ◇ ◇
「さて……ウミボウズとか言うたか。アストラル系の魔物じゃな。随分と気性が荒いようじゃが、何ぞ嫌なことでもあったか?」
当たり前のように海の上を歩き、海坊主の方へと向かうウタ。
海坊主は、己を攻撃した者を睥睨し、こんな小さき者に攻撃されたのかと、怒りに身体を震わせる。
海坊主は、理解出来ない。
その小さき者が肉体に秘める、とてつもない力を。
その時、海が持ち上がったかと思いきや、ウタを押し潰すかのように空から降ってくる。
質量攻撃。
当然ただの海水ではなく、クジラの腹を抉り取った時と同じような、凄まじい量の魔力が含まれており、相手が凡百の魔物ではないことを示していたが――ウタは、取り合わない。
「濡れちゃうじゃろう。水遊びは他所でやれ」
適当に振り上げた焔零の刃が、落ちて来る海水を真っ二つに斬り裂き、次の瞬間、爆ぜる。
不定形の海を斬ったところで、痛みなど感じないことだろう。さらに海坊主は、アストラル系の魔物。
物理攻撃には完全な耐性があるため、本来ならば刀で斬った程度では、一切のダメージを与えることは出来ない。
ただ、斬った程度では。
『――――っ!?』
魔力を纏わせた刀身によって、正確に海坊主のアストラル体の一部が斬り裂かれ、海坊主から音にならないような悲鳴が漏れ出る。
それに対し、ウタはただ、気楽な様子で肩を竦める。
「まあ落ち着け。儂も久方ぶりの実戦でな。この世界の初陣でもある。今の肉体で出来ること、出来ないことを確かめたいんじゃ。――まだまだ付き合ってもらうぞ」
浮かぶ、笑み。
冷酷で、酷薄で、凛などには決して向けない、敵対者を否応無く威圧するような、覇者たる者の笑み。
たとえ、ウタの強さを見抜けない魔物と言えど、その笑みの迫力を本能が感じ取ったようで、まるで後退りするように海が揺れる。
――なお、優護は何度も向けられたことがあり、しかしそれに一切怯まずウタに挑み続けたため、彼女の関心を買う結果となっていた。
ウタは、斬る。
斬る。
斬る。
斬る。
一刀ごとに、増す精度。
彼女が焔零を振るう度に、海坊主のアストラル体が削られていく。
根本的に他の生物とは在り方が異なっているため、心臓部などというものは存在していないが、己の肉体がどんどんと削られて行く感覚に、恐怖を覚えた海坊主の選択は、正直だった。
逃走。
海の奥深くへと、身体を逃がし始める。
だが、それを見逃すウタではない。
「おっと、待て待て。儂の試し斬りはまだ終わっておらんぞ?」
相手の行動を即座に看破したウタは、海に焔零を突き刺す。
次の瞬間、まるでそこだけ氷河期が訪れたかのように、パキパキ、と広範囲に海が凍り付いていき、逃げ始めた海坊主の肉体を捉えた。
アストラル体と言えど、依り代は海水。その存在が介在している空間を凍らされては、動けない。
物理で捉えられない液体を、物理で捉えられる存在へと無理やり変貌させる。
まさに、天変地異。
大幅に弱体化している今の彼女であっても、この程度ならば造作も無いのだ。
軍艦程度ならば、簡単に沈没させられるであろう能力を持つ、成長すれば『脅威度:Ⅴ』にまで到達するであろうポテンシャルを持つ海坊主にとってこの戦闘は、命懸けの闘争である。
対し、ウタにとってこの戦闘は、ただの肩慣らし。
苦戦する要素など欠片も存在しない、欠伸しながらの片手間でも熟せるであろう、楽な仕事。
試し斬り以上の意味は無く、もはや闘争ですらない。
『――――ッ!!』
「何じゃ、もうぎぶあっぷか? 仕方ないのぉ。では――死ね」
ウタは、真っすぐに焔零を放った。
突き。
そこから飛んでいく、不可視の斬撃。
いや、それを斬撃と呼称するのは、もはや不適当だろう。
まるで砲撃かのような威力を備えたその一撃は、海坊主が依り代としていた、凍った海水部分の全てを丸ごと撃ち抜き、消滅させ、最後に海底にまで到達したところで、ようやく止まった。
海坊主は、死んだ。
超下剋上キャット刀。流行らせたい。