海の調査《1》
翌日。
早朝に支部に集まった俺達は、レイトの部下らしき者が運転する車で移動を開始。
二時間にならないくらいで辿り着いたのは、神奈川にある有名な海上自衛隊の基地。
驚いている俺達を伴って、あれよあれよという内にレイトが手続きを進めていき――気付いた時には、俺達は船の上だった。
乗っているのは、駆逐艦――いや、護衛艦の一隻。
ザザーン、と波の揺れる音。
空は快晴。夏の暑さもあって、海水浴でもしたらさぞ気持ちが良いんだろうな、という風情ある景色。
陽差しの強さは感じるのだが、船の進む風が心地よいのだ。
まあ、乗っているのが軍艦である以上、風情も何も無いかもしれんが。
田中のおっさんが「局員が自衛隊を伴って調査に」とか言っていたし、船と聞いた時点で少し想像はしていたのが……まさか、本当に護衛艦に乗り込むことになるとは。
特殊事象対策課のバックアップチームは、大体が自衛隊から選出された者達だと聞いている。こういう調査の際、組織的に連携している部分は多いのだろう。
細かいやり取りや、自衛隊の人らに対する対応はレイトが全てやってくれており、俺達は担当のお偉いさんと少し挨拶しただけで、あとは自由にさせてもらっている。
ただ、キョウだけは特殊事象対策課関連でちょっと手続きがあるようで、今はレイトと共に船の中で何かやっているようだ。
二人とも、俺より若いのにしっかりしているもんだ。
「ほう、これがこちらの世界の軍艦か。……面白いものじゃ。世界が違えど、役割が同じであれば、ある程度似た形状の船となるんじゃな」
そして、立ち入り禁止区域を除いて、あちこちを歩きながら護衛艦の構造を備に観察し、満足げにしているのがウタである。
一人にしておけないので、俺も付いて行っているのだが、こういう時に遠慮せず、好奇心のままに行動するのがコイツなので、好き勝手に出歩いて自衛隊の人らには微妙に申し訳ない気分である。
ぶっちゃけ、俺達に対する一般の自衛隊員達の視線は、微妙に胡乱げなところがある。ウタを見る目とか、「え、子供……?」って感じが丸わかりだったし。
いや……胡乱げではないか。小動物を眺めるような視線、の方が近いかもしれない。
ウタが、通りがかりの人らに「これは何じゃ?」とか聞きまくったり、「あれはすごいのぉ!」とか無邪気に感心した様子を見せているので、すでに絆され気味の自衛隊員達なのである。
これが魔王の人心掌握能力……しかも天然もの。恐ろしい。
「まあこっちの船、空飛んだりしないけどな」
「そこよ。海より空を航行した方が戦略的に上等ではないか? 儂は戦略も戦術もそんな得意ではないが、空を飛べる優位性は流石にわかるぞ」
「そこまでの技術力が無いってだけさ。科学だけで戦艦を空に飛ばすのは、難易度が高いんだろ」
向こうの世界は、飛行戦艦が存在していた。
ただ、幾ら魔力があると言えど、鉄の塊を空に浮かべるのは、海に戦艦を浮かべるよりも遥かに難しい上にコストが掛かるらしく……アレだ。こっちの世界の、空母的な扱いをされる、戦略兵器の一つだった。
人はそこまでしないと空を飛べないのに、龍族とかは素の肉体で飛べて、火力も防御力も戦艦並などというふざけた性能をしている。種族差というのは残酷である。
「逆に言えば、科学技術だけでこの船を浮かしておるのは、素直に凄まじいと思うがの。魔力を使わんで、よくもまあこのような船を何十隻も運用出来るもんじゃ」
「はは、そうだな。それは俺も思う。――そう言えば、全然話が変わるんだが、お前最近角を消してる期間が長くなってないか? もしかして、魔法式の書き換えでもしたのか?」
本来のウタには、額に美しい一本角があり、家では基本その姿でいる。透き通るような一本角なので、リンの尻尾や耳と同じくらい、実は俺はコイツの角がかなり好きだ。
以前に聞いた時は、確か三日くらいが限度だと言っていたので、つまり結構な魔力消費の魔法だと思っていたのだが、最近コイツは、結構頻繁に角を消したりしている。
買い物に行くのに角を消して、そのまま魔法を発動していることを忘れて「おっと、そう言えば消したままじゃった」とか言って、解くことがよくあるのだ。
ということは、人間形態のままでいても、気にならないくらい魔力消費が少ない状態になっているのではなかろうか。
「お、気付いたか。その通りよ、魔法式の一部を書き直しての。以前は、己の身の内に宿る魔力も隠さねばならんかったから、人間との外見上の差異が角のみでも、全身に作用するような魔法式にしておった。しかし今は、その魔力が大幅に無くなってしもうたからの。もっと簡略化させて、額の角のみに作用するようにしたんじゃ。今ならば二週間程度は発動しっ放しに出来ると思うぞ」
「へぇ? すごいな、それは。随分と低燃費になったもんだ」
と、そこで俺は、気付く。
「もしかして、リンのためか?」
リンは今、ウタから魔法を学び、耳と尻尾を隠す術を教えてもらっているところだ。
もうちょっと、ということは聞いているのだが、そのちょっとが難しいらしく、まだ出来るようになったとは聞いていない。
だからこそ、リンも使いやすいように、魔法自体に手を加えたのではなかろうか。
俺の言葉に、ウタは何でもないように軽く肩を竦める。
「儂にとっても必要なものじゃからな。この程度、大した労力でもないしの」
「そうか。労力じゃないか」
魔法式の改変って本来、本職の研究者が数年掛けてやるものなんだけどな。
「……? 何じゃ、その顔は」
当たり前のことを当たり前にやったのだと言いたげな、特に誇る様子も無いウタ。
ふざけている時や、ちょっとしたことの時だったら、「ふふん、どうじゃ、惚れ直したか!」とか言いそうなものだが、こうして本当に助けになるような時は、コイツは誇らないのだ。
「いや、俺はお前のそういうところ、好きだと思って」
誤魔化さずに真っすぐそう言うと、一瞬面食らったような顔をしてから、かぁっと頬を赤くするウタ。
「んにゃっ、何じゃ、急に。……ま、まあ、お主が儂に惚れ直したのならば、良いことじゃな! もっと褒めるが良いぞ!」
「お前はすごい良い女だぞ」
「……な、何じゃ。今日は。や、やけに素直ではないか」
「お前は直球で褒めると弱いからな。勇者は魔王の弱点攻めてナンボだし」
「……確かに効いたわ、馬鹿たれ」
ぼふ、とウタは、俺の胸辺りを軽く叩き、赤い頬のままフンと顔を反らした。
可愛い奴め。
◇ ◇ ◇
「清水ちゃん」
船に揺られる中、特殊事象対策課に関連した軽い事務手続きをやっていた杏に、自衛隊員と何事かを話をしていた玲人が声を掛けてくる。
「……清水ちゃんは、なんか嫌だからやめてください」
「そうかい? じゃあ、清水君」
「何です、飛鳥井さん」
「うん、君には前から、ちょっと興味があったんだよね。――海凪君達と、仲が良いらしい君には」
本音の見えない、仮面のような笑顔。
全くこちらを気にしていないような、そんな眼差しに、少しだけ怯む杏。
「どうだい? 君から見て、あの二人は」
「どう、というのは……」
「君の思ったところを教えてほしいな。何でもいいよ。僕らとの差異とかね」
「……そうですか。あー……そうですね、あの二人に、あたし――私らと違うところがあるのなら、それはスイッチの切り替えの部分だと思います」
「スイッチ?」
「はい。スイッチが『オフ』の時は、普通の二人です。仲の良い、どこにでもいそうな――とは言えないかもしれませんが、微笑ましいだけの男女です。ですが、己の中の基準に従い、信念に従い、一度『オン』にしたのならば、他の全てを些事として、目的のために全力で動く。その時の覚悟の決まり方が、他の者と違う大きな点でしょう」
「海凪君はわかる。けど、あのウータルトさんも?」
「恐らく、ですが。あの二人の価値観は良く似ています。むしろ、一線を越えた時は……優護よりもウタの方が過激かもしれません」
それが、キョウの二人に対する印象だ。
例えば、の話であるが……そうする必要があるのならば、優護は警察機関などの襲撃も簡単に行うだろうし、人も殺すだろう。
勿論、善良な人間に手を出すことは絶対にしないだろうが、たとえ表向きの立場が非常に高い者でも、それが悪人ならば、躊躇なく彼は斬るのだ。
実際に、支部が襲撃された一件では、大使館に乗り込んで大使を斬り殺している。彼にとって、法や地位などといったものは、己の『信念』よりも一つ下に位置しているのは間違いない。
そしてそれは、ウタも一緒なのだ。
「なるほど、信念、ね……やっぱり、精神性から僕らとは違うところがあるのか。それがあの実力の高さを生むのかな? 興味深いね、譲れぬものがあると強いとかって言うけれど、いったいどれだけ譲らなかったらあんな実力にまで辿り着くのか……ふふ、まあ、一種の『狂人』ではあるのかな」
杏を見ていない、己の思考に埋没する玲人。
優護に対する時の彼の態度と、今の己に対する態度の違い。
杏は、気付いた。
玲人の、本質の一部に。
「――アンタは、他人に興味が無いんだな」
杏の放つ、鋭い視線。
敬語も無く、『旧家』という莫大な権力を有する相手に対する、明確な失礼であったが――玲人は否定しなかった。
そこに浮かぶのは、仮面のような笑みではなく、本物の、興味深そうな笑みである。
その瞳が、杏を捉える。
「はは、うん。そうだよ。僕は基本的に、他人に興味が無い。他人が馬鹿に見えることが多いんだ。ここまで生きて、多少なりとも仮面を被る術を覚えたから、取り繕うことは出来るけどね。ただ、そんな僕ですら、あの二人の前では己が没個性だと認めなければならないだろう」
「あの二人は例外だろ」
「そう、その通り。例外も例外、訳の分からない存在だ。僕なんかが推し量ろうとすること自体がおこがましいと言える。いったい僕達と何がそれ程に違うのか、観察し甲斐があるだろう? 勿論、実力の話だけじゃなくてね」
「程度の低い他人が理解出来ず、一つ下に見ていたが、今回己よりも遥か上にいる二人を見て、アンタは驚いた訳か」
「いやぁ、全くその通りで、ぐうの音も出ないね。そもそも僕は人間にあんまり興味が無かったんだけれど、今は興味がありまくりだ。旧家の当主なんて、本当はやりたくなかったんだけれど、彼らと知り合えたことで、それも悪くないかなって思え始めてるよ」
「そうかい。バカ筆頭のあたしにはわかんねぇ話だな。まあ、アンタに興味を持たれないなら、このままでいいかとも思えるが」
優護達といる時にも、杏は荒い口調で「アホ」とか「バカ」とか言うことは多いが、そこにトゲは無い。
だが今、珍しく彼女の言葉には、相手を拒絶するようなトゲがあった。
――この男には近付きたくない。
優護と違う、言葉に本心が見えない男。
短いやり取りで、杏は玲人に対し、嫌悪感を抱いていた。
「はは、手厳しいね。どうやら嫌われちゃったようだ。ただ、君に興味があるって言ったのは嘘じゃないよ。君もどうやら、『あちら側』なようだし。……正しくは、彼らと一緒にいる内に、あちら側に染まりつつある、といったところかな」
「……あたしは普通だが。アンタに目を付けられるようなものは何も無ぇよ」
「さて、どうかな? 君にも、彼らの片鱗が見えるよ。僕は観察眼には自信があるんだ。一緒に過ごすことで、変化し始めている部分は少なからずあるんじゃないかな。今の僕に対する口調とかね?」
「…………」
表情に、若干の険しさがある杏。
対し、楽しそうな玲人。
微妙に張り詰めた空気の中、トントンと扉が叩かれ、一人の自衛隊員が軽く敬礼して中に入ってくる。
「飛鳥井殿。目的のポイントまでもうそろそろです」
「わかりました、わざわざありがとうございます」
ニコリと、表面上は礼儀正しく見える笑みを見せ、玲人は杏に顔を向ける。
「さあ、清水君。仕事の時間だ。二人のところへ行こう。僕と二人きりは君も嫌だろうしね」
「……あぁ」