ロッカールームにて
土蜘蛛討伐が終わった後。
「フゥ……」
拠点――『第二防衛支部』に戻った杏は、シャワー室で汗を流す。
背が低く、幼く見えがちではあっても、しかししっかりと女性らしい肉付きをした、それでいてよく引き締まった肢体。
肌を伝い、落ちる雫。
温かな湯と共に、肉体に感じていた疲れが外へ滲み出て、流れ落ちていくような感覚。
――流石に、疲れた。
戦闘自体はまあ、ほぼ優護が終わらせたので楽なものであったし、夜の山登りはしたがそれくらいで音を上げる程、柔な鍛え方はしていない。
が、敵の多さに焦ったし、優護の無茶苦茶っぷりに驚いたし、精神的にもう疲労いっぱいである。
「……ふふ」
しかし、疲れを感じているキョウの口元には、小さく笑みが浮かんでいた。
三十分程、そうしてゆっくりと浴びて温まった後、彼女は隣接しているロッカールームで着替える。
「先輩」
濡れた髪を乾かし、軽く整えていると、ふと掛けられる声。
「お? 何だ、花。まだいたのか」
そこにいたのは、同じ学校の二つ下の後輩であり、そして仕事の同僚でもある少女――篠原 花。
メガネをした少女で、杏が小柄なため、年下だが花の方が少しだけ背が高く、ドヤ顔をする花を杏が小突く、というやり取りをよくしている。
情報収集、情報分析に長けたバックアップチームの一人で、情報による後方支援が彼女の仕事だ。
花のような役職の者は数人いるが、未成年などほとんどいないこの業界にて歳が近いため、杏が戦闘を行う際は彼女と組まされることが多く、今ではほとんど専属のような立ち位置となっていた。
「先輩達の戦闘詳報を纏めるのは私の仕事ですから。――それにしても、先輩も女の子だったんですねぇ」
「は? んだよ、急に」
「海凪さん、でしたか? 彼に撫でられて、わかりやすく心拍数等が落ち着いていたので」
杏は飲んでいたスポーツドリンクを吹き出しそうになり、慌てて堪える。
「な、な、何で撫でられたの知ってんだよ!?」
「そりゃ、戦闘は全て映像として残してますから。バックアップチームのヘルメットにカメラ付いてますし。学校では男を寄せ付けず、『孤高の姫』なんて呼ばれてる先輩が、大人しく撫でられるなんて……他の人に同じことされたら、多分速攻で振り払ってぶん殴ってるでしょうに」
「その小っ恥ずかしいあだ名をやめろ!」
「いや私に言われても。まあ先輩、見た目はお姫様っぽくても、中身バーサーカーですけど」
「よし、お前、ぶん殴る。バーサーカーの力で」
「やめてください死んでしまいます」
拳を握る杏に、降参と言いたげな様子で花は軽く両手を挙げ、そして誤魔化すように言葉を続ける。
「そ、それより、どうでしたか、海凪さんは。調査をするよう言われてるんですよね?」
「……リアルタイムの映像見てたんだったら、あたしに聞かなくてもわかんだろ」
「実際に見たのと、映像で見たのじゃあ、やっぱり印象は違うでしょうから。一緒にその場にいた先輩に聞きたいんです」
杏は、考えながら、後輩に言葉を返す。
「……とにかく強い。まず言えるのは、それだな。あたしらなんざ、足元にも及ばなかった」
「ですが、ランク『F』ですよね?」
「どうやってんのか知らねぇが、アイツは魔力測定の機械を欺けるらしい。本気で測定した場合、『S』評価になっても驚かねぇよ。というか、あの戦闘能力だけでそうしても良いんじゃねぇか? 今回倒したのが脅威度『Ⅲ』だったから、実績的に微妙かもしんねぇが……少なくとも、あたしが百人いても勝てねぇよ」
「……そこまで、ですか?」
「そこまでだ。隊長――田中支部長でも優護に勝つのは、多分無理だ」
杏は、確信している。
この支部の最高戦力は田中だが、優護は確実に彼を上回っている、と。
田中支部長の実力も、大概規格外であることは知っているが、彼はまだ理解の範疇にある規格外だ。
優護は違う。初めて会った時にも思ったことだが、彼の実力は、理解など出来ない。
「……べた褒めですね。なるほど、その圧倒的な実力に、心奪われてしまったと!」
「あのなぁ、花。お前、女子高生みたいなこと言ってんじゃねぇぞ!」
「いや私、女子高生なので。先輩も女子高生ですし。そもそも何で『優護』呼びなんです? 会ったの、まだ三回ですよね?」
「アイツがあたしを杏って呼んだのが最初だ。そんで、田中支部長から『友好的に接しろ』っつわれてたから、じゃああたしも優護って呼ぶっつーことになったんだよ」
「あぁ、なるほど、そういう指示が出てたんですか……私もちょっと、話してみたくなりましたね、海凪さん」
「あたしと一緒にいりゃあ、そういう機会もあんだろ。まあアイツの強さじゃあ、バックアップはいらねぇだろうから、仕事で組むことはないかもしんねぇがな。そもそも、この仕事自体にもほとんど興味ねぇみてぇだから、支部にもあんま来ねぇだろうし」
「そんなに強くて、何でこの仕事に興味ないんですかね?」
「さあな。経歴的にも謎ばっかだし、色々事情があんだろ。……あたしや、お前みたいにな」
「……そうですか」
少し、二人で押し黙る。
「……ま、とにかく、優護は特に問題ねぇ。心強い戦力だ。あたしらで手に負えねぇ事態があった時は力になってくれるだろうよ。バイトだから簡単な仕事だと無視するかもしんねぇが」
「わかりました。戦闘詳報と合わせて、先輩の所感も書き加えておきます。それで、先輩に下されていた、海凪さんを見極めろという田中支部長の指示への回答にもなるでしょう」
「あぁ、頼んだ。――うし、お前の仕事終わったら飯食いに行くか。金も入ったし、奢ってやる」
「先輩大好き!」
「おー、その代わり、これからもあたしの分の報告書を書くように」
「片手間でやれるからいいですけど、先輩、流石に多少は自分でもやれるようになりません?」
「面倒くさい」
「……まあ、先輩がそういう人なのは知ってますけど」
苦笑を溢す花に、肩を竦める杏。
そして二人は、諸々の雑事を終えてビルを出ると、遅い時間だがそのまま夕食を食べに行ったのだった。