お見舞い
新章開始!
朝。
「――そういう訳で、大使館襲撃してきた。まさか日本で大使館襲撃する日が来るとは思わなかったわ」
ウタが作ってくれた朝食に感謝しながらそう話すと、彼女は呆れたような顔を浮かべる。
「……大使館とは、うぃーん条約で定められた、治外法権の不可侵の公館じゃな?」
「よく知ってんな?」
ネットで調べたんだろうが、もう俺よりもこの世界の法を知ってそうだな、コイツ。
「そこを襲撃したのか」
「襲撃した。あぁ、大丈夫だ。ちゃんと後始末はしたから。日本に迷惑は掛からんはずだし、俺が指名手配されることもない、はず」
全部出たとこ勝負だったので、何とかなったのは、ただのたまたまだったのだが、そのことは黙っておくとしよう。
するとウタは、呆れた表情のまま小さくため息を吐く。
「全くお主は」
「やられたらやり返さないと、だろ? お前も昨日、ちゃんとやり返したのかって聞いてきただろ」
「それは全くその通りじゃがな。……あー、キョウ、覚えておくとよい。この男はまあ、まともな奴じゃ。まともな倫理観を持ち、比較的、まともな性格をしておる」
「比較的は余計じゃないか?」
ウタは俺を無視して言葉を続ける。
「が、こと戦闘に限っては頑固一徹、決して己を曲げずに突き進み続ける。普通それはせんじゃろ、ということを当たり前にやる。信念に基づく行動だけは、何があっても変えんのじゃ。到底まともとは言えん」
「……い、いや、そこまで頑固なつもりは無いが」
「まともな神経しておる奴が、単身で儂の軍勢に突撃してくるものか。冗談抜きで世界最強の軍勢相手にじゃぞ」
……ま、まあ、そんな過去も確かにあったが。
結局俺の迎撃にウタが出て来て、俺達の戦闘の余波で吹き飛ぶからと慌ててコイツの仲間達が逃げて行って、二人だけの戦闘になったんだが。
なお、その時も負けて逃げ帰った。普通に死に掛けた。
つっても、ウタとやり合って、無事に済んだことなんて一度も無いんだがな。
「此奴は、放っといたらどこまでも突き進むからの、誰かが見ておいてやったほうが良い。これからは儂も、なるべく見ておるようにするが……お主も、手綱を引いてやってくれ。己一人だけでないのならば、此奴も多少は躊躇するはずじゃ」
「……あぁ、わかった。確かに、優護が己を曲げないってのは……よくわかるよ。極端の例だが、例えば総理大臣に凛とかを軽くバカにされたりしたら、普通にビンタ程度するだろうな」
「するじゃろうな、此奴は。ぐーで行くかもしれん」
……べ、別に俺じゃなくたって、身内を馬鹿にされたらビンタくらいするだろう。
「……! 呼ん、だ?」
朝が弱く、一緒に飯を食いながらも半分くらいウトウトしていたリンが、耳をピコンと動かして反応する。
「何でもない、気にすんな。ほらリン、ちゃんと持たないと、パンに塗ったジャムを溢しちゃうぞ」
「……ん。お姉ちゃんの朝ごはん、とっても美味しい」
「かか、ぱんならリンでも美味しく焼けるじゃろうて」
「……でも、お姉ちゃんのだと、もっと美味しい」
「かか、そうか」
眠そうな顔のまま、再びもそもそと食べ始めるリン。
「……よし、あたしも明日から飯の支度を手伝う! んで、リンに食べてもらう!」
「はは、おう、これから一緒に住む以上、家事は分担してやるか。つっても、気付いたらウタが終わらせちゃってるんだが……」
「感謝せぇ」
「感謝してるよ。すごく。いつもありがとうございます」
「うむ、よろしい」
意外と勤勉なのだ、コイツ。
皿洗いとか洗濯物畳むのとか、ちょっと面倒で後回ししがちになるものでも、気付いたら終わらせている。なので最近は、任せっきりにしないために気付いたら俺もすぐにそういうのを終わらせるようになっていた。
お前意外と真面目な奴だなと言ったら、「……? たすくは発生次第終わらせた方が、明らかに効率的じゃろう。真面目かどうか関係あるか?」と真顔で言われた。どうやら、元為政者としての習性が家事に表れているようだ。
そうして皆で朝食を食べ終え、少しゆっくりしていたところで、キョウのスマホに連絡が入る。
「! 優護、隊長、起きたらしい!」
「お、それじゃあ見舞いに行くか。ウタ、行ってくる」
「お見舞いにばななを買って行くんじゃ!」
「バナナ? ……そうだな。そうしよう」
◇ ◇ ◇
「――海凪君、今回は助けられた。心から感謝する」
キョウと共にやって来た病院にて、小さくだがしっかりと頭を下げる田中さん。
いるのは病室だが、すでに仕事を始めていたようで、傍らにノートパソコンと数台のスマホが置かれている。
まあ、エリクサー使って、肉体的には健康そのものだろうだからな。超健康と言っても良いくらいだ。
襲撃の後始末もあるし、この人程の立場だと、そんな状態でゆっくり寝ているだけなど耐えられないのだろう。
ちなみにバナナは、表情一つ変わらず普通に「ありがとう」と受け取られてしまった。ちょっと残念だ。
「いえ、どうも敵の狙いは俺とウタのようでしたから。むしろ、巻き込んでしまって申し訳ないです」
「被害妄想のような思考からの襲撃だ。君が負い目を感じる必要は無い。清水君にも、苦労を掛けた」
キョウは首を横に振る。
「苦労だなんて。隊長が無事で何よりです」
「うむ。肺を突き刺されたのだ、本来ならば死んでいてもおかしくなかっただろう。君が、何かしてくれたのだろう?」
「えぇ、まあ。キョウが泣いて縋るもんで」
「な、泣いてねぇ!」
キョウの抗議をスルーし、俺は言葉を続ける。
「ただ、すみませんが、その時に使った薬のことに関しては――」
「わかっている。負傷を瞬時に治す薬など、そうそうあってはならないものだ。記録等は後程全て削除しておこう」
「助かります」
「それは私の言葉だ。命を救われているのだからな。今回の件に関する報酬は期待しておいてほしい。――さて、私が倒れた後のことについて、聞きたいことは山程あるが、どうやら無事に事態は収拾したようなので、それで良しということにしておこう。とある大使館で、何だか騒ぎがあったようだが、内々に処理されたようなので、特に我々とは関係の無い話だな」
あぁ、そういう建前で通すことにしたんだな。
もしかすると、あの時電話してきた者が、すでに内々に交渉でも行ったのかもしれない。
「そうですか。どこかの大使館で騒ぎが。怖いもんですね」
「そうだな。その上での話だが……程々にしておきたまえ。程々に」
「程々ですね。わかりました」
「これ程『わかっていないな』と感じる返事もなかなか無いが、よろしく頼もう」
失敬な、わかってるさ。
それに俺は、元々程々で対応してる。相手がその一線を越えてきただけで。
「あたし、優護とウタだと、ウタの方がヤバめかと思ってたけど……全然そんなことなくて、アンタの方がよっぽどヤバい奴なんだなっていうの、最近よくわかったわ」
「何を言う。俺程の真面目で純真な好青年を捕まえて」
「純真なのは認めてもいいかもしんないが、少なくとも毛程も真面目じゃないだろ」
そんな俺達のやり取りを聞いて、田中さんは小さくため息を吐くと、言った。
「すまない清水君、悪いが、少しだけ席を外してくれるか。海凪君に話がある」
「? わかりました」
キョウは不思議そうにチラリとこちらを見た後、病室を出て行った。
「さて、海凪君」
「はい」
「清水君を、家に住まわせることにしたそうだな」
あー……この人、起きてまず、キョウのことを確認したのか。
実はアイツ、昨日の今日で、もう俺の家に住むことを局に伝えていたのだ。
というか、家が黒焦げになって、その件に関する事務手続きの連絡が今朝早くに来たそうなのだが、それでそういう返事をしたのだそうだ。
で、その情報をすでに田中さんも入手したのだろう。
「……はい。部屋は余ってましたし、キョウはあんまり一人にさせない方がいいかと思いまして」
「そうか。君の思いやりに感謝する。私も同じように思う。が――彼女は、法的には成人年齢にあるとはいえ、まだ子供だ」
「? はい」
普段あまり感じないような圧を放ち――いや、どちらかと言うと普通にしていても圧のある方の人ではあるが、それとは種類が違うような。
ゴゴゴ、という威圧感を感じるような。
「この業界では、優秀な退魔師を増やすために複数の妻を娶る者も普通にいる。君にはウタ君という良い人がいるだろうが、まあ、その点に関しては私は何も言わぬことにしよう。本人が良いと言うのならば」
「いや田中さん、勘違いしてます。盛大に」
「そうかね。同棲というものは、そう簡単なものではないと私は思っているのだが」
……ま、まあ、形としては、確かに同棲ってことにもなるが。
「――海凪君。何かあった時、君がちゃんと最後まで責任を取ってくれると。そう、私は判断してもいいのだね?」
「……は、はい」
俺は若干顔を引き攣らせながら、頷いた。
勿論、キョウの安全は必ず守るつもりだが……この人が言いたいのは、そういうことじゃないだろう。
……い、いや、これは、単純に身辺の安全を指しての言葉だ。きっとそうだ。
そう思っておくことにしよう。
俺は苦笑を溢し、話を誤魔化すように言葉を続ける。
「そう言えば田中さん、一つ聞いてもいいですかね」
「何かね」
「病室のネームプレートを見た時にふと思ったんですが……あなたは、何で『田中』を名乗ることにしたんです? すみませんが、偽名であることはシロちゃんに聞いてしまいました」
そう問うと、彼はピクリとだけ眉を動かす。
「……そうか。別に、大した話ではない。元の名前である『工藤』家は、陰陽大家――『旧家』の一つ。古くから巫女様と共にある。今は私一人だけだがな」
……一人。
この人も、親族がいないのか。
キョウと、同じように。
魔物との戦闘によるものなのか、他に何かあったのか。
「特殊事象対策課という組織を、一つのものとして十全に回すために必要なのが、政府と旧家の繋ぎ役だと私は考えた。故に、旧家の事情を知る私が政府側の人間となることに決めたのだが、『工藤』のままではどうしても皆が私を旧家の者として見る。故に『田中』を名乗ることにした。それだけの話だ」
「……そうですか。すみません、立ち入ったことを聞いて」
「この程度は構わない。清水君と共にいるのならば、ある程度事情を知ってもらっている方が助かることもある。――海凪君」
「はい」
「彼女のことを、よろしく頼む」
そう言って田中さんは、深々と頭を下げた。
俺は、何と答えるべきか、少しだけ考え。
「――わかりました」
ただ、それだけを答えた。
お見舞いイベント……これもう実質田中さんヒロインでは?