閑話:華月
――華月。
藤澤洋子が、死後転生した存在。
家そのものという、ミミックと言うべきか、付喪神と言うべきか、分類の難しい存在だ。
実際のところ彼女は、今の己の肉体が嫌いではなかった。
死してこの身体となった時に、一つ生まれ変わるような感覚があったことはよく覚えており、そこで己の意識もまた大きく変化したことを自覚している。
でなければ、優護に「華月」と名付けられた時、すんなりと受け入れるようなことはしなかっただろう。
明確に、「八歳の幼女、藤澤洋子」という存在とは別となっていることを、己で自覚していたのだ。
そして、死亡時は八歳で、それから精霊種と呼ぶべき存在となって、さらに二十年をたった一人きりで生き続ける。
精神を成熟させるための、他者との交流は一切無かったが、それでも考える時間だけはたくさんあり、彼女の精神はなかなかに複雑な形状をしていた。
純精霊種であるが故に、時間感覚が人間とは全く異なっている凛などは百年を同じままに生きるが、華月は違うのだ。
が、かと言って大人かと言われるとそんな訳もなく、己とはいったい何者なのかと、自問した回数は数え切れない。
ただの八歳児のままであるのならば、そんな悩みを覚えることも無かったかもしれないが、存在が丸ごと書き換わったことで、幼女とは一線を画した思考能力を華月は得ていたのだ。
――だから、自分を全く怖がらず、真っ直ぐ見てくれる存在と出会った時、最初は少しだけ、怖かった。
人間ではなくなった自分。復讐に駆られて、人を四人も殺した自分。訳の分からない、己ですら把握出来ない精神をした自分。
それを見られるのが、怖かったのだ。
しかし、彼らがこの家に住んでくれて、共に日々を過ごして。
この人達ならば、大丈夫だと。
一緒に過ごしてもいいのだと、そう思えるようになった。
異形の自分。
今までは、人間に戻りたいと思ったこともそれなりにあったが、優護達と出会って――特に凛や緋月の様子を見て、何だか姿形などどうでも良くなってしまった。
見た目が違うくらい、全然普通のことで、そんなのは何も気にすることじゃないと気付かされたからだ。
となると、今の肉体は、それなりに快適である。
疲れることはあんまり無いし、眠くなることも無いし、魔力さえあればずっと快適なままだ。
皆が食べているご飯を一緒に食べられないのは、少しだけ残念だが、優護やウタがいつもくれる魔力は、とっても極上で、ずっとご馳走を食べているような気分である。
お腹が満腹になって、ポカポカで幸せな気分。
家そのものとなったことで、一定範囲の敷地から出ることは出来ないのだが、皆がいてくれるのならば、それもどうでもいいことだ。
外に出たところで、どうせ受け入れられることなど無いだろうし、自分を受け入れてくれる人達が自分に住んでくれている。
皆が一緒にいてくれて、自分は、とっても満たされている。仮にこれ以上を求めようものなら、バチが当たることだろう。
そんな華月は、今日も今日とてふよふよと漂い、リビングにやって来る。
今そこにいるのは、二人。
ソファに寝転がってテレビを見ている優護と、ソファの下で、その優護の腹の辺りにもたれかかり、同じようにテレビを見ているウタ。
よく言い争いをしている二人だが、こういう時はとっても仲良しで、一緒にゆっくりしていることが多い。
単純に、距離が近い感じなのだ。そしてそれを、自然と受け入れている。お互いを信頼し合っている大きな証だろう。
華月は、ふよふよと漂って、ぽふ、と優護の頭の横に着地する。
すると彼は、こちらを一瞥して手を伸ばし、ゆっくりと撫でてくる。
温かく、大きな手のひら。
思えば、己がこうなる前に、こんな温もりを感じたことがあっただろうか。
元々、親を知らない身だ。施設の人に良くしてもらった記憶は、ほんのりとだけ残っているが、彼らが親代わりであったかと問われるとそれも違う感じだ。
だから……父親とは、きっとこんな感じなのだろうと。
そんな風に思うのだ。
次に華月は、そのままころんと転がって、胡坐を掻いているウタの膝上に降りる。
彼女もまた、テレビを見ながらも、華月の頭を撫で、両手で軽くこちらを抱き抱える。
包み込まれるような、深い愛情。
あまりこの人は、自分達に干渉しようとしてこない。いつも好きなようにさせていて、絡む相手は大体優護だけ。
だが、それでもこちらに対して、愛情を持っているのが感じられるのだ。
ふとした瞬間に、こちらを気遣っており、まだまだ深い関係性ではないものの、受け入れて愛そうとしてくれているのがよくわかるのだ。
もしかすると、これが、母親というものなのかもしれない。
――そうして二人と一緒にいて、ぽかぽかとした気分を味わっていると、廊下とリビングを繋ぐ扉ががらりと開けられ、そこから緋月と凛が現れる。
「にゃあ」
「……華月。華月もお庭で、一緒に遊ぼ!」
どうやら遊びの誘いにやって来たらしい。
華月はこくりと頷くと、再びふよふよと漂って、一人と一匹の方へ向かう。
「お前ら、周りには気を付けるんだぞー」
「まあ結界がある故、見られたとて気付かれんじゃろうがな。戻ったら、ちゃんと風呂に入るんじゃぞー」
「にゃあう」
「……ん!」
――あぁ。
「……? 華月、何だか楽しそう、だね?」
「にゃあ?」
華月は、胸の奥にじんわりと温かいものを感じながら、ニコリと笑みを浮かべる。
これに名前を付けるのならば、きっと、幸せと言うのだろう。