犠牲と覚悟《3》
スーパーでの買い物帰り。
――第二防衛支部社員寮にて、火災発生。
仕事用のスマホに表示された文字を見た瞬間、俺は踵を返し、車を超える速度で、道など無視して駆け出していた。
走りながらキョウに連絡してみるが、繋がらない。
――クソッ、何のためにアイツを家で預かってたんだって話だ!
裏目ばかり。つまり、俺の想定が甘いということに他ならない。
何もかもを予測して動くことなど不可能だ。だが、そんなことをすると思わなかった、は言い訳にならない。
戦場とは何でも起こる場所であり、そして現在の状況はすでに戦場そのものであるということに、俺は気付いていなかった。
平和な日本の光景に、俺の感覚もまたボケてしまっていた。
別に、それ自体が悪いことだとは思わない。いつまでも戦場気分のままいる方が、遥かに問題ではある。
しかし、感覚の切り替えが出来なくなっているというのならば、話は別だ。
平時と戦時の感覚の切り替え。俺が最も磨き直さなければならないのは、衰えた肉体ではなく、そちらなのかもしれない。
……ほぼ惰性だが、緋月だけちゃんと持って出たのは、正解だったか。
「――ウタ! スマホは見たか!?」
キョウの次にウタに電話を掛けると、すぐに彼女は出た。
『む、ユウゴ? ……今見た。火災、か。これは、もしや……』
「多分キョウのマンションだ! 悪い、俺行ってくる!」
『加勢は必要か?』
俺は、少し考えてから答える。
「……本当は欲しいところだが、敵の狙いがまだわからん。ワンチャン俺らの方が狙いってこともある。だから、ウタは家の方を警戒しててくれ。加勢が必要になったら改めて連絡する」
『わかった。では、ちゃんとキョウを連れて帰ってくるように! もう、彼奴の分の晩飯も作ってしまっておるからの。アツアツの内に……は、無理かもしれんが、まー、お米がカチカチにならん内に帰ってくるんじゃぞ! 待っておるからの!』
……お前の言葉は、いつも……俺を勇気付けてくれるな。
「あぁ、任せろ」
電話を切り――本気で移動したため、すぐにそれが見えてくる。
空に立ち昇る太い煙。
何度も見たことのある、物が燃えている時の嫌な色の煙だ。
否応無しに焦りが増していく内心を抑え、その煙の発生源に辿り着くと、激しく燃え盛っている一軒のマンション。
消防隊が必死に消火活動を行っており、近所の人らなのか、野次馬が不安そうにその様子を見守っている。
――やっぱり、攻撃か。
「…………」
気配を集中させ、燃えるマンションに向かって魔力を伸ばしていく。
これは、索敵方法の一つだ。己の魔力を浸透させることで内部の構造を把握し、他者の有無を感じ取る。
己の肉体から離れれば離れる程、魔力は操作が難しくなっていくのだが、目の前の燃えるマンションの内部を確認するくらいならば問題ない。俺でも出来る。
ちなみにウタは、同じことを半径五キロくらいで可能である。人間技じゃない。いや人間じゃないけど。
人の気配は――感じない。
備に魔力を浸透させて確認したが、中に人の気配、あるいは死体は無い。
少なくともキョウは火災に巻き込まれていないことがわかり、少し安堵したが、彼女と連絡が取れない状況は変わっていない。もう一度電話してみるが、やはり繋がらない。
というか、この家の住人らしき者が、誰もいない。
社員寮という話だし、俺と同じようにこれが攻撃だと判断して、局の方に向かったのだろうか。
「――海凪君!」
「レイト」
その時声を掛けてきたのは、険しい表情をした飛鳥井レイト。
「君もこの騒ぎで来たんだね。みんな多分、第二防衛支部だよ。一切の連絡が取れなくなってるところから、あっちでも何かあったのは間違いないね。……急がないとちょっとマズいかもしれない、連絡途絶からすでに二十分が経過してるっぽい。そんなに経ってるのに通信が復旧してないってことは、田中さんがいながら未だ戦闘継続中ってことか、あるいはもう制圧されてしまってる可能性が高い」
「…………」
「だから、急ぐとしても、ここからは慎重に行動する必要がある。君にも……あー、その顔、ごちゃごちゃうるせぇなって顔だね」
付き合い短いのによくわかるな。
大正解だ。
「わかったわかった、じゃあ君は好きに動いて。こっちはこっちで、君の動きを基に勝手に行動するから」
「おう、そうしろ」
「――海凪優護と飛鳥井玲人だな。すまないが、そういう話ならば、こちらも混ぜていただきたい」
次いで横から声を掛けてきたのは、見知らぬ男。
立ち居振る舞い、巡る魔力の質からして、一流の戦士であることはわかるが……。
「岩永だ。これで身元がわかってもらえるだろうか」
こちらの視線を受け、岩永と名乗った男は、俺に一枚の紙を見せる。
人型の形代で……込められている魔力に覚えがあるな。
「ツクモの部下か」
「そうだ。我々は奴らの撃退を命じられておきながら作戦に失敗し、あまつさえこうして敵に攻撃を許して、無様を晒している。これは、我々の失態だ。ツクモ様はあまり、特殊事象対策課に対し良い印象を抱かれていないが、こうなると話は別だ。是非とも挽回の機会をいただきたい」
「敵対しないなら何でもいい。邪魔したら殺すだけだ。動くならレイトと協力して好きにしろ」
「大妖怪ツクモの部下の人相手に、よくその態度でいられるね、君……? はいはい、わかりました。細かいところはこっちでやるから」
その後、本当に短くだけ作戦会議を行った後、俺達は行動を開始した。
◇ ◇ ◇
『――海凪君、こちらは配置に着いたよ。あとは好きにして』
無線の声を聞き、気配を消すのをやめる。
第二防衛支部の、正面玄関。
その様子は、以前見た時と大分異なっていた。
全面に分厚いシャッターが下ろされ、だが大穴が開いている。結界も無くなっているようだ。
そして、外からの侵入を阻むためか、大型のトラックが玄関を塞ぐように停められている。当然ながら、ウチの支部の者による行動ではないだろう。
小賢しい。
「緋月」
『にゃあ』
キィン、と、我が愛刀の黒の刀身に、燃え滾る赤が走る。
俺は、深く腰を下ろし――斬る。
一閃。
こんなトラック程度で止められる緋月ではなく、一刀で真ん中から真っ二つとなり、ズゥン、と地に落ちる。
身体強化を発動している脚で残骸を横に蹴飛ばした俺は、そのまま内部へと侵入した。
「――その魔力。その剣。やはり、君が調査対象だったか。以前とは別人に思える程の存在感だな。私は初っ端から当たりを引いていた訳だ」
一階の中央に立っている、一人の男。
見た顔だ。
以前、俺を尾行していた奴だな。
特殊部隊らしい装いで、以前は左手にマインゴーシュを持つのみだったが、今は右手に一本の剣を装備している。
こうして待ち構えていたということは、やはりこの支部はもう、制圧された後ということか。
迎撃、あるいは足止め要員。
一人だけとは、舐められているのか、それとも逆に評価されているのか。
己一人ならば、逃げるのも逆に容易いと、そう考えているのかもしれない。
「キョウは」
多分、事前に調査をしていたのだろう。
その名を、相手もまたわかっていた。
「安心しろ。子供を殺す趣味は無い。抵抗激しかった故、気絶程度はしてもらったがな」
…………。
何も言わぬ俺に、男は言葉を続ける。
「『ゲート』の向こう側は、どのような世界だったかね」
ゲート。
門。その、向こう側。
何を言われているのかわからないという程、察しが悪いつもりは無い。
――狙いは俺とウタか。
俺達が、皆を巻き込んだ。形としては、そうなるだろう。
いったいどうやってそのことを知ったのかという疑問は当然あるが……まあ、どうでもいい。
男の問いを無視し、俺は言った。
「一応、聞いてやる。――俺は、手を出されたのなら、必ず仕返しをすることにしてる。水に流すっていう価値観は美徳だろうがな。そういうのは結局、相手を付け上がらせるだけだ。やられたら、やり返さなくちゃならない。コイツを甘く見たらダメだと、理解させる必要がある」
「そうだな。私も同感だ。そういう綺麗事が通用する程、この世は残念ながら甘くない。左の頬を差し出したところで、さらに刃物で刺されるようなことが往々にしてある以上、反撃の手段は備えるべきだ」
そう、その通りだ。
――汝平和を欲さば、戦に備えよ。
反撃されることもわかっていて、この攻撃と。
なるほどな。
「だったら話は早い。俺は、人を殺すつもりはあんまり無いが、あんまりだ。が、同時に、ただの剣にどうこうする趣味も無い。向かってくるなら圧し折るが、あくまで狙うべきはその使い手だ。誰の命令で、この場にいる? 大使館にいるっていう、例の外交官か?」
「ふむ。君には誠実に答えるとしよう。――教えると思うかね?」
その回答に、肩を竦める。
「そうか。正直なところ、ちょっと安心した」
「安心とは?」
「今のは全部建前だ。これで心置きなくお前を斬れる」
俺は、踏み込んだ。