地球の魔物《2》
現れたのは、軽トラサイズのデカい蜘蛛だった。
どことなく鬼っぽさを思わせる、人っぽい頭部を持った、不気味な蜘蛛。この程度で取り乱しはしないが、率直に言ってかなりキモい。
それを見て、キョウは言った。
「土蜘蛛……っ!!」
土蜘蛛というと……妖怪だったか?
なるほど、日本だと魔物の呼称に、妖怪の名を使うんだな。
というか、そうか。そもそも妖怪自体空想の産物じゃなくて、幾らかは昔から出現していた魔物どもだった訳だ。
瞬間、バックアップチームが攻撃を開始し、夜の闇の中を銃弾が乱舞する。
ただ、音はあまり響かない。カシャッ、カシャッ、といった、絶妙にくぐもった音だ。そう言えば銃にサプレッサー付いてたか。
大した練度である。夜の、さらに森の中という悪条件の中、適切に部隊を展開して、火線を集中させているのがわかる。こんなところに駆り出されるくらいだし、多分精鋭なのだろう。
俺もまた、ダン、と踏み込んだ勢いで一刀を放ち、斬る。
狙った一体は、防御しようと前足をクロスさせたが、そんなもので止まる『緋月』ではない。
そのまま胴体までをも縦に真っ二つにして斬り殺し、同時にバックアップチームの方へ向かおうとしていた一体に向かって、『水弾』の魔法を放つ。
魔力マシマシで作成しているので、水でも殺傷能力は十分だ。一発でパチュン、と頭部を粉砕し、ソイツの肉体から力が抜け、地に崩れ落ちる。
火が使えると楽なのだが、ここ森だしな。こういうところでは自在に形を変えられる水の属性が一番使いやすかったりする。
「うおっ!?」
そして隣では、同じように土蜘蛛を斬り捨て、ビックリして固まっているキョウがいた。
どうやら、少し前に俺があげた『雅桜』の斬れ味に驚いているようだ。
苦笑し、彼女の方に飛んで来ていた鋭い棘らしきものを、途中で斬って防御する。
コイツら、遠距離攻撃もあるのか。面倒だな。
「おい、キョウ。集中しないと危ないぞ」
「あ、わ、悪い――いやそれより、何だこの刀!? 斬れ味おかしいだろ!?」
「そんくらいの斬れ味は無いと、最前線じゃ戦えないぞ」
「いやどこだよ最前線って!?」
最前線は最前線だ。
「それより、優護! 想定以上に数が多い! そっちは行けるかっ!?」
少し、焦った様子のキョウ。
実際、予想より数が多めだ。十以上はいるだろうと思っていたが、数えたら二十近くはいる。一体一体の強さが均一ではなくまばらで、群れで固まっていたせいで読み間違えたか。
俺もまだまだだな。つか、やっぱり虫が大量にいる様子は気持ち悪い。
「先に聞かせてくれ。キョウ、コイツらの討伐報酬って、どうなってる? 全員で山分けって感じか?」
「……バックアップチームの方は、危険手当があたしらとは別に出てるから討伐報酬は無い。それ以外の人員だと基本等分だ。ランクや討伐数なんかも、多少は考慮されて額に変動が出るが……」
「基本等分か。ならいい。じゃあ、あとは俺が斬るぞ?」
あまり出しゃばるつもりもなかったのだが、このままだと死人が出そうだしな。
キョウなら雅桜もあるし対処出来るだろうが、バックアップチームの方は難しそうだ。なら、話は別である。
……というか、普通に俺も、今日はバイト帰りなのだ。
レンカさんの店は極端にお客さん少ないから、別に忙しかったりする訳ではないのだが、それでもとっとと帰りたい。
全く、残業している気分である。レンカさんのところでの残業だったら、別にいいけどさ。
「……わかった。元より、アンタの動きを縛るつもりは無い。好きに動いてくれ」
「オーケー。そんじゃあ、キョウはバックアップチームの方を気にしてやってくれ。――安心しろ、この程度なら、何も問題ない」
そう言いながら俺は、短いポニーテールにしているキョウの頭を、わしゃわしゃと撫でる。
嫌がられて乱雑に振り払われてもいいので、とりあえず安心させて不安の感情を取り除いてやろうと思っての行動だったのだが……意外と彼女はこちらを拒絶せず、ただ撫でられるがままにジッとこちらを見ていた。
ま、何はともあれ、害虫駆除だ。
キモい虫どもを潰して、家に帰るとしよう。
◇ ◇ ◇
――それは、圧倒的な光景だった。
とてつもない、嵐のような暴力。
いや……優護の動きに、特別なものは見られない。
散歩しているような気楽さは一切変わらず、その表情に必死さは欠片も無く。
にもかかわらず、土蜘蛛と交差する度に、敵が一方的に爆散していく。
無人の野を行くかの如く。
襲い来る敵も、躊躇した敵も、迂回して杏達を襲おうとした敵も、一切が関係なく真っ二つにされ、微塵切りにされ、消し飛ぶ。
いつからか、バックアップチームは攻撃をやめていた。最初は、優護への誤射を警戒してのことだったろうが、今はきっと、違う理由だろう。
彼に援護など、いらないと悟ったのだ。
敵の数は事前の想定よりも多く、自分達だけでは苦戦が必至だったであろうが……優護をこの戦場に投入するのは、むしろ過剰戦力もいいところだろう。
――魔力の高まりも、一切感じられない。いったい、どうなってんだ。
彼が手にしている刀だけは、相変わらず恐ろしいまでの威圧感を放っているが、対して本人の肉体からは、戦闘時の高揚といった、そういう魔力の動きが何も感じられないのだ。
時折遠距離攻撃として魔法も放っているため、恐らくは己が感じ取れないだけで、実際には魔力を練って使用しているのだろうが、そんな風には思えないくらい動きが静かなのである。
これもまた、無駄な動きが何一つなく、全ての動作が戦闘に最適化されているが故なのか。
「…………」
……撫でられた時の、優護の手のひらの感触が、まだ忘れられない。
まるで、子供に対するような手付きで、普段の杏ならばすぐに振り払っていただろうが……不思議と彼女は、その温かさが、嫌ではなかった。
まるで、兄であるかのような。
死した兄を、思い出すかのような。
近所のあんちゃん、といった雰囲気を纏う優護であるため、尚更それを感じてしまい、自然と受け入れていた。
きっと、下心などが一切感じられない、ただ一心にこちらを案じる優しげな瞳をしていたからだろう。
『キシャアアァッ!!』
「お前が親だな。親ならちゃんと子供の躾しろよ」
やがて対峙するのは、一回り身体のデカい土蜘蛛。
彼の言葉通り、恐らくは親個体だろう。
優護をかなり警戒しており、その表情には怒りと若干の怯えが感じられ、彼が一歩を踏み出すごとに、逆に一歩後退る。
対して、優護の歩みはここまでと何ら変わりがない。
緊張感などまるで感じられない彼に対し、化け物だけが後退っているその光景は、何だか酷く滑稽だった。
その時、プレッシャーに耐えられなくなったのか、弾かれるようにして土蜘蛛の親個体が突撃を開始。
対する優護の行動は、ただ、一歩を踏み込むだけ。
巨体が迫り来る圧力など何も感じていないように、正面から対峙し――その刀を振るう。
やはり、とても静かな動きだった。
大きく構えることもなければ、特に身体を力ませることもない。
まるで、空気でも斬り裂いたかのような軽い動きで刃を振り抜き……結果として残ったのは、縦に真っ二つに両断された、土蜘蛛。
斬った、ということをこちらが認識した時には、土蜘蛛の巨体がドシャア、と地に崩れ落ちていた。
数秒遅れ、その死体が宙に溶けるように消え始める。
「うし、終わり!」
チン、と刀を鞘に戻す優護。
――戦闘終了。
あれだけいた土蜘蛛の軍団は、全てが消滅。
こちらの被害は、ゼロ。
脅威度『Ⅲ』の中でも、比較的強めであっただろう今回の魔物討伐は、最良の形で終了した。
「……優護」
「おう、何だ」
「報酬は、討伐数をきちんと考慮して受け取ってもらうからな」
「え、いいよ、面倒くさい。お前、隊長だし俺より上のCランクなんだから、むしろキョウが多く貰っておけよ」
「何でアンタはそう、自分のことに関して無頓着なんだ……そもそも、就職してないでバイト暮らしなんだろ? だったら報酬はちゃんと受け取れ。命を懸けた対価だ」
「あー、それを言われるとぐうの音も出ないんだが……まあキョウは頑張ってたし、ちゃんと敵も斬ってたから、等分でいいって」
「その露骨な子供扱いをやめろ。あたしはもう十八だ」
「ははは、子供が抜かしよる。俺に子供扱いされないだけの実力を持ったら話を聞いてやろう」
「……言ったな? あたしが強くなったら、アンタにはしっかりあたしの言うことを聞いてもらう」
「おう、楽しみにしてるよ」
そう言って、笑う優護。
彼とのその会話を最後に、バックアップチームが後始末を始め、杏達は撤退した。
――今回の戦闘で、海凪 優護という男のことは、少しわかったように思う。
無茶苦茶。
バカみたいな戦闘能力の高さ。
何でも誤魔化したがりで、ふざけた性格をしている。
だが――善性だ。
それだけはきっと、間違いないのだ。