死が別ち、而して繋がりを生む
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俺は、死にかけていた。
全身に傷の無いところは存在せず、左手はまだくっ付いているが、何だか上手く動かない。その上、片目は潰れてもう見えなくなってしまった。まあ、魔力感知で補えるから片目が見えないくらいは然程問題ないんだが。
肉体がボロボロなのは、別に良い。いや、全然良くはないものの、どうにかなる。それだけの経験は積んできた。嫌な経験だが、片腕が動かないが戦わないとならないとか、目が見えないけど敵が襲ってきてるとか、そんな状況は数度潜り抜けてきている。
問題は、枯渇し掛けている魔力である。
種族的な理由で、ただの人間――それも日本人である俺は、現在戦っている相手と比べ、魔力総量が低い。
もう、泣けてくるくらいには圧倒的な差だ。
それでもここまで何とか戦えているのは、人間種は、『魔力が低い』というハンデを補うために、魔法式に改良に改良を重ね、他種族が使う魔法に比べて著しく燃費を軽減することに成功しているからである。
無駄な攻撃力を削ぎ、効率を追求した、叡智の積み重ねだ。
対して、俺が今殺し合っている相手は、魔族。
それも、世界最高峰に魔力に優れているエルフと比べても、数段上の魔力を持つ化け物みたいな突然変異種。
魔がたる者達の王――魔王。
つっても、女だがな。
美しい、宝石のような、爛々と輝く銀の瞳。
同じ色の、夜空の月のように燦然と輝く銀の髪。
額から生えているのは、透き通るような、氷を思わせる一本角。
薄紅色の、蠱惑的な唇には挑戦的な笑みが浮かび、見る者全てを魅了するような、惹き付けられるような魅力が、全身から醸し出されている。
この、戦場でも、変わらずに。
俺は一週間継戦能力を保つくらいで精一杯だが、コイツは多分、一か月二十四時間魔法をぶっ放ち続けても、魔力切れなど起こさないことだろう。
で、向こうはそんなとてつもない魔力を用いて、効率などクソ食らえと言わんばかりの、地形が簡単に変わるとんでもないバカ威力の魔法をバンバン放ってくる訳だ。
一昨日くらいに、こちらの渾身の魔法がクリティカルヒットした時、向こうの皮膚がちょっと裂けたくらいのダメージしか与えられず、思わずげんなりしてしまったものである。
まず間違いなく、身体強化系の魔法を発動しているのだろうが、有り余る魔力で強化され過ぎていて、世界一固いオリハルコンと比べても、割とマジで大差ない肉体強度をしていることだろう。
見た目は、その美だけでカリスマ性を感じさせる程の、世界一の芸術家が彫った彫刻が動き出したのではないかと思わんばかりの美しさで、非常に柔らかそうな皮膚と肉付きをしているというのに、これだ。
だから、そこから諦めて剣――というか刀での戦闘のみに切り替え、すでに三日三晩殺し合いを続けているのだが……ここままじゃあ、先に死ぬのは俺だな。
全く、種族差というものが改めて嫌になる。こっちはもう死にかけで、肉体がまともに動かなくなってきているというのに、爛々に目を輝かせて楽しそうに斬りつけてきやがって。
俺も、ただの人間相手なら比べものにならないくらい魔力も体力もあるし、エルフ、ドワーフ、獣人族、そこらの魔族程度が相手なら、競り合えるだろうとは思っている。
が、多分コイツと比べたら、三分の一程度といったところだろうな。
――ハァ、しょうがないか。
まあ、コイツを倒すためなら……コイツと死ぬのなら、いいか。
覚悟を決めた俺は、繰り出される魔王の大剣の突きを――避けなかった。
肉体を貫通する刃。腹から、背中に突き抜ける。
一目で致命傷とわかるどデカい風穴が俺の肉体に開き、痛みというより、何か強烈な熱のようなものが走り抜ける。
内臓の全てがグチャグチャになる感触。
こちらが避けると想定していたのだろう。向こうの動きに驚きによる一瞬の硬直が生まれ、俺はその隙を逃さなかった。
至近距離から放った俺の刀は、回避されず――魔王の心臓を、貫く。
こふ、と口から血を吐き出し、魔王はゆっくりと己の胸を見て、次にこちらを見る。
そして、ニヤリと笑みを浮かべた。
「豪気じゃな。儂を殺すために、相打ちを選んだか、勇者よ」
鈴の音のような、聞き心地の良い声。
「……まあ、お前とはそこそこの付き合いだからな。お前を殺す対価なら……俺の命くらいはくれてやる。このままだと普通に負けそうだったし」
「かか、最後の余計な一言が無ければ、そこそこ格好良い口説き文句じゃったがのぉ? ま、確かにこのままやっておったら、儂がお主をけちょんけちょんにしておったがな!」
「けちょんけちょんって」
お互いの胸に刃を突き刺し、回復魔法を使ってももう助からない量の血を垂れ流しながら、そう軽口を交わし合う。
俺達は、殺し合った。それも、今日だけではなく、何度も何度も。
だが、別に、そこに恨みはないのだ。
俺もコイツも、戦わなければならなかった。だから、戦った。
それだけだ。
「うむ、うむ……死出の道のお供が勇者とは、なかなか豪勢じゃのぉ。よし勇者、儂と共に、このまま黄泉にて国盗りじゃ! お主と儂が揃えば、征服も容易かろう!」
「アホ、一人でやってろ。俺は今度こそのんびり過ごすんだ」
「なんじゃ、夢が無いのぉ、夢が。男ならばおっきく行くべきじゃろう」
「デカいことならやった。こうして魔王を殺した。だから、もういい。あとはゆっくり散歩とかして、ちょっと美味いものでも食って、のんびりしたい」
肩を竦めて――いや、もう身体が全然動かなかったが、まあとにかくそういう気分で俺は、魔王に言葉を返す。
元々俺は、ただの日本人だ。
こんな、リアルファンタジーな世界は、もう十分である。
「かか、確かにそうか。ま、そんな生活も……なかなか、良さそうじゃな」
魔王は、笑う。
死が目前に迫る中でも、子供のように屈託なく、心底愉快げに。
未練など一切感じさせない、煤と血で薄汚れていてもなお美しい顔で。
あぁ、きっと……魔族達は、この笑顔を守りたくて、コイツと共に戦っていたのだろう。
やれやれだと思いながらも、共に戦場を駆け抜けたのだろう。
……俺の方には、未練はある。この世界の先行きや、地球のこと。特に地球への未練は、大きい。
このまま死にたくないという思いがあることは、否定出来ない。
ただ、まあ……何だか、同時に満足もしていた。
ここで生を終えるのならば、決して最高ではなくとも、程々に良い人生だったと……そう思えるのだ。
「ならば……その内、お主の家にでも遊びに行かせてもらおうかの。そしたら、何か美味いものでも作ってくりゃれ」
「まあ、いいぜ。代わりにお前も、その内なんか作れよ。王をやってたんなら、舌も肥えてそうだし」
「……儂は魔王じゃから、食べる専門で、料理はせんのじゃ! 火を点けることすら怪しいの!」
「自信満々に情けないこと言ったな?」
思わず苦笑を溢す。
まあ、確かに王なら、身の回りのことは従者とかにやってもらうのが普通か。
もしかしたらキッチンとか入ったことないかもな、コイツ。
「……のう、勇者よ」
「あぁ」
「そう言えばまだ、しかと名乗ったことがなかったの」
「……そういや、そうか。お互い『魔王』、『勇者』だったもんな」
魔王は、ニヤリと不敵に笑いながら、名乗った。
「ウータルト=ウィゼーリア=アルヴァスト。アルヴァスト魔国の第五十二代魔王じゃ。お主には、特別に名前で呼ぶことを許してやろう」
「そうかい、そりゃ嬉しいね。じゃ、ウタって呼ぶわ」
「かか、良いぞ。好きに呼べ」
そして、次に俺が名乗る。
「俺の名前は、ユウゴ――いや、海凪 優護だ。海凪の方が姓だな。こっちも好きに呼んでくれ」
「何じゃ、お主貴族じゃったのか?」
「俺の国だと全員姓があんだ。俺自身は至って普通の一般人だ」
「かか、お主が一般人では、この世は恐ろしい限りじゃの」
本当なんだけどな。
「わかった、覚えておこう。よろしくの、ユウゴ」
「あぁ、よろしくな、ウタ」
俺達は、そう言葉を交わし――魔王から、もう、それ以上の言葉が返ってくることはなかった。
動かぬ肉体。
光を失った瞳。
だが、それでも、その口元には笑みが浮かんでいた。
何の後悔もないと、己のやるべきは全てやったと言いたげな、満足げな笑み。
何だか俺は……その笑みに、救われたような気がした。
そして、己の意識もまた、急速に遠のいていく。
肉体の感覚が消失し、思考が覚束なくなり、全てがゼロへと向かって行く中で、俺は彼女の笑みを最後まで見続け――。