42 (end)
ゾグラフ辺境伯家の馬小屋へ着いた頃には夕方になり、空はすっかりオレンジ色に染まっていた。
ラルフとオリーブは馬小屋でマレンゴを労う。
「たくさん助けてくれてありがとうな」
「マレンゴにバナナをいっぱい上げたいってお爺様にお願いするから、少しだけ待っててね」
マレンゴはラルフと触れ合ったあと、オリーブの方へも優しく鼻先を寄せてくれた。首元を撫でると、目を細めて応えてくれる。芦毛に映える額の花模様がとてもかっこいい。
マレンゴを撫でているオリーブへ、ラルフが声をかけてきた。
「オリーブ、あのな、おい。あれだ。あ、あのな……」
振り向くと、ラルフは真っ赤な顔で睨みながらマゴマゴと言葉にならない言葉をつぶやいている。どんなに待っても続きが出てこないラルフ。そういえばと、以前もこの馬小屋で同じようにラルフが言葉に詰まっていたことを思い出した。
……あの時も「ありがとう」と言いたいのに恥ずかしがっていたのよね。
「こちらこそありがとう。黒妖犬を討伐してくれたのもラルフだったんだよね?」
「こちらこそって何だよ!ありがとうも言いたかったけど、……ありがとうくらいならもう言える」
ラルフからのありがとうを待たずにそう言ったオリーブに、ラルフは眉間にしわを寄せて怒り出してしまった。
そこへ、マレンゴがバシッと音が出るほどに尻尾を体に叩きつけた。ラルフを見る目は厳しく、まるでラルフを鼓舞するように何度も尻尾を叩きつけている。
「こっち」
そんなマレンゴの視線から逃げるように、ラルフはオリーブの手を取り歩き出した。
馬小屋から出て屋敷ではない方へズンズンと進む。
オリーブの返事も待たずにオリーブの手を取り歩き出すのは、子供の頃から変わらない。
人によっては自分勝手だと怒り出しそうな行為だが、優柔不断で怖がりで何かあるたびに固まってしまうオリーブにとってはとてもありがたい。きっと、ラルフはそれに気付いてるからこそ、オリーブの手を取り歩いている。
それに、いくら優柔不断なオリーブでも、自分の手を引いて勝手に進む人が誰でもいいわけではない。
自分のことよりもオリーブのことを優先してくれる、いつもオリーブを見守って心配してくれる、おせっかいなくらいオリーブのことを考えてくれる、オリーブが間違ってれば怒ってくれる、そんなラルフだから安心して身を委ねる事ができるのだ。
無言で歩くラルフに連れて来られたのは、一面に青いアガパンサスが咲き誇る広い庭だった。
オレンジ色の夕空と、青いアガパンサス。鮮やかなコントラストが美しく、ため息が出てしまう。
この季節はオフシーズンで、ラルフと遊ぶことがなかったため、ゾグラフ家の庭にこんな美しい花畑があることを知らなかった。
しばらく綺麗な景色に見惚れているいると、オリーブの手を掴むラルフの手がしっとりと汗ばんできたことに気づく。
ラルフの緊張がオリーブに伝わり、2人きりで手を繋いでいることを意識してしまう。頭に血が上ってきて、耳の先まで熱くなり、胸もドキドキと落ち着かない。
「ふふっ、オリーブの顔、赤い……」
笑いかけてきたラルフの顔も真っ赤だ。
9歳の頃から滅多に見られなくなってしまったラルフの笑顔。夕日に照らされて輝いている金色の瞳は、蕩けてしまいそうなほどに甘くて優しくて、ますます胸の騒めきが激しくなる。
ラルフはアガパンサスの中を通る道の途中で立ち止まり、キョロキョロと周りを伺っている。誰かいるのかとオリーブも確認してみたが誰もいない。
「いや、サイラス殿下とフレイア様が出てきそうな気がしただけだ」
そう言われると、ラルフは昨日サイラスに遮られて途中になった話の続きをしたいのだとオリーブも理解してしまう。
ドクドクと、自分の心臓の音がうるさい。
「オリーブのこと、臆病でも気にすることはないなんて偉そうなこと言ったけど、俺も臆病なんだ。……ずっとオリーブに伝えたいことがあったのに、断られたらと思うと、怖くて恥ずかしくて息もできなくなって言えなかった」
「……ラルフは私のことをからかったり意地悪してきても、絶対に怖がらせたり乱暴したりはしなかった。言葉が荒くなって怒りっぽくなっても、困った時は誰よりも早く駆けつけて助けてくれてた。……そんなラルフからお願いされたことを断るなんてしない」
「だって、これまで俺がどんなに緊張してドキドキしてても、オリーブは全く意識してなかっただろ?……でも、今はオリーブも俺のこと意識してくれてるって、分かる」
林間学習でいろんな事が起きすぎて、ラルフのことを異性として意識するようになったきっかけが思い出せない。オリーブの気持ちがラルフにバレてることが恥ずかしい。
ラルフはオリーブが自分の恋心に気付くまで待ってくれていた。
子供の頃、ラルフはオリーブが好きだから意地悪してくるんだろうなんて考えていた。前世の記憶があるせいで大人ぶっていたけれど、そんなオリーブよりもラルフの方がずっと大人だったのだと理解し、とても恥ずかしい。
それにしても、ラルフが”だって”だなんて言うと思わず、これまで知らなかったラルフの新しい一面を知れたことに嬉しくなる。
……もっともっとラルフのことを知りたいし、知るのは私だけがいい。
……そうか、私、ラルフのことが好きなんだ。
「昨日、パレルモの家に忍び込んで真っ暗な庭を通った時、サイラス殿下から『怖いなら手を繋ぐか』って言われたんだけど、断ったの。……サイラス殿下が悪いんじゃなくて、手を繋ぐならラルフがいいって、ラルフじゃないと嫌だなって、気付いた」
オリーブはラルフと手を繋いでいない空いてる方の手で、ラルフのもう片方の手を掴み、二人向き合って両手を繋ぐ。
しっとりとしているのはオリーブの汗なのかラルフの汗なのか、分からないけど、不快じゃない。
「オリーブは怖がりだから俺がいないとって、小さい頃からずっと思ってた。でも、昨日、こんなほっそい腕で俺を助けに来てくれて、シウコアトルにも臆せず話していた姿を見て、オリーブは俺がいなくても大丈夫なんだなって分かった」
オリーブは頭を横に振って否定する。
怖がりのオリーブがラルフを助けに行けたのは、ラルフがいなくなることの方が怖かったからだ。ラルフがいなくても大丈夫なはずがない。
「それで安心して、同時に寂しくも思った。オリーブがいないと生きていけないのは俺の方。……俺の隣にオリーブがいてほしい。俺はオリーブと一緒に生きたい…………おれと、け、けっ、結婚してください!」
「はい。……私もラルフと一緒に生きたい、です」
オリーブの返事を聞いた途端、ラルフはオリーブの背中と膝裏に手を入れて横抱きにして、くるくると回り出す。
お互いに緊張していたせいか、そんなおかしな状況に2人で顔を見合わせて笑ってしまう。
「ラルフ覚えてる?……昔転んで血が出た時は、私が重くて抱き上げられなかったの」
「覚えてるに決まってる。その時も悔しかったし、春にカイル殿下に抱き上げられてた時も、昨日サイラス殿下に抱き上げられてたときも、全部悔しかった。……全部、俺が抱き上げたかった」
カイルに横抱きにされたことなんてすっかり忘れていた。でも、それを言うならば、ラルフがマールムを横抱きにしていた時、オリーブだって悲しかった。ラルフへそう伝えると、「おあいこだな」と笑っていた。
しばらく回って満足したのか、ラルフはオリーブをその場に下ろすと、青いアガパンサスの花を1本手折り、差し出してきた。
オリーブは受け取り、顔を寄せた……。
武を重んじる辺境伯の嫡男なのに、ラルフは花言葉に詳しい。ラルフはアガパンサスの花言葉を分かっていてこの庭に来たのだ。
アガパンサスの青、ラルフの髪のオリーブ色、瞳の金色、夕日に染まった空のオレンジ、そして耳の先まで真っ赤なラルフの顔。
これからの人生、どんな困難が待ち受けても、この色鮮やかな思い出があれば乗り越える事ができる。
オリーブは歌う。
自分の気持ちを現すすべを、オリーブは歌しか知らない。今の気持ちを紡ぐように、自然と口ずさんでしまったのは、MAWATA時代には意味も分からず歌っていた愛の歌。
そんなオリーブの歌を青いアガパンサスとラルフだけが聞いてくれた。
ーーーアガパンサスの花言葉は、恋の訪れ、ラブレター、……そして、無償の愛。ーーー
end.
最後までお読みいただきありがとうございました。
途中でエタらせ完結に2年もかかってしまい大変申し訳ございませんでした。
手書きプロットの文字が汚すぎて読めなくなり、途中でプロットを作り直すなどあったのですが、なんとか完結させることができて良かったです。
最終話のラルフのプロポーズですが、明確に「好き」や「愛してる」の言葉を言わせることが出来ませんでした。
きっとどんなだったかとオリーブから詳しく聞き取りしたフレイアがラルフへ怒り、ちゃんと告白すると思います。
まだ書きたいなと思うストーリーもポロポロあるので、気が向いたら特別編として追加していけたらと思ってます。
(ちなみに、オリーブと母ステファニーの名前はREBECCAの曲名から名付けていて、それに伴いオリーブの娘はデイジーにしようと決めていたのですが、すっかり忘れてラルフに横恋慕していた令嬢にデイジーと名付けてしまいました。もしもラルフとオリーブの娘が出てくる番外編を書く時は横恋慕令嬢の名前を変更しようかなと思ってます。)




