04
10歳のオリーブがいつも寝るのは21時頃。いつも通り寝る準備を整え21時にベッドへ入ったオリーブは侍女を退室させたが、母の部屋はジョナかグレタどちらかがまだ控えている時間だろう。以前寝れない時に母の部屋へ行った時に侍女がいなかった22時過ぎならば大丈夫だろうと、22時過ぎに母の部屋へ忍び込んだ。
「お母様、具合は大丈夫?」
「昼よりずっと楽になったわ。緑色の毒に心当たりがあったから、解毒作用がある柑橘類が食べたいってグレタに用意してもらったの。オリーブのおかげよ」
昼見た時より顔色が良くなり息も荒くない母に、オリーブはホッと胸を撫で下ろした。
「オリーブ、先に謝っておくわ。おそらくだけどジョナとパレルモ伯爵を罪に問うことはできないと思う。ジョナとパレルモ伯爵の子供の存在を確認できたら、私の許可なく庶子を作っていたことについて追求することはできるけど、きっとそれだけね。肺炎と同じ症状が出る毒しか盛られていないし、それももう治りはじめているから今からジョナが毒を盛った証拠を探すのは難しいわ。時間をかけていたらオリーブに毒を盛られてしまうし、オリーブを囮に証拠を掴むことはしたくない。私はあの二人を罪に問えないことよりもオリーブが苦しむ方が嫌なの」
母は父のことを”パレルモ伯爵”と呼んだ。もう完全に父から気持ちが離れているのだ。オリーブももう父のことを”お父様”と呼ぶのはやめて、”パレルモ伯爵”と呼ぼうと決意する。
母とオリーブを殺そうと計画し、母は毒を盛られて苦しんでいるというのに、あの二人に受けるべき罰を与えられない。母とオリーブがパレルモ伯爵家を出て行ったら、きっと何食わぬ顔でジョナと再婚して隠し子を嫡子とするのだろう。
「悔しい……」
「悔しいよね。割り切れないよね。まだ小さいオリーブにこんな理不尽を経験させてごめんね。……でも、死なないとしても、この毒をオリーブが飲むことは絶対避けないといけないの。柑橘類で症状が緩和したことから私が予想した毒で間違い無い。この毒は副作用のひとつに将来子供ができなくなる可能性があるはずなのよ。私が回復してると気付かれないうち、オリーブが毒を盛られる前に早急に解決しないといけない」
母とこんな風に難しい話をするのは初めてだが、オリーブが理解できると信じて話してくれていることが場違いに嬉しくなる。
「無理やり家を出て行こうとしても、まだ完治していなくて体力のない私と10歳のオリーブだけだと不安があるわ。メッセンジャーはわかる?小さな箱型の魔道具で、入れた手紙を指定のポストへ馬車より早くに送付することができるの。私が個人で持つメッセンジャーは壊れていたわ。おそらく実家に連絡取れないようにジョナに壊されてしまったのね。パレルモ伯爵と家令もメッセンジャーを持っているはずだけど、あの家令は信用できないし、二人に知られずに手紙を出すのは難しいわ。グレタに外出してもらって市井の店で手紙を出してもらうかと迷ったけど、私が寝込んでいる時にグレタが外出するのは不自然だし、正直に言うとグレタを完全に信用していいのか迷っているの。ジョナのことがあったからってグレタまで信用できなくなるなんて、私はダメね」
そう言って悲しそうな顔をしている母を見たオリーブは、思わず母に抱きつく。母はオリーブの髪を優しく撫でた後、枕元から2通の手紙を取り出した。そのうち1通の宛先は母の実家アルバ伯爵家のタウンハウスで宛名はオリーブの祖父アルバ前伯爵となっているのが確認できる。
「オリーブ、あなたにこの手紙を託すわ。お父様は手紙を読んだその日のうちにパレルモ伯爵家へ私たちを迎えに来てくれるはずよ。たまたま知り合いの葬儀でお父様が領地からタウンハウスに来ているところだったことは不幸中の幸いね。お兄様よりも心強いもの。もしも手紙を出すのに失敗したら、私の体力が戻るのを待たずに無理やりここを出て何とかアルバ伯爵家のタウンハウスへ避難するつもりよ」
「この手紙はどうやって出せばいいの?」
「もう1通は隣のゾグラフ辺境伯夫人宛なの。辺境伯家のメッセンジャーで父宛の手紙を出して欲しいってお願いする手紙よ。私たちがゾグラフ辺境伯家に逃げ込んだら、パレルモ伯爵が辺境伯家を訴える可能性がある。メッセンジャーを使ってもらうだけならバレることはないから迷惑にはならないはずだわ。明日、ラルフ君にこの2通の手紙を渡して欲しいの。ラルフ君からゾグラフ辺境伯夫人へ渡してもらう。ゾグラフ辺境伯夫人のことは信用できるし、オリーブもラルフ君のことは信じられるでしょ?」
ラルフはほぼ毎日会いに来るから明日渡すことはできるだろう。ラルフが来るより先にオリーブが抜け穴を使って辺境伯家へ行ってもよい。母はラルフを信じられると言うが、昨日までのオリーブだったらラルフが素直に手紙を受け取ってくれるか不安だっただろう。今日、”俺を頼れ”と言ってくれたラルフなら心強い。
オリーブは首を縦に振り、両手で2通の手紙を握りしめた。ベッドから出てきたオリーブが着ているのはゆったりとしたワンピース状のネグリジェでポケットが付いていない。
「ラルフ君に手紙を渡したら、私の部屋にお見舞いに来てね。……部屋へ送ってあげれなくてごめんね。廊下は暗いけど、怖くない?大丈夫?」
「大丈夫。怖くない」
正直に言うと、ここへ来る時も怖かったのだが、そんなことは言っていられない。オリーブは、母へ力強く頷いて、母の部屋を退室した。誰もいない廊下は薄暗く、突き当りまで見えないために幽霊がいたらどうしようと不安になる。
私は大人だった前世の記憶だってあるんだもの。薄暗いだけの廊下が怖いなんて恥ずかしいわ。おばけなんていない。おばけになることなく生まれ変わった自分が証明している。
恐怖を紛らわすため、心の中で必死に言い訳しながら、大事な手紙を握りしめてオリーブは部屋に戻るために、廊下の曲がり角を曲がった。
「お嬢様、こんな時間に何をしてるのですか?」
「ヒィっ!」
ジョナだ。暗闇の中から赤い目を光らせ笑いかけてくるジョナにいきなり声をかけられ、驚き過ぎて固まってしまったオリーブは、かろうじて、喉から声にならない息を漏らした。ジョナの目線の先はオリーブが手に持つ手紙。この手紙をジョナに取られる訳にはいかない。
恐怖を我慢していた中での驚きに、頭が真っ白になり冷静さを失ったオリーブは、手紙を守ろうとするあまりジョナがいるのと反対方向へ走り出した。