39 Side:Jona
……まずい、まずい、まずい。
ジョナは私室へと駆け込み、使用人に退室するように命じると暖炉に火を付けた。
今は初夏。すぐに熱くなってくるが我慢するしかない。素早く髪を短く切り、火のついた暖炉へと投げ入れる。嫌な匂いがしてくるが、そんな事を気にかけている時間はない。
キャビネットの鍵を開けて、隠しておいた茶髪のカツラを被り、平民の普段着に相応しい服へ着替える。
……なるべく早く、国外へ逃げないと!
獣による大きな鳴き声で騒動に気付いたジョナが狼狽える騎士たち越しに見たマールムの部屋には、大きなカバの魔獣を操り戦うマールムがいた。
カーキ色の短髪に金色の瞳の少年は、タウンハウスが隣のゾグラフ辺境伯家の令息。そのゾグラフ辺境伯子息をマールムがテイムし、襲わせようとしていたのはダリウスとステファニーの娘オリーブに間違いない。
久しぶりに見たオリーブは、マールムと同じ髪型で、マールムとよく似た服を着て、瞳の色が赤く変わっていた。マールムのフリをしてこのタウンハウスへ忍び込んだのだろう。
マールムと同じ格好をしているくせに、優柔不断でオドオドとしてすぐに被害者の立場を奪うようなオリーブのあの顔つき。幼い頃から変わらない。
ダリウスにそっくりで心底気分が悪い。
オリーブを守るように立っていた銀髪の騎士は、年齢と立場を考慮すると第二王子サイラスだろう。
オリーブと銀髪の騎士にはなぜかマールムのテイムが効いていない様子。
相手はテイムを無効にできる手段を持っていて、しかも王族が関与している。
マールムはすぐに捕まり、自白剤を使われるだろう。ジョナの犯罪まで露呈するのは時間の問題だ。
屋敷の南側からは、また大きな音が聞こえてきた。早くこの場を去らないとと焦る気持ちを落ち着かせる。
ジョナは着替え終わると、何の飾りもない貧相な靴に履き替え、手当たり次第に粗末なカバンへ宝飾品を詰め込む。
まるで泥棒のようだと自嘲してしまうが、泥棒に間違いはないのかもしれない。
どうせ泥棒なのだからと、ジョナはドア一つで繋がった隣にあるダリウスの私室へと入った。
このドアを使ったのは何年振りだろうか。
パレルモ伯爵夫人となってから1年と経たずに使われなくなってしまったドアを、盗みを働くために使うとは思っていなかった。
いや、万が一の逃亡用の荷物を用意していたあたり、どこかで予想はしていたのかもしれない。
素早くダリウスの部屋を漁り、指輪やカフスボタン、万年筆や時計など小さくて高価な物をカバンへ入れていく。
書斎机の引き出しの鍵を壊すと、中には宝石箱が入っていた。大切に仕舞われていた辞書より大きなその箱。さぞ高価な宝物が入っているのだろうと期待し、ジョナは箱を開けた。
出てきたのは、白い陶器で出来た猫型のペーパーウェイトがひとつだけ。
一瞬、価値のある物ではと考えたが、すぐに思い出した。
ジョナがまだステファニーの侍女だった頃、ダリウスが視察のお土産としてオリーブに手渡していた猫のペーパーウェイトだ。ステファニーの父と兄が乗り込んできた5年前のあの晩に、ダリウスへ突き返されていた猫のペーパーウェイト。
それを、ダリウスはジョナの目につかない鍵付きの引き出しの中の大きな宝石箱に入れ、大切に仕舞い込んでいた。
……クソが!
ジョナは力一杯ペーパーウェイトを床へ叩きつけた。
粉々の白い破片となった無残な姿を見て、少しだけ溜飲を下げる。
……欲を出したばっかりに、嫌な思いをしてしまったわ。時間はない。もう屋敷を出よう。
ジョナは素早く使用人出口へと移動し、建物から出る。
コソコソとしていたり、小走りをすると目立つ。不自然にならないようにゆっくりと裏口門へと歩いて行き、門番へは最近入ったばかりの茶髪のメイドの名前を名乗り、タウンハウスを脱出した。
お金のない男爵家に生まれたジョナが、貴族の矜持を捨てて平民のフリをすることなどお手の物だ。ジョナが伯爵夫人だったのは最近の5年だけだが、むしろ、この5年間貴族のフリをしていたと言った方が良いのだろう。
いつもは馬車で通るタウンハウス街の道を1人で歩く。
意外にも、夜にも関わらず歩いている平民はチラホラといて、幸運にも1人で歩いている年寄りを見つけた。すぐに近寄り話しかけると、その年寄りは貴族のタウンハウスで通いの料理メイドをしていて、帰宅途中らしい。
ジョナは最近働き出したメイドとして話を合わせ、母娘に見えるようにと意識して一緒に歩く。
途中、騎乗で周囲を探る王国騎士とすれ違ったが、この年寄りのおかげでやり過ごすことができた。
ジョナはこうしてタウンハウス街から抜け出し、平民ばかりの市井へと入った。
持ってきた貴金属でカバンが異常に重たいが、換金できる店には王国騎士が待ち構えている可能性が高い。しばらくは手持ちの現金を使い、この重たいカバンを持ち歩いて行けるところまで行くしかない。
平民が高額な転送ゲートを使うのは目立つ。憂鬱だが、平民に紛れて乗合馬車で移動するしかないだろう。
様々な行き先の乗り場が集まっている乗合馬車乗り場へ行ったジョナは、なるべく新しくて乗客が少ない馬車を選び乗り込んだ。
ジョナは自分が賢くないと知っている。というよりも、自分よりも賢い人が大勢いることを知っていると言った方が正しいだろう。
ここでどこへ向かうか色々と考えたとしても、自分よりも賢いものに予想されてしまうだろう。しかも相手は王家。複数の可能性に対処できる予算や人手がある。
自信を持って答えを出せない時は、誰も予想できない運任せにした方がよい。
行き先を確認せずに乗り込んだ馬車は、王都より西にあるセッラ山行きだった。
21年前、ジョナがパザーズ男爵令嬢だった貴族学園1年の時、林間学習で行った思い出の地だ。
馬車が走り出してからしばらくして他の乗客は途中下車してしまい、乗客はジョナ1人となった。民家の少ない田舎道は外灯も少ないため、窓の外は王都から離れるほどに段々と暗くなっていく。
窓から見える満月。
……あの夜も満月だった。
ジョナは林間学習のことを思い出す。
ーーーーー
両親から持参金は用意できないと言われていたジョナは、貴族学園で騎士科ではなく官吏科を選んだ。
表向きには将来使用人として雇ってもらう伝手を探すことを目的にしていたが、高位貴族の愛人になるなら騎士科よりも官吏科の令嬢の方が良いと判断したのだ。
その林間学習で同じ班になったのはダリウス・パレルモ伯爵令息。
ダリウスはジョナの再従姉妹ステファニー・アルバ伯爵令嬢の婚約者、黒髪に赤い瞳の美少年で、物静かで品の良い所が当時のジョナにはとても魅力的に映った。
林間学習の一日目、夕飯の飯盒炊爨の後、キャンプファイヤーの時間にジョナはダリウスを引っ張って湖へと向かう。
野営をしていた場所の近くには湖があり、その湖畔にあるハート型の岩を恋人同士で触ると幸せなれるという言い伝えが学園の生徒たちの間で噂になっていたのだ。
高位貴族の伯爵令息を婚約者でも恋人でもない知り合ったばかりの男爵令嬢が無理やり連れ出し、月明かりだけを頼りに夜の湖畔を2人きりで歩く。
ダリウスの気の弱さ故に成り立った状況。本来ならあり得ない。
ジョナたちと同じように言い伝えを聞いたのだろう何組かの恋人たちがいたおかげで、ハート型の岩はすぐに見つかった。
「これって恋人同士が触る岩じゃなかったっけ……」
「じゃぁ私と恋人になって?」
ジョナは無理やりにダリウスへ口付けた。
初めてのキスだった。
突然のキスに驚くダリウスの背後の夜空には輝く満月があって、その満月の光が湖面に映り込みできた細長い光がキラキラと輝き、とても美しかった。
ダリウスの婚約者ステファニーへの罪悪感など微塵もなかった。
そして、ダリウスと2人で岩に触る。岩は想像以上にひんやりとしていて、「冷たいね」と2人は笑い合う。
思い出してみれば、キスの後、ダリウスからジョナへの返事はなかったのだ……。
それどころか、その後の21年、ダリウスが自発的にジョナへ甘い言葉を言ったことは一度もない。林間学習の夜から今日までずーっと、ダリウスとジョナは、ダリウスが受け身で流されているだけの関係だった。
“恋人同士で触ると幸せなれる岩”なのに、恋人ではないダリウスと触ってしまった。
ジョナが幸せになれなかったのはダリウスのせいなのだ……。
ーーーーー
乗合馬車は終点、セッラ山の山麓にある小さな町へと着いた。時刻は夜の10時過ぎ。
もう馬車はないし、ここで一泊するしかないだろう。追っ手のことを考えて宿には泊まらず野宿をすることにした。
13年前、シウコアトルをテイムするために森を彷徨った時に野営は経験しているため抵抗はない。
寝るのに良さそうな木の根元を見つけ、逃亡用の荷物として持ってきていた分厚い外套を羽織り、フードを深くかぶる。拳銃型の雷の魔道具を腰に装備し、外套の中にカバンを入れて抱えるように座り込む。
今晩は満月のおかげで、ランタンの魔道具は必要なさそうだ。
しばらくしてジョナはウトウトと微睡む。
まぶたの裏に浮かんだのは悔しそうな母方の祖母の顔。
『あのペンダントさえあれば……』
裕福でない男爵夫人だった祖母はいつもそう言っていた。
そして、先祖代々伝わるペンダントと広大な領地を持つ伯爵夫人となった祖母の姉の話をしてくるのだ。
祖母の娘、つまりはパザーズ男爵夫人であるジョナの母はかわいくないから教えない、自分によく似たお前だからと言いジョナだけに打ち明けてくれた内緒話。
祖母の母方の先祖は滅んだ国の王族で、王族の証である涙型の大きな宝石が付いたペンダントを引き継ぎ守っていたという。
王家の血が流れる女がそのペンダントを付けて願えば、ペンダントは海の底にある城の場所を示し、閉ざされた城門へペンダントをあてれば門は開く。ペンダントを付けていれば海の中でも苦しくなく、歌うことまででき、そして、歌いながら願えば聖獣ですらテイムできる。
王家の血は女の子にしか引き継がれないため、ペンダントは娘の嫁入り道具として代々引き継いでいくのだ。
それなのに、祖母の母は祖母の姉にしかその話をせず、祖母に内緒で祖母の姉へペンダントを渡してしまった……。
祖母の姉の結婚式前夜に盗み聞きしていなければ、自分が王族の末裔だと知ることすらできなかったと、自分も女なのにと、姉は自分より先に生まれただけなのにと、その姉だけが得したことが許せないと、話の最後で必ず怒り出す祖母。
伯爵家への嫁入りも、王族のペンダントも、テイムの力も、全て独り占めした姉が憎いと語る祖母の、悔しそうな顔が忘れられない……。
そんな祖母はジョナが貴族学園へ入学する1年前に不治の病に倒れた。
見舞いにいったジョナが祖母からこっそり手渡されたのは涙型にカットされた大粒のサファイアのペンダント。母親から受け継ぐことができなかったことが悔しかった祖母が慰めに似せて作った、ただの偽物。
その偽物のペンダントをもらってからすぐ、祖母は亡くなった。
祖母の葬式に来た、祖母の姪アルバ伯爵夫人とその娘ステファニーを見たジョナは思いついた。
大粒のサファイアは売ればそれなりの金額になるのだろうが、それよりももっと大きな利益を生むことができるかもしれない。これを本物とすり替え、テイムの力を手に入れるのだと。
そしてジョナは貴族学園の官吏科へ入学し、林間学習でダリウスと出会い、ステファニーの婚約者ダリウスのことも欲しくなった。
ジョナの計画は概ね成功した。
ダリウスの愛人になり、ダリウスとステファニーが結婚し、ステファニーが懐妊してすぐにジョナも妊娠した。同い年の子供を産み、子供は乳母とメイドに任せて市井で育て、再従姉妹という伝手を使ってステファニーの侍女になった。
そして、すぐにステファニーのペンダントを、サファイアの偽物のペンダントとすり替えた。テイムの力を全く使わないステファニーはペンダントのすり替えに気づかなかったため、何通りか考えていた計画は1番長期で確実なものを選んだ。
炎の聖獣シウコアトルをテイムし、モラレスの実へ入れてパレルモ山へと連れてきた。その翌年には天然硫黄が取れるようになり、アルバ伯爵との共同事業だったゴム工場をパレルモ伯爵家単独経営にできた。
ただ、気弱なダリウスのせいでゴム男爵へ支払う使用料が高くなってしまい、思ったよりも利益が上がらなかったことは大いに不満だった。
最後は頃合いを見て、ステファニーとオリーブを市井で流行っている病気に見せかけて、ダリウスの手で殺すまでがジョナの計画だった。
それが、成功直前でオリーブの逃亡を許してしまったのだ。
侍女として働いている時はペンダントをすることができず、テイムできなかったことでオリーブを逃してしまった。
それによりステファニーがダリウスと即時の離婚を希望してきたが、オリーブをパレルモ伯爵家から除籍することと賠償金も持参金の返金も請求されなかったことで渋々その結果を受け入れた。
本当は目障りなステファニーとオリーブを、テイムしてない素面のダリウスに殺させたかったが仕方ない。
ステファニーはアルバ伯爵家の出戻り女となる。しかも、ジョナが飲ませた薬の副作用でもう二度と妊娠することはできないステファニーは、再婚できたとして年寄りの後妻が関の山。
これからパレルモ伯爵夫人として生きていくジョナの幸せな姿を、ステファニーへと見せつけるのも良いかもしれない。
ジョナはそう考えて無理やり溜飲を下げる。
こうしてジョナの長年の計画はおおむね成功を納めた。
ダリウスとステファニーの離婚後、ジョナはパレルモ伯爵家の実質的な女主人となった。ダリウスとジョナの結婚は1年後に決まり、その準備を始める。気に入らない使用人を辞めさせたり、屋敷の内装を自分好みに変えたり、着たいドレスをオーダーしたり……。
振り返ってみれば、ダリウスがステファニーと離婚してすぐの数ヶ月が、ジョナの幸せのピークだった。
定期的にかけ直さないといけないシウコアトルのテイムを、忙しさを理由に10歳のマールムにやらせたことが分岐点だったように思う。
マールムはペンダントを持ったまま、勝手にパレルモ領からモラレス男爵領へと行きテイムの力を駆使して10個ものモラレスの実を手に入れてきた。
それからマールムは無断でペンダントを持ち出し、モラレスの実を使って強い魔獣を収集していた。
そんなマールムを放置していたのがこの状況を招いたのだろう。
カイルに執着していたマールム。それにより王族に目をつけられるような失敗を犯し、テイムのことが露呈し、元パレルモ伯爵令嬢のオリーブが屋敷の案内に駆り出された。
先の状況はそう考えると説明がつく。
生まれてすぐに市井の別宅で乳母に育てさせたマールムに、興味が持てなかったジョナが悪かったのだろうか。いや、気が強いマールムに対して臆し、打ち解けられなかったダリウスの責任も大きいだろう。
社交界で寝取り女と嘲笑されているジョナを一切助けなかったどころか、若い侍女と浮気をしたダリウス。
気が弱いダリウスから迫ったとは思っていないが、それでも拒まなかったダリウスに腹は立つ。
ダリウスの浮気のことを考えると、侍女に対して激しい怒りを思い出してしまう。
ちゃんと制裁は加えたものの、あの女の勝ち誇った顔が忘れられず、いまだにこみ上げてくる怒りにこぶしを握りしめて耐える。
ダリウスの浮気への憤りでジョナはまどろみから目を冷ましてしまった。
山麓とはいえ王都より標高が高いのだろう。初夏とはいえ深夜は冷える。
地表からの冷気を遮断するため、抱いていたカバンをお尻の下に敷こうと、ジョナは立ち上がった。
ーーー見つけた。ーーー
雲が月を隠してしまったのだろう。満月のおかげで薄っすらと明るかった周囲に影が落ちた。
ランタンの魔道具を取り出そうとジョナは荷物を漁る。
ーーー我らの声も聞こえていない、こんな奴が姫を攫ったのか?ーーー
ーーーこの魔力、間違いない。オリーブから盗んだ力はもう使えないのだろう。念の為、合体して来たが、我だけで十分だったな。ーーー
ーーーいや、我にヤらせてくれ。ーーー
月明かりだけだった夜の森が、いきなり明るく照らされた。突然の光にジョナが顔を上げると、目の前には、大きな炎が、迫っ、て、……
ーーー娘の方の魔力は、マーマンの城から感じる。ーーー
ーーーマーマンの長一族と争うのは得策ではない。折を見て炙ろう。ーーー
ジョナが最期に見たのは、満月に向かって飛んで行く双頭のシウコアトルだった。
(前話の後書きであと1話か2話で完結と書いてたんですが、悪役たちのその後を忘れてました。次話はカイルとマールムについてで、そのあと1話か2話で完結になりそうです。本当にすみません。)




