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「はい。これはオリーブちゃんの櫂」
船の上でフェリクスから手渡されたのは先端に幅広い板が付いた木の長い棒。櫂とはこの水を漕ぐための船具のことのようだ。
ミースター領の転送ゲートへ着くと、建物を出てすぐに船乗り場があった。営業時間は遠に過ぎてたためにすでに入り口は閉まっていたのだが、フェリクスが声をかけるとすぐに中へと通される。
案内してもらったのは3人座れる幅の長椅子が6個並ぶだけの屋根がない船で、普段は川下り観光の客船として使っていてるらしい。
素早く船乗り場にいた船乗りのおじさんが船首に1人乗り、前から騎士が2人、フレイアとフェリクス、オリーブとラルフ、騎士が2人、と2人ずつ乗ると、船尾にもう1人船乗りが乗り込みすぐに出航した。
そして、船の上でフェリクスが皆に配りはじめたのがこの櫂。
つまり、全員で船を漕げということ。
「他の船の櫂をかき集めてもらっといたんだ。素人の僕たちはひたすら漕いでスピードを出して、操縦は熟練の船乗りさんたちに任せたら大丈夫!」
貴族令息と令嬢に船を漕がせようと考えたフェリクスに驚くが、今は緊急事態。こんな機会がなければできない経験だろうと、素直に櫂を受け取り漕ぎ方を教わる。
次期王妃であるフレイアももれなく櫂を渡されているが、嫌な顔一つせず、漕ぎやすいようにとドレスの袖をまくり裾を結んでいる。学園の厳しい礼儀作法の先生がこのフレイアの姿を見たら、きっと卒倒してしまうだろう。
こうして、目まぐるしく川下りが始まった。
そもそも日没後に、船の灯りのみを頼りにして進むだけでも怖いのに、常にない速さで川下りをしないといけない。
船乗りのおじさんたちからは、今なら他の船がない、川の流れは穏やかで凹凸や障害物は少なく、緩やかな蛇行のためにスピードを出しても危険は少ないと説明されたが、それでも船から落ちてしまわないかと不安は消えない。
「これ、川下りじゃなくてラフティングじゃない。20分切れるって、モーターみたいな魔道具があるんだと思ってたのに。ゴリッゴリの物理!」
フレイアは息を切らしながら船を漕ぎ、前世のラフティングと一緒だと言っている。
白崎真綿はラフティングをしたことはないが、知識としては知っていた。そして、これがラフティングなのかと納得しながら、オリーブも必死に船を漕ぐ。
今日は朝からカンディア山を下り、夕方には1人でマレンゴに乗って全速力で王都を走り、忍び込んだ生家で異母妹と一戦交えた。その後で、このラフティング。
本当はとても疲れている。でも、疲れているのはオリーブだけではなく皆一緒だと、残りわずかの体力を振り絞ってひたすらに船を漕いだ。
船はぐんぐんと進み、どんどんと川を下り、だんだんとパレルモ領へ近づいていく。
聖獣が出たパレルモ領へ急いで向かうオリーブ達の正体をなんとなく予想しているのだろう、船乗りのおじさんの話を聞く。
「私の生家はパレルモ山の中腹にあったんです。10年前、伯爵の当時の奥様が山ごとゴム工場にするから出て行けと言いなさって、町へ引っ越しました。随分なお金を頂いて、住んでた者たちは表面上は納得してたんです。でもやっぱり、先祖代々の土地から追い出されたと憤る気持ちもあったんですよ。……ついさっき山にでっかい蛇の聖獣様が出て、怒って火を吐いてるって聞きました。もし引っ越していなければ、家族や同じ集落の者たちや、自分だって今頃どうなってたか……。前の奥様には感謝しかありません」
オリーブはかつて叔父から聞いた話を思い出す。
パレルモ伯爵夫人だった時の母は、天然硫黄が取れるようになった領地の山がいつ噴火するのかと危惧していた。山の住人から相場より高く土地を買い取り、山全体をゴム工場の土地として立ち入り禁止にしたのはそのため。住民から憎まれることは分かっていただろうが、そのおかげで、彼らはシウコアトルからの被害から免れることができた。
それでも、ゴム工場や硫黄の発掘現場で働く人たちがいる。彼らを助け、山から町へと被害が拡大する前に、早くシウコアトルの元へ行かないと……。
オリーブは櫂を握る手に力を入れ、船を漕ぐ。
「焦げくさいな」
黙々と漕いでいたはずのラルフのつぶやきで、皆ハッとし、真っ暗な川から視線を移す。
船の進行方向の右側に現れたのは、暗い夜空を焦がすように燃え上がっている山だ。
パレルモ山は知識の上では標高1000メートルに満たない小さな山で、カンディア山の半分の高さもない。それにも関わらず、目の前で燃え盛る山の迫力に思わず息を飲む。
日常を脅かすような退廃的な雰囲気に、オリーブの頭に浮かんでくるのは記憶の奥深くへと閉じ込めたはずの過去。燃え上がる山の周り、ぼんやりと明るくなっている空に広がっている黒い煙と、思い出の中の飛行機の窓から見えた機体からの激しい炎と黒い煙が、重なる。
……あの日のフライトも夜だった。
前世の自分が死んだ場面を思い出してしまったオリーブは、同じ飛行機に乗っていたフレイアがトラウマに苦しんでいないだろうかと顔を上げると、同じように心配してくれたのだろう、オリーブの方へと顔を向けたフレイアの紫色の瞳と目が合う。
オリーブへ向かって無言で頷くフレイア。アラスターがよくする仕草だと思い当たり、確かに2人は兄妹なのだなと心が温まる。
フレイアの心も、オリーブの心も大丈夫。
オリーブたちが飛行機事故を思い出している間にも船は進み、ひとかきごとに燃える山へと近づいていく。
山の上へ上へと上がっている黒い煙。その黒い煙が広がる夜空の中を、ボウっと炎が浮かび上がると、その火に照らされ、大蛇が現れた。
「あれがシウコアトル……」
シウコアトルが炎を吐いている。そのたびにまるで泳ぐように飛んでいるシウコアトルの、ターコイズのような青緑色の鱗と金色の瞳が夜空に煌めく。その神秘的な姿に船にいる誰もが黙り込み、気圧される。
ジョナは13年前にこんな神々しいシウコアトルをテイムし、パレルモ領へと連れてきたのだ。シウコアトルの荘厳な姿を見たことでジョナの豪胆さを知るが、タウンハウスでのマールムの立ち回りを見たあとでは納得せざるを得ない。
マールムがジョナに似ているのは罪の意識なく私利私欲のために犯罪を犯すところだけではなかった。いざという時の胆力と行動力もジョナ譲りだったのだ。
この親にしてこの子あり、子は親を映す鏡、蛙の子は蛙、といった言葉を連想し、もっとぴったりな言葉に思い至る。
”マールム”というのは前世のラテン語で”りんご”と”悪”という意味だった。そして、”見た目が美しい人でも心が腐っていることがある”という意味のことわざ”赤いりんごは虫食いりんご”というタイトルがついた乙女ゲームの主人公だったマールム。
ジョナとマールムの母娘には『りんごの実はりんごの木の近くに落ちる』という前世の言葉がしっくりくる。
「もう手を止めてー!パレルモ山に1番近い船着き場はもう直ぐだよ。後は船乗りさんたちに任せよう」
フェリクスの合図で船の進む速度が落ちていく。
目的の船着き場へと近付く中で船乗りのおじさんたちにお礼を言った後、フェリクスは防音の魔道具を起動した。
「オリーブちゃん、モラレスの実の使い方を言い忘れてたね。茎の部分にある突起を押したら、実をシウコアトルに当てる。当てるのはどこでも大丈夫。それで、シウコアトルの額に花形の文様が出てきたら契約は完了だよ。もう一度突起を押したらシウコアトルが実に入る、はず。
……聖獣がモラレスの実に入るなんて信じられないんだけど、人間のラルフが入ったことを考えると可能なんだろうね」
「パレルモ山は開けた平地の真ん中にある山よ。シウコアトルが飛んで来たとしたら、夜だとしても目撃情報が一切ないなんてあり得ないし、なによりも、番の雄が追跡できなかった。パレルモへはモラレスの実に入れて連れて来たとしか考えられない。……だからシウコアトルは必ずモラレスの実に入る。大丈夫」
シウコアトルをモラレスの実に入れるには、あのシウコアトルに触れるくらいに近づかないといけない。見上げた夜空の先にいるシウコアトルの姿を見ると、途方も無いことに感じてしまうが、今は戸惑っている場合ではない。
「あの山を見て思い出したの……。乙女ゲームで”夏休みに領地に行く”か”行かない”かの二択の選択肢。”領地に行かない”を選ぶと領地で災害が起きて強制バッドエンドになるのよ。あの燃える山の景色、その時のゲームの背景画像に良く似ている。すっかり忘れてたわ。きっと、夏休みに領地へ行ってテイムのかけ直しをしないと、シウコアトルが暴れ出す。それがバッドエンドだったのね。……今更思い出すなんて、遅すぎだわ」
フレイアはため息をついているが、落ち込む必要などない。これまでフレイアのお陰でどれだけ助かってきたと思っているのか。
「そのゲームについて何も分からない俺たちからしたら、今更もなにもない。ただただありがたいです」
「そうです。ありがとうございます。シウコアトルを長期間テイムするには定期的に掛け直さないといけないことも分かりました」
これだけではラルフとオリーブの感謝の気持ちはフレイアへ半分も伝わっていないかもしれない。
フレイアだけではない。フェリクス、ドミニク、サイラス、アラスターにもちゃんとお礼ができていない。王都へ帰ったら改めてお礼を言おう。もちろんラルフにも。
……これって、もしかしてさっき言ってた”死亡フラグ”になる?
オリーブの不安を他所に、船が船着き場へと着いた。
「さぁ、到着したよ。ここからオリーブちゃんのことはラルフに任せた!」
「私とフェリクスも騎士たちと騎乗で追いかけるわ。2人とも、気をつけて……」
一緒に転送ゲートをくぐり、船を漕いだ4人の王国騎士たちからも「俺たちもついている」と励ましの声がかかる。
彼らもモラレスの実で相棒の馬を連れてきていて、4人のうち2人はラルフとオリーブを炎やシウコアトルの攻撃から援護し、残り2人はフレイアとフェリクスを二人乗りで乗せて後を着いてきてくれるそうだ。
『今、俺たちも、ミースター領へ着いた。これから船で追いかける』
フレイアのしている指輪からアラスターの声が聞こえてきた。
『俺も来たからな!すぐ追いつく』
『ラルフ!オリーブちゃんを絶対守るのよ!』
『すみません、ニコラスです。頑張ってください!』
サイラス、ゾグラフ辺境伯夫人、ニコラスの声も聞こえてくる。
『オリーブ、ただ歌えばいいの。……歌い始めれば、何も、怖くないわ』
……そう、臆病なMAWATAも、歌い出してしまえばすぐに恐怖を忘れてた。こんなこと誰にも言ったことないのに、お母様は分かってくれてた。
「行こう、オリーブ!」
オリーブはラルフの手を取り、一緒に走り出した。
ーーーーー
ラルフと共にマレンゴに乗って、まっすぐに炎上している山へと向かう。
真っ暗な道にひどい熱気と黒煙。そんな悪状況でも、しばらく走ればラルフの体温や息遣いを感じるまでに慣れてきた。
これから渦中に飛び込むというのに、不思議とラルフと二人乗りした思い出が脳裏をよぎる。
寝間着姿でマレンゴに二人乗りして夜の道を走った時の、背中に感じたラルフの心臓の鼓動と体温。夕焼けどきの放課後にマレンゴに二人乗りして山道を走った時の、夕日に照らされて笑っているラルフの金色の瞳……。
この焦げ臭い匂いや熱さも、将来ラルフと二人でマレンゴに乗った時に、ふと思い出してしまうのだろうか。そんな平和な未来のために、頑張るしかない。
「山へ入る前に進行方向の火を消すために風を起こすからな。マレンゴにしっかり掴まっとけよ」
ラルフへと頷きながらオリーブはいつでも歌えるようにと準備をはじめる。
ポケットを探り、球型の拡声の魔道具を取り出した。魔力を込めて起動すると球からは羽が生え、空高くへと飛んで行ってしまった。
目の前には燃え盛る数多のゴムの木。とてもじゃないが近づくことはできない。
ラルフが前方へと剣を構えた途端、マレンゴの頭の先から大きな竜巻が起こり山の上へと登っていく。強い風にあてられ、吹き飛ばされないようにとマレンゴにしがみつく。オリーブとラルフが深く被っていたフードは脱げてしまった。
ラルフの起こした竜巻が消えると、炎もゴムの木も煙も吹き飛ばされ、頂上へと続く道ができていた。
ラルフとオリーブを乗せたマレンゴが、その道を走り出そうとしたその時、オリーブたちの周囲が明るく照らされた。瞬間、ラルフはマレンゴから飛び降り、頭上から降ってきた無数の大きな火の塊を剣から出した風魔法で吹き飛ばしていく。
……シウコアトルが来た!
予想外に早く、心の準備の途中でいきなり現れたシウコアトルに、混乱するオリーブ。テイムしないといけないのに、ふとテイムについて疑問を覚えてしまった。
テイムとはどうしたらよいのだろうか。テイムのやり方など誰からも教わっていない。
学園の図書室で歌姫のテイムについて調べた時、テイムの仕方については載っていなかった。なぜ自分は当然のようにテイムできると思っていたのだろうか。
オリーブはシウコアトルを目と鼻の先にして、どうしたら良いかわからなくなってしまったのだ。
……妖精をテイムした時は、恐怖を紛らわせるために思うまま歌った、だけ。きっと、シウコアトルにして欲しいことを祈りながら、全力で歌えばいいの、よね?アカペラに向いてる歌?いや、古語の歌の方が……
「オリーブ!歌え!……ただ歌えばいいんだ!」
ラルフの必死な叫びで、オリーブは我に返った。
シウコアトルにして欲しいこと。それだけをオリーブは思い浮かべる。
……炎を吐くのをやめて、怒りを鎮めて、大人しくして、そして、……私の歌を聞いて欲しい!
今、1番歌いたくて、今、1番聞いて欲しい歌を、オリーブは歌う。
ーーーーーーーーーーあの日 きみと行った夏まつり
ーーーーーーーーーーふわふわな綿あめ ひと口たべた
曲はオリーブの前世、白崎真綿が作詞した『コットンキャンディ』。
恋人どころか初恋もまだだった白崎真綿ことMAWATAは、ある日事務所の命令で恋愛の歌詞を書くことになった。困ったMAWATAは、幼い頃に離婚してそれぞれが新しい家族を持ち真綿を放置した両親への思いを恋愛の片思いに見立てて歌詞にしたのだ。
MAWATAが歌詞を提出した時、事務所からはありきたりな片思いの歌詞だと呆れられ、売り上げもいつもより悪かった。それでも『コットンキャンディ』はMAWATAにとって一番思い入れの強い曲。
父と母はどうして幼い自分を一人残して出て行ってしまったのか、父や母の元で育った異母弟や異父妹と自分はどこが違うのか、愛想がなく無口な自分が悪かったのか、両親が迎えにきてくれるのを一人で膝を抱えてじっと待っている幼い自分がいつまでたっても心の奥から消えてくれないのはなぜなのか。
まだ両親が離婚する前、三人家族だった頃に手を繋いで行ったお祭りで買ってもらった大きくてふわふわの綿菓子がしぼんでいく、そんなイメージで書いた歌詞。
オリーブは歌いながら、白崎真綿の寂しさを思い出す。
オリーブにはラルフが、母が、フレイアが、たくさんの仲間がいるから、もう寂しくない。でも、真綿にだって『コットンキャンディ』を好きだと言ってくれた前世のフレイアがいた。いつも応援してくれてたファンがたくさんいた。
前世で満たされなかった白崎真綿の寂しい心はもう昇華されてる。
ーーーーーーーーーー夕映に染まる きみの背中
ーーーーーーーーーーとなりにいるのは あたしじゃない
ーーーーーーーーーーあたしとその子 何がちがうの?
すぐ近くにいるシウコアトルへはオリーブの歌声はそのまま届いているだろう。拡声の魔道具は炎を避けて山麓を飛び回り、オリーブの歌声を遠くへ遠くへと届けている。
「やっぱり、オリーブはMAWATAだったのね……」
「ニコ、聞こえてる?」
歌に集中してるオリーブの耳に、フレイアの呟きも、通話の魔道具でニコラスへ歌声を聴かせようとしているフェリクスの声も入ってこない。
ーーーーーーーーーーcotton candy 口をつけた
ーーーーーーーーーーcotton candy はかなく消えた
ーーーーーーーーーーcotton candy あの日だけのあまい記憶
ーーーーーーーーーー欲しかったのは ぎゅっとしても消えない 愛
『コットンキャンディ』を歌い終わったオリーブ。テイムなど意識せず、ただ”歌を聞いて欲しい”と思いながら歌った。
そんなオリーブの目の前へ、シウコアトルが降りてきた。
(作詞に時間がかかり更新が遅れました。すみません。作中歌がある物語はもう二度と書かないと思います。あと数話で完結です。と言いつつ、あと数話で終わると思ってからすでに何話も更新してます。オリーブとラルフに異世界恋愛させないとと思うと進行が牛歩になってしまうんですよね。あとは脇役の掘り下げをどれだけ入れるかも悩ましいです。カイルやジョナの過去とか、乙女ゲームのフェリクスルートやアラスタールートとか……。でも本当に、プロット上では、あと少しで完結のはずです。)




