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「私が転んで怪我した日、ラルフはカイル先生が私の頭を撫でる手のひらに僅かな魔力が生じるのを感じたそうです」
オリーブの言葉を補足するようにラルフが頷く。
「……実は、その直後からカイル先生に頭を撫でられる感触が忘れられなくなりました。もう一度頭を撫でて欲しいとカイル先生を探してしまう。その異常なほどの渇望に慣れるまでは本当に大変でした。医学書を見てもそんな症状は確認できなかったので、私はカイル先生が好きなんだと勘違いしてたんです。でもさっき、マールムへの好意を隠さないカイル先生の姿を見ても何とも思わなかった……。それでも、頭を撫でられる感触を思い浮かべると、今も、頭を撫でて欲しいと思ってカイル先生を探してしまうんです」
オリーブが話し終わると同時、サイラスが立ち上がり、長椅子に座っているオリーブの前まで来てオリーブの頭に手を置いた。
「えっ、すごい!消えた……」
サイラスの手の感触を感じた途端、まるで霧が晴れるように、飢えるようなカイル殿下に頭を撫でて欲しいという思いがスッキリと消えてしまった。オリーブの思考の一部になってしまっていた、カイルへの思いが無くなったと、はっきりとわかる。まるで眠気が覚めたように思考も冴えたように感じる。
「サイラス殿下、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
サイラスへお礼をいうオリーブへ、なぜかラルフまで被せてお礼を言っている。
「お礼を言う必要はないよ。悪いのは王族の力を悪用した俺の叔父なわけだし。詳しいことは言えないけど、これは直系王族の力で間違い無い。脳に直接魔法をかけられたのに叔父上と普通の距離を保てていたオリーブ嬢は、自分の我慢強さを誇って良いよ。……ただ、二人は王族の秘密を何個も知ってしまったからめんどうなことになるな。これがオリーブ嬢一人だったら俺と結婚することで簡単に解決できたんだけど、って、ラルフもフレイアもすごい顔で睨むなよ!オリーブ嬢を取ったりしないよ!」
「私は、あなたの軽率さに怒っているんです!今ここで魔法を解く必要はなかったでしょう!王妃様があなたを信用していない理由が重々分かりました。……王族が魔道具なしで対象者を自分に依存させる魔法が使えるなんて、私も、兄も知らなかったというのに。この馬鹿、いや、サイラス殿下の軽い口を止める人が必要です。話し合いは王都へ帰ってから王妃様もいるところでしましょう」
フレイアが怒る気持ちは十分わかる。飛熊をテイムしたマールムよりも力のある歌姫だという秘密が自分自身にあるとはいえ、王族の秘密を何個も知ることは、正直、怖い。将来王妃になるフレイアはまだ良いだろう。同じ立場のラルフやアラスターが一緒にいてくれてよかったと、オリーブは密かに安堵した。
ただ、オリーブのテイムは王族には効かないと分かったことはとても嬉しいし、ラルフとフレイアがその事実を知ってくれたことも尚嬉しい。これで歌姫の力への恐怖が、少しは薄れてくれたと思いたい。
「王都へ帰るまで待てない。俺はパレルモ嬢へ監視を付けていた理由を教えるようにと命令されている。そのテイムは解除されているが、パレルモ嬢に解除を知られる訳にはいかない」
サイラスの後ろに立ち、表情を変えず黙って話を聞いていたアラスターが口を開くと同時、軽い口喧嘩のような言い争いをしていたフレイアとサイラスの二人が口を閉じ、アラスターの方へ体を向けて真剣に話を聞きはじめた。この3人のいつもの様子が伺えて微笑ましい。
「サイラス殿下がテイムされていないことも、テイムを解除できることも知っているカイル殿下は、パレルモ嬢が狂言で飛熊を放つような人間だと分かっていても仲を深めている。サイラス殿下のおかげで、カイル殿下が歌姫に執着していることがわかったんだ。ここまでの情報を出し合って、パレルモ嬢とカイル殿下の目的や出方を予想して対応したい。今ここで話し合いをしてしまおう」
「オリーブとラルフはここまで色々知ってしまったのだもの。これを出しても別に良いわね」
アラスターの意見を聞いたフレイアは、長椅子に置いていたカバンからりんご程の大きさの宝石を取り出した。四角い八面体にカットされたダイアモンドで、土台部分は銀製で、ルビーやエメラルドなど小さくてカラフルな宝石がボタンのように複数付いている。
フレイアはキャンプファイヤーの時に、大きな宝石を沢山管理しないといけないという話の時に両手でりんご位の大きな円を作っていた。『そんな大きな宝石ありえないだろ』ってツッコミ待ちだとオリーブへ言っていたが、そんな大きな宝石を本当に持っているではないか。
「通話の魔道具は簡単に作れたの。でもね、簡単に盗聴ができてしまう欠点があって、盗聴できないものを開発してる。……でも、この大きさの宝石が必要なビデオ通話の魔道具なら、盗聴にもこの大きさの宝石が必要だから、逆に使えるのよね」
この世界には電話もテレビもビデオも無い。ここにいる中でフレイアのこの言葉を完全に理解しているのはオリーブだけだろう。アラスターは事前に事情を聞いているのか無表情だが、ラルフとサイラスは怪訝そうな顔を隠すことなくフレイアを見つめている。
フレイアは前世の知識を活かして電話のような魔道具を開発しているようだ。
王侯貴族の通信手段として、盗聴を防げないことは致命傷だろう。盗聴される恐れがある通話の魔道具を使うくらいなら、多少手間でも今まで通り瞬時に手紙を送れるメッセンジャーを使うと、オリーブでも思う。
『サイラスもいると言うことは予想外のことが起きたんだね。フレイア、父上と母上も呼んだ方が良いかい?』
ダイアモンドから光が出て、紫色の寝間着姿のドミニクが現われた。背景の家具などからしてドミニクの寝室だろうか。”ビデオ通話”という言葉で予想がついていたオリーブに対し、案の定、ラルフとサイラスは驚いた顔で光に手をかざしてドミニクが実体でないことを確認している。
フレイアとアラスターがドミニクの提案に同意し、国王陛下と王妃殿下も話し合いに参加することが決まり、一旦ビデオ通話は切れた。
”ビデオ通話”を使うフレイア。アラスターの”情報を出し合う”という言葉。前世の乙女ゲームの知識を根拠にこの林間学習で魔獣が出ると予想していた事実を考えると、フレイアとオリーブに前世がある話を避けて話し合いをすることはできない。
オリーブには20年程生きた別の女性の記憶があるのだと知ったら、ラルフはどう思うのだろうか。
真綿のことを「無口で愛想も悪いし何を考えるか分かんない」と言い捨てた前世の父を久しぶりに思い出し、心臓を締め付けられるように息苦しくなる。無口で愛想が悪く、強力なテイムが使える上に、前世の記憶があるなんて、さすがのラルフもオリーブのことを気味が悪いと思うのではないか。
「オリーブが今何に憂いてるのか私には分かるけど、絶対に大丈夫よ。少しはラルフを信じてあげなさい」
オリーブの横に座っていたフレイアが断言し、ラルフが不思議そうにオリーブを見てきた。オリーブはいつの間にか頭を垂れてしまっていたようだ。
「オリーブがここでラルフを疑うなんて、さすがに鈍感ヒロインものみたいよ?ラルフは思春期のせいでデレが出ないタイプのツンデレなのだから、あと数年もしたら乙ゲーのスパダリキャラのようになるに決まってるじゃない。オリーブは鈍感というより臆病なのよね」
「何を言ってるかわからないけど、お前が臆病ってのは同意する。でも、臆病だからって気にすることはない。そのままで良いんだからな!……臆病ってことは注意深くて想像力があるってことだし、想像力があるってことは思いやりがあるってことだろ?テイムなんて余計な力を持ってしまったんだから、怖がって慎重なくらいがちょうど良い。それがお前なんだから、別に気にするな」
フレイアもラルフも優しい。
テイムを”余計な力”と言ってくれたのも、嬉しい。臆病なオリーブをそのまま認めてくれるラルフなら、きっと、前世の真綿の記憶を含めてオリーブなのだと言ってくれるだろう。
オリーブだってたとえラルフに前世の記憶があると言われたとしても、気味が悪いだなんて思わない。
「フレイア様もラルフもありがとう」
オリーブはいつも二人にお礼を言ってばかりだ。フレイアとラルフから「ありがとう」と言ってもらえるように頑張ろうと、そのためならなんでもしようと、オリーブは決意した。
「ここは、”お前”じゃなくて”オリーブ”って言いなさいよ」
フレイアの小声の呟きには少し同意するが、”オリーブ”と言うよりも恥ずかしいだろう内容を伝えてくれたと思うと、たとえ”お前”だとしてもとても嬉しかった。




