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ラルフはオリーブを覗き込んでは、どう声をかけて良いかもわからず手をワタワタとしていた。
そんなラルフに気づくことなく、必死に涙を抑えているオリーブの瞼からは次から次に涙が溢れてくる。涙が止まらないオリーブは、ラルフと共にマルティネス公爵家の騎士駐屯用の大きなテントへ招かれた。
テントの端にある二人掛けの長椅子にフレイアと共に座り、高ぶった気持ちを落ち着けるように努力することしかできない。
しばらくしてオリーブが泣き止むと、オリーブの左横に立つラルフと、右横に座るフレイアは、オリーブを間に挟んで話し始めた。
「稽古中に飛んできたシグナルを見たアラスター殿が走り出し、サイラス殿下と共に追いかけると、建物の裏庭でオリーブが飛熊に襲われていたんです。すぐに騎士達を収集し、アラスター殿の指揮で討伐にかかりましたが、結果はその場にいたパレルモ嬢が歌を歌って飛熊をテイムし、サイラス殿下が首を落としました。……フレイア様はこちらでオリーブを待っていたということは、オリーブがパレルモ嬢を呼び出したことにフレイア様も関係しているということですか?」
「オリーブがマールムを呼び出した?……ゾグラフ様は、なぜそんな風に思うのですか?」
「なぜって、パレルモ嬢が、そう、言ったからで、す……」
フレイアとラルフは黙り込んでしまった。
就寝時間に人気がないところへオリーブがマールムを呼び出すなどありえない。ラルフはマールムが言っただけでそう信じている自分が変だと気づき、フレイアはそんなラルフに違和感を覚えている。
この事態をどう乗り越えるか、オリーブもちゃんと考えないといけない。
マールムの自作自演の可能性を考慮し事前に監視をつけていたり、突然現れた飛熊に追跡用の魔道具を放ったりと、フレイアやアラスターだけでなく事情を知らなかったサイラスやラルフも、皆、最善を尽くす努力をしている。マールムと同じ歌姫でテイムされていないオリーブだけが解決できる方法があるはず。
泣いている場合ではないし、自分だけ何もできない役立たずだと落ち込んでいる時間もない。
なぜマールムに監視を付けていたのか紙に書いて明日の正午までに内密に渡せと、アラスターがマールムから命令されている。これを防ぐには、アラスターに掛けられたテイムを解く必要がある。つまり、オリーブがマールムよりも力のある歌姫だと明かすことになる。
フレイアとラルフになら……。
「……マロンに、ペネロペのエゾリスのマロンに起こされたんです。誘うようにテントの外へ出ていったマロンを追いかける途中でアラスター様に貰ったシグナルを起動しました。マロンは建物の裏庭に消えて、代わりに飛熊が出てきました。ラルフがいなかったら大怪我してた……。ラルフ、本当にありがとう」
ラルフを見ると、いつものように眉間にしわを寄せているものの、頷くことでオリーブのお礼を受け止めてくれた。「オリーブがパレルモ嬢を呼び出した」と言ったラルフの言葉と矛盾する話の切り出しにも関わらず、反論せずにオリーブの話を真剣に聞いてくれることにも感謝しないといけない。
「……騎士の方達が戦っているところへマールムが出てきて飛熊をテイムして倒しました。カイル先生がマールムへお礼を言っていたところへ、マールムを監視していたという王国騎士が出てきて、マールムがモラレスの実から飛熊を出し歌ってテイムしていた姿を見たと言ったんです」
「で、アラスターがマールムに『靴を脱げ』って言った途端に、マールムはその場で歌を歌って、騎士達も含めて全員テイムした。マールムはオリーブ嬢に呼び出されたことにしろってね。……飛熊をテイムして異母姉に嗾けるような女だ。口枷をせずに問い詰めたアラスターが悪い。あの女、今は叔父上と二人でいるが、愛を語り合っているようだよ。監視の騎士にかかったテイムを解除して、引き続き監視してもらってる」
オリーブの説明を途中で奪ったのは、サイラスだ。その後ろに立つアラスターの手には防音魔道具が握られている。
いつのまにかテントに入ってきて話を聞いていたサイラスとアラスターの二人に、オリーブは気づいていなかった。驚いて座り直したオリーブに対して冷静にサイラスの話を聞いているラルフとフレイアは、二人に気づいていたのだろう。
「防音魔道具を起動し忘れているなんて、二人とも、オリーブ嬢の涙に動揺しすぎだ」
アラスターはフレイアとラルフを叱っているが、そもそも泣いてしまった上に防音魔道具のことを忘れて話し始めたオリーブが1番悪い。恥ずかしくなって肩を落とし掛け、サイラスの言葉のおかしさに気づき思わずサイラスの顔を見てしまった。
サイラスはマールムのテイムにかかっていなかった上に、テイムを解除することができる。
「直系の王族に人魚のテイムは効かない。もちろん、歌姫のテイムも効かないんだ」
サイラスの説明で、先程はマールムにテイムされたふりをして乗り切っていたのだと知ると同時、カイルも同様だと気づく。改めてカイルはマールムを好きになるようにテイムなどされておらず、本心からマールムに好意を示していたのだと思い知るが、オリーブの心は傷ついていない。
ラルフがマールムを見つめていた時に感じた嫌な気持ちや、ラルフがマールムにテイムされてしまった時の衝撃に比べたら何てことはない。
「ちょっと!王家の秘密を勝手に明かさないでください。オリーブはともかく、ラルフにまで伝えたのは早計では?」
怒るフレイアに対して、サイラスはそれが王族に対する態度かと言い返している。
その言葉で王族のサイラスがいるのに座ったままだったことに気づき、椅子を譲ろうとオリーブは立ち上がったが、サイラスは近くに置いてあった一人がけの椅子を自分で持ってきて座ってしまった。オリーブはフレイアの横にもう一度腰掛け直す。
そう。フレイアは『オリーブはともかく』と言った。先のオリーブの発言で、この場にいるフレイア、サイラス、アラスター、そしてラルフはオリーブのことにも予想がついてしまっている。
「オリーブは、歌姫?」
オリーブの耳にラルフのつぶやきが届いたが、歌って飛熊をテイムしていたマールムをまるで恐ろしい怪物を見るような目で見ていたラルフを思い出してしまう。
今、どんな顔でオリーブを見ているのかと思うと、ラルフの顔を見ることができない。オリーブは反応できずに膝の上に置いた自分の手を見つめていると、サイラスが話し出した。
「やっぱりか。しかも、テイムされていなかったことを見るにマールムより力が強い……。フレイア、俺を仲間外れにするから、オリーブ嬢を泣かせることになったんだからな!最初から俺も作戦に入れてたら、オリーブ嬢が歌姫だってわかった戦法を取れたんじゃないのか?しかも、テイムが効かない俺があの場にいなかったらどうなってたと思って」
「『やっぱり』ってどういうことですか!?」
喧嘩腰でフレイアへ話しているサイラスの言葉を遮ってラルフが問いかけたが、その声はきつく、問いかけると言うよりも食ってかかると言ったほうが近い。
「オリーブ嬢が怪我した日に妙だと思ったんだよ。叔父上なら自分のせいで廊下が水浸しになったとしても、たとえそれが毒だとしても、構わず放っとくし、それで誰が転んだとしても無視する。そんな人が自らモップを持って、しかも怪我人を助けようとしてたら何か目的があると思うだろ。……ちょうどその頃に祭典で歌姫の侯爵夫人に叔父上が手を出して困ったって父上が嘆いてたし、叔父上は人魚について研究してる。基本的に来るもの拒まずで他人に興味がない叔父上のことだから、オリーブ嬢は歌姫なのかもなってその時に何となく思っただけだよ」
オリーブとカイルの出会いは、カイルに仕組まれていた……。
「さすが戦闘民族。勘はいいのよね。……悔しいけど確かにサイラス殿下の言う通りだわ。今考えると子爵令嬢で官吏科のオリーブがカイル殿下と知り合いになってる時点でおかしい。王族の地位と先生の立場を使えばオリーブを雑用係にすることも容易かったはず。カイル殿下はオリーブが通る廊下に先に水を撒いて待っていたのね。……サイラス殿下、カイル殿下は人魚について研究してるのですか?ドミニク様からはそんなこと聞いたことないのだけど」
「もしかして、叔父上が人魚を研究してることって俺しか知らない?昔、兄上とかくれんぼしている時に叔父上の研究室に入ったことがあって、その時に人魚の資料がこれでもかってほどあったんだよな……」
カイルの目的は歌姫。そう考えると、実際に歌を歌ってテイムしたマールムに手のひらを返したように好意を持ったことと、オリーブの頭に魔力を流して依存させていたことにも説明がつく。
でも、なぜカイルはオリーブが歌姫だと気づいていたのだろうか。ラルフですら気づいていなかった、オリーブと母の長年の秘密をカイルが知っていたのか理由が分からず、不気味で、オリーブはぞわりと足元が寒くなった。




