02
ジョナは男爵令嬢で母の祖母の妹の孫、つまり母の再従姉妹だ。実家の男爵家が貧しく持参金を用意できないため貴族と結婚できずに困っていたところを、再従姉妹として付き合いがあった縁で母がパレルモ伯爵家で侍女として雇ったのだと聞いている。
父との会話に出てきたマールムという子供の歳はわからないが、ジョナに子供がいることを誰も知らないことから、パレルモ伯爵家で侍女として働く前から父と関係していたのだろう。
上級使用人の侍女になるには紹介状が必要で、簡単になれるものではないのだとオリーブは知っている。侍女として雇ってくれた母へ笑顔で接していた裏で父との子供を育てていたジョナと、そんなジョナが後ろに控えている中でも素知らぬ顔で母とオリーブへ接していた父。悲しい気持ちはまだあるものの、二人のことを考えると胸のあたりがモヤモヤして行き場のない怒りがこみ上げてくる。
あんな二人に母が殺されてしまうなどあってはいけないし、オリーブも死ぬのは嫌だ。若くして亡くなった前世の記憶も、まだ生きたいと訴えてくる。
母が侍女の中で一番気安く接しているジョナと、母と問題なく仲良くしているように見えていた父。その二人がオリーブと母の殺害を計画していると話して、母はオリーブのことを信じてくれるだろうか。父だけでなく母からも疎まれていたらと考えると不安で足が震える。
オリーブはとりあえず母へ渡す花を探すために花壇へ戻った。春になったばかりのパレルモ伯爵家の花壇は、白、ピンク、紫、赤、青など色とりどりのアネモネでいっぱいだ。
赤いアネモネを見て赤い髪に赤い目をしたジョナを思い出したオリーブは、赤色を避けて青色のアネモネを手折った。水色の髪に青い目をした母と、黒髪に青い目をしたオリーブ、そんな二人の目の色に似たアネモネだ。
確か花言葉は”固い誓い”だったはず。前世で覚えた花言葉だが、今世は違う世界にも関わらず不思議と花言葉や暦などが共通していているのだ。この世界のサンドイッチの語源は調べたことはないが、今世でもサンドイッチと呼んでいる。
悲しみや怒り、不安などの負の感情でごちゃまぜになっていたオリーブの情緒が、関係ない前世の記憶について考えるおかげで鎮まっていく。
「おいっ!庭師に言わずに勝手に花を摘んだらダメだろ」
一人だったはずの花壇に響く無駄に大きなこの声は、オリーブの幼馴染ラルフの声。ここは王都にあるパレルモ伯爵家のタウンハウスなのだが、その隣にタウンハウスを持つゾグラフ辺境伯家の長男のラルフは、庭の境目にある子供しか通れない抜け穴を通りこうして勝手に入ってくるのだ。
オリーブ色と言うと怒り出す少しくすんだ黄緑色の髪に金の瞳のラルフは、黙っていたらかっこいいのだが、最近は常に眉間にしわを寄せている。オリーブと同い年なのに上から目線で難癖を付けてきて、オリーブがやることなすことに怒り出すにも関わらず、こうしてわざわざオリーブの元へ来るのだ。出会ったばかりの頃のラルフはとても優しかったのだが、なぜか1年くらい前からオリーブに対してだけ怒りっぽくなってしまった。
前世の記憶からくる知識だけでなく、母や侍女からもラルフはオリーブのことが好きだから意地悪するのだろうと言われるが、10歳のオリーブとしては普通に優しくしてくれる男の子の方が良い。出会った頃のように優しいラルフは好きだが、何をしてもオリーブへ当たりの強い今のラルフのことは苦手だった。
苦手とはいえ気心のしれた幼馴染。このアネモネは母へ渡すために手折ったのだと説明しようと、オリーブはラルフへ顔を向けた。
「なんで泣いたんだ!?」
オリーブは先ほどまで泣いていたことを忘れていた。こんなにも動揺しているラルフを見たのは、8歳の頃にオリーブが転んで怪我をした時以来だろう。オリーブの両肩を掴み必死に泣いていた理由を尋ねてくるラルフに、幼い頃のようにオリーブを気遣う気持ちが残っているのだと安心する。
「3日前にお母様が肺炎で倒れたの」
嘘ではない。父とジョナに殺されてしまうなどとはラルフには言えない。そう言うとラルフはホッとした顔をした後に、不憫そうな顔をしてオリーブの肩から手を降ろした。
「それで、そのアネモネか。アネモネは”見捨てられた”って意味もあるって姉上が言っていた。お見舞いにはふさわしくない。青い花がいいならうちの庭にネモフィラが咲いてる」
ラルフはそう言うとオリーブの返事も待たずにオリーブの手をとり、隣のタウンハウスへつながる抜け穴の方へ歩き出す。
武を重んじる辺境伯の嫡男なのに花言葉にも詳しいというラルフの意外な一面を知ってしまったが、オリーブの前以外では穏やかな貴公子然としているラルフを思えば意外ではないのかもしれない。
久しぶりに優しくしてくれているラルフの提案だが、その意味も含めてアネモネが良いとオリーブは思った。父に見捨てられた母とオリーブにはちょうど良いだろう。それにネモフィラには”あなたを許す”という花言葉もある。オリーブは母に父を許して欲しくない。
「見捨てられたって意味も含めてアネモネが良い」
抜け穴の前でオリーブはラルフの提案を断った。それを聞いたラルフは眉間にしわを寄せオリーブを睨んだのだが、不意に優しい顔に戻る。
「それは泣いていたことに関係してるのか?」
オリーブは無言で頷く。幼い頃からの付き合いがあるラルフには、これだけでオリーブが理由を言いたくないことが伝わるだろう。
「あとで抜け穴のここにシグナルを埋めておく。シグナルが来たらいつどこにいたとしてもここに駆けつけるから、お前はここで待ってればいい。何か困ったら俺を頼れ!いいな!」
ラルフはそうまくし立てると、オリーブの返事も待たずに抜け穴を通って走り去った。”シグナル”というのは簡単で安価な小鳥型の連絡魔法道具で、起動すると登録した人の元へ駆けつけ停止させるまで肩に止まり続けるのだ。
オリーブは青いアネモネを握りしめ、去っていくラルフの後ろ姿を見つめた。