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「私はこのゲームでサイラス殿下と兄のアラスタールートでの悪役令嬢なの。私の初恋相手がサイラス殿下ってことになってて、サイラス殿下と兄のルートの時にヒロインが彼らの相手として相応しいか見てあげるわってしゃしゃり出てくる役ね。悪役って言ってもミニゲームを仕掛けるだけで、どんなエンドを迎えても特に何のお咎めもなくドミニク様の婚約者のままだったわ。……ってこれはゲーム上の話ってだけで私の初恋はサイラス殿下じゃないからね?あんな戦闘民族、ゲーム上の私はどこを好きになったのか不思議で仕方ないくらいだわ」
攻略対象の公爵令息アラスターはフレイアの兄で、第一王子のドミニクと同じ3年の騎士科にいる。騎士科1年生で行った勝ち抜き戦でサイラスを打ち負かしたラルフは、サイラスから気に入られてしまい毎日一緒に稽古しているとオリーブは聞いている。そんなサイラスはフレイアからすると戦闘民族らしい。
「ドミニク殿下ルートでフレイア様は悪役ではないんですか?」
「ドミニク様ルートはファンディスクで配られた特別版で、アラスターの妹としてすらフレイアという存在は出てこないの。今思うとこの乙女ゲームは攻略対象に婚約者がいないことにこだわってたのかもしれないわね。私がいない世界線の話なんだけど、第一王子に婚約者がいないっていう、スタートから設定が破綻しているご都合主義満載のストーリーだったわ」
第一王子殿下とマールムが恋仲になるなどありえるのだろうか。特に有力な家でもない伯爵令嬢のマールムでは愛妾が精一杯だと思うが、愛妾になることがゲームのハッピーエンドとして成り立つのかと不思議に思う。
そもそも、マールムは元庶子とはいえ今ではパレルモ伯爵家の嫡子だ。フレイアの兄アラスターとラルフは嫡男なので嫁入りすることはできない。それに、サイラスとカイルの王族を迎い入れるにはパレルモ伯爵家では家格が足りない。攻略対象の中で普通に結婚できるのは魔法師団長庶子のフェリクスだけだろう。
ふと、先ほどフレイアが言った言葉を思い出す。MAWATAがヒロインのモデルになったという話の時、『似てるのは幼少期に両親と離れて一人ぼっちだったことと歌姫になるって部分だけ』と言っていた。
「マールムは歌姫なんですか?」
「ゲーム上ではそうよ。王族ルートの時は歌姫だって発覚したおかげで婚約が許可されるの」
歌姫というのは、歌声で動物をテイムできる女性のこと。その力は女性にしか現れず、元々は聖獣の人魚の力だと研究結果が出ている。今の貴族は誰しも祖先を辿ると人魚の血が流れていると言われているため、稀に歌姫の力を持つ女性が現れるのだ。それは先祖返りのように急に現れる力で、子供へ遺伝した例は少ない。現在、歌姫として知られているのは母より年上の侯爵夫人一人だけだ。
人間は魔道具がないと魔法を発動することができない。その中で唯一、歌姫だけが魔道具なしで魔法を使える人間だと崇められている。前世の歌手のように式典の余興などで歌を披露し、鳥をテイムして見せることがあるがそれだけだ。
「ヒロインの歌姫の力は強力で、かつての人魚と同じように動物だけでなく妖精や精霊、聖獣までテイムできる力があるの。歌姫の力は遺伝はしないけど、悪意のある者に利用されるかもしれない。野放しには出来ないからとサイラス殿下かカイル殿下と結婚させたってのがゲーム上では語られなかった本当の事情でしょうね」
他の聖獣からテイムの力を忌み嫌われたせいで滅んでしまったと言われている人魚。
『その歌声は誰にも聞かせてはいけないわ。人前で歌ったら死ぬと思いなさい』
母からそう言われて育ったオリーブはもう気づいている。自分は人魚と同等に力がある歌姫だ。
学園の入学前、夏季休暇に迎える16歳の誕生日に話があると母に言われたが、この歌姫の力のことだろう。
ゲーム上のマールムが歌姫の力のおかげで王族と婚約できたのなら、オリーブもカイルと婚約できるかもしれない。密かにそう思ったあとにそのカイルがマールムの攻略対象だと思い出す。父だけじゃなく、カイルやラルフまでオリーブを捨ててマールムを選ぶかもしれない。まだそう決まったわけでもないのに、オリーブは不安で心が重くなる。
「ゲームではヒロインの母親は本妻が亡くなったために後妻に収まったってナレーションがあるだけで、異母姉がいることは出てこなかった。入学生の中で黒髪に赤い目で元庶子の伯爵令嬢はマールム・パレルモただ一人なのに、パレルモ伯爵の元妻は亡くなってないし、パレルモ伯爵家から除籍された異母姉までいる。もしかしたらその元妻か異母姉がゲームの知識を持った転生者かもしれないって予想してたの」
オリーブはパレルモ伯爵家の庭で白い子猫を追いかけて、ジョナと父の計画を知ることができた。もしもあの日庭に白い子猫がいなかったら、もしくはオリーブが子猫に興味を持たずに素通りしていたら、間違いなく母とオリーブはジョナに殺されていただろう。
「実は、マールムの母ジョナは元は私の母の侍女でした。10歳の時、白猫を追いかけた先で偶然、ジョナと父が母と私の殺人を計画しているのを盗み聞きしたんです。その日の晩にラルフに助けてもらってパレルモ伯爵家を逃げ出して離婚できたんです」
ジョナと父に殺されかけたことはフレイアに言っても問題ない。このことが社交界で話題になってもパレルモ伯爵家の醜聞であって、母とオリーブへの被害はないからだ。
「なるほど。もしかしてオリーブに前世の記憶がなかったら白猫を追いかけてなかったのかもしれないわね。……それって、ゲーム上のオリーブとオリーブのお母様はヒロインの両親に殺されていたってことなのね。ラルフがゲームと違うことの理由もわかった気がする……。ゲームと違うラルフのことも転生者かと疑ってたけど、オリーブが転生者だとするなら、その幼馴染のラルフが変わってることも説明がつくわね」
「ラルフはゲームと違うんですか?」
「えぇ、ゲーム上のラルフは寮ではなくてタウンハウスから学園へ通っていたし、騎士科1年生の勝ち抜き戦ではサイラス殿下に負けて優勝してないし、サイラス殿下の護衛にも任命されてないの」
ラルフは貴族学園入学前に10歳から5年間、辺境騎士団で魔獣討伐をしていた。入学直前の手紙では、飛熊という羽を持った熊型の魔獣を一人で倒したと書いてあった。調べたら飛熊というのはとても凶暴で力も強く、通常は10人以上の騎士で団結して討伐しないといけない魔獣らしい。
もしかしたらゲームでのラルフは、ゾグラフ辺境伯家の伝統通り3年しか騎士団にいなかったのかもしれない。3年と5年の違いは大きいだろう。
「それに、何より違うのは、どんなルートに進んでも序盤はラルフがヒロインを熱心に口説いてくるんだけど、今のラルフはマールムに興味もなさそうだもの。ドミニク様からもサイラス殿下からもラルフからマールムの名前が出たことは無いって聞いてるわ」
ラルフがマールムを口説くという言葉に、オリーブはなぜか胸がチクチクと痛み、それはゲームの話であって、今のラルフはマールムに興味がないのだと、自分に言い聞かせる。
「ラルフがゲームと違ってサイラス殿下をコテンパンに負かしてしまったから、サイラス殿下までゲームから変わってるの。学園入学前まではゲームの通りサイラス殿下はうちの兄を一方的にライバル視して遠ざけてたんだけど、今では兄ではなくラルフがライバルみたい。サイラス殿下はラルフと過ごしているうちにすっかり丸くなっちゃって、あんなに嫌ってたうちの兄にラルフを倒すためのアドバイスを貰いに来てるくらいだもの。……これがバタフライ効果ってやつかしら」
「初めてお会いした時にモップで水を拭いてくれたので、サイラス殿下は気さくな方だと思っていました」
「気さくでないとは言わないけど、うーん、何て言ったらいいのかしら。普段は普通に愛想が悪いだけなんだけど、剣を握ると急に戦闘狂になるのよ。本当、ゲーム上のフレイアはなんでそんな男を婚約者のドミニク様を押しのけてまで好きになるのか、疑問しかないわ……」
それからはフレイアは兄アラスターの事を話しはじめた。フレイアはゲームをプレイしていた時はクールな騎士アラスターが一番好きだったらしいのだが、15年妹として過ごした今ではその気持ちは無くなってしまったらしい。”ただの天然ボケ野郎”などと公爵令嬢とは思えない言葉遣いで兄のアラスターのことについて喋り倒している。
騎士科の学年別の勝ち抜き戦で毎年優勝し、ドミニクの護衛を任されている公爵令息アラスターに憧れている令嬢は多い。ラルフも同じ騎士として一目置いていると言っていた。言葉少なくドミニクの後ろに控え、常に冷静で落ち着いているため”氷の騎士”と呼ばれているアラスターが、本当はただの口下手で寝間着のまま登校しかけるほどにぼんやりしているなどと、特別憧れていなかったオリーブでも聞きたくなかった。
寮に来てからずっと喋りっぱなしのフレイア。学園生活では気づけなかったが、本当はお喋り好きで少し気が強く好きなことには熱中してしまうタイプのようだ。




