第10話 鉄壁の男-苦杯
薄暗い店内には、客が一人。カウンターに八人も座れば、一杯になる店だ。
無骨なカウンターだが、よく見ると素材は無垢楢の最高級品を使っている。長い年月の間に、変色し、いいあじを出している。置いている酒は種類こそ多くないが、各種逸品を揃えている。保管の仕方もいい。
バーテンダーは客を見て、対応を変える柔軟性を持ったプロだ。今夜の客は、必要以上の干渉を好まないことを知っていた。
会話は、無い。聞こえるのは、客の男が、時折グラスを持ち上げ、酒を干し、グラスを置く音だけだった。
バーテンダーが、空になった分厚いグラスにそれまでと同じバーボンを注いだ。ワイルドターキーの13年。それを、男は生でやっていた。どうやら、その男は、いつもそれを同じやり方で、飲んでいるようだ。
その男vahohoは、同じリズムでグラスを持ち、ターキーを口に含み、グラスを置く。何年も前から同じことをやっていたのでは、と思えるほど、変わらない。
だが、実際には、そうでは無い。
vahoho は、鉄壁と呼ばれた過去をおもいだしていた。
その時も、この店で、同じものを飲んでいた。
だが、その時と違い、グラスの酒は苦い。
そして、その時と違うのは、今は一人だというとこだ。
その時は、二人だった。
vahoho は、今と同じ席。右隣に座っていたのは、あの男だった。
あの時のことは、今も鮮明に覚えている。あの時から、全てが、変わったのだから。三年前のあのときから。
その時、二人は同じ懸念を持っていた。それについて話すことを、事前に取り決めていた訳では無かった。だが、会ったとき、お互いに同じことを考えていることが、分かった。
二人は、自分の腹の内は曝け出し、グラスに手を付けることなく策を練り続けた。ようやく策が形になり始めたのは、一昼夜経った頃であった。人心地ついた二人は、思い出したようにグラスに口をつけた。思いの他、旨い酒であった。
その時、それは起こった。
最初は、気付かなかった。
グラスの酒が小さく波紋を作ったときに、二人は同時に異変に気付いた。
「地震か?」
地面が揺れていた。
だが、地震の揺れとは、少し異なっていた。
阪神大震災を経験した二人には、それが、分かった。
何かが、地から、せりだしてくるような揺れだった。
それは、五分間続いた。揺れがおさまったとき、街から悲鳴と驚愕の声が上がった。
二人は、外に飛び出した。
呆けたような人々の視線のさきを見た。
それを、見たとき、二人は同時に呟いた
「間にあわなかったか」
そして、今しがたまで作っていた策が、ゴミクズになったことを知った。
「どうする?」
「こうなったら、どうしようもない。俺は、地にもぐる。vahoho 、あんたはどうする?」
「こそこそするのは、性に合わねえ。あがけるだけ、あがいてみるさ」
「ふっ。あんたらしいな」
「じゃあな」
「待て。この先万一、連絡をとる必要になったときの方法を決めておこう」
まさか、本当にあの方法を使うときが来るとは思っていなかった。だが、どうやってあれを打つか?テレグラムか、グーグルチャットか。いや、どの手段でも、奴等には筒抜けか。
なら、いっそのこと。
vahoho は、INGRESS を立ち上げ、COMM ALL※1で入力した。
vahoho @大仏 久し振りに七面鳥を
※1.COMM ALL:COMMはINGRESS内でのチャット機能。自陣営向けのCOMM FACTIONと両陣営全エージェント向けのCOMM ALLの2種類存在する。