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マリア

 ミリアムがなくなった。

 六月の、薔薇の花が蕾を持ち始めた季節だった。

 出先の事故であったらしい。らしい、というのはアベルから届いた手紙に書かれていた文字を、この目で追っただけの情報でしかないから。

 信じられない思いを抱いて帰国したエリクは、故郷の地を踏むなりその足で即座にミリアムの家を訪った。随分と前にミリアムからもらっていた鍵を使って門を開き、敷地内に足を踏み入れる。この家に通うことがなくなり、もう何年になることだろう。両の手でも足りないくらいの年数を超えているのではないだろうか。

 両親はなく幼い頃から共にある従姉妹とただ二人きり。そんな世界しか知らなかったミリアムを屋敷の外へ連れ出して、共に世界の各地を見て回った。最初の地は南部の大陸だったはずだ。初めて目にする景色に感動する彼女を連れて、あちらこちらを見て回った。現地で仕入れた珈琲を飲ませた時の、あの笑顔は、あれから幾年と過ごした今でも脳裏にまざまざと描ききれる。各地で仕入れた土産と共に、ミリアムは毎月従姉妹に手紙を出し、半年に一度は必ず帰省した。今回も例年と変わらず、ただ数週間離れているだけであった――はずだというのに。

 庭を覆う柔らかな草緑の匂いは、昔と変わらず人を心穏やかにさせる。つい先日まで手入れをされていたことが分かる薔薇の庭園も、記憶の景色と違わずそこにある。

 屋敷の前に立ち、ノッカーを鳴らせば、しばらくして中から出てきたのは、ミリアムと生き写しの人物。彼女の従姉妹であるマリアであった。彼はエリクの顔を見るなり眉をひそめ、何の用だと低く唸るようにたずねてきた。その顔は、彼女にして珍しく憔悴している。

「ミリアム、さまが」

 エリクは昔から彼女が苦手であった。何が理由かなど考えたことはない。ただ、心優しいミリアムと同じ造形でありながら、彼女と正反対ともいえるその冷たさが恐ろしかった。それでも多少なりと関わってきたのは、およそ人らしさなど感じられないこの女性が、ミリアムに対してだけはあたたかな情を向けることがあるのを知っていたからだった。

 なくした言葉の先を察したのだろう。彼女は小さく馬鹿にするよう鼻を鳴らした。生気の宿らぬ濁った瞳が、鋭い光を以てエリクを射抜く。まるで、ようやくエリクの存在を認識したかのようだった。

「アレの子飼いか。葬式は明後日だ」

 それだけを告げて、マリアは早々に扉を閉めようとした。それに気づいたエリクは即座に足を突き出し、扉の隙間に挟んで阻止した。

「待ってくれ」

 マリアに聞きたいことは山ほどあるのだ。今更、怖いからと会話を割けてなどいられない。他のことでならばいざ知らず、ことミリアムに関してならば。

「足癖が悪いな」

 アレの教えたことではないだろう。そう続けられ、自己流だ、と返しておく。口にしたくせに、マリアは特に興味がない様子だった。それでいい。マリアとのやり取りは、エリクにとってさほど重要なことではない。

「それよりも、ミリアムは」

「アレはもういない」

 エリクの言葉を遮ったのは、静かな、一欠片の感情のこもらない声だった。ただ事実だけを告げる唇が、背筋に冷たいものを走らせる。ミリアムはもういないのだと、それが確かであるのだと、否が応でも分からせられる。

「二度言わせるな。葬儀は明後日だ」

 そう言い捨てると、マリアはエリクの足を蹴り出して、早々に扉を閉めてしまった。後に残されたエリクは、冷たく閉ざされた扉を前にして、かつてミリアムから告げられた言葉を思い返していた。




 ――エリク。もしも、私が……



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