現代日本の没落貴族?田舎の奇襲、本家長兄に産まれた話。
【第九代○○家本家長兄】
わたしが生まれながらに持ち合わせている、望んでも居ない称号だ。とはいえ既にお家は断絶しているし、筆者は生まれも育ちも北海道なので、この称号で何か得をした経験はほとんどない。
田舎の閉鎖性や異様性は【医者を追い出したとある村】などを調べて頂ければご理解いただけると思うが、兎に角【風習】というものが憲法や法律よりも優先される。異様性を羅列すると枚挙に暇がないのだが……。
まず、わたしは生まれてこの方、父方の親族からお年玉を貰ったことがない。小学生のわたしが50代や60代の分家におじさんおばさんにお年玉を【渡す】立場だった。【本家長兄】という立場はそれほど絶対で、子供だからと容赦されない。
お年玉を貰えるとすれば第七代本家長兄……祖父からだけ。そこでも長男の力とは凄まじく、わたくしには弟がいたのだが、わたしが10万円、弟は500円のお年玉という異様性だった。どれだけ他の兄弟や姉妹が優れていようと、【本家長兄】とは絶対の立場なのだ。
第八代本家長兄……わたしの父親はそんな家が嫌になり北海道へ【亡命】した。もちろん分家は良い顔をするはずがない。『財産はどうするのか?』『先祖の墓の管理は?』『持ち家の補助は?』そんな問題をすべて丸投げしたのだから無理もない。しかし誰でもない祖父がまだ生きていた時分は分家もそこまで【敵】ではなかった。
凋落のはじまりは祖父が認知症を患った時だった。最初は分家の皆が手厚く看護をしてくれた。
しかしそれが善意から来るものでないことはすぐに解った。わたしと父が祖父の家を訪れるたび、装飾品が無くなり、宝石が無くなり、株式や証書が無くなり、やがては桐ダンスや着物がなくなっていった。
そして祖父の家が廃墟と化した頃、祖父は施設に入れられた。我々に残されたのは身に覚えのない億を超える借金と空っぽの家だけだった。
祖父が亡くなった時、当然、父親は相続を拒否した。しかし分家から鬼のように糾弾される。家禄も継がず、先祖の墓の管理もせず、借金や土地の処遇などをこちらに押し付けるつもりかと、電話越しであったが、本気で殺し合いになるのではないかという様相を呈した。
さりとて仮にも【本家を継ぐ者】が葬儀に参加しない訳にもいかず、結局祖父の葬儀にはわたしと父だけが行くこととなった。父親からは真顔で「刺される覚悟をしておけ」とだけ忠告を受けた。
最低限の葬儀にだけ出て、あとは車中泊。喪服のまま二人でコンビニ弁当をむさぼり食った。
その後親戚付き合いの一切を絶ち、夜逃げ同然に引っ越しをした。結局お家は没落、分家の一部は我々が財産放棄をしたせいで首を括った人間までいたそうだ。そして分家達はわたしたちを恨んでおり、「次にあったら殺す」と断言までされている。
……わたしが生きているうちに○○県に足を踏み入れる事は二度とないだろう。