大好きなチョロ
よかったら読んでみてください。
「チョロ、こっちにおいで。ボクが朝ご飯をあげるよ。とかげのお前が大好物な日陰の草を取ってきたんだよ。ほら、お食べ」ユウタは草の乗ったお皿を置いた。「お、よく食べてるね。おいしい? よかった」
「おい、ユウタ! お前は今年で小学3年生になったんだろ!? それなのにとかげのぬいぐるみなんかで遊んで、恥ずかしくないのか! それに、宿題はちゃんとやったんだろうな!」
「あー、もううるさいなぁ、パパは! ボクは宿題なんてやりたくないんだ! 宿題なんかよりチョロの方がもっとずっと大事なんだ!」
「何!? けしからん! 宿題をやらないやつは、ぬいぐるみで遊んでなんかいちゃダメだ! きちんと宿題をやりなさい! さもないと、そのとかげのぬいぐるみは捨てることになるよ」そうして父は、チョロをぶんどった。
「え!? ちょっと返してよ! チョロはボクのだよ!」
「いいや、パパは譲らんよ。宿題をやるまでこいつは返さない」
「なんだよ、この、パパの馬鹿! 宿題なんてやるもんか! こんな家出て行ってやる!」そうしてユウタは、靴のかかとを踏んだまま走り出した。
午前8時の駅はとてもうるさかった。スーツを着た大量のサラリーマンが、ロボットのように通り過ぎて行く。ユウタは彼らとは逆方向に体を向けた。海面を漂う海藻のように、ふらふらと歩く。
しばらく歩くと、流れが収まってきた。ようやく自由に動ける。煩わしいことから逃れて、心の向くままに動ける。ユウタはるんるん鼻歌を歌いながら、小道をステップした。
解放感を味わっていると、横の小道から「にゃあ~」と声がした。まだ陽の高くない路地裏の暗い段ボールの上に、1匹のネコがちょこんとしている。割と年が行っていて聡明そうなそのネコは、今起きたばかりのようだ。朝ご飯のおねだりをして鳴いていたのだろう。声のトーンがチョロに似ていたので分かった。子どものユウタには相手の気持ちが分かったのだ。
かわいそうに、誰かご飯をあげる人はいないのか。そう見つめていると、裏口らしきドアから白衣を着た老人が出てきた。ラーメン屋か何かの店主だろう。チャーシューをほろほろにしたトレイを置いて、戻って行った。ネコはぺろぺろと食べて、「にゃあ~」とほほ笑む。とてもかわいい。遠巻きに見ていて自分も幸せな気持ちになった。と同時にチョロも恋しくなった。チョロを抱きしめたいなぁ。
葛藤していると、ネコが「にゃっ!」と何かに驚く声をあげた。チャーシューをそっちのけにして、うずくまり始めた。逆立った毛の背中が小刻みに震えている。いったいどうしたのだろうか。ユウタは、このネコを守ってあげたい一心だった。明かりを追って、大通りの方へ視線をやる。すると、1台のごみ収集車が見えた。
ごみ収集車は止まると、中から青い作業服を着た清掃員が2人降りてきた。どうやら、普通のごみ収集車のようだ。おそらく、耳のいいネコにとって車のエンジン音は、戦車のようなものなのだろう。おまけに、男の人たちの顔も全然怖くない。そのことをネコにも伝えてあげる。初めはまだびくびくしていたけれど、だんだん自分のことを信じてくれた。毛をなでても怖がらない。ユウタは動物やぬいぐるみの手なずけ方を知っていたのだ。「あぁ、チョロに会いたいなぁ」ほとんど声に出る勢いでそう思った。
ぬいぐるみごときでどうしてそんなに恋しくなるのか、と言う人がいるかもしれない。たしかに、チョロは動かないし肌だって全然もこもこしてない。むしろざらざらで、冷たいようでもある。けれども、心の中はとても温かいということを、ユウタは知っている。こたつの中のようにぬくぬくとしたチョロの優しさを、ユウタは知っているのだ。じゅうたんのようにもこもことしたチョロの心の感触を、ユウタは知っているのだ。誰にも奪わせない。絶対に傷つけさせない。ネコを抱きかかえながら、そんなことを考えていた。
「にゃあ~」感慨に耽っていた耳に、うめくような声が聞こえてきた。チョロのことを想うあまり、強く抱きしめてしまっていたのだろう。ネコは腕の中から抜け出そうと、小さな肉球をふりふりしている。ごめんねと言いながら下に降ろしてあげた。しかし、彼は地面に足が着くや否や、運動会の徒競走さながら走り始めた。何事だろう。一体どうしたと言うんだ。しかし、言葉を持たないネコはしゃべれない。その代わり、問いかけるような眼は鋭かった。ユウタはよく分からなかったが、とにかく彼の後について行った。
時々急かす彼に訳も分からずついて行くと、大通りに出た。さっきのごみ収集車がいた方だ。その車へ彼は肉球を伸ばした。どうやらこれを見せたかったらしい。しかし、それがどうしたと言うのだろう。眉根を寄せて彼を見つめる。すると、ネコは必死の形相で眉根を寄せ返してきた。ユウタは、きっと何かあるんだろうと思って、車をじっと見つめた。その時、
「え!? うそ・・・!」言葉を失った。なぜなら、ごみ収集車の中にチョロが入れられていたからだ。緑色のしっぽが痛々しく挟まっている。
「え!? ほんとにチョロ!? けど、君はよく気付いたね。さすがネコちゃん。視覚とか聴覚がいいんだね」一連の謎が解けて、変に納得した。
「いや、でも、今はそれどころじゃない! チョロがピンチなんだ! ボクが助けてあげないと! 確かに、本当にチョロを捨ててしまったパパは悪い。だけど、宿題をやらなかった僕だって悪いんだ。チョロは絶対に僕が守るんだ!」そうしてネコにお礼を言うと、全速力で走り出した。ネコはその背中を見守っていた。
ごみ収集車は、人の足よりも全然速かった。赤信号で追いついたかと思えば、また突き放された。こんなことをしていてはキリがない。こうしている間も刻一刻と、チョロは傷ついているんだ。ユウタは、イチかバチか車の行き先を予測して先回りした。予測が外れたら一巻の終わりだ。でも、ユウタは自分の直感を信じた。
果たして、車はそこにいた。
作業員が降りてくる。ユウタは安堵の胸をなでおろして、お願いした。「ねえ! このしっぽみたいな緑色のはチョロって言うんだ!」
「チョコ?」
「違うよ!チョロだよ! パパが怒って捨てちゃったんだけど、本当はボクの友達なんだ。だからお願い、チョロを助けて!」作業員はいぶかしげにユウタを見ている。ただ、その様子が本気だったので、しょうがなく開けてあげた。
しかし、中に挟まっていたのは、ただの緑色のソファだった。
「あー、もー、これほんっと嫌になるよな。ソファなんて中に入れるもんじゃねぇけど、毎日集積場に置いてあるからよぉ、しょうがなく引き取ってやったよ。また社長に怒られるよー」作業員はぶつぶつと文句を言いながらも、車に乗って順路に戻った。
ユウタは茫然と突っ立っていた。どういうことなのか意味が分からなかった。
元々チョロは中に挟まっていたわけではないということなのか? そうすると、パパも捨てていないということになる。そういうことなのか? でもそうだとしたら、なんであのネコは僕に追いかけろとせまったんだ? 彼の視力と聴覚なら、見間違えたということはないだろう。さては・・・、あっ、そういうことか! 彼はボクに教えてくれていたんだ! パパは悪くないということを。パパの言うことを聞いて宿題をやった方がいいと助言してくれていたんだ! そして何より、一度失うことで改めてチョロの大切さを突き付けてくれていたんだ!
そう考えてくると、ユウタにはあのネコがチョロの化身のように思えてきた。彼を抱き上げた時に感じた親しみ深さは、決して錯覚なんかではなかったのだ。
なんだか心が晴れやかになってきた。宿題をちゃんとやろう! パパにも謝ろう! チョロも今まで以上に大切にしてあげよう!
そうして、くるりと反転して家の方に向いた。
陽はだいぶ上がっている。
エメラルドに輝くとかげ雲が、浮かんでいた。
読んでくれてありがとうございました。