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旅路は続くよ 前編

 「おはようルーア!いい朝ね」

 朝の支度を済ませた私は、ルーアを朝食に誘おうとドアを叩いた。暫くしてのっそりと顔をのぞかせたルーアは多分驚いているのだろう。普段伏せがちの瞼のせいで良く見えない瞳がしっかりと見える。あら、案外いい男じゃない。そう思ってまじまじと顔を見ているとルーアはバタンとドアを閉め、「3分待ってください」とドタバタと物音をさせて本当に3分きっかりで支度を終えた。

 少し塩辛いベーコンを牛乳で流し込んでいると、正面に座ったルーアが奇妙なものを見る目でこちらを見ているのに気付いた。


「なによ、もしかして何か変?」

 部屋には小さな鏡しかなかったからもしかしたらどこかよれているかもしれない。自分の服装を見直しているといいや、とルーアは首を振った。


「あんた、本当に貴族の娘ですか?」

「はあ?何言ってんの、当たり前でしょう。正真正銘、フィーダー家の一人娘、ライラちゃんよ」

「おかしい。普通貴族は1人で着替えなんてしないし、出来ない」

 私の渾身の冗談は全く持ってスルーされた。悔しいので少し胸を張ってさらりと髪を流してみた。私の腰辺りで揃えられた藍色の髪はいつだって頑固に真っすぐを保つので夜会の時は上手く巻けずイライラの原因だったけれど、旅先で髪に構っている余裕がない時には楽でいい。


「我が家は自分のことくらい自分でしろ、という方針をとっているのよ。お父様の旅先での経験らしいわ」

 生粋の貴族である母は拒否しているけれど、私は父の意見に賛成だったので特別に外出するとき以外は自分で身支度をするようにしている。また、今回私が小さな鞄に詰めたものも全て過去に父が旅の話をしてくれた時に登場したものを参考にした。父に無事に会えたなら感謝の言葉を伝えたいくらいだ。そもそも父が国内にいないからこんなことになっているのだけれど。


「フィーダー伯爵が……面白そうな御仁ですね、ぜひお会いしてみたい」

「紹介してあげるわよ!あなたならきっと気に入られるわ。ところで、今日はどこまで行くのかしら」

「はい。今日は馬でリーリクの町まで行こうと考えています。乗馬の経験は?」

「勿論あるわ。でも最近は婚約者がいい顔をしないから乗っていなかったのよね……」

 はあ、とため息をつく私に、ルーアはベーコンエッグに添えてあったレタスをもそもそと咀嚼して飲み込むとそれでは、と人差し指をぴんと張った。


「今日は気分転換がてら乗馬を楽しむことにしましょう」


 ルーアの言葉通り久々の馬上を満喫して、気がつけばリーリクの町は目と鼻の先まで迫っていた。町の入り口あたりを睨むように目を細めて見ていたルーアは、「まだ大丈夫そうですね」と言ってそのまま町へ入っていった。


「そういえば、ライラさんは果ての国のどちらに向かうのですか」

 がやがやとにぎやかな宿の食堂。今日も今日とて大皿を綺麗に片していくルーアの問いかけに私ははて、と首を傾げた。 


「お父様の元だけれど―――多分、都だと思うわ」

 改めて考えると随分無鉄砲に家を飛び出してきてしまったものだ。ルーアの呆れたような視線を黙って受け止めるしかない。


「多分とは適当な……わかりました、こちらで確認を取っておきます」

「果ての国に知り合いでもいるの?」

「まあ。あの場では濁していましたが俺の出身は果ての国―――いいえ、エストラ・リメディラードなので」

 微かに音を立ててフォークを置いたルーアに、私は息を呑んだ。

 エストラ・リメディラード。私たちの住むエトリア大陸の最西端に位置する小国の俗称が果ての国だ。長い歴史の間周りの国と交わることなく、山奥でひっそりと営みを行うかの国の全貌は未だ私たちの知るところにない。近年海の幸を生活の柱としているため海運が盛んで大陸外と交流を持っているということが知られ始め、果ての国と協力関係を結ばんと各国が躍起になっている。今回父が向かったのも国交を取り付ける前準備であり、かなり難航しているようだった。

 いつから果ての国と呼ばれるようになったかは定かでないが、生まれた国がそう呼ばれるのを聞いてあまり良い気持ちはしないだろう。浮かない顔の私を見て、ルーアはああ、といつも薄く閉じられている口を開いた。


「気にしてませんよ。実際大陸の『果て』ですし。そもそも故郷を捨てたような俺にとやかくいう資格はありません」

「捨てたような……?」

「15の時にこっそり家を抜け出しました。狭い世界に生きるのは懲り懲りだったので」

 意外だった。そんな好奇心に溢れた少年期があったようには見えないと正直に話すとルーアは愉快そうにコップ傾け、誰にでもそういう時期はあるでしょう、と目を伏せた。

 妙に色気のある仕草にどきりとしていると、「俺たちは家出仲間な訳ですが、」とルーアが話題を変えてくれた。


「書き置きなどは残して来たんですか?随分とご心配されているでしょう。あんたの手助けをしている俺が言えたことじゃあないが」

「流石にね。『自分を見つめる旅をしたくなりました。必ず帰ってくるのでご心配なさらず』って感じだったかしら。勿論行き先は書いてないわ。お父様に会う前に、家の者ならまだしもアレの手先に捕まりたくないもの」

 私ははっと失言に気づき口を押えるが、ルーアは大して気に留めた風でもなく話を続けてくれた。あのお兄さんが言っていたのはこういうことか。


「それは良いことです。果ての国までは陸路なら一月、海路なら二十日と言ったところ。もしあんたを連れ戻そうとするなら、少なくとも三日は港を見張るでしょう。その後我々の後を追ってくると思われますが、セレーニア街道を抜けたところで陸路は大きく三つに分かれていて、今回は地元の人間しか通らないような山道を通るので道中追いつかれることはまずありません」

「それ、他の道じゃあ駄目なの?」

「残りの二つは少し都合が悪い……それにあんたの様子を見るにそう構えることは無いと思いますよ。馬車移動が基本のお貴族様には難しい、という意味で、馬を乗り回して初日の街道を文句も言わずについてきたあんたなら余裕でしょう」

「もしかして、私のこと試していた……?」

 いつもどおりの眠そうな目のままルーアは薄く笑う。


「まあ、昨日は少し無理をさせました。ここで音を上げるならどこかしらでお家の人に迎えに来てもらおうと思ってましたが、あんたが思いのほか根性があって面白いご令嬢ってことがわかったので、約束通り必ず果ての国までお連れしますよ」

 そう言うとまた黙々と口を動かしはじめたルーアの掴みどころのない態度に、私は喜んでいいのか怒るべきなのかわからず、目の前のごろごろと具材の入ったスープをつついた。


 翌日私が再びルーアの部屋の扉を叩くと、しっかりと支度を済ませたルーアが何故かどや顔で立っていた。聞くと、本当に朝が弱く何もない日は正午あたりまでベッドの住人でいることも珍しくないとか。呆れた生活リズムだと呆れながら今日の行程を聞く。

 

「お気楽な旅なのは今日までです。明日からはいよいよ山道に入りますし、旅の中盤には野営も覚悟しなければなりません。耐えられますか」

「それこそ旅の醍醐味ってものじゃない。アレよね、寝ずの番とかするんでしょう?」

 若かりし父は一度災害に巻き込まれ野営を張る羽目になったとか。大変だったけれど、生を感じる良い機会だったと語ってくれた。私も同じ体験をすることになるのだろうかとわくわくと尋ねると、ルーアは呆れた顔をしていた。


「そんな真似はさせませんよ。野営とはいえ上手いこと商団にくっついて行くので、少なくともあんたがそう不自由な思いをすることは無いでしょう。こんな質素な宿で文句を言わないのだから」

「あら残念。でも、ここ二日の宿はどれも華美ではないけれど清潔にしてあってとても過ごしやすかったわ。あなた、何度かこの道を行き来したんじゃない?」

「ええ。年に一度故郷に顔を出しています」

 ルーアがそんな頻繁に里帰りをしているとは意外だった。家出をしたと言っていたのにそんな簡単に家に帰れるものなのだろうか。少し気になったけれど、深く踏み込んでこない彼に倣ってその先は尋ねなかった。それにしても、現地に精通しているガイドを見つけられて叔母とあのお兄さんには感謝してもしきれないと感じた。



 それから先は本当に山を登って下りての繰り返しだった。二度国境越えも経験した。貴族ともあろうものが密入国をしたなんてお父様に知られたら何と言われるのだろうか、と思わないこともなかったけれど、背に腹は代えられない。足跡は出来るだけ残すべきではないということは嫌というほど学んだのだから。

 つい先日、私たちは(こっそりと)国境を越えてすぐ近くの町に宿をとった。いつも通り二人で近くの酒場に食事に来ていると、「青い髪の貴族の女を探している」と大声で叫ぶ破落戸が現れたのだ。混乱する場の中をルーアの誘導で上手く逃げおおせたが、その夜は震えが止まらなかった。これは、きっとあの男の差し金だ。そんなこんなで慣れない山歩きといつ襲われるかわからないストレスによって体力が奪われた私のペースは落ち始め、朝に聞かされる予定通りに進まない日もあったけれど、ルーアは根気強く私との旅を続けてくれた。次第に歩くことに慣れ、私たちは二日遅れではあるけど順調に果ての国に近づいてきていた。しかし、少しずつ私を探している存在が大きくなっていることも感じられるようになり、私たちは予定よりもより寂れて険しい道へ進路をとりはじめた、そんなある日のことだ。


「これからあちらの商団と少し話をしてきます。少しお待ちください」

 随分山奥にやって来たからか、町も小規模なものになってきている。この町を出ると三日は宿のある町には入れないということで、ルーアは同行させてくれる商団を探しに行ったようだ。屋外に寝泊まりする場合、他人と同じ天幕の中で寝ることになるのだろうか。上手くやっていけるといいのだけれど、と考えていると、交渉を終えたらしいルーアが戻ってきた。


「彼らは果ての国に向かうと言っていたので、同行させてもらうことにしました。それで、少し相談したいのですが……」

 気まずそうに言葉を紡ぐルーアの姿を少し珍しいと思いながら軽い気持ちで耳を傾けていた私は彼の相談事に目を剥くことになる。


「兄妹と夫婦、どちらがマシですか」

「それは、私たちがということよね」

「はい。それが手っ取り早い」

 ルーアが言うには、私を捕まえたい存在が海路を使い先に果ての国に入るのは間違いない。そのため、最も気を付けなければならないのは国内での行動だが、このまま不思議な主従でいるよりかは何かしら他の関係であることを装った方がこれから先動きやすいだろうと。彼の言うことはわかる、わかるのだが……。


「流石に兄妹は厳しいでしょう」

 ルーアはまっくろくろすけで私は藍色の髪に琥珀の瞳、顔立ちだってとても同じ血を分けたようには見えない。生まれた国が違うのがありありとわかる私たちが兄妹を言い張るのは一種のお笑い、もしくは何か下世話な勘繰りを生むだけだろう。そもそもルーアは今何歳なんだろうか。見た目から二十歳前後だと推測しているが、正確にはわからない。良い機会だと思って尋ねると二十一だと話してくれた。私と四つ違うことに大した驚きはないものの、ルーアと話しやすいのはある程度歳の差があるからなのかもしれない、そんなことを考えた。

 ルーアも私たちの格好があまりにもちぐはぐであることを気にしていたようで素直に首を縦に振った。


「ええ、まあ。でも俺と夫婦も嫌でしょう」

「そんなことないわ。頼りになる旦那様じゃない、ねえあなた?」

 からかう気持ちもあってわざとらしく呼んでみると、ルーアは面食らった顔で暫く固まった後、ごほんと大きく咳払いをした。基本的に眠そうでやる気のなさそうな彼だが、初心なのかこういった冗談には弱くすぐ顔に出るのだ。しかし切り替えが早く私が忘れたころに仕返しをしてくるという可愛くない点もある。


「それではお言葉に甘えて夫婦という体で同行させてもらうことにします。俺たちはアルトレッタに暮らす新婚夫婦で、俺の実家のある西部に黄昏の日のために旅をしてきたということで」

「黄昏の日って?」

「簡単に言えば死者を弔う日です。一年で夕焼けが最も輝くとされている日で、言い伝えによるとあの世に行った死者があまりの眩しさにこちらに出てくるんだそうで。それをきちんとお帰りいただくために一日中家を真っ暗にして祈るんですよ」

「興味深い伝統ね。わかったわ、そうと決まればあちらのかたにご挨拶しないと」

 向こうで荷物を積んでいる人たちの元へ行こうとする私に、それは難しいと思うとルーアが首を振った。


「ご存じないかもしれませんが、エストラ・リメディラードでは大陸公用語が通じません。彼らもあまり得意でない様子でしたので、用があれば俺を使ってください」

「あら、ルーア。私を誰の娘かご存じない様ね。お父様が面白がって都で流行りの小説と簡単な辞書を送ってくださったことがあってね、退屈ついでに読破したわ」

 ふふん、と懐に忍ばせていた小さな冊子を見せびらかすとルーアはまじまじとそれを見て、微妙な顔をした。


「それは素晴らしい、ですが……ライラさんの手にあるそれは都周辺でしか通用しません。彼らは北部出身だと話していたので、少々通じないこともあると頭に入れていただければ」

「ええ、待って、あなたの国ってその、割と小ぢんまりとしていると思うのだけれど、そんなに言葉の壁があるの」

 私はおでこに手を当てて、ううんと唸るふりをしながら下手に自慢をしたせいで真っ赤になった顔を隠した。

大陸最小の国とされているエストラ・リメディラードなのに、と言ってしまうのは失礼だが、ほとんどの国では大陸公用語が採用されている中独自の言葉を持ち、しかも地方によって通じない場合もあるなんて信じがたいことだ。私の言葉にどこからか地図を取り出したルーアが指さしで教えてくれた。


「はい。現在果ての国、と呼ばれる地域にはかつて七つの小国があり、北部、西部、東部それぞれに独自の言語がありました。現在は国こそ統一されましたが、言語は未だに生き続けています。言葉は彼らの歴史であり文化ですから、それを奪うことは出来なかったのでしょう」

「同じ国で違う言葉ねえ……ルーアは北部の生まれということ?」

「いえ。俺の生まれは都です。都のある西部と北部は歴史的に繋がりがあるので言葉も似ていて比較的習得しやすいんです」

 主に良家の子息がこぞって習うと話すルーアの表情は明るくない。この旅の中でなんとなく気づいたのだが、ルーアは言葉を崩してよいと言った後も多少雑になったものの自然に身に着けたとはとても思えない丁寧な大陸公用語を話すし、料理を食べるときもその育ちの良さをうかがわせる動作をみせる。私の勝手な読みでは、彼は身分ある家庭に生まれ育ちながらも何かしらの事情があって家を飛び出すことになったのではないだろうか。

 すべて私の想像だし、確認する気もないので真実はわからぬまま彼と別れることになると思うけれど、一度くらいきちんと身なりを整えたルーアを見てみたいものだ。そうだ、お父様と合流した後にでも食事を御馳走するという名目で着飾らせればいいではないか。見違えるように貴公子然とされたらきっと笑ってしまう。私が妄想の世界に羽ばたいていると「兎に角」、とルーアが話を切り上げて商団の人たちの方に視線を向けた。


「挨拶は俺がするので、ライラさんは俺の傍にいてください。何かあれば俺が通訳します」

「わかったわ。よろしくね、あなた」

 俺の傍にいてください、なんて状況が違えば熱烈な愛の言葉だ、なんて思いながらわざとらしく笑ってルーアの手を握ってやる。びくりと肩を震わすのを見て私はしてやった、とほくそ笑むが、自棄になったのかルーアは指を絡め恋人つなぎをしてきた。


「任されました、奥さん」

 綺麗な笑みを浮かべたルーアは私の手を握ったままさっさと歩き始めてしまう。しかし、自分でもわかるほど顔が熱くなってしまっている私にとってそれはありがたく、意外とごつごつとした大きなルーアの手と自分のちっぽけな手が重なり合うのをぼんやりと眺めた。



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