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旅の幕開け

 そうだ、果ての国へ行こう。そう思い立った私は小さな旅行鞄片手にギルドの門を叩いた。


「果ての国まで護衛を兼ねたガイドを探している?しかも今日出発だなんてそりゃあ難しい話だぜ、嬢ちゃん」

 屈強な男性や経験値の高そうなお姉さまが賑やかに酒を飲みかわすのを背景に、私はカウンターにでんと寄っかかっている強面のお兄さんに話しかけた。


「お金ならいくらでも積むわ。どなたかいらっしゃらないかしら」

 お兄さんはうんうんと唸った後、可愛らしくぽんと手を叩くと奥の溜まり場に大声で呼びかけた。


「もしかしたらアイツなら……おい、ルーアはいるか?」

 奥の方からゆったりとした足取りで一人の男性が近づいてくる。髪も、身に着けている外套も真っ黒だ。この国では黒い色彩を持つ人間は珍しく、細身で長身の彼はまるで影のようだった。私の視線に気づいたのか、軽く会釈をされ私もぺこりと返す。


「ああ、カストロさん。俺に何か用か?」

「こちらの嬢ちゃんが果ての国まで護衛とガイドを探してるんだと。お前さん、たしか果ての国の方から来たとか言ってなかったか」

「はあ。まあそんな感じっすね。……果ての国なんてわざわざ行く所じゃないですよ」

 ぽりぽりと首を掻きながら男はくぁ、と欠伸をした。顔立ちが分かるほどの距離に立つ彼の伸ばされた前髪から覗く、生気のない真っ黒な瞳がやる気のなさに拍車をかけていて、とてもではないがその腰の妙に細長い剣を振るう姿を想像できない。こんな男に護衛が務まるのだろうか。


「この人以外に思い当たる方は……」

「ふむ、果ての国に行った経験がある奴はいるだろうが、今すぐ動けるのはコイツくらいだろうな。それに、嬢ちゃん訳アリなんだろう?コイツなら面倒な詮索はしないと思うが」

 思わずぎくりとした。そう、私はある理由があって果ての国へ向かおうとしているのだ。私だって貴族の端くれ。そんな身分の女性が一人で旅に出るなんて正気の沙汰でないということはわかっている。しかし、どうしても、このままここで待ち呆けている訳にはいかない理由が出来てしまったのだ。


「あの、ルーアさんと言いましたね。果ての国まで私を連れて行ってください」

 私はまっすぐと、彼のどこを見ているのかよくわからない眠そうな瞳を見据えた。


「……いくらで?」

「前金にこのイヤリングを、無事に果ての国に着いたらこの指輪をお渡しします」

 私はイヤリングを外すと、指輪をつけている方の手のひらにのせルーアさんの前に差し出した。後は彼が、私の手をとれば契約は成立だ。自慢ではないが伯爵家の令嬢として恥ずかしいものを身に纏ってはいないはずだ。二つとも長く大切に使われてきたのだから、換金すればそれなりのお金になるだろう。……ぐるぐると考えるうちにイヤリングの重みに震えはじめた手に冷たいものが重なった。


「わかりました、お受けしましょう。半刻ほどお時間を頂いてよろしいでしょうか。荷物をまとめて参ります」

 先ほどとは打って変わってきびきびと動き足早にギルドを出て行ってしまったルーアさんの態度の変化に驚いていると、ギルドのお兄さんが愉快そうに笑いながら席をすすめてくれた。


「いやあ、良かったな。アイツは認めた相手には敬意を払う。ちょいと気難しいのが難点だが、お嬢ちゃんなら上手くやってけるだろうさ」

「そう、なんですね。なんとかなりそうで良かったです」

 その後軽く世間話をした後、お兄さんは誰かに呼ばれたようで席を立って行った。一人になり旅行鞄を抱きしめて埃っぽい天井をぼおっと見上げていると、旅装束に身を包んだルーアさんに声をかけられた。


「お待たせしました。今日中に一つ北の町、メルティアに入りましょう。そろそろあなたの行方を心配した家の方が探しに来る頃合いでしょうから、ライラ・フィーダー嬢」

「あら。私のことを知っていたの。ところでその敬語、気持ち悪いから外していいわよ。私も楽に話すから」

「それは助かりますね。ではお言葉に甘えて」

 そう言いながら私が抱えていた鞄をひょいと取り上げたルーアは、背嚢から取り出した茶色い外套を私に差し出した。これを着て身を隠せということだろうか。一応街に馴染むように装飾の少ない服を着てきたのだが、生地が一目で高級品とわかるため意味が無いと言われてしまった。素直に外套を羽織るとよく手入れされているのか着心地が良い。本人はやる気のなさそうな雰囲気だが、道具を大切にしているあたり杜撰な仕事はしなさそうだ。そんなことを考えていると、ルーアはさっさとギルドを出てぐずぐずとしている私をこれまた眠そうな目で催促してくる。色々と荷物を背負っているだろうに軽い足取りで街を抜け街道を進むルーアの後を追いながら、私はこうなってしまった原因を思い返していた。


 私には、幼い頃に決められた婚約者がいる。相手は同じく伯爵家の次男で、娘が一人の我が家に婿入りする予定、だった。昔から何かと鼻につく態度をとってくる相手であまり好感を持てなかったが、貴族の婚姻とはこんなものだ、そう思って我慢していた。

 しかし、一月前付き合いで顔を出したパーティーで婚約者が私の悪口を友人に言いふらしている瞬間を目撃してしまったのだ。「アレの魅力は無駄に育った胸くらいだろう」とグラスを片手にゲラゲラと笑う彼に、私はこれ以上ないくらいの侮辱を受けたと感じ、こんな男と結婚しなければならない運命を呪った。どうにかしてこの結婚をつぶしたい。しかし、男は母親に上手くゴマをすって気に入られているため下手に話を流されても困ると思い相談できず、かといって外交官である父親は遠い異国の地だ。もう二年ほど顔を見ていないが、長く父が帰ってこないということは仕事が順調でないということの表れだ。そんな父にどうして家の利益を無視した私の我儘を書き綴った手紙を送りつけられるだろうか。

困り果てた私は叔母に泣きつき、そこで先ほどのギルドをすすめられた。叔母とギルドマスターは懇意の仲でありギルドの内情を知っているようで、信頼できる人物しか加入できないようになっているため何かあれば相談料は高くつくがそこを頼ると良いと話してくれた。私はその言葉を心の支えにこの一月頑張った。幾度か招かれたパーティーも、大っ嫌いな男のエスコートを受けながらにこにこと作り笑いを浮かべてみせた。


 しかし、昨日私は見てしまったのだ。あの男が若い女性と親し気に腕を組み、歓楽街へ消えていくのを。すっかり彼に対して信用を無くしていた私は何か婚約解消のネタでもつかめないかとこっそりと後を追い、そこで耳を疑う言葉を聞いた。それが本当なら、私は、私たちはどうなってしまうのだろうか。慌てて家に帰り、誰にも相談できずベッドの中で起こりうる未来に怯えていた私だったが今朝、雲一つない真っ青な空を見て思ったのだ。旅に出ようと。

すべてが決定的になってしまう前に、何か行動するべきだ。そこで思いついたのは父に会って、言葉の限り訴えることだった。そのためには果ての国へ行く必要がある。誰か家の人間を連れていこうか悩んだが、出来るだけ身軽に動くため一人を選んだ。どちらにせよ最初で最後の旅によく知った人々を巻き込みたくは無かった。伯爵家の令嬢である私が消えたとなればもちろんそれなりの機関が捜索に乗り出すだろうが、同時にあの男も何か手を打ってくるだろう。

あの男の計画には私が必要なはずだから、少なくとも私は生かされて国に連れ帰られるはずだ。しかし、同行する相手が何事もなく解放されるとは思わない。そのため、金のみを繋がりとしたドライな関係を結べそうな護衛を探していたのだが、契約を交わしたこの男は本当に私を果ての国まで連れて行ってくれるのだろうか。後ろを振り返ると、住み慣れた町は豆粒のように小さくなってしまっていた。私は震えそうな足を、ただひたすら前に動かした。

 

 

 そういえば、どうやって果ての国まで行くのだろう。疑問に思った私は先を行くルーアに声をかけた。


「ねえルーア。私たち、どうやって果ての国まで行くのかしら」

「……そんなことも知らないで行こうとしてたんすか。あんた、豪胆というか馬鹿というか」

「な、なんですって!?もしかして、相当険しい道なの」

「はい。本来は船旅が一般的ですが、身分証を提示する必要があるため陸を進みます」

「あら、ちゃんと持ってきているから問題ないわよ?」

 胸元に忍ばせていた家紋の彫られたリングを取り出してルーアに見せると、ルーアは海よりも深いため息をついて今すぐしまってください、とそっぽを向いてしまった。


「貴族のお嬢様が怪しげな男と二人きりで船旅なんて不自然にも程がある。きっと足止めを食らってお家の人のお迎えを待つことになりますよ」

「なるほど……それで陸路を行くのね。でも、果ての国に入るためにはいくつか国を越えなくてはいけないでしょう?その時はどうするのよ」

 国境には大抵関所があるものだ。それをどう潜り抜けるつもりなのだろうと不思議に思っていると、ルーアはけろりと言い放った。


「そんなもん関所を避けて適当に入ってしまえばいいんです。いくつか抜け道を知っているのでご心配なく」

 獣道を通る場合もある、となんでもなさそうに話すルーアにあんぐりとしたが、覚悟していなかったわけではない。絶対に果ての国にたどり着き父と話をつけなければならないと決意した私は一歩、また一歩と街道の凸凹とした道を踏みしめた。


 一つ目の町、メルティアに入ったのは日没寸前の頃だった。ルーアは真っ先に町の外れにある小綺麗な宿に走り、私の分の部屋をとると彼は私の部屋の前で適当に寝ると言い出したので、有無を言わさず横の部屋をとった。もしも何かあれば横の部屋なら気配で気づくだろうと説き伏せ、渋々ではあるが鍵を受け取って貰うことに成功した。自分一人だけ部屋で寛げるほど厚い面の皮をしていないのだ、私は。

 二人で夕飯をとることになり、宿の一階にある食事処に入った。ルーアはその細身の体に似合わないくらいテーブルいっぱいに大皿を注文し、先に私の分をよそうと目を疑う速さでそれらを片していく。


「あなた随分食べるのね」

「はあ、食える時に食うのが信条なので。お嬢様はこういったところの飯は食わないと思ってたんですけど、綺麗に食べましたね」

 すっからかんの私のお皿を意外そうに見るルーアに、ついつい苦笑いを浮かべた。


「出されたものは食べるわよ。それに十分美味しいわ。あなた、相当貴族がお嫌いね?」

「まあ。いい思い出はないですね」

「よく私に雇われたものだわ」

「ライラさんは、ちゃんと俺の目を見て話してくれたんで。……報酬も良かったですし」

 そう言ってぱくりと最後の一口を口に入れたルーアはほとんど自分が食べたから、と二人分の勘定を済ませて部屋に戻っていった。一方私はなかなか動く気になれなくて、机の上に置いてあった水差しを手に取る。

 彼のことはまだよくわからない。あのギルドに所属しているからと言って全く信頼しきってよいとは思えないし、でも彼の態度は真っすぐで、信じたいと思う私がいるのは確かだ。

 どうか、何事もなく父のもとにたどり着けますように。私は一つ息を吐くと、いつの間にか満杯に注いでしまったコップをあおった。




「これは」

 よく手入れのされた指が一通の手紙をなぞる。


「あの子が机の上に置いて行ったものよ。しばらくしたら戻ると書いてあったけれど、婚前の女性が一人でどこに行こうというのかしら……」

「いくつか心当たりが。調べましょう」

「頼んだわ。ごめんなさいね、帰ってきたらあの子にはよく言い聞かせますから」

「いいえ、お義母さん。そうだ、一つだけお願いしたいことが」

 申し訳なさそうな表情を浮かべる青年に、女性は恰幅の良い体を揺らしその先を促す。


「私がライラを連れ帰るので、結婚式の準備をしておいて欲しいのです。自由なところは彼女の魅力ですが、同時に私を悩ませるのです―――」

 青年の言葉に、嬉しそうに手を叩き女性はさっそく執事を呼びに行ってしまう。青年は壁面に控えたメイドがこちらを見てないのを良いことにその口元を歪ませた。


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