くさび石
それは全てに置いていかれ、屍の頂点に座す孤独を持て余し正気を保つのも難しくなっていた頃。
ありとあらゆる事象を知り生き字引となったとて死ねず、気紛れに人々の上へ君臨したところでちっぽけな娯楽にもなりはしない。
方々を旅して歩くことにも飽きて、誰一人他者のいなかった寂れた森にひっそりと居を構えて幾年、いや、幾百年。
ふと気付けばどこから来たのか。50にも満たない人間達が隣人として過ごすようになっていた。
空を見て過ごすのも飽きた。
せかせかと短い生を消費する彼らを、なんとなく観察するのも悪くない。
そう考えて気分の赴くままに様々な知恵を与え傍らに在り彼らと過ごす日々はまぁ、それほど悪くはなかった。
気紛れな教えを落とす俺を世界の意思と仰ぎ崇める彼らは滑稽で可愛らしい。俺はただヒトの一生では持ち得ない力と知識を汚い手で集め溜め込んだだけだ。傲りに任せ世界に楯突き呪われた大馬鹿者でしかないというのに。
そんな俺とは違って彼らにはきちんと寿命があった。穏やかに流れる時は簡単にその灯をひとつふたつと攫っていって、後に残るのは冷たく硬い脱け殻だ。そのうち見送ることが億劫になって接触を減らしたけれど。
どうしようもない退屈に苛まれた時だけ眺める彼らは、水槽に入れられた熱帯魚のようだった。
それはもう幾度も目にした光景だった。
いつも間にやら蜘蛛の子の様に増え、不可解な選民思想に浸るようになった彼らの子孫が他の地に生きる人間達を見下し、尊い土地に棲まう自分達を尊い存在であると、そうでない者は家畜同様に扱っても許されるのだと声高に叫び始めた。
何ともまぁ馬鹿馬鹿しい話である。
此処に神などいないのに。
所詮は『ヒト』だ。等しく赤い血が流れ、老いて行く。いずれ安寧の死に至り、物言わぬ骸となってこの星に還る。俺が求めてやまない終わりを待つ、刹那の命を持った生き物。
確実に限りある生命活動の中で何かを踏み付けねば生きていけない憐れな生き物は何度も何度も同じ事象を繰り返す。造って壊してまた造ってまた壊す。同一個体でもないのに変わらぬ営みによくもまぁ、飽きないものだと感心すら覚えたのはとうの昔のことだった。
けれど知恵を持つ獣には可能性があるはずだ。
理を知って、人心を知って、安定の進化を選び取る者達がきっと現れるに違いない。果たしてそれが何時になるのか。
まあ、気長に待つことにしようと思う。