03 エルフ村を出ていく
荷造りを終えたリリンと俺は、母親が用意してくれた食事をとりに向かった。
テーブルに並んだ食事は、野菜のスープとサラダ、中央の籠に切り分けられたバケットが置かれている。
スプーンでスープボウルを掬って見れば、ベーコンの切れ端が入っているのだから、エルフが菜食主義者という情報も当てにならない。
「ゆうべはおたのしみでしたね」
目の下にクマを作ったリリンの母親は、抑揚のない言葉で言った。
お母さんは、何を誤解しているのか。
「お楽しみだったのは、リリンだけだ」
「もう、やめてよカール。お母さんにそんなこと、いちいち報告しないで」
「だって俺は、まったく楽しんでないからね」
「カールも、ノリノリだったくせに」
「そうかもしれないけど、よく考えたら、ただの耳かきみたいなもんだろう」
「耳かきって何? なんか淫靡な響きね」
「エルフは、耳かきしないの? 先の曲がった細い棒で、耳穴をほじくったりするやつ」
「な、なにそれエロい!」
お母さんが『朝から惚気るのは止して』と困った顔をしたので、俺たちは耳かき談義を中断した。
俺の暮らしている人間の街は、エルフ村から半日も歩けば到着するので、母親は娘が村を出ていくことに悲しむ様子がなかった。
しかし彼女やエルフ村の友人が、リリンを訪ねて俺の下宿に立ち寄ることがあれば、昨夜の晩餐会が偽装結婚だったと知られてしまう。
「お母さん、俺とリリンは新婚旅行を兼ねて、色んな場所を見て回ろうと思います」
「新婚旅行を兼ねて?」
「お母さんも、異種間結婚の煩わしさをご存知でしょう? 俺たちみたいな夫婦が暮らしやすい街、そういう場所がないか旅をするつもりです」
「それは良いことね。でも、いずれ自分の街に戻るのでしょう?」
「街に戻るときは、お母さんに連絡します」
だから俺の街に来て、あれこれと詮索しないでくれよ。
新婚旅行や夫婦なんて言葉で誤魔化したのが、嘘に嘘を重ねるみたいで心苦しいが、留守中に街を嗅ぎ回られて、話が拗れるのだけは勘弁だ。
「はいはい、お母さんは新婚家庭の邪魔するつもりありません。昨夜みたいに仲良くしていれば、孫の顔を近いうち見られるでしょう」
いいや、夜通し耳を触っても子供はできない。
エルフの生殖行為は詳しく知らないが、耳を触って赤ちゃんができるわけがない。
「さてカール、腹ごしらえも済んだし、そろそろ出発しようじゃないか」
「え、村の人たちに挨拶は?」
「親しい者には、カールを森まで迎えに行くときに済ませている。幼馴染の友人とは昨夜、十分に別れを惜しんだ」
「そうか、ならば行くとするか」
リリンの荷物は俺が背負って、身軽な彼女は玄関先の弓矢を携えた。
今生の別れではないものの、外に嫁ぐ娘を見送る母親、母親を家に残して出ていく娘、ずいぶん素っ気ない母娘の態度に、親の顔を知らない俺が声をかけるのは空々しい。
「俺は、先に行っている」
「そうね」
俺が『急がなくて良いぞ』と、後ろ手に玄関ドアを閉めるとき、エルフの母娘は、抱き合って別れを惜しんでいた。
エルフ村に来たときは、何を考えているのかわからない連中で、居心地悪さしか感じなかったものの、リリンの家の前で花を手にした子供、というか彼女の幼馴染たちが、見送りに集まっているのを見つけてほっこりした。
「リリンは、まだ家の中だぜ?」
「いや、私はカールに話がある」
リリンの元カレだった男の子は、見送りに集まっている友人に手を振ってから、エルフ村の出口に向かって歩く俺と並んだ。
「リリンの父親は、ハーフエルフでね。彼女の母親は、そうと知らずにリリンを身籠った。異種間結婚の呪縛は、当事者一代限りの悲劇に終わらない」
「お前は、だからリリンと別れたと言いたいのか。それともリリンを連れ出さないように、俺を説得しにきたのか」
「カールは、私よりリリンを幸せにできるのか?」
「俺は――」
「どうした?」
捨て子という不幸な境遇でスタートした俺は、育ててくれた教会や学校で、人を蹴落としてまで競争に参加することを拒んだ。
剣を振る相手は気兼ねなく叩ける木偶人形、魔法も人を傷付けるような呪文は使わなかったし、テストの答案は全て白紙で出した。
どん底から始まった俺が、少しでも幸せに近付こうとすれば、入れ替わりに誰かを不幸にすると思っていたからだ。
そんな厭世家の俺が、幸せは優劣ではないと気付いたのは、つい最近のことだ。
「俺は今、幸せかもな」
「はあ? 質問の答えになってないぞ」
俺が幸せになっても、他人が不幸になるわけじゃない。
結婚を世話しようと躍起になる下宿の婆さんが、いつまでも煮え切らない俺の背中を押した言葉である。
俺が幸せになることは、誰かを不幸にすることにならない。
「リリンは村に残るより、街に出た方がマシなんだろう。自分の行動で、他人を幸せにできるなんて考えはエゴだし、その逆も同じだろう」
「なるほど、リリンが惚れるわけだ。彼女は、堅苦しい考えを好まない」
「お前もさ、たまには本音で話してみれば?」
「誰と?」
俺は立ち止まると、男の子の前にしゃがみこんだ。
子供に大切な話を言って聞かせるときは、正面から視線を合わせた方が良いからだ。
俺は教会の子供と話すとき、いつもそうしている。
「異種間結婚の悲劇? 俺がリリンを幸せにできるか? それは、お前に全く関係ないことだ。リリンにエルフ村を出ていってほしくない、俺みたいな軟弱な男にリリンを託せない。お前が本音で話していれば、こんな状況にならなかったかもしれないぜ」
「何も知らない人間が、私に知った口を利くな」
「良い面構えになったじゃないか」
鼻にしわを寄せたエルフの彼は、不快感を隠さずに俺を睨みつけている。
傲慢なエルフが見せた怒りの表情に、俺は彼の頭に手を置いて諌めた。
「二人とも、どうしたの?」
後から追いついたリリンは、怒りで肩を震わす幼馴染の男の子と、向き合って腰を屈めている俺に話しかける。
「男同士の話だから、リリンは気にするな」
「そうだ。これは私とカールの問題だから、リリンは気にする必要はない」
「二人とも、いつの間に親しくなったの?」
振り返った彼は、友人から手渡された花を抱えるリリンを真っ直ぐ見つめる。
「リリン、こいつと一緒にいて幸せか?」
「うん」
「そうか……。では、私がどうこう言う必要はない。おいカール」
「なんだ坊主?」
「私の名前は、ラビストリーム・キリノームだ。これからは『ラビ』と呼べ、カールとは対等に付き合いたい」
「わかったよ、ラビ」
リリンとすれ違いに戻っていくラビは、リリンと並んだ俺に振り返ると、腰の辺りを指差して『最後に、それについて聞いておこう』と言った。
「え、ちんこ?」
「誰が、お前のちんこに興味をもつものかっ、私が問いたいのは、お前に似つかわしくない紋章入りの長剣のことだ」
「あ、これね」
「私の記憶が間違いなければ、その紋章はバルバラ王家のものだな。その長剣が武功を讃えた恩賞ならば、カールは兵士なのか?」
「いいや、俺は求職中でな。こいつは、捨て子の俺と一緒に、教会前に捨てられていたゴミだ」
「一緒に捨てられていたゴミ? いやいや、さらっと聞き流すところだったが、求職中って、カールは無職なのか!?」
「まあ俺は無職だが、それが何か問題か?」
「大問題だろう! どうやってリリンを養っていくつもりだ! え、もしかしてカールは、リリンに養ってもらう気なのか?」
リリンが『そうなのか』と、俺の顔を覗き込むので苦笑いで誤魔化した。
正式な婚約者とめぐり逢い、仕事に溢れた街に戻れば、いくらでも働き口があるし、汚れ仕事で稼いだ蓄財もあれば、当面の生活費には当てがある。
「今は戦後復興が好調で景気も良いし、生きていくにはどうにかなるだろう」
「貴様という奴は……、怒るのもバカバカしい」
ラビは『お幸せに』と、俺とリリンに背を向けた。
リリンが寂しそうな顔をするので、俺は一人で歩き始めたのだが、幼馴染が振り向かずに手を煽ると、慌てて追いかけてきた。
「なんで、私を置いていくのよ?」
「なんでって……、リリンが、俺なんかよりラビと村に残りたそうだったから」
「あ! それってヤキモチ、カールはヤキモチを焼いているのね」
「俺よりラビの方が生活力ありそうだし、リリンのことも――」
俺の唇に人差し指を当てたリリンが、小さく首を横に振るので言葉を飲み込んだ。
しかしラビが、リリンに相応しい立派なエルフなのは確かで、彼女を村から連れ出す俺が、何処の馬の骨ともわからない無職の男なのも確かである。




