16 食材と贖罪
オアシスを旅立って三日目の正午、赤茶けた大地の地平線に大きな岩が顔を出した。
デベソのような大きな岩山は、馬車を走らせても近付く気配がなく、そこが目的地のドワーフが暮らす鉱山都市だとわかっているので、もどかしさが募ってくる。
結局は日が暮れてしまったので、明日の夜明けまで野宿を決めた。
ミアが手綱を握り夜通し走れば、夜明けまでに到着すると提案するのだが、期限付きの旅でもなければ、満点の星空、巨大な岩山から漏れる街明かりを見ながら就寝する。
「ご主人様、朝食の支度は私が替わります」
俺は翌朝、出発前にリリンが狩りで獲ってきたトカゲを捌いていると、朝食の準備と誤解したミアが声をかけてきた。
「ああ、リリンが狩ってきたトカゲを捌いてたんだ。トカゲ肉は足がはやいし、干し肉にしようと思ってさ。悪食の神父のせいで、教会の子供たちは幼い頃から自炊だった。そんなわけで料理の下拵えは昔取った杵柄だが、見事な包丁捌きだろう?」
指先で回して包丁の刃面を横にすると、トカゲの硬い鱗と肉の隙間に滑り込ませて、手際良く三枚におろした。
「ええ、お見事な腕前です」
「いよいよ食い詰めたら、料理人でもなろうかね。どうしたミア、俺の包丁捌きに不安でもあったのか」
「いいえ、見惚れるほどお見事な包丁捌きです……、その大丈夫なのですか」
「何が?」
「ご主人様は、刃物が苦手なのかと思っていました」
ミアは剣を握ると嘔吐く俺が、鼻歌交じりに包丁を使って、肉を捌いていることを心配しているようだ。
「そう言われると、食べるための狩りや、調理で刃物を握っても吐き気がない。たぶん、刃物を握る心構えの問題なんだろう」
「カールが剣を握れないのは、心構えの問題なのか。なるほど、なるほど」
リリンは荷台に腰掛けると、人やモンスターを前にしなければ、剣を振ることが出来るのかと聞いてきた。
俺が長剣を鞘から抜いて抜き身にすると、刃面に写った自分の顔を見て吐き気が込み上げる。
「カール、これを切ってみろ!」
リリンは、剣を鞘に戻そうとする俺に赤い果物を投げつけた。
いや、だから食材は切れる。
下段から切り上げた刃が、手に収まる小さな果実を左右に切り裂いた。
「カールの剣術が凄腕なのは、嘘ではなさそうだ」
「リリンは、疑っていたのか?」
「武勇伝には、尾ひれはひれが付き物だ」
「そこまで疑われると心外だな……、ミア、リリン、今から二匹目のトカゲを捌くから、そこで見てろよ」
二匹目のトカゲを紐で木に吊るした俺は、姿勢を低くして長剣を構えると、抜刀の一撃で下から腹を切り裂いて、返す刀で肉から薄皮だけを切り削いだ。
それから二回刺突すると、トカゲの首を文字通り皮一枚残して中骨を抜いてみせる。
紐で吊るされたトカゲは、一連の動作にも揺れることなく干し肉に下処理された。
「つまらぬものを切ってしまった」
長剣の価値を知った今、本当につまらぬものを切っていると思う。
でも、これでミアとリリンにも、俺が口先だけの男じゃないとわかっただろう。
「ご主人様、凄いです!」
「ほう……」
「本気の俺は、もっと凄いぜ」
ミアは拍手しており、リリンは目を丸くして言葉を失っている。
しかし長剣を包丁代わりの代用品、切るものが食材ならば、剣技を披露するのも平気なんだと、やはり剣を握れないのは呪いではなく、心の病なのだと自覚した。
「リリンは、驚いて絶句したようだな」
「確かに驚いた。リザードマンは斬れないのに、大トカゲは切れることにね」
「うん?」
「カールは、大トカゲは切れる」
「うん」
「リザードマンは斬れないんだよね」
「うん」
「両者は何が違うんだ?」
「大トカゲは食材だが、リザードマンは亜人だぜ」
「しかし両者の見た目には、然程の違いがないだろう。つまりカールのトラウマは、無意識に食えるか食えないか、曖昧な線引きに反応しているんだな」
「確かにそうだ」
「質問ついでに、カールは対人戦闘の経験もなしに、どうやって剣技を磨いたんだ?」
「学校では木偶人形で、あとは街の外での狩りやモンスター討伐だな。魔法も、そんな感じで身につけた」
「ではカールは、そもそも人に対して剣を向けることが苦手だった。今は食材ではないモンスターも、人として認識しているから剣で斬れないわけだ。でもカールが無益な殺生を好まないとして、モンスター討伐は申請さえすれば換金できる。見方を変えれば、モンスター討伐も生きていく糧になるし、被害を食い止めれば人助けにもなる」
モンスターと肉食獣の違いは、人肉嗜食の有無にあり、どんなに凶暴な肉食獣であっても、好んで人間や亜人を襲わなければモンスターとは言わない。
また小鬼や豚鼻の人型モンスターには、人語を解する者もいるが、やはり人間や亜人を捕食しているなら、それは亜人に分類されないモンスターに他ならなかった。
「カールの吐き気が敵味方で反応していないのなら、対人戦闘は無理でも、モンスターと戦うことが出来るのではないか? モンスターを自分の敵ではなく、狩りの獲物と見れば良い」
「それって、やっぱり心構えじゃないか」
「カールは理屈っぽいから、言葉にすれば理解できると思ってね」
憲兵として検挙すべきセオや、友人だと思っていたカイルを失ったことが吐き気の原因ならば、俺の病は敵味方の分別が出来なかった自責の念にある。
目の前の敵に対しても、分別のなさが邪魔をして剣を振れないのであれば、リリンの言うとおり、人類にとって絶対の悪であるモンスターを倒すことには、躊躇う必要がない。
ただ鞘から刃を抜いただけ、切るべきものが食材ならば、長剣を使っても嘔吐かなくなり、植木鉢であれば、暗殺者の頭上に落下させるのも躊躇わなくなった。
下宿の婆さんは、俺が旅の道中でトラウマを克服するとわかっていたのだろうか。
いいや、あのダークエルフが高名な占い婆さんでも、持ち込まれた厄介事を俺に押し付けただけで、そこまで先を見通せるはずがない。
婆さんの見る目を当てにして、冒険するのは危険だ。




