表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

15/19

15 ヒメとオージ

 宿屋の部屋は、俺が一人で寝泊まりするには十分以上の広さと、調度品が飾られた豪華な個室だった。

 ドアから入ったリビングには、向かい合わせにソファの置かれた応接セット、寝室は護衛や下働きのために二部屋が並んでおり、ベランダに出れば湖畔の夜景が一望できる。

 メインベッドルームを覗けば、ダブルより一回り大きなキングサイズのベッドが中央に置かれており、ミアに贅沢をさせてやるとは言ったものの、一泊の宿代が気になるところだ。


「庶民にしては、値の張る部屋を借りているな」


 ヒメが連れてきた男は、彼女を入口に待機させて、俺の背後から室内を見回している。

 女のような長い髪を手で払った彼は、踵で床を踏み鳴らしたり、剣の鞘で天井をノックしたり、不審者が潜んでいないのか確かめていた。


「おい、どうして俺を庶民だと決めつけた?」

「貴様は着飾っているが、袖丈が合わなくて服に着られている。高貴な者に対する口の聞き方を知らなければ、礼儀も商才もなさそうだ。下働きも連れずに豪華な部屋に泊まっているなら、カジノで儲けたあぶく銭で、背伸びしている庶民だろう」

「訪ねた相手を『庶民』と呼ぶのは、無礼じゃないのか」

「気を悪くしたなら許せ」


 彼は護衛なのだろうか。

 しかし金糸で刺繍された白いタキシードは一品物だし、胸に飾られた数々の略綬、俺より二つ、三つしか年頃が変わらないのに、ただの護衛が高給取りにも、多くの手柄を立てられるとも思えない。

 それに彼が腰に下げている細身の剣には、長剣と同じバルバラ王家の紋章があった。

 キザったらしい言葉遣い、他人を見下した態度、ヒメと同じ高貴な家柄の者に間違いない。


「ヒメ、部屋に仕掛けはなさそうだ」

「お兄様は、用心深いですわ。いきなり訪ねた部屋に、どんな仕掛けがあると言うのです」

「この庶民は、ヒメに近付くために暗殺者と一芝居打ったかもしれない。この豪華な部屋も、ヒメが訪問すると踏んだ上で借りた可能性もある」

「お兄様の考え過ぎですわ。カールが追手の仲間なら、私の命を狙う機会はいくらでもありました」


 キザな男は、ヒメを襲った暗殺者の仲間だと疑っているが、そもそもデッキチェアで妄想に耽っていたとき、顔を覗き込んできたのは彼女の方である。


「お前がヒメの『お兄様』ならば、二人は兄妹なのか?」


 俺はソファに並んで座った二人に向き合うと、落とし差しの長剣が邪魔にならないように、ベルトから抜いて腰を下ろした。


「いいや、私はヒメの従兄だ。許嫁の彼女とは、幼い頃から同じ屋敷で暮らしていてね」

「お前は、婚約者に『お兄様』と呼ばせる性癖の持ち主なのか。ヒメと結婚したら、どうするつもりなんだよ。嫁に『お兄様』とか呼ばせて、世間体とかいろいろ不味いだろう?」

「そんなことはッ、貴様に心配されなくて結構だ!」


 お兄様は剣の柄に中指と人差し指を押し当てて、左手で掴んだ鞘から鍔を浮かせている。

 彼の剣は細身で、俺の剣と同じ紋章が描かれているが、抜剣の速度重視に作られていた。

 独特の構え方は何処ぞ流派の剣術だろうが、ちょっとからかわれただけで手の内を明かすとは、ずいぶん短気な男である。


「カール、お兄様のことは『オージ』と呼んでください」

「素性が明かせないので、お前たちはヒメとオージか。つまりヒメの従兄は、みんなから『オージ』と呼ばれているわけだな」

「カールは、察しが良いわ」


 ヒメは俺の長剣に見覚えがあり、オージの帯刀している剣にバルバラ王家の紋章があれば、素性を隠す意味もないのだが、そこには触れるな、という警告が含まれていそうだ。

 俺の察しが良いとは、そういうことだから、事情を察してくれとの意味合いがある。


「こんな夜更けに、わざわざ訪ねてきた理由は?」

「ああ、理由は二つある。一つは、ヒメを救った恩賞として金貨一枚を渡しにきた」


 オージから金貨を受け取った俺は、それが一般的な硬貨ではなく、外国との貿易に使用される混ぜ物なしの純金だったので固唾を飲んだ。

 市中に出回っている硬貨は、含有する金属比率により価値が調整されており、代表的な銅貨、銀貨、金貨では、銅貨五十枚で銀貨一枚、銀貨五十枚で金貨一枚である。

 憲兵だった俺の月給が銀貨二十五枚、年収で金貨六枚だ。

 国内や領内のみで流通している紙幣もあるが、紙幣での支払いを拒む者は多く、旅の路銀や他国との交易には、硬貨を使用するのが一般的だ。


「こんな大金をくれるのか?」


 ヒメを救った恩賞の金貨は、一般的な金貨よりサイズが一回り大きく希少性もあり、価値が十数倍の代物である。


「ヒメの命には、高額取引に使用する交易金貨よりも価値がある。ここが我が領内であれば、貴様に金貨ではなく、爵位を与えることもできた」

「いいや、爵位には興味がない」


 オージが俺の長剣に視線を落とすと、ヒメが不安げな表情を浮かべた。

 彼らが訪ねた理由は、やはり俺と一緒に捨てられていた長剣にある。


「そのロングソードを持っている貴様が、爵位に興味がないのは幸いだ」

「もらえる物なら、名を取るより実を取る。食えない爵位より、贅沢ができる金貨の方が、有難いに決まっている」

「なるほど。それでは、私が出向いたのは無駄な心配だったな。ヒメから事情を聞いて、また婚約者が増えたのかと心配したぞ」


 オージは安堵の表情で『これ以上、競争相手が増えては敵わない』と、椅子に深く座り直して、心情を吐露した。

 文脈からすると、長剣を持っている俺が爵位を望めば、彼の競争相手として、誰かの婚約者になれたらしい。

 ヒメと目が合えば、笑顔で小さく手を振った。


「話の筋が読めてきたぜ」


 同じ紋章の剣を持ったオージが、ヒメの婚約者を名乗っていたので、彼の危惧には、簡単に察しがついた。

 彼が『これ以上』と言うのだから、彼女の婚約者が複数人いるのだろう。

 そして彼らと初対面の俺が、ヒメの婚約者を名乗り出ると誤解する理由は、ケルセフ神父に譲り受けた長剣にある。

 つまり俺の長剣は、某国の姫様に求婚する権利の証みたいなもので、帯刀している者は当然、その権利を知っているはずだ。

 長剣の帯刀そのものが婚約者とすれば、そこに爵位を持った者と付帯条件も見て取れる。

 長剣を帯刀しているが爵位のない俺には、まだ婚約者としての立場にないとわかるからだ。

 そう考えれば昼間、ヒメのトンチンカンな言動にも辻褄が合う。

 護衛とはぐれた彼女が、自分に求婚する権利のある男、または爵位のある婚約者を見つけて、身柄の保護を申し出た。

 彼女からすれば、俺が庇護するのが当たり前だった。

 オージの様子を見れば、他の婚約者が現れるのを嫌っており、俺がどう出るのか、それを確認している。

 素性を明かせない彼らだが、問うに落ちず語るに落ちるとはこのことだ。

 俺の部屋を夜分に訪ねた、もう一つの理由も想像できる。


「俺を訪ねた別の理由は、この長剣の謂れを聞きに来たんだろう。しかし残念ながら、こいつは俺が育った教会の神父がゴミ置き場から拾ったもので、俺が独り立ちするとき、彼から譲り受けた門出の祝いだ」

「貴様はロングソードがどういったものか、何も聞かされず神父から受け取ったのか? 貴様に渡した神父も、その価値に気付いていなかったのか?」

「曰く付きでなければ、なかなかの業物だったからな」

「貴様がロングソードの価値を知らないのであれば、こちらも交渉がしやすい」


 オージは『ロングソードを言い値で買取る』と、権利そのものを奪って、この件を終わらせたい様子だ。

 教会に捨てられていた長剣は、俺の素性を探る唯一の手掛かりではあるものの、薄情者の肉親探しに固執してなければ、俺の心変わりを危惧するオージに売り払って、さらなる路銀の足しにするのも悪くない。

 しかし某国の姫様と結婚すれば、どれほどの権力、富、名声が手に入るのか。

 俺が手にしたいわけではないが、その権利が入手できる長剣とあれば、金を惜しまない貴族が大勢いるだろう。


「どうした? ロングソードは、貴様に無用の長物なんだろう。交易金貨で、いくらでも支払ってやるぞ」

「長剣がヒメとの求婚の権利だとして、国一つの価値とは、いったい如何ほどなんだ?」


 オージは『知っているではないか』と、歯軋りしたが、俺に気付かせたのは、考えなしにお喋りしたお前自身だ。


「俺は、長剣が求婚の権利だと察せないほど馬鹿じゃない。ヒメも察しが良いと、褒めていただろう?」

「貴様は思い違いしているようだが、ヒメの結婚相手を選ぶのは父である王様なのだ。権利を手にしていたところで、貴様のような庶民に権利を行使できなければ、間違っても我が主が貴様を選ぶはずがない」

「だから俺は、ヒメに求婚するつもりがない。婚約者が増えるのは、こちらも勘弁してほしい」

「なに? やはり貴様は――」

「勘違いするな。婚約者が増えて困るのは、ヒメではなく俺の方だ。俺にも事情があり、断らなければならない婚約者が複数人いるんだよ」


 ヒメとオージの関係は存外、俺とリリンたちの関係と酷似している。

 俺は肖像画に描かれた婚約者との婚約解消の旅をしており、ヒメとオージは紋章の描かれた剣を所持している婚約者から、その権利を取り上げて旅をしているのではないか。

 だとすれば、俺とヒメの立場は違うが、お忍び旅行の目的は同じということだ。


「貴様のような庶民に、なぜ求婚する女性が複数いるんだ。事情を知った貴様は見え透いた嘘で誤魔化して、ヒメとの結婚を画策するつもりだな」

「お前は、権力に目が眩んで周囲が見えてないのか。それとも、よほど従妹を他の男に取られたくないのか。俺は、権力にもヒメにも興味がないと言っている」

「おのれカール……、我が従妹、美貌のヒメに興味がないと言うのか」

「ヒメに興味がないとは、言葉の綾でそう言ったまでだ」

「ヒメに頭を下げろ! 興味がないた言ったこと、そこで土下座して詫びろ!」


 オージの言い分は支離滅裂で、交渉相手を怒らせて何がしたいんだ。

 俺がヒメとの結婚に興味がないならば、彼にとっても好都合だろう。

 下出に出れば考えようもあるが、俺を見下している貴族に、一緒に捨てられていた長剣を金で譲る気になれない。

 教会を出た下宿先、旅先、常に帯刀していた長剣には愛着もある。


「俺は、オージの態度が気に食わない。王様に決定権があるのならば、俺から長剣を買い取らずとも済むはずだ。路銀に余裕もあれば、ムカつく奴に譲る必要もない」

「なんだと、金で譲る気がないのか? 我が領内では婚約者同士であれば、決闘により相手から権利を奪うことも可能なんだぞ」

「俺の国では、私闘は重罪なんだ。俺に決闘を申し込むなら、然るべき訴状を国に提出しな。ただし他国の者との決闘は、如何なる理由を問わず棄却されるぜ」

「では斬り捨て御免だ」


 ヒメは『お兄様、落ち着いてください』と、抜剣に構えたオージの腕に手を置いた。

 目を血走らせたオージは、俺が長剣を所持する意味を解してなお、手放すの拒んでいたら、決闘を申し込んで奪うつもりだった。

 もしかすると彼らは今までも、そうして競争相手を減らしていたのではないか。

 旅の目的は同じでも、暗殺者に命を狙われたり、決闘で婚約者を減らすとは、ずいぶん血腥い旅をしている。


「お兄ちゃん、ただいま!」


 コロネは緊迫した状況下、俺の部屋に飛び込んできた。

 オージは抜剣しかけた刃を鞘に戻すと、白いタキシードの下襟を手で伸ばして平静を装っている。

 続いてリリンとミアが部屋に入ってくると、彼は長い髪を手で払い除けて、腰に手を当てて気取った。


「お兄ちゃん、この人たちは誰?」

「どうしたコロネ、カールに来客なのか?」


 コロネとリリンは、貴族のなりをしたオージとヒメを遠巻きにして、俺の背後に回り込んだ。

 ミアは二人を接客するために、さっそくお茶の用意に取り掛かっている。

 状況が、さらにややこしくなった。


「カールくん、彼女たちは?」


 オージは部屋に入ってきた美少女たちを見て、俺を『カールくん』なんて呼んで、宿屋に戻ってきた彼女たちに優男を演じている。

 女の視線を意識して態度を変えた彼は、相当な女たらしだ。


「ご主人様、お茶が入りました」

「獣人の美少女は、カールくんの召使いなのかな? 下働きも連れていない庶民だと言ったのは、私の誤解だったようだね」

「私は召使いではありません……、よね?」


 オージの変わり身の早さに呆れた俺は『話が済んだら、さっさと帰れ』と、オージとヒメの背中を廊下に押し出した。

 話を切り上げるには、この機会を措いて他にない。


「カールくん、あの美しい少女たちは何者なんだ?」


 オージは先程まで、貴様、貴様と連呼していたくせに、俺が女連れとわかった途端、名前に敬称を付けている。

 他人の婚約者にも色目を使うとは、いけ好かない野郎だ。


「あれが、俺の婚約者たちだよ」

「そうなのか? 婚約者と婚約解消の旅しているとは、口から出任せではなかったのか。しかしグラマラスなエルフ、天真爛漫な人間の少女、可憐で気が利く猫耳の獣人、彼女たちが婚約者とは羨ましい」

「こっちは煩わしいことが多くて、お前に羨望される筋合いがないぜ。そういうわけで、ヒメまで手が回らない事情はわかっただろう?」

「うむ。あれだけ粒揃いの婚約者がいるなら、カールくんの言い分も満更でもないが……。まあ全員まとめても、ヒメの美しさには劣るがな!」

「知るか!」


 ヒメが、俺たちのやり取りに苦笑いしている。

 男が二人、自分の婚約者の方が上だと、維持を張り合っているように見えたのだろう。


「まあまあ、お兄様。カールには、私なんかより美しい婚約者が大勢いらっしゃるようですわ。カールの事情もわかったことですし、これ以上、私に恥をかかせないでください」

「わかりました。ヒメが、女たらしのカールくんに惹かれるとも思えません」

「お前には言われたくないぜ」

「でもカール、私に言わせれば、あなたもお兄様と同類に見えますわ。いいえ、お兄様より質が悪い女たらしです」

「それこそ、ヒメに言われたくない。お前だって、オージたち婚約者を競わせている」

「言われてみれば、そうですね。カールには最初に会ったときから、似た者同士、血を分けた兄妹のような情愛を感じました。カールに好意を抱いたのかと混乱しましたが、私の勘違いだったのでしょうね」


 ヒメが振り向きざまに、俺の握っている長剣を指差した。


「カールがロングソードを手にしている限り、いずれ再会するわ。そのときは、良い人を紹介できると良いですね」

「そうだな」

「では、また会いましょう」


 オージは『最後に伝えておくことがある』と、立ち去るヒメに聞こえない小声で呟いた。


「カールくんも、婚約者に『お兄ちゃん』と呼ばせているとは、自らの性癖を曝け出したな」

「どうでも良いから、さっさとヒメを連れて消え失せろ」

「ははは、同好の士であるカールくんとは、良い友人になれそうだ。では、また会おう!」

「やっぱり性癖じゃないかっ、二度と顔を見せるな!」


 思い掛けない深夜の来客で、長剣の謂れは垣間見えたものの、どうしてそんなものが、俺と一緒に教会に捨てられていたのか、結局わからずじまいだった。

 部屋に戻った俺が後ろ手にドアを閉めると、俺の目の前をネグリジェに着替えたリリンが横切る。

 室内を見れば、コロネはキャミソールにホットパンツ姿で枕を抱えており、ミアはナイトガウンを羽織っていた。

 なぜリリンたちは、俺の部屋で寝る準備をしている。


「お前たちは、どうして自分たちの部屋に戻らない」

「え、部屋は一つしか借りてないよ。まさか広い部屋に、お兄ちゃん一人で泊まるつもりだったの?」

「妹分のコロネは良いとして、リリンたちはどうなんだ?」

「カールとは、いつも同じ馬車で寝起きしているのだから、一つの部屋で寝ても問題ない。お前が望むなら、私は一つのベッドで寝ても良いんだぞ」

「コロネお姉ちゃん、それってどういう意味かしら?」

「ち、違う、コロネは誤解している。それくらいカールを異性として意識していないと、例え話をしただけだ」


 リリンは耳を真っ赤にしているが、三人の美少女をベッドに侍らせて寝られるほど、俺の神経は図太くない。

 ついさっき、ヒメに『質が悪い女たらし』だと忠告されたばかりだ。


「ご主人様は、メインベッドルームを使ってください」

「いいや、俺は一人だから狭い寝室で寝る。メインベッドルームは、お前たち三人で使えよ」

「お気遣い、ありがとうございます」

「一人で広いベッドを専有する方が、気不味くて寝付けない。明日からは、また鉱山都市に向けて野宿だからな。今夜は、もう休め」

「はい」


  寝室に消えた三人を見送ると、ソファに腰を下ろして息を吐き目を閉じた。

 オージのことを好色扱いした俺が、美少女を連れて美少女を訪ね歩く旅をしている。

 ヒメたちが、紋章の描かれた剣を所持する者を訪ね歩く旅をしているならば、その道中が血腥いなどと、とやかく言う義理がない。

 しかし婚約解消の旅をしている俺は、いきなり自分たちの都合を押し着せた彼らに、嫌悪感があるのも事実だった。


「こういうのを同族嫌悪と言うのかね」


 親に捨てられた俺の生い立ちが、育ちの良いヒメやオージと被るところは何一つないはずなのに、どこかで繋がっている気がする。

 それに砂浜で甘えてきたヒメには、異性としての魅力を感じなければ、気恥ずかしさに似た拒否感さえあった。

 従兄の言うとおり、彼女の美貌はずば抜けているし、醸し出す高貴な雰囲気があれば、一目惚れする男は多いだろう。

 客観的に考えれば、お嬢様に頼られた俺の余所余所しい態度は、たぶん間違っていた。

 面倒事に巻き込まれるのが嫌いな俺だが、決して困っている人を邪険にしたことはなく、それなのに彼女に手を貸すことには戸惑いがあった。

 ヒメは好きになってはいけない人、本能がそう囁いている。

 奇しくも彼女が別れ際、俺に兄妹の情愛を感じると言っていたが、それが最も的を得た感情かもしれない。

 困ったことに、そこから導き出される結論は――


「孤独な身の上の俺には、なぜか近親相姦欲求があり、妹キャラに対して背徳感の劣情を抱く、シスコンの変態だ」


 コロネの顔が脳裏を過ると、オージを『お兄様』と呼ぶヒメの姿と重なった。

 絶対に認めたくないが、その点に関しては、俺と馬鹿貴族のお兄様は同類なのかもしれない。


 ※ ※ ※


 ベランダの掃き出し窓から射し込む朝日に照らされた俺は、自分でも気付かなかった性癖について、あれこれ悩んでいるうち、ベッドに潜り込んで寝入っていたらしい。

 しかし右を向けば、リリンが満足そうな顔で腕枕しており、左を向けばコロネが照れくさそうな顔で腰を抱かれている。

 そして足元に目を向ければ、幸せを噛み締めた顔で俺の上で丸まって寝ているミアがいた。


「どんな状況か把握したものの、俺はソファで寝落ちしたはずだ。なぜ起きたら、こんなハーレムキングになっている?」


 自問自答してみたが、やはり悩んでいるうち、ソファで寝落ちした俺が、寝惚けてリリンたちが寝ている寝室に忍び込んだとは思えない。

 俺はとりあえず、寝ているリリンの長い耳を弄って、コロネの脇腹を擽って起こした。


「カールっ、朝から耳を弄ぶな! 昨夜の続きがしたいなら、次は二人きりのときに」

「俺は昨夜、リリンに何かしたのか?」

「コロネの前では、そんな恥ずかしいこと言えないよ」

「俺は、リリンに言えないことをしたのか……、どうせ耳を触っただけだろう」


 目を覚ましたリリンと話していると、脇腹を擽られたコロネが身を捩りながら、聞いたことがない艶っぽい声で喘いでいる。


「お、お兄ちゃん……、駄目だよ……、お姉ちゃんたちが起きちゃう。そ、そんな……、そんなところを触られたら、コ、コロネ――」

「寝惚けるのも大概にして、そろそろ起きろ」


 俺が脇腹を抓ると、飛び起きたコロネが片手を突き上げて『コロネいきまーす!』と叫んだ。

 毎回思うのだが、どこに行くのだろう。


「あ、お兄ちゃん、おはよう」

「呑気におはようじゃないぜ」

「そうね。夜中に目を覚ましたら、隣にお兄ちゃんが寝ていたんだもの。この状況は一線を越えたかもしれないし、確かに呑気にしてられないわね」

「コロネは、俺と一線を越えたのか?」

「いいえ。お兄ちゃんに何かされると思ったら、ドキドキしちゃって気付いたら朝だったわ。でも寝ている間に、一線を越えた可能性は否定できない」

「うん。俺も起きたばかりだし、絶対に越えてないね」

「夢の中では越えたわ」

「コロネは妹なのに、そんなことを言うな」

「あら、今のはボケたのよ。どうしたの、お兄ちゃんらしくないわね? 昨日から、ちょっと様子がおかしいよ」


 オージに指摘されたせいで、コロネのことを意識しているようだ。

 お兄ちゃん大好きと、カール大好きには雲泥の差があり、慕ってくるコロネが、前者であることを自覚しよう。

 しかし妹のボケに真顔で答えるなんて、ボケ殺しのヒメとやってることが変わらない。


「やっぱり俺が、寝惚けて寝室を間違えたのかな? ソファで寝ていたはずなんだが――」

「ご主人様が一人寝では寂しいと思いまして、私がベッドまでお連れしました」

「俺を寝室に連れ込んだ犯人はミアか」

「お嫌でしたか?」

「いいや。お前たちが嫌がらないなら、可愛い女の子と朝を迎えられたのは役得だ」


 俺の腰に跨って体を起こしたミアは、胸についた両手に体重をかけないように、腰を持ち上げて背中を反らした。

 まるで寝起きに伸びをする猫のように、しなやかな様は清々しい。

 オアシスでは色々あったが、十分過ぎるほど英気を養えた。


「ご主人様、胸にも魔法陣があるのですね?」

「そいつは、魔法を発動しない」

「魔法は魔導書の本文を理解した者なら、魔法陣さえあれば発動できるのではありませんか」


 俺が体に刻んだ魔法陣は三つ、左腕の風の盾、右腕の剣の舞、ミアたちには両腕で魔法を発動したと話しているが、最後の一つ、心臓の位置に彫った魔法陣については話していない。

 俺が魔法陣を体に刻んだのは、魔導書を持ち歩くのが不便だからではなく、風の盾、剣の舞など実用性の高い魔導書は常に品薄であり、出回っているのは写本ばかりで、数回使用すれば発動しなくなる粗悪品だった。

 俺が落ちこぼれと呼ばれても、高等学校に進学した理由は、学校所蔵の魔導書を原本で読み解き、常に最高の状態で発動できるように、自らに取り込みたかったからだ。

 ちなみに俺が読み解いた魔導書は百冊近く、それらは体に刻まなくても、スクロールとして魔法陣を写し取った紙や布切れでも発動できる。

 ではモンスターに襲われても、なんで魔法を使わないのか。

 トラウマを抱えてからは出し惜しみではなく、魔導書の書かれた理に懐疑心が勝り、全ての魔法が発動できなくなっている。


「胸の魔法陣は、学校に研究名目で借りた禁書だったのだが、俺には魔導書の理が理解できなかった。卒業を控えて返却するとき、魔法陣の図式だけ写し取っておいた」

「禁書の魔法陣は、危険な魔法を発動するのですか?」

「忘れられた古代言語で書かれた魔導書で、誰にも呪文すら解析できなかった。だから何が起きるかわからないので、国が禁書指定していただけだ。俺も手にあるうちに、単なる好奇心で表紙だけ写し取っておいたのさ」

「そうなのですね。安心しました」


 ミアには、そう言って誤魔化したものの、俺は古代語を読み解く言語学にも精通しており、呪文と本文の翻訳、理についても理解していた。

 胸の魔法陣は、死神が書き記した理『死の衣』である。

 俺の知る限り最も危険な魔法、厭世家の俺が興味本位で胸に刻んだ死の衣は、若気の至りとしかいえない魔法だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ