01 婚約解消のはずが……
俺は深い森の中、緑色の小鬼に追いかけられていた。
ボロの腰蓑を巻いた小鬼は三匹、手にした棍棒を振り回すと、狩りでも楽しむように、息急く俺を巨木の根元に追い詰める。
追い剥ぎが目的とは思えないが、懐から出した革財布を投げ与えてみた。
小鬼は革財布を払い除けると、地面に散らばった銀貨や銅貨に目もくれない。
「お、お前たちは、な、何なんだよ? 金が目当てでもなければ、男の身体が目当てってわけでもないだろう。それともあれか、やっぱり俺の身体が目当てなのか?」
「きししししぃー」
三匹のリーダー格だろう頬に白い線を引いた小鬼は、口角を上げると、閉じた歯の隙間から笑い声のような息を漏らしている。
猫が鼠を弄ぶように、モンスターにすれば、たまたま見かけた人間を狩ることに意味がないのかもしれない。
先頭に立ったリーダー格の小鬼が、命乞いをする俺の頭上に棍棒を振り上げる。
万事休す。
死を覚悟した俺が目を閉じても、思い出す両親の顔を知らなければ、街の皆から落ちこぼれ扱いされている俺に、今際の際に浮かぶ楽しかった思い出もない。
それどころか小鬼から必死に逃げても、これからの人生、どうやって生きていくのか、目的すら見つからなかった。
でも、だからって。
「こんなところで死にたくない! お、お助けください!」
そう叫んで目を見開けば、額に矢の刺さった小鬼が、右に左に蹌踉めきながら倒れる。
命乞いをした俺を助けるために矢を放った奴がいた。
「あんたがぶら下げているものは、見掛け倒しかい」
「え、ちんこ?」
「ちんこではないっ、腰に下げている長剣のことだ!」
「あ、ああ、はいはい、そっちね」
俺が声の方を見上げると、巨木の枝に弓矢の弦を引く少女が立っており、リーダー格を失って動揺する二匹目の小鬼の胸を射抜いた。
「ゴブリンは残す一匹、あんたのもので貫いてみせよ」
「え、ちんこ?」
「ちんこではないっ、剣で倒せと言っているのよ!」
「ああ、そっちで貫くのね」
「どっちで貫くつもりだったのよ?」
「もちろん、ちん――ぷぎゅッ!」
枝から飛び降りた少女が、俺の顔面に足を揃えて着地したので、鼻血を吹きながら後ろに倒れる。
「ぎぃぃぃ」
最後の一匹となった小鬼は、並びの悪い歯を擦り合わせていた。
仲間を見捨てて敗走してくれるならばよし、復讐心に燃えて襲いかかってきても、一撃必殺で小鬼を仕留めた少女との二対一なら、こちらに勝ち目がある。
顔を拭った俺は腰からロングソードを抜くと、吐き気に襲われて鞘に戻した。
トラウマというものは、そんな簡単に克服できないらしいので、弓矢の弦を引く少女の背中に回り込んだ。
「どこのどなたか存じませんが、残りの一匹もお願いします」
「あんた、とことん情けないわね。女の子を盾にして恥ずかしくないの?」
「ええ、まったく」
「あんたみたい男が、私の婚約者とはね」
「え?」
三本目の矢が小鬼を射抜くと、森から邪悪な気配が消えて、木々に小鳥が舞い戻り、草むらから小さなウサギが顔を覗かせた。
俺の聞き間違いだろうか。
「お前が、俺の婚約者だって?」
「ええ、そうよ」
俺を小鬼から救ってくれたエルフの少女は、天涯孤独の身の上を案じた下宿の婆さんが、見境なく決めてきた婚約者の一人らしい。
「そうとも知らずに助けてもらって、俺はなんて申し訳ないことをしたんだ」
「私は結婚相手に強さを求めていないし、養ってくれる甲斐性があれば気にしない。私の名前はリリン・スズノネよ」
「リリン、俺はチーズフォンデュ・オン・カールライス、カールと呼んでくれ」
「変わった名前ね?」
「孤児の俺を拾ってくれたゲテモノ食いの神父が、好きな食べ物から適当に決めたらしいぜ」
俺は撒き散らした硬貨を広い集めると、革財布に戻してからリリンに頭を下げた。
「何度も謝らないで良いよ」
「いいや、リリンが婚約者だと知っていたら、俺は命を助けてもらうわけにはいかなかった。だから申し訳なくて」
「どうして?」
顔を上げた俺は、正面からリリンの顔を見る。
銀髪は外ハネのショートボブ、大きくて少し釣り上がった丸い目は子猫のようで、ちょんと上向いた鼻は小生意気な感じ、小さく窄んだピンク色の唇、シャープに引き締まった顎のライン、歳頃は俺と同じく十代後半に見える。
そして服装は、生成り色のシャツに、若草色の胸当て、揃いのバトルスカート、白いタイツを履いた脚には短剣を収めた革ベルトをしていた。
非の打ち所がない美少女であり、先程の弓矢の腕前を見れば、深い森にあって生活力もありそうだ。
俺のようなヘタレな男には、勿体無い婚約者である。
「リリンには、本当に申し訳ない」
「だから、べつに結婚相手に強さを求めてないと――」
「断りにきた相手に、命を救ってもらうのはさ」
リリンは、俺から断られるのが想定外だったらしい。
しばし沈黙の後、俺の肩を掴んで前後に揺する。
「こ、断る? え、カールは、私との婚約を解消にきたの? え、どうして? 自分で言うのもなんだけど、私の容姿は、男好きする美形だと思うわ」
「ああ、そこに異論はない。リリンは、確かに申し分ない美少女に見える」
「そうでしょう?」
「俺も下宿の婆さんに、婚活用の肖像画を見せられたとき、二つ返事で了承したくらいだ。リリンに会えば肖像画どおり、俺の理想とする美少女だった」
「ならば、どうして婚約を解消する必要があるの?」
俺は黙って、リリンのショートボブから突き出た長い耳を指差した。
深い森で暮らす未婚の美少女リリンは、サイトピンとスタビライザー付きの弓矢を携えて、若草色の装備に身を包んだエルフである。
エルフと言えば長寿命で年齢不詳、見た目が俺と同じ十代後半でも、実年齢が十代後半とは限らない。
しかも亜人の中でも、とくに純血主義の強いエルフが、わざわざ異種間結婚を希望しているのであれば、同族から相手にされず、適齢期を遥かに過ぎて、結婚を焦っている行き遅れの年増エルフに違いない。
「愛さえあれば、歳の差なんて気にしないものでしょう?」
リリンは、長い耳を気にしている俺が、自分との歳の差を疑っていると考えて、愛しているならば、些細な問題だと言っている。
俺たちは初対面なのに、そこに愛があるのか。
「もちろん俺だって、見た目が美少女ならば歳の差は気にしない。問題の本質は、そこじゃないところにある」
「どこよ?」
「リリンが同族から相手にされず、俺との異種間結婚を希望しているのは、美貌をもってしても補えない性格の悪さにある」
「出会ったばかりで、私のことを何も知らないくせに馬鹿を言うな」
「ではリリンに問いたい。小鬼如きに命乞いをする人間の男と、なぜ婚約を解消する気にならんのか。俺が女の子なら、そんなヘタレな男との結婚なんてお断りだぜ」
「え、やっぱり私に助けられたことを恥じているのか?」
「いいや。むしろ俺としては、リリンのように守ってくれる強い嫁さんは有難い。しかし、その好条件がゆえに、結婚を焦るエルフに腹黒さを感じずにいられない」
「何それ?」
巨木の根本に腰を下ろしたリリンは、額に手を当ててため息を吐いた。
「つまりカールは、自分みたいな男との結婚を焦っているエルフには、後ろめたい秘密があると疑っているのね」
「端的に言えば、そうだね」
「私に後ろめたい秘密なんてないよ。年齢だって、カールと然程変わらないし、結婚を焦っているつもりもない」
「では、そういうことで――」
俺は彼女が婚約解消を受け入れたと考えて、人間の街に引き返そうとしたのだが、リリンが俺の脚に追い縋る。
「まてまてっ、それでも私には、カールと婚約を解消するつもりはない! 秘密はないけど、人間と結婚したい事情ならある」
「ほう、どんな事情だ」
「カールも、エルフが純血主義なのは知っているだろう。私の母親は純血のエルフなのだが、死んだ父親が人間との混血ハーフエルフなんだ」
「ああ、なるほど。だからエルフ同士の結婚を諦めて、人間との異種間結婚を望んでいるのか。でも結婚を焦ってないなら、気長に相手を探せば良いだろう?」
「エルフと人間は、寿命も違えば老い方も違う。普通の男であれば、エルフとの異種間結婚に尻込みして当然だ。年老いた人間の夫が、若々しいエルフ妻の浮気を疑って、無理心中なんて悲劇も聞く。じつのところ、人間の結婚紹介所に登録しても梨の礫だったわ」
下宿の婆さんは、結婚紹介所からあぶれたリリンを俺に押し付けたのか。
リリンと話してみれば事情もわかり、それはそれで構わないのだが、そうなると問題は俺の事情にある。
「あー、そう言われてもなあ……。じつはリリンとは婚約を解消するつもりだったし、下宿の婆さんからは、他にも婚約者を紹介されている。うちの婆さん少しボケてて、手当たり次第に俺の結婚話をまとめてきちまうんだ」
「えーっ、冗談ではない! 私が聞いた話では、カールが結婚に前向きだと言うから、エルフ村の友人が結婚式を準備して待っているんだ。私がカールを村に連れて帰らなければ、村の笑い者じゃないか」
「なんで見ず知らずの俺と、初対面と同時に結婚するつもりなんだ? リリンは、エルフのくせに生き急ぎ過ぎだ」
「チャンスは最大限に活かす、それが私の主義だ」
「ダメダメ、やっぱり性格の不一致。リリンとの婚約は解消して、初志貫徹させてもらう」
俺は、脚に追い縋るリリンを引き摺りながら歩き始めた。
エルフが『お願いします! チャンスをください!』と、半べそで頼み込むので、さすがに無視して人間の街に戻るのは気が引ける。
なんだかんだ下宿の婆さんに紹介されたとき、美しく着飾った彼女の肖像画を見て、自分なんかに勿体無い嫁さんだと、二つ返事で食いついたのは、何を隠そう俺なのだ。
「わかったよ」
「わかってくれたのか?」
「ただリリン、さっきも言ったけど、俺には下宿の婆さんが見境なく持ち込んでくる結婚話が他にもある」
「うん」
「その娘らを訪ね歩いて、ちゃんとお断りしない限り、リリンと婚約することは出来ない」
「そ、そうだね……、カールにも事情があるものね」
「そうだ。俺にも事情がある」
「でも、あれなんだろう? 他の婚約者との婚約解消が済めば、私を正式な婚約者にしてくれるんだよな」
俺は『まあな』と、リリンから視線を逸して頷いた。
曖昧な態度でやり過ごしたのは、下宿の婆さんから渡された婚活用の肖像画には、リリンとは、違ったタイプで好みの美少女がいたからだ。
見た目だけなら俺との結婚を熱望するエルフは、ずば抜けて美少女ではあるのだが、正直に言えば、結婚に対する執念めいたところが病的で怖い。
俺は本来、女の子からの好意を断らない。
そもそも街では、剣術もダメ、魔法もダメ、勉強もダメ、容姿だってダメじゃない程度にしか評価されない俺に、好意を寄せる女の子はいない。
だから、あくまで俺に好意を抱く女の子がいれば、絶対に断らないだろうとの仮定である。
でも選べる身分になれば、選り好みするものだ。
立場が変われば、見方も変わる。
「そういうことならばカール、今夜はエルフ村で泊まっていくが良いだろう。私の母親も喜ぶし、結婚式で振舞うはずだった料理も無駄にならない」
「おい、なし崩しに既成事実を作ろとしてないか」
「してない、してない。友人たちには、私からカールの事情を説明する」
「本当かよ」
「エルフの神に誓っても良い」
森を見上げれば、横から差し込んだ夕日で木々が染まっている。
脇差にした長剣が抜けなければ、小鬼たちの住んでいる森を日が暮れて街まで歩くのは、ちょっと怖い気がした。
ここはリリンの言葉に甘えて、村に一晩泊めてもらうのが得策だ。
「エルフ村には泊めてもらうが、余計な真似をするなよ」
「しない、何もしないよ」
リリンは俺の腕を取ると、甘えた仕草で身体を預けてきた。
俺は本来、女の子の好意を断らない。
と、つい先ほどまで思っていた。
しばらく歩くと辺りが暗くなり、森の開けた場所に松明の灯が見える。
俺は木で作られたエルフ村の外壁が見えてきたので、身体を寄り添わせていたエルフの頭を手で押し返した。
「お、リリンが婚約者を連れて戻ってきたぞ!」
「どれどれ、しまらねえ顔した人間だなあ」
「そいつが、リリンのお婿さんなのか?」
リリンが『そうだよ!』と、笑顔で手を振っているのは可愛らしかった。
しかし俺なんかを婚約者として紹介して、本当に良いのだろうか。




