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「叫ぶ女」 (夏のホラー2019投稿作品)

作者: pDOG


 これは、私が看護師として勤め、三年目の夏に体験した出来事です。


 その年の夏は毎日のように天気予報で「記録的猛暑」という言葉が出てくるくらい暑く、私の働く病院にも何人もの熱中症患者さんが運ばれてきました。


 よく覚えています。


 ただでさえ忘れられないとても印象的な夏でした。しかし私はその夜、一生忘れられないであろう体験をしたのです。





「沙耶、あの噂知ってる?」


 同僚の看護師が目を輝かせて私の顔を覗き込んでいました。沙耶とは私の名前です。


 この同僚は私の先輩にあたる人で石崎さんと言います。


 とにかく底抜けに明るくてお喋り、お節介なのがたまに傷ですがいつも楽しい話を聞かせてくれるので患者さんからもとても慕われているベテラン看護師です。


 私は石崎さんと当直になるのが密かに楽しみにするほどだったのですが、その夜は少しだけいつもと様子が違いました。


 明るくて、まるで澄んだピアノの音を思い出させるような石崎さんの声が、一段も二段も低くて、まるで話すこと自体を恐れているように震えていたからです。


 その日の当直は私と石崎さんの二人きりでした。ナースセンターは煌煌と灯りがともり、程よいエアコンの風が吹き抜けていきます。


 とても快適、だったはずなのに、私は石崎さんに話しかけられた時に全身から汗が吹き出すのを感じました。


「噂、ですか?」


 私は鸚鵡返しに聞き返します。


「あれよあれ。」


 勿体ぶる彼女。


「“叫ぶ幽霊”の噂よ。」


 私は全身を流れる汗の理由に気がつきました。彼女の声が低かったことにも納得できました。暑い夏の夜、特に問題も起こらず手持ち無沙汰だった石崎さんは私を捕まえて怪談話でもしようと思ったのでしょう。


 私はそういった怖い話が大嫌いと言うか本当に苦手で、怖がりの私をよく皆がからかいにくるのです。


 多分、彼女の目的もそうでしょう。


「ちょ、ちょっとやめてくださいよ。私はそっちの話苦手なんですからぁ。」


 私は引きつった笑い顔で先輩にそう懇願しました。


 しかし石崎さんは私という獲物を離そうとはしませんでした。よほど暇だったのでしょう。流石に隣に座ってくるような真似はしませんが前かがみになり、さらに話を続けようとします。


 お節介焼きで話好きの石崎さんは基本的にはいい人なのですが、こういう時には本当に鬱陶しい人になります。


「聞いたことあるでしょ?最近出てきた叫ぶ女幽霊の噂よ。」


 私は心の中であーしつこい、と漏らしながらもその噂話を思い出していました。


 私の働く病院にも他の病院の例に漏れず、七不思議のようなものがありました。築四十年、長年この土地で愛されてきた老舗?の病院です。それはもう怪談話にも事欠かない建物ではあったのですが、実際に勤めてみるとそれはただの噂話で、私は三年間一度も怖い出来事に出会った事はありません。


 そんな噂話だけは多い私の職場に、この夏の新商品とばかりに最近追加された話、それが“叫ぶ幽霊”でした。


「え、ええ、聞いた事はありますよ。西棟の三階にでる(・・)って噂くらいは。」


「西棟ってここよね?三階って、ここよね?」


 怯えた様子を見せながらも話に乗ってきた私に、彼女は益々顔を近づけてきます。目の中は星が飛び交っているかのように輝いていました。


 でも、対照的に石崎さんの黒髪がやけに暗かったのを覚えています。


 石崎さんが何を言わんとしているのかを私は悟っていました。西棟三階のナースセンター、この近くに幽霊が出るのだと言いたいのです。怖がらせようという魂胆が見え見えでした。


「そ、そうですね。」


 それでも恐怖症に近いくらい怖い話が苦手な私は、勝手に強張る身体を抱きしめながら返事をしました。


「知ってるでしょう?302号室の田中さんも307号室の角川さんも見たって言うのよ。」


 確かに噂話だけは聞いています。石崎さんは声のトーンを落としていかにも、といった雰囲気を作って私をさらに怖がらせようとします。しかしこれは逆効果でした。看護師の中に目撃者は一人もいなかったからです。もちろん私も見た事はありません。一番病院に寝泊まりして夜中も起きている自分達が見てないし何も聞いていないのですから、それはもう本当に噂でしかないと証明しているようなものです。


 私は「そうみたいですね。」と軽く相槌を打ちました。


「ふうん。」


 そんな私を見て石崎さんは少しつまらなそうに鼻を鳴らしました。きっと私の反応が予想より冷めていたからでしょう。


 ふふん、今まで何度か怖い思いをさせられたけど今夜は私の勝ち、そんな気分でした。


 その時です。


「なんで叫ぶのかしらね?」

「え?」


 彼女は不意に質問をしてきました。


「さ、さあ?」


 なんでなんだろう?言われてみれば不思議な話です。病院に出る幽霊は数あれど、大抵無念な思いや怨みを持って出てくるはず。出てきて叫ぶって、言われてみればなんだそりゃ、といった感じです。



「私はね『怖かったんだ。』って伝えたいんだと思うのよ。」



 首を傾げながら石崎さんは自分の見解を話しだしました。



「死ぬ瞬間のあの怖さをきっとわかって欲しいんだと思うの。」


「へ、へえ。」



 全身に嫌な汗が流れます。本当にこういう話は苦手なんです。


 石崎さんの手が、デスクの上にある私の手に重ねられました。




(冷たっ!)




 水仕事をしたばかりのような冷え切った手




(あれ?)




 なんでこんなに冷えて?




 よく見ると本当に濡れていて




 私が驚いて石崎さんを見上げた時






 彼女は耳をつんざくような悲鳴を上げました





 石崎さんの全身はずぶ濡れで、黒髪も衣服も泥だらけになっており、異様に血の気のない肌は白というよりもはや青黒くもあり、血走った目が真正面を見据えて




 鼓膜が破れるかと思うような悲鳴が続く中、私は気を失いました。






 私は早朝出勤してきた同僚に起こされました。居眠りしていた事を看護師長に報告されてこっ酷く叱られました。


 叫ぶ幽霊、石崎さんの事を話しましたが誰も信じてくれませんでした。


 そう、石崎さんは先週海で亡くなったと聞かされたはずでした。



 私はこの事件があってから、もう一度彼女の仏前に花を供え、線香を立てて拝みに行きました。


 憔悴しきった彼女のお母さんは、お葬式の時よりさらに痩せたようでした。


 私の顔を覚えていてくれて、よく来てくれたねえ、と暖かく迎え入れてくれました。



 彼女の幽霊が出て脅かされた事をお母さんに伝えると、お母さんはあれあれ、と呆れた顔をしました。


「全く、呆れた子だよ。いくつになっても脅かしたり悪戯したり。しょうがない、子だよ、まったく。」


 お母さんのすすり泣きはいつまでも続きました。



 それから、私はもう二度と石崎さんの幽霊を見る事はありませんでした。



 でも患者さんの間では未だに“叫ぶ幽霊”の噂が広まっています。




 ──── 西棟三階に叫ぶ女の幽霊が出る




 案外、今でも楽しげに脅かして回っているのかも知れません。


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― 新着の感想 ―
[気になる点] なんでこの類いの話って、主人公は相手が死んだ事を忘れて話してるんだろうね。何かの病気かな?
[良い点] 読みやすいし、ドキドキする場面があって良かったです。何より、後日談の後味が良くて、なんだか暖かい気持ちになれました。
[一言] 今年一作目の夏ホラー作品を楽しませて頂きました! 回想形式の一人称語りがネット掲示板の怪談っぽくもあり、ハラハラしながら読み進めました。語られている通りの幽霊譚なのか、それともヒトコワ系の…
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