死にたいわたしたちへ
×月×日
これがだれかの目に触れているとき、わたしはこの世にいないでしょう。
こういう書き出しをするのはいつだってヒロイックな女だけだと思っていました。
いえ、実際わたしは酷くヒロイックな女なのでしょう。
はじめに違和感を感じたのはいつだったか。
にこにこすることに疲れを感じたのが最初でしたか。
わたし、皆さんが思っているほどおおらかでも、穏やかでもないんです。
それを隠してにこにこしてるのってすごくストレスがかかるんですよね。
隠しきれているとは思いません。わたしの拙い嘘なんて見抜ける人はたくさんいるでしょうから。
それでも誰も何も言わなかったのは、わたしの嘘にのっかったのは、そのほうが都合がよかったからですよね?
誰かのために、誰かを不安にさせないためにって頑張るわたしの気持ちを便利に使ってたんですよね?
言わないですけど。
誰かの都合で予定が変わるのについていけないことって、わたしのせいですか。
誰かのしわよせを食ったわたしが自分の仕事を満足に時間内に終えられないことはそんなに罵倒されるべきことですか。
仕事の都合くらい自分でつけたらどうなんですか。
あなたがそうやって無責任にやらかした穴埋めを、ひととして当たり前のように行うべき行為を放棄した代償を、わたしが支払わなければならないのですか。
当たり散らされることって、わたしのせいですか。
相手の気持ち、ちょっと考えたらわかりませんか。
こういう言われ方したらいやだろうなとか、自分がイライラしてて余裕ないから話しかけるのは後にしようかなとか、そういった気遣いもできませんか。
笑ってるのは気にしてないからじゃないです。怒ってないからじゃないです。
あなたと同じ場所まで落ちたら収拾がつかないから、歯を食いしばって手に爪を食い込ませて耐えているだけです。
ねえ、わたしの価値って何ですか。
仕事柄、女だからと非力さをカバーしてもらったり体調不良を受け入れてもらったりすることはできません。
それでもなにか感情に任せて行動すれば「これだから女は」と。
恋人のいない女はだめだ、結婚しないで仕事ばかりしている女はだめだ、結婚して子供を産まない女はだめだ、男を立てられない女はだめだ、学のある女はだめだ、だめだ、だめだ……。
そうやってカテゴライズされ、見下されるような、こんな存在に価値はありますか。
でもきっとこれは全部ブーメランなんです。
結局自分のできないことを人に当たり散らしているだけで、結局わたし一人が馬鹿なだけで。
世の中、こんな不満くらいなんてことないやって笑い飛ばしていかなきゃ、ひととして恥ずかしくて。
ああ
死にたいなあ
生きていたってなにもないじゃないですか。
なにもないなら、わたしが生きてても死んでもなにも変わりません。
わたし一人いなくなっても明日はくるし、生きている人間は寝て起きてご飯を食べてやることやって、それで終わりです。
悲しむ人がいる?
親からもらった命を無駄にするな?
笑わせないでくださいよ。
それは誰かに必要とされていることを自覚できる人間の話です。
誰かに必要とされているかもしれないと思いながら、それを心から信じられる強さを持たない人間にはその言葉すら凶器です。
弱い人間だと笑わば笑え。
不適合者だと罵りたければ好きなだけ罵ればいい。
わたしだって、そんな「幸福な」あなたたちと分かり合えるだなんて思っていません。
ヒロイック。
そう、わたし、ヒロイックなんです。
世界から一人だけ切り離されたみたいなこの感覚を、絶望だと言うその口で、甘く感じるわたしがいる。
わたしは我が身が何より可愛く、そんな可愛い我が身を大切にしてくれない、わたしにとって不都合な世界が気に食わないと駄々をこねているだけの、こども。
彼女がささやくのです。
見て見ぬふりをし続けていたわたしに艶やかに微笑みながら。
「わたしが死ねば、世界への復讐になるわよ」
などと。
長くなりました。
思ったことを思うままに書いていたらこんな支離滅裂な文章になってしまいました。
まあ、それもよいのでしょう。
死を覚悟した人間など、どうせ常人から見れば支離滅裂な存在でしょうから。
それでは。
パソコンのモニターを人差し指でなぞる。
白い画面が指の動きに合わせて拭き清められ、光沢を取り戻す。
この使い古されたパソコンに残された文字を見るのは二度目だった。
支離滅裂に、しかし思いのままに書きなぐられたこれを、今わたしは新鮮な心持ちで見つめている。
誰にも見届けられなかった思いのたけは、とどのつまりわたしの中だけで終わった。
わたしの苦悩も絶望も日の目を見ることはなく。
あの日、わたしはベッドの上で目を覚ましたのだ。
自分の吐瀉物がまとわりついた口元や髪の毛から悪臭を放ちながら。
ぐるぐると回転する視界に吐き気をもよおしながら。
ぴろぴろと鳴りやまぬ職場からのラブコールで、十数時間ぶりに、それでも確かに目を覚ました。
とっくに始業時間をまわっていることを示す時計のガラスに、呆けたような自分の顔がうつっていた。
死にそびれた。
結論は、ただそれだけ。
それからもいろいろあったけれど、死にたいと感じて行動し、死にそびれたという結果だけがやはりすべてだった。
仕事を変えた。実家に帰った。人間関係は僅かを残して再編された。
それでも思考が大きく変わることはない。
死を覚悟して死にそびれたって、わたしはやっぱりちいさなことで死にたくなる。
それはちょっとした仕事の失敗だったり、ささいなことから生じた気持ちのすれ違いだったり、ぎくしゃくした人間関係だったり。
誰もが当たり前のように感じて、上手に飲み下していくそんなちいさなことがわたしには受け入れられない。
ただ、ほんの少しだけ。
そんなわたしに「あきらめ」を。
明日に、世界に、自分自身に希望を持てないなら、ほんの少しのあきらめを。
「こんなもんさ」と言えるだけのちっぽけな気持ちを持てたらいいと思う。
わたしのこの声は届いていますか。
受け入れてもらえなくていい、ただ知ってくれればうれしい。
名も知らぬ、同じ思いのわたしたち。
死にたいわたしたちへ。
完結と銘打つのに2年を必要としました。
死にたいという思いを共有できる、どこかにいるわたしたちへ。
「わたし」の声は届いていますか。
もし届いているなら、「わたし」のこの声を受け取ってくれたなら。
死にたいわたしたちへ。
わたしたちがここにいてくれることが、「わたし」は、とてもうれしい。
「わたし」と同じ思いをしているわたしたちがこの空の下にいてくれることがとてもとてもうれしい。
だから皮肉に聞こえるだろうけれど、あえて使い古されたこの言葉を結びに送ります。
あなたが生きていてくれて、よかった。