1-7 カウント0
萌は、これ以上ないぐらいに優しく呼び掛けた。
「もう、いいんだ」
「はぁ? いいってなんだよ!? 認めねえ、俺は認めねえぞ!」
「いいんだ! 構わないでくれ!」
萌は俊平を思いきり突き飛ばして立ち上がると、素早くドアのノブに手を掛けた。
「萌!」
「モエモエ!」
二人の呼び掛けに振り返った萌は、微笑みながらも、ゆっくりと頭を左右に振った。
「どうせ爆発するなら、犠牲者は少ない方がいいだろ?」
「萌……」
俊平の伸ばした手が、所在なげにゆっくりと下がっていき、力一杯握り締められる。萌はそれを見て、満足そうに笑ってみせた。
気が緩んだのか、視界が滲む。萌は、左手でそっと拭った。
「頼むから、二人には来ないでほしいんだ。――いや、ごめん。命令。『来るな』です。巻き込みたくないから」
「ごめん……。本当にごめんね、モエモエ……。あたしが呼んだせいで、こんな……」
「大丈夫だよ、伊藤さん」
萌はこけしを振りつつ、はにかんだ。
「今日外に出なければこけしに出会わなかったかもなんて、誰にも予測出来ないよ。伊藤さんのせいじゃない」
「モエモエ……」
「二人とも、素敵な友達だったよ。――あ、最後に一つ、俺の家族に伝えてほしいんだ。『みんな、大好きだったよ』って」
「自分で言えよ、畜生……」
俊平も、涙を必死に堪えている。萌はその歪んだ顔を見て、不思議と可笑しくなった。
「ごめんね。――それじゃっ!」
萌はドアを開けて廊下を駆けた。背後から萌の名を絶叫する二人の声が聞こえる。
後ろ髪を引かれるって、こういうときに使うのかな……。
萌は、泣き出さないよう懸命に歯を食い縛りつつ、とりとめのない思考で頭を埋めた。
生まれてから今までの出来事が、怒濤のように押し寄せてくる。ビニールプールで危うく溺れかけたこと、姉のお下がりを着せられて猛烈に反発したこと、一家総出の運動会がたちまちサイン会になってしまったこと、自分で誕生日ケーキを注文したのに「おたんじょうびおめでとう もえちゃん」とちゃんづけで書かれてしまい、家族に大笑いされたこと……。ついさっきまで忘れていたのに、こんなつまらない事ばかり思い出す。
今、分かったよ……。この思い出全部、かけがえのない幸せの欠片だ。
階段を降りて玄関の扉を勢いよく開ける。こけしのタイマーは残り二十秒だ。
「萌ー!」
上を見ると、部屋の窓から俊平が身を乗り出して叫んでいた。
「ごめーん、庭汚しちゃうかもー」
「お前、なんでそんなに達観しちゃえるんだよ! ちえりなんか泣きまくりだよ! もうありえねえよ!」
「ごめんねー」
萌自身、何に謝っているのか分からないまま、その場に膝をついて右手だけを思いきり前に伸ばすと、小さく蹲った。
左手を耳に突っ込み、右耳は肩で押さえつける。口を開けておくといいということを唐突に思い出し、大きく口を開ける。もしかしたら小さな爆発で済むかもしれない。後悔のないよう、出来うる限りのことはしておきたかった。
突き出した右手を上目遣いに見やると、手の中のこけしは紫色の目映い光に包まれていた。無事に済みそうな雰囲気は微塵もない。
一○、九、八……。
数字はついに一桁台に突入した。萌は起きがけに亜里紗からカウントダウンされたことを思い出す。なんだかやたらと記憶をほじくり返すのが上手くなった。以前見た本によると、人は危機に直面したさい何か役立つ情報はないかと脳がフル回転するらしく、予想外の閃きによって奇跡の生還を果たす事は本当にあるんだなぁと感心したが、残念ながら、今の萌に現状を打破する名案は思い浮かばなかった。
三、二、一!
萌は大口を開けたまま強く目を瞑り、呼吸を止めた。
光も感覚も、何もかもが消え去ったその直後。
辺りに盛大な音が鳴り響いた。
「――えっ?」
しかしそれは、予想に反し、ファンファーレのような勇壮な管弦楽器の音であった。
萌は、こわごわと薄目を開け、それからゆっくりと目を開いた。
生きてはいる。ちゃんと右手もある。爆発は起こらなかったらしい。
こけしは、紫色の光もすっかり収束し、萌の右手から離れて芝生に転がっていた。胴体の数字は「〇」となっている。
辺りを窺うが、音楽以外に変化はない。こけし側に耳を傾けると音が大きくなることから、どうやら音源はこけし自身のようである。
――この曲って、結婚式のときによく聞く曲だよね。
萌は四つん這いの姿勢からよろよろと立ち上がりつつ、首を巡らせた。
窓を見上げると、同じく茫然自失といった表情の俊平がいた。頭の中は疑問符でいっぱいなのか、口を半開きにしている。萌の視線に気付くと、途端に不敵な笑みを浮かべ、力強くサムアップをしてみせた。萌は力無く笑いつつ、軽く右手を上げてみせる。
大丈夫、いつもの俊平だ。
萌は安堵した。
「おい、ちえり! 萌はピンピンしてるよ! 起きろ!」
一旦引っ込んだ俊平が、歓喜の声で叫んでいた。すぐさま、窓から飛び切りの笑顔をしたちえりが顔を出す。
「よかった……。本当によかった……!」
ちえりは指で涙を拭った。
「そ、そうよね、爆弾なはずないじゃない。ね、岩崎君っ!」
「うん、そうだね」
萌もつられて、先程より幾分ましな笑顔になった。
音楽がずっと鳴り響いているのは気になるが、ひとまず危険は去った。あとは、頼りになる二人の親友とじっくり調査すればいい。
「とりあえず、今から戻るねー」
萌は幼馴染みのコンビに大声で呼び掛けた。
ふと、足の裏にじんわりと冷たい感触が伝わってくる。そういえば靴下だけで外に飛び出していたのだった。そのくせスリッパは脱いでいるあたり、自分の妙な几帳面さに思わず苦笑する。
あはは……、早いところ脱がないとな。
萌は歩きながら、窓を見上げた。二人は笑顔で萌を見ていたが、次の瞬間、その表情がサッと強張る。
「も、萌ー!」
俊平が身を乗り出して絶叫した。
「後ろ、後ろー!」
「え?」
即座に振り向く萌。よもや先程以上の恐怖が待ち構えているのかと、心臓が大きく脈打ったが、手入れの行き届いた庭が広がるだけで、とくに妙な箇所はない。
「岩崎君! 上よ! もうちょい上!」
上?
言葉にならない呟きとともに、萌はやや斜め上に視線を向けた。
そして、ぽかんとした口のまま表情が固まる。
紫色のウェディングドレスを身に纏った少女。
虚空から、そんな映画の一シーンのような存在が、横たわった姿勢で緩やかに降下してきたのだ。
――何だ、これ。
萌は思いきりよろけた。その際、あまりに大きくバランスを崩したため、玉石に足を取られて危うく転倒するところだった。
学生生活の取るに足らない一日だったはずの今日は、突如として自己主張を始めた。爆弾騒ぎだけで、充分一生モノの思い出である。
それに味をしめたのか、はたまた見えざる宇宙の意思なのか。今日という日は、まだまだ萌達を解放してくれないようであった。




