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14才の萌  作者: らう゛ぃ
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1-5 爆弾発言

 失禁しなかったのが不思議なくらいである。喉が張り裂けんばかりに絶叫した萌は、壁に反響した自分の声で激しく耳鳴りを起こした。突然の大音響に、三半規管がパニックに陥ったらしく、衝撃で頭が揺さぶられ、意識が一瞬朦朧とする。


「どうした、萌っ!?」


 すぐさま、廊下を猛烈な勢いで疾走する音が耳に飛び込んでくる。


「何かあったの、岩崎君! 大丈夫!?」

「い、いや……なんでもない、よ……」

「嘘っ! 今の叫び声、只事じゃなかったわよ!?」

「あ、後で話す! だから、今は待って!」


 心配してくれるのは嬉しいが、流石にトイレにまで入られるのは気まずい。萌はひとまず、洗面台の上にこけしを置こうとした。


「あっ……、あれ?」


 しかし、こけしは萌の右手の平にくっついたまま外れない。指の腹たった一つ分ですら、接着剤で貼り付けたかのように剥がせない。

 紫色のおかっぱ頭と胴体は、紛れもなく道で見かけたあのこけしである。

 萌は全身から血の気が引いた。平衡感覚がおかしくなったのか、トイレの景色がぐにゃりと歪む。厳冬の猛吹雪の中、裸で氷の風呂に浸かったかのように体が総毛立った。

 ありえない、ありえない、ありえない……。

 萌は小刻みに頭を振りつつ、洗面台に腰を押しつけるようにしてもたれかかった。左手でおもむろに頬を叩く。躊躇した気がするので、もう一度、今度は気合いを入れて。

 しかし、ちっとも痛くない。

 鏡の中の自分は、口を半開きにしてすっかり(ほう)けている。今にも泣き出しそうな顔だ。

 萌は、シャツの胸元をねじるようにして握り締めた。右手のこけしは依然として外れない。呼吸が荒くなり、耳たぶが激しく脈を打つ。心臓が雑巾を絞ったようにきつく絞め付けられる。

 苦しい、気持ち悪い……。誰か、助けて……。


「――か! おい、本当に大丈夫か!?」


 不意に、トイレのドアを連打する俊平の声が聞こえた。はっと我に返る。


「どう、岩崎君? 救急車呼ぶ?」


 さっきからずっと声をかけてくれていたのだろう。ちえりの心配そうな声も耳に届く。

 二人が必死に呼び掛けてくれたおかげで、萌も何とか僅かに残っていた理性を掻き集めることができた。


「う、うん、大丈夫……。部屋で、待ってて……」


 出来るだけ落ち着いた感じに聞こえるよう、努めてゆっくりとした口調で話す萌。

 ――ありがとう、二人とも。

 萌は、先程とは違う涙が溢れそうになった。


 萌はその後、左手だけを使ってなんとか用を足した。ファスナーを引き上げるのが思いの外難しかったが、とりあえず手を洗って外に出る。


「おいっ! 大丈夫か、萌?」


 トイレの前には、心配そうな顔の俊平とちえりが待っていてくれた。

「岩崎君、大丈夫? 顔色、優れないみたいだけど」


 萌は軽く頷くと、右手を二人の目の前に持ち上げてみせた。


「――こけし?」


 俊平は怪訝な顔をした。


「それで、何で絶叫するんだ?」

「持ってなかったんだ」


 言葉に出すと改めてその異常さが分かる。

 萌は身震いしたのち、ゆっくりと繰り返した。


「持って、なかったんだよ」

「持ってなかった?」


 ちえりが自分で確認するように尋ねた。


「突然出現したの?」

「おいおい、ちえり。考えてモノ喋れよ。そんな与太話を真に受けるか、フツー?」


 俊平は半笑いでちえりの肩を押した。しかし、萌の顔を見てたちまち表情が凍りつく。


「マジ……か?」

「うん」


 萌は蒼白な顔で頷いた。


「部屋に戻って話すよ……。ちょっと、しんどい……」


 萌は真っ直ぐ歩こうとした。少し足元がふらついてしまい、慌てて俊平が支える。そのまま肩を貸してもらいつつ、なんとか部屋のウォーターベッドまで辿り着くことが出来た。


「岩崎君。つらいようなら、横になってもいいからね」

「大丈夫、これで」


 萌は手で制した。それを右手で行ってしまい、嫌でもこけしが目に入る。

 ――駄目だ駄目だ、こんな事で滅入ってちゃ。

 萌は自分を奮い立たせると、二人のほうをおもむろに見た。


「実は、このこけしと最初に出くわしたのは、俊平の家に来る途中だったんだ」


 二人とも真摯に耳を傾けてくれている。何気ない事だが、それが非常に心強い。


「俺が歩いてると、なぜか道の真ん中に立ってて……。それで、近くにゴミ捨て場があったから、子供の悪戯かと思って、袋に捨てたんだ」

「捨てた!?」


 俊平が大声を出した。


「おいおい、だってそこに……!」

「静かに! ――岩崎君、続けて」


 ちえりが先を促す。萌は頷いた。


「そのあと、これでよしと思って額を拭ったら……、いつの間にかこけしを握ってたんだ」


 自分でも呆れるほど説得力のない話だが、事実なのだから仕方がない。

 異様に喉が渇く。カラカラだ。萌は唾を飲み込んだ。


「疲れてるのかなと思って、もういっぺん袋に入れたら、今度は問題なく入ったままだったからすっかり安心してたんだ。で、それっきり忘れてて、さっきトイレに行ったら……」

「突然出現した。そういうわけね?」


 ちえりは萌の台詞を引き継いだ。


「大丈夫、落ち着いて、気を楽にして……。それで、他に何か、気付いたことはある?」

「手から外れないんだ」

「――分かったわ。それじゃあ、まずはよく見せて」


 彼女も異常な事態に混乱しているだろうが、そんな素振りは微塵も見せない。ちえりは萌の右手をそっと包み込むようにして握ると、紫色のこけしを様々な角度から調べた。


「元々こけしっていうのは、東北の温泉地で土産物として売られていた、人形の玩具なの。でも、全身紫色っていうのは聞いた事がないわね……。パソコン、借りるわよ」

 ちえりは俊平の返事を待たずにネットでこけしを検索した。ずらりとこけしに関するページが出現し、そのうちの幾つかを開いていく。画像がふんだんに使用されているページが多く、調べるにはうってつけなのだが、全てのこけしがこちらを凝視している気がして、萌にはとても正視できなかった。


「こけしには沢山の系統があるの。岩崎君の手にあるのは津軽系かしら。でも、全身紫っていうのは、やっぱりどの系統にも存在しないみたいね」

「お、おいっ……!」


 突如、俊平が萌の右手を指差した。


「萌……。これって、一応こけしだよな」

「う、うん。多分……」

「なんか、妙な数字が浮き出てきたぞ」

「えぇっ!?」


 慌ててこけしの正面を見ると、胴体部分に三つの漢数字が出現していた。クセのある筆字で縦に並んでおり、二九五、二九四、二九三……と徐々に減少している。どうやら三桁の数字を表しているらしく、一秒ごとに一つずつ少なくなっているようだ。

 何だっけ、こういうの……。映画でよく目にする光景だよね、大抵クライマックスで出てくるんだ。解体不可能なときは遠くへ放り投げて爆発炎上、主人公達は助かってめでたしめでたしってやつ。――あれ? でもその技、手に張り付いてたら使えな……。

 そこまで思い巡らせた途端、萌の歯は、まるでそれ自身が意志を持ってしまったかのように、カチカチと恐怖のリズムを撒き散らし始めた。


「――これってよぉ」


 俊平が、ごくりと喉を鳴らした。


「もしかして……爆弾か?」


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