6-2 男らしさ
「おい、待てちえり」
俊平が、すっかりラヴィの術中に嵌ってしまったちえりの肩を押さえた。
「落ち着けよ……。いいか、奴の言葉は口から出任せだ」
「え? だ、だって……!」
「でっち上げに焦る気持ちは分かる……。だから、もう一度言うぜ? いいか。口から、出任せだ」
「――! あっ、あぁ~!」
ちえりはしきりに頷いた。萌も相当頭が茹だっているが、何とか理解する。
つまり、これはラヴィが語るだけなのだから、萌達が否定してしまえばそれまでなのである。さすが俊平、悪事に長けている……もとい、冷静沈着である。
「ところでよぉ、まるで見てきたように言うじゃねえか。どこから見てたんだよ」
「んむ、透明な監視ボールを飛ばしていたんだ」
ラヴィは空中を指差した。
「今もあの辺を飛んでいるぞ」
「うへぇ、本当に何でもありだな。畜生、俺に貸せ」
「絶対悪用するから駄目だ」
「――その『駄目』は、いくら積めば『OK』に変わるんだ?」
「コラー!」
萌が肩をつかんだ。
「駄目なものは駄目に決まってるだろ!?」
「おいおい、俺は巨悪を滅ぼすために使うだけだぜ?」
「手段が買収に見えたのは気のせい?」
「大事の前の小事ってやつさ」
俊平の目尻はだらしなく垂れ下がり、頬も緩みきっている。絶対違うことに使うだろう。
「おバカな変態が買えるのは、顰蹙と不興だけよ」
ようやく平静さを取り戻したちえりが、犯罪者予備軍の額をぺちりと叩いた。
「ちなみに、ラヴィ。それだけの科学力があるって事は、あなた達の正体は……?」
「んむ、宇宙人だ」
「なるほど……。やっぱりねぇ」
「ま、そんなこったろうと思ったぜ」
ちえりと俊平は、拍子抜けするぐらいあっさりと納得した。
もっとも、今なら何を言われても納得できるだろう。それぐらい驚天動地の一日だった。
「着いたわよ、みんな」
ローズがコインパーキングから黒いワゴン車を出した。各自手にしたペットボトルをゴミ箱に捨てると、助手席にラヴィが乗り込む。
「あのぉ、ローズさん」
ちえりがスカートの裾をつまんだ。
「私達、地面に座ったりして相当汚れてますけど、このまま乗って大丈夫ですか?」
「問題ないわよ。面白がって参加した私も、ちょっと反省すべき点があったしね」
ならばと、後部座席には右から萌、俊平、ちえりと乗っていった。
運転席と助手席の間には、カーナビが設置されていた。画面サイズが若干大きい気がするが、いたって普通のワゴン車である。
「姉さん、ネタばらしデータってどこにある?」
「ダッシュボードの中よ」
「ありがと」
ラヴィはディスクを取り出し、三人に見せた。
「では、今から映像を流すが、黙って見ていてほしい。そして……、出来れば、あまり黒幕を怒らないでやってほしいんだ」
「まあ、僕はそんなに怒ってないし、事情は考慮するけど……」
「俺は無理だからな。パンチ一発じゃ生温いぜ、百万発だな」
「私もねぇ……、ちょっといただけないわ。やり過ぎだもの」
ラヴィはそれを聞き、なぜか慈愛に満ちた表情を浮かべた。
「では、いくぞ」
ラヴィはディスクを投入した。
ほどなく映し出されたのは、中学校の制服を着たラヴィである。
『えー、今から神宮寺羅弥、化学室に突入したいと思います』
「おい、なんでお前がうちの制服着てるんだよ! ってか、神宮寺って誰だ!」
「シッ! 静かに」
ちえりが人差し指を口にあてた。
緑の制服のラヴィは、静かに扉を開けた。
まず目につくのは、教卓代わりの巨大な黒テーブルであった。本来なら広々と使えるはずだが、今は汚れたメスシリンダーや固形物入りの三角フラスコなどが幅を利かせており、実質半分ほどしか使用スペースはない。
ラヴィの視線に沿ってカメラは動いているらしく、左を向くにつれ、次々と黒い木製テーブルが映し出された。大きさは巨大テーブルの半分ほどだが、数は十六台ある。これらは、短いサイド同士で流し台を挟むように細長い一組を作っているのが特徴だ。
その後方の一台に、雑誌や地図を広げた萌達の姿があった。
「えっ!?」
三人は流石に驚きが口をついて出た。声が大きかったためか、ラヴィは映像を一時停止する。
「お前達、謎の解明はこれからだ。一々驚いていては、帰るまでに終わらないぞ」
「だ、だってよぉ……」
「分かったわ」
ちえりが俊平を制した。
「映像中は、極力喋らないようにするから」
「んむ、頼むぞ。では続きからだ」
ラヴィは再生した。
『こんにちは』
映像のラヴィが会釈した。萌達も三者三様に返事をする。ラヴィの話し方や雰囲気は、微妙に今と違う。
『なあに、神宮寺さん?』
画面内のちえりが立ち上がり、ラヴィに近付いた。
『忘れ物?』
『いえ、実はあなた達に用事があって来たんです』
『え。どんな?』
『実は私……、オカルト研究会に入会したいんです』
その途端、画面と車内のちえりが歓喜でシンクロした。
「ちょっと! ラヴィ、入会したの!? これ、いつ? いつの話よ? ――あ」
ラヴィに睨まれ、車内のちえりは慌てて口を噤んだ。画面内のちえりは、『本当に? 本当に?』としきりに確認している。
「ちょっと長いな。飛ばそう」
ちえりが恐縮する中、ラヴィは映像を早送りした。
「この辺からかな」
再生すると、画面内のラヴィはすでにちえりの横に座っていた。実験時は一班一台で、通常は四人で座るので、全ての座席が埋まった事になる。
カメラはラヴィの後頭部から離れ、四人の表情を真横から捉えていた。位置的には流し台のすぐ上なので、さっき言っていた「透明なボール」で撮っていたのだろう。
なお、画面内のちえりは非常に機嫌が良さそうだった。結構分かりやすい性格である。
『今日は大した活動してないのよ。占い雑誌の検証』
『懸賞? 何か欲しい物があるんですか?』
『あ、うぅん。占いの信憑性を確認してたの。この雑誌の占い、よく当たるって評判なんだけど、実際はどうなのかなって』
『でもよぉ、わざわざ先月号を持ってくるほどの事じゃねえよな。――ったく、夢見る乙女なのか現実的な女なのか、ハッキリしてくれよ』
『五月蝿いわね』
『それで、どうだったんです?』
ちえりは、星座占いのページの一角を指差した。
『占いによると、牡牛座のあなた……岩崎君のことね、は、異性との劇的な出会いあり。ラッキーアイテムはこけしで、ラッキーカラーは紫ってことだけど……』
画面の萌は、半笑いで手を振った。
『今のところ、当たる気配は欠片もないよ』
「いや、大当たりじゃねえか」
俊平が、画面の萌に突っ込んだ。萌とちえりも苦笑する。
「この雑誌、すげぇ的中率だぞ? ファンになっちまいそうだ」
「まだ部活の内容紹介だったか。もう少し飛ばそう」
ラヴィは早送りした。
再生した場面は、先ほどとは打って変わって、やけにみんな緊張した面持ちだった。
画面内で、萌が恐る恐る口を開く。
『神宮寺さんの、秘密?』
『ええ、そうです』
ラヴィが頷いた。その仕草が助手席のラヴィと同じで、どこか安心する。
『誰にも口外しないと誓えますか?』
『大丈夫よ。なるべく意に沿えるよう、努力するわ』
『ちえりの言うとおりだな。安請け合いは出来ないけど、神宮寺さんと秘密を共有したい気持ちでいっぱいだぜ』
『茶化さないの、百万石』
ちえりに窘められ、俊平は肩を竦めた。
『俺も、大丈夫だよ』
――あれ。
萌は自分の台詞に違和感を感じた。
「ごめん、ラヴィ。ちょっと止めて」
萌の頼みに、ラヴィは不承不承ながらも一時停止してくれた。
「あのさあ、みんな。僕、ずっと俺って言ってた?」
「そういえば……そうだな」
「確かに、そうね」
萌は愕然とした。
「全然意識してなかった……」
いつから呼び方が変わったんだっけ。えぇっと……。
「んむ、思い出した」
ラヴィがポンと手を叩いた。
「俊平がケチャップ塗れになったさい、『僕でなきゃ……』と言ったぞ。それまでは俺だったはずだ」
「――そっか」
「心の動きまでは流石に分からんが、台詞としてはそこだな」
確かに思い出した。血塗れの俊平を目の前にして、余計な事が頭から飛んだのだろう。
「自分の死に目ですら、変わらなかったのにねぇ……」
頭を掻く萌に、ラヴィが不思議そうな顔をした。
「モエモエは、何だか一人称に思い入れがあるようだな」
「いや、全然大した事じゃないんだよ」
昨日までなら、恥ずかしくてとても口に出せなかった蟠りだ。
「実は僕、ずっと名前にコンプレックスがあってさ。女の子っぽい名前だから、せめて自分を呼ぶときぐらい男っぽい呼び方にしようと思って、俺って言ってた……んだろうなぁ、きっと」
ぽかんとした顔で萌を見た俊平は、次の瞬間には大笑いしていた。
「萌~? お前は本当に可愛い奴だなぁ。俺のアソコはびしょ濡れだぞ?」
「両目が、涙でね……」
萌は先手を打って俊平ワールドを封じた。
ちえりは真面目な顔で頷いてくれた。
「なるほどねぇ。あのお兄さんを見て育ったから、余計に意識しちゃったのかもしれないわね」
萌の脳裏に、人差し指を高らかに上げた大和の姿がよぎった。自覚はないが、あのインパクトである。十分に考えられる事だった。
「伊藤さんは、僕の呼び方についてどう思う?」
「私は別に」
ちえりはあっさりとしていた。
「どっちでも構わないと思うわよ」
「そうそう。自分が考えるほど他人は深刻に思ってなかったりするもんだぜ。――お、今の俺、何か良いこと言った?」
「言ったわね。でも、そのあと蛇足がついたせいで台無し」
「ぐはぁ、抜かったぁ」
俊平は頭を押さえて天を仰いだ。
少し笑った萌だったが、その後ぽつりと呟いた。
「でも、それまでの僕は大真面目だったんだよ」
「あのね、萌君」
ローズが聞いた。
「自分が男っぽくなりたいと思ってる真の男って、いると思う?」
「うーん。人それぞれ……じゃないですか?」
萌は首の後ろを掻いた。
「いないって答えると格好いいですけど、でも、いたからっておかしくはないです」
「そうね。そもそも、男っぽさっていうのも曖昧だものね。傍から見て十分に男らしいのに、その人自身は『全然男っぽくない』と思い悩んでいるかもしれない。でも、その人らしくなることは出来る。萌君はね、萌君のなりたい自分になることが出来るのよ」
「なりたい自分……ですか」
萌は目を閉じた。言葉の一つ一つが染み渡る気がした。
「んむ、まあじっくり考えてくれたまえ、モヘモヘ少年。それでは続きだ」
ラヴィが再生ボタンを押した。




