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14才の萌  作者: らう゛ぃ
25/33

5-2 シキ

 白タイルの上の広大な空間には、見渡す限り誰もいなかった。

 右手の方には両国駅のプラットホームが見える。間を遮る建物もないため、列車の発車する際の音がよく聞こえてきた。


「ここを墓標と定めたわけか。――なるほど、荘厳だな」


 ラヴィは振り返り、白く巨大な建造物を見上げた。


「ま、これにふさわしいほどの大人物かどうかと言うと、そうでもなさそうだが」

「うっせ……」


 ラヴィは全く息を切らしていない。やはり狩猟者は手加減していたらしい。口は悪辣で容赦無かったが。


「さてと……。そろそろ喋るのも飽いた。俊平よ、ちえりを差し出せ。今の私は頗る気分がいい。お前の努力に免じて、大人しく献上すれば、お前だけは殺さずにいてやるぞ?」


 ちえりの出血は止まったようだが、ぐったりしている。気を失ったようだ。


「俊平っ……」


 萌は俊平の様子を窺った。俊平は、真剣な眼差しでラヴィを見据えている。


「随分と、サービス精神旺盛なんだな……」

「今頃気付いたのか? 寛大な心の持ち主なんだよ、私は」

「嬉しいぜ」


 微笑んだ俊平は、背負っていたちえりをゆっくりと地面に下ろした。


「俊平?」


 萌が驚愕の表情を浮かべるのとは対照的に、ラヴィは極めて満足そうな笑みを浮かべた。


「実に……、実に賢明な判断だよ、俊平……。では、エスカレーターに乗って下りていけ」

「その前によぉ……、慈悲をくれたラヴィ様に、感謝してぇんだ」

「ほほぉ、殊勝な心掛けだな。それでは、靴でも舐めてもらおうか」

「畏まりました、ラヴィ様」

「俊平っ……!」


 萌は悲痛な顔でラヴィに近付く俊平を見ていた。

 制止しようにも、自分にそんな権限はない。到底守られるとは思えない口約束でも、じゃあ逆らえと命令する権利はないのだ。

 しゃがみこもうとして俯いた俊平は、ふと動きを止めた。


「んむ? どうした、俊平?」

「靴を……」

「そうだよ、靴だ。這い蹲って舐めてくれると、身悶えするほど嬉しいぞ」


 俊平は顔を上げた。拳を固く握り締める。


「舐めるのは、よぉ……」


 俊平の左足がふわりと上がる。


「テメエだ、ラヴィーッ!」


 俊平渾身のハイキックが、ラヴィの顔面に思い切り炸裂した。

 ラヴィが吹っ飛ぶのと同時に、俊平は雄叫びを上げる。


「俊平!」

「へっ……。元サッカー部、左SB(サイドバツク)の実力を見たか!」


 強がっていたが、体は震えている。息も荒い。


「俺は船だ……。行かなきゃならねえときは、どんな大時化でも航海に出る! そういうもんだろ!」

「蛮勇だな」


 萌と俊平はぎょっとした。倒れたラヴィの輪郭が崩れ、足下からヌルヌルと液状に蠢きながら形作られていき、足、腰、胴、肩、腕、そして頭と出来上がっていく。白服から一転、今度は黒ゴシックだ。


「それは、桃源郷どころか、深淵へと続く棘の道だよ……? すぐに後悔する」


 首を高速回転させてピタリと正面で止める。手にした紫の槍が毒々しい。


「俊平よ……、お前が旅する海はない。あるのは三途の川だけだ」

「うるせぇ! タダでやられてたまっかよ!」

「――四万十ストリーム・ヴィヴァルディ《四季》『冬』」


 ラヴィが流麗に呟いた途端、弦楽器の音が聞こえてきた。寒々しさを感じさせる音色だ。


「お前へのレクイエムだ」

「へっ……四季と死期をかけてるのか? くだらねぇ!」

「よせ、俊平!」


 そこから先の動きは、ひどく緩慢に見えた。叫んだ直後、俊平にラヴィの槍が袈裟懸けの要領で振り下ろされる。為す術なく食らう俊平。棒立ちのまま、体が左右に振れる。


「しゅ……俊平っ!」


 萌が叫ぶと、俊平はスロー再生のようにゆっくりと振り返った。


「へ、へへっ……。何だよ、虚仮威しもいいところじゃねえか……」


 首から下を見た途端、萌の鼻にツンときた。歯を食い縛って堪える。


「なぁ、萌……。こいつ弱いぞ。お前反対側に回って、挟み撃ちだぜ……」

「俊平……」

「だからよ、萌……。その顔やめろって……。まさか、俺の格好良さに惚れたか……?」

「しゅ、俊平……」


 もう限界だった。目から滂沱の涙を溢れさせた萌は、小刻みに頭を左右に振りつつ俊平の腹部を指差す。

 怪訝な顔をした俊平が、恐る恐る手を当てると、そこにべっとりと血糊が付着した。


「なんじゃあ、こりゃー!」


 呆然とした顔で、がくんと膝をつく俊平。そのまま横に倒れ込む。

 萌は大声で俊平の名前を連呼しつつ、駆け寄って手を強く握り締める。


「俊平! 俊平!」

「知らなかったぜ……。今日が、俺の命日だったなんてな……」

「もういい! 喋るなっ、俊平!」


 俊平は浅い呼吸を繰り返していた。綺麗なクリーム色のシャツには、柘榴を剥いたような赤が飛び散っている。


「驚いたぜ……。別に、痛くねぇんだもんなぁ……」

「……ッ!」


 萌は、人に痛覚があるのは、無理な動作をしないためという話を耳にしたことがあった。

 ――とすれば、今痛みを感じないのは、もう、その必要がないから……? 生きる見込みが、ないから……!?

 萌は感情の濁流に呑み込まれていた。


「でもよぉ……」


 俊平の声は小さくなった。


「その代わり……。滅茶苦茶、眠い……」

「寝ちゃ駄目だ! 寝たら……!」


 その続きが、萌にはどうしても口に出せなかった。

 俊平は優しく微笑んだ。


「お前は『こけしマン』だろ……? なら、兄貴みてぇに強くなれよ……」


 俊平は激しく咳き込んだ。


「よく聞け……。俺が斃れたら……、奴はお前にこけしを渡してくる……」

「僕でなきゃ、力を引き出せないからだね……?」


 萌は頷きつつ、鼻を啜った。


「でも、決して怒るな。平常心を保て……」

「で、でも……」

「よく見ろよ、怒ってこのザマだ」


 濡れた手を震わせつつ、俊平は自嘲した。


「あぁ、くそ……。眠い……」


 俊平は顔を覆った。手の隙間から涙が見える。萌もまた、とめどなく涙が溢れ出す。

 ひび割れた俊平の唇は、最後の力を振り絞るように、弱々しく言葉を紡いだ。


「ち…………、え、り……」


 その直後、満足したかのように手が力無くこぼれ落ち、顔に紅い線が引かれた。安らかな顔だった。

 打ちひしがれた萌は、よろよろと立ち上がった。

 ひどく寂しい場所に思えた。――今立っている場所がではない。

 この、世界が。


「人生は歩く影、哀れな役者に過ぎぬ」


 背後から、ラヴィの澄んだ声が聞こえてきた。


「ほんのいっとき舞台の上で、見得を切ったり喚いたり、しかして後は消えるだけ」


 萌はゆっくりと振り向いた。


「マクベスだよ、これは……。惨めな彼に、ピッタリだと思わないか?」

「……」


 霧散した萌の感情が、静かに集まり始めた。この身が燃え尽きそうなほどの憤怒。しかし、今は爆発させるべきではない。エネルギーを蓄積させるだけだ。

 ラヴィは小馬鹿にしたように笑った。


「おやおや……、第一楽章アレグロ・ノン・モルトは終わってしまったようだね……。『四万十ストリーム・終了』」


 音楽はたちまち鳴り止んだ。ラヴィは『シェイク・スピアー、終了』とも呟くと、こけしを萌に放り投げてきた。


「これはサービスだ。武器無しでは可哀想だからね。敵討ちに来るといい」


 萌はこけしを受け取った。俊平を葬り去った、忌まわしき物体だ。

 ――平常心を保て、か……。

 萌はこくんと頷くと、俊平の重たい体を引き摺って、ちえりの手と重ね合わせた。

 最後の言葉、これでいいよね……?

 萌は空を見上げた。何の変哲もない空だが、堪らなく愛おしかった。ポケットティッシュを取り出すと、涙と血糊を拭いてくしゃくしゃに千切る。

 俊平の意志、無駄にしないよ……。必ず倒す!


「さぁ、そこの無様なモノなど放っておけよ。私を倒す大チャンスだぞ?」


 萌は真正面からラヴィを捉えた。

 ――行くぞ!

 萌はさっとティッシュを耳に詰めて叫んだ。


「ハリマヤ・ボンバー!」

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