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14才の萌  作者: らう゛ぃ
24/33

5-1 狩りの時間

 灼熱の太陽の下でも時間は凍り付く。そんな簡単な事を、まざまざと思い知る羽目に陥った。


「――え?」


 ちえりが腹部を押さえて地面に倒れ込む。何が起きたのか分からない、そんな顔だ。

 萌も、絶句という言葉すら生温いほど、脳内の思考が停止した。

 白昼夢を見ているような感覚だった。大和が突然目の前に出現したとき以上に、信じ難い、ありえない光景だ。


「ラ……ヴィー!」


 俊平の怒号が響き渡った。


「何やってんだ、お前ーっ!」


 咆吼しながら慌ててちえりに駆け寄る俊平。傷口は小さいが、服にはべっとりと血糊がついている。焦げ臭い、肉の焼けた匂いが鼻をついた。


「何をした……、だって? 簡単な事さ」


 ラヴィは、ネジが三本ほど外れた殺戮者のような笑みを浮かべた。


「敵だから刺した。それだけだよ?」

「……!」


 萌の足が独りでに震えた。あれだけ暑さを愚痴っていたはずなのに、物凄く体が寒い。


「ば、馬鹿な……!」


 俊平も、たったそれだけを言うのに随分と時間がかかった。


「お前が……、敵、だと……?」

「そう。東京は港区、麻布狸穴(まみあな)町生まれの極悪狸。それが私の正体さ」


 ラヴィは恍惚とした表情を浮かべつつ、ゆっくりと語り出した。


「今を遡ること二十五年前――。当時すでに大妖怪だった私は、より強大な力を得るため、このこけしを手中に収めんとした……。しかし、前のこけし保有者は大層頑固でね。まあ、所詮私の敵ではなく、倒す寸前までいったのだが……。いやぁ、人間というのは追い詰めると怖い怖い。命と引き替えに、封印を施そうとしてきたんだよ。こけしに封印されたら、清純な存在以外は消滅の憂き目に遭ってしまうからね。流石の私もそれは避けねばならない。そこで、先手を打って、自らに偽記憶を植え付けたわけさ。悪事の記憶さえなければ私も消滅せずにすむ、そう考えてね……」


 ラヴィは川沿いの柵に悠然ともたれかかった。


「無論、本物の記憶はこけしの封印が破られたときに思い出せるよう、ちゃんと暗示をかけた。これは賭だったが、思い出すのがやや遅かった以外は見事に勝利したようだな」


 質問したい事が口に一気に殺到して、うまく喋れない。

 ラヴィが敵? あのラヴィが?

 傍若無人ながらもどこか憎めなかったラヴィ。ハンバーガーをパクパクと食べていた無邪気なラヴィ。素敵な笑顔を見せてくれたチャーミングなラヴィ。朝出現してから、あっという間に三人に馴染んだ人懐っこいラヴィ……。


「――嘘だっ!」


 萌は感情を爆発させた。


「お前はラヴィじゃない! ラヴィに乗り移った悪霊だ! 早くラヴィを返せ!」

「いいや、違うね……。悪行の限りを尽くした大悪党こそがラヴィの本性だ。仲良く戯れていたのは仮初めに過ぎんのだよ。ご愁傷様だな、萌くん。いや、モエモエ」


 ラヴィはさもおかしげに哄笑すると、穂先を萌に向けた。


「『シェイク・スピアー』は持ってる者の言葉にだけ反応する。攻撃対象は人間でも構わない。マハ・ラッカはただ純粋にこけしの力を欲していたようだが、そんなものは児戯にも等しい、いわばオマケに過ぎん。真価を発揮するには、生け贄を捧げねばならんのさ」

「生け……、贄?」


 やけに生々しい単語の登場に、萌は唾を飲み込んだ。


「この武器はまだ未完成だ。誰か人間を屠ることによって、初めてこのこけしは深紅に染まり、莫大な力を放出するのだよ。まあ、選ばれた者にしかその力は引き出せんから、つまりはモエモエごと吸収して、我が血肉となるわけだな。光栄に思えよ?」

「――ふざけるな!」


 萌は思い切りラヴィを突き飛ばした。よける気がなかったのか、ラヴィはぺたんと尻餅をつく。妙に可愛らしい仕草だったが、今のラヴィは気味の悪い笑みを顔に貼り付け萌を凝視している。うすら寒くなる光景だ。


「俊平!」

「任せろ!」


 萌が振り返りざま叫ぶと、俊平はすでにちえりを背負っていた。萌と俊平は一目散に大和が走っていった方向へと駆けだしていく。


「追い掛けっこか? いや、これは狩りか! ふはははは、面白い」


 ラヴィの声が背後から迫ってくる。


「逃げ切れると思っているのか? とくに俊平! お前はいわば、苦悩の(おもり)を背負って走っているようなもの! さっさと捨ててしまえよ! 楽になるぞ!」

「俊平! 耳を貸しちゃ駄目だ!」

「うるせっ! 分ぁってら!」


 体力の消耗が激しい。萌はまだしも、俊平はあっという間に息が上がっている。それでも追いつかれない理由は、追跡者が全く本気を出していないからだ。


「電車だ! 電車に乗ろう!」

「ほほぉ~、良い考えだ」


 ラヴィの甘美な声がした。


「お前達が乗ったせいで、脱線しなければよいなぁ。ん?」

「……っ!」


 ――こいつは、ただ遊んでいるわけじゃない……。ひどく狡猾だ……。

 萌は戦慄した。

 こっちの精神を磨り減らして……、いたぶり抜いてからトドメを刺すつもりだ!

 遮二無二走った萌達が大通りに出ると、タイミングよく信号が青に変わった。ひとまず両国駅西口へと逆戻りしたが、電車やタクシーといった交通機関にはとても乗れない。今のラヴィなら躊躇無く線路を切断したり車を横転させて、大事故を引き起こすだろう。


「こっちだ、俊平!」


 萌が先導しながら、必死の疾走が続く。しきりに大和に連絡を取ろうとしている萌だったが、留守番サービスに繋がるだけで一向に話せない。


「鳴る、ように……とけ……」

「着メロが鳴るようにって? わ、分かった!」


 いつ連絡が来てもすぐに分かるように、萌は素早く着信音の設定を変更した。

 駅の西口から国技館を右に折れていくと、長い上りエスカレーターが目に飛び込んできた。俊平を見ると、未だに走れる事が奇蹟に思えるほど汗だくで、顔面蒼白だ。限界などとっくの昔に通り越しているだろう。横にある大階段を尻目に、萌は迷わずエスカレーターに飛び乗った。俊平も何とか辿り着くと、手すりに倒れるようにしてもたれかかる。


「あぁ……。駄目だ……、足痛ぇ……」


 そんな俊平の耳元で、背負われたちえりが蚊の泣くような声で囁いた。


「ごめ、ん……、俊平……」

「うっせぇ、黙れ……!」

「あたしが、こんな……」

「だぁら……! 怪我人はよぉ……。黙って、ろぃ……!」


 俊平はゲホゲホと激しく噎せた。

 萌はなおも電話を掛け続けるが、大和には繋がらない。向こうも死闘の真っ最中なのか、あるいはとんでもない奥の手を食らったか……。嫌な予感ばかりが頭をちらつく。

 エスカレーターは段差のないスロープ状になっていたため、摺り足のように前へと進むことが出来た。長いエスカレーターを何とか上りきると、そこには江戸東京博物館の大きな建物がある。


「有明に浮かんでる奴に……、どことなく似てるなぁ……」


 こんな時にもかかわらず、俊平は軽口を叩いた。少しは回復できたらしいのは良い事だ。

 しかし、悪い事もあった。


「なぁ、おい……。お前もそう思うだろ、ラヴィ?」


 横の階段を使って先回りしていたのだろう。ラヴィは口角を上げ、獣の牙を覗かせた。

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