3-4 おかしな音楽
「こちらでお召し上がりになりますか」
「は~い」
四人分の注文は、終始一貫してラヴィ主導で行われた。
「こいつ、滅茶苦茶手慣れてやがる」
俊平が詰る気持ちも分かる。出資者にもかかわらず、注文にほぼ口を出せなかったからだ。頼もうとすると、「やぁだ~、その隣のほうが美味しいよ、きっと」と妙に甘ったるい声で遮り、さっさと代わりの品を注文してしまったのである。
「こっちよ」
支払いを済ませ、トレイを持った萌達が二階に行くと、禁煙席の一角を確保していたちえりが手を振った。窓を背にした角の奥まった席にちえり、その隣にラヴィが座り、ちえりと向かい合わせの席に俊平、その隣に萌が座る。
しかし、席に着いたと思った直後、ラヴィは再び立ち上がった。
「んむ、どうも体がしっくり来ないな。しばし花摘みに行ってくる」
「はぁ?」
俊平は生返事をした。
「唐突になんだよ。食うんじゃなかったのか」
「鈍い奴め。だからこそ、食事前に雪隠に行くのだ」
「せっ……ちん? さっぱり分からん」
萌にはピンときた。表情から察するに、ちえりも分かったらしい。
ラヴィは心持ち小声になった。
「花も恥じらう乙女に何度も言わせるな。厠だよ」
「あぁ……、了解したぜ」
俊平はしたり顔で頷いた。
「革屋だろ? ブランドもののバッグにゃ程遠いが、ちったぁ路銀の足しになるなあ。これが本当の、『取らぬ狸の皮算用』ってか? いやいや、服だけ剥いで、別の場所で金稼ぎってのも結構……」
ラヴィはすたすたと俊平の席まで回ると、胸倉を鷲掴みにして顔をぐっと近付けた。
「手洗いだよ、俊平。トイレだよ。便所だよ」
「オ、オーケイ、ラヴィ……。クールに行こうぜ。そうさ、水洗なんだから水に流そうや」
「お前をか」
暑さを打ち消すためか、今日は空調がよく効いている。それはもう、肌寒いほどに。
「そうさな……、慣用句になぞらえて『エロガッパの川流れ』でもするか、なぁ?」
「ご、語呂が悪いと思うなぁ、お兄さんは。後世にゃ残らねえと思うぜ」
「そうかな? お前を更生するにはいい機会だろう」
「いや、もう直った! これからはイイ子ちゃんでいく」
「二枚舌は悪い子ちゃんだろ」
俊平は、最早ぐうの音も出なかった。
ラヴィは手を離すと、「これとこれとこれとこれ、あと、これとこれはバリアーだ。ちょびっとだけなら食べてもいいが、俊平は駄目」と言い残し、化粧室に入っていった。
「ったく……。ほとんど全部じゃねえかよ」
シャツの崩れを直しつつ、俊平が愚痴った。
「それに、何つった? バリアー? カァーッ、小学生かっての」
頭を掻きむしった俊平にちえりがぽつりと言った。
「ならさしずめ、あなたは保育園児ね」
「生憎だったな。俺が通ってたのは幼稚園だよ。お手つきで一回休みだぜ」
「しっかり小学生以下だよ、俊平……」
萌は半目でストローの封を開けると、オレンジジュースに挿して口をつけた。
俊平はそんな萌の突っ込みなど洟も引っかけなかった。
「いやぁ、どうやら若さが知らず知らずのうちに滲み出しちまったらしいぜ。ですよね、年配者のちえりさん」
「あら、今日は喧嘩が大安売りのようね、百万石屋さん。買い占めちゃうわよ?」
「おっと残念。午前中で売り切れちゃいました。御免ねぇ」
「あぁ、それで最近、敵の増えるのが速いのね。販促しっかりやってる証拠だわ」
「いや待て。揚げ足取りは反則だろ」
「ハンソクだけに?」
「そりゃもう」
各々好きな飲み物と食べ物を自分の前に移動させて食べ始める。ラヴィが席を外している事もあり、ほんの一瞬だが、オカ研として食事をしているような錯覚に陥る。
しかし、それも長くは続かなかった。
「何よ? このけたたましい音は」
どこからか、唐突に大音量のクラシックが聞こえてきた。
萌はきょろきょろと周囲を見回す。
「これって、グルメ番組とかでよく流れる曲だよね」
「何だか、岩崎君の方から聞こえてる気がするわよ」
「えっ?」
指摘され、すぐに思い当たるものがあった。萌は俊平から借り受けた蘇芳色のショルダーバッグからこけしを取り出す。その途端、五月蠅さが五割増しになったため、慌てて仕舞い直す。
「思い出した!」
俊平が耳を押さえながら叫んだ。
「このアラ・ホーンパイプは、ヘンデルの『水上の音楽』だ!」
「詳しいね、俊平」
「株取引の最中、よく洋楽やクラシックをかけてるんだよ。――しっかし、うるせー!」
客は他に社会人風の男性が一人いたが、ヘッドホンをしてパソコン画面に向き合っていたため問題はなさそうだった。とはいえ、これから本格的に昼時である。とりあえず、厳重にぐるぐる巻きにして、消音効果を期待する。若干音は小さくなったが、まだ依然として五月蠅いままだ。
しばらくして、花柄のハンカチで手を拭きながらラヴィが戻ってきた。
「おい、ラヴィ。ヘンデルを止めろ!」
「随分と反抗的な物言いだな。グレてるのか?」
「そりゃヘンゼルだよ! ってか、よく分かったな俺! 神と崇めろ!」
「へへぇ、鼻紙様」
「二人とも!」
萌が話を引き戻した。
「ズレてる、ズレてるよ!」
「失礼な。この髪は地毛だぞ」
「違うわよ! この音!」
ちえりも耳を押さえていた。
「こけしがまた鳴り出したの!」
「ああ、音楽を止めるのか」
ラヴィは頷くと、ショルダーバッグに手を突っ込んだ。
「簡単だぞ。『四万十ストリーム・終了』」
ラヴィが呟いた途端、たちどころに音楽の洪水は収まった。
「食事を始めたから、こけしが気を利かせて鳴り出したのだろう」
「音量への気遣いは皆無か」
「分かった分かった、もう少し抑え気味にするよう言って聞かせよう。ちなみにこれは、誰の言葉にも敏感に反応するからな」
「どういう原理だよ」
「細かい事は気にするな。イボだな、俊平は」
「野暮だろ」
「その突っ込みがまさしく野暮だ」
「うるせえ」
俊平は悪態をついた。
「ってか、幽霊のくせにトイレ行くなよ」
「差別は感心せんぞ」
「あのなぁ。幽霊の時点で、すでに『特別』って言うんだよ」
席に着いたラヴィは、本格的に昼食を始めるべく手をわきわきさせた。
「さてと、こんなに人を誑かすような危険な食べ物は、一刻も早くこの世から抹消せねばな」
台詞とは裏腹に、目を爛々と輝かせつつ、興奮気味にハンバーガーの包みを剥がしたラヴィは、大口を開けて豪快にかぶりついた。もぐもぐと咀嚼し、至福の表情を浮かべつつ、鼻で満足そうに息をする。
「ぷふぅ、おいし……じゃない、いやぁ、怖い怖い。頬が落ちてしまうぞ」
「それだけ詰め込めばね」
ちえりが冷ややかな視線を向けると、ラヴィは咳き込んだ。
「んんっ、いかん。何か激しく咽ぶなぁ。おぉ、今度はジンジャーエールが急速に怖くなってきた。ちえりよ、そこの紙コップを取ってくれ」
「おい、萌」
俊平が耳打ちした。
「報酬は青天井だ。目の前の女を速やかに殺れ」
「もう死んでるってば」
「あ、本当だ! ――くそっ、幽霊って奴ぁネタ的にも厄介だな」
俊平の《ラヴィ殺害計画》は、五秒で頓挫した。
ちえりは持っていたジンジャーエールを軽く飲んでから渡した。
「ラヴィ。一応聞くけど、他に何か思い出した事ってないの?」
「ん、例えば何だ?」
「うーん、これは言っとかないとまずい事とか、どんな相手も一撃必殺の技とか」
「何だ、必殺技か」
ラヴィはストローで一口吸ってから答えた。
「それなら、最初から知っとるぞ」
「早く言え!」
間髪入れず三人から突っ込みを食らったラヴィは、びくっと首を竦めて、背もたれに体を押しつけた。
それと入れ違いに、萌は身を乗り出した。
「あのさ、今まで口を酸っぱくして言ってきたよね。大切な事は知らせてねって」
「ん、んむ。しかしだな、聞かれれば答えやすいが、なかなか自分から思い出すのは難しいものなんだぞ?」
ラヴィはおどおどとした様子で片手を挙げた。もう片方の手はジンジャーエールを持っており、今も未練がましくストローを口に咥えている。
「ストレスのかかった状態では、切れる頭も機能せん。慌てず騒がず、温かい目で見守ってやってくれ。愛らしいポンポコからのお願いじゃ」
「おーい、今夜は狸汁にしようぜ」
「あら、珍しく気が合うわね。大賛成よ」
「ちょ、ちょっと待て、お前達」
焦ったラヴィは、ジンジャーエールをあたふたとテーブルに置くと、萌の手を両手で掴み、瞳を潤ませた。
「萌はそんな事ないよな? 瀕死に喘ぐ純情狸を、おいそれと見捨てたりせんよな?」
「う~ん」
「悪気はないんだよ、萌~。いやさ、モエモエ~」
その瞬間、萌は反射的に体を強張らせた。
「な? 頼むよ、モエモエ~」
「――絶対にヤダ」
「な、何故!?」
「あ~ぁ、とうとう禁断の台詞を吐いちまったか、化け狸ちゃんよぉ」
俊平が苦笑混じりに言った。
「萌はな、自分の事を愛称で呼ばれるのが嫌いなんだよ」
「おぉ……。な、何という事だ……」
ラヴィはよろよろと手を離した。
「モエモエの事を可愛らしく『モエモエ♪』と呼んだって、何の問題もないはずだ。だよなぁ、モエモエ?」
「わざとだろ!」
ほんの少し心が動いたのは内緒である。




