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14才の萌  作者: らう゛ぃ
18/33

3-3 逃れ得ぬM

 湿気や水溜まりといった雨上がりの情景はすっかり鳴りを潜め、今や夏の暑さを感じさせる日射しが容赦なく萌達に照りつけていた。

 萌は途中、コンビニで替えの靴下を買うと、値札とタグを外してその場で足を通した。


「やれやれ、萌の足のサイズがあと二サイズ上なら、喜んで貸してやったんだがなぁ」

「俊平御用達っていう、五本指靴下? いらないよ、あれ」

「あっ、この野郎。水虫になってからじゃ遅いんだぞ? 転ばぬ先の医療保険だ」


 杖だよ、と訂正するのはあまりに野暮なので放っておいた。

 女性陣二人は、そんな萌と俊平の前をきびきびとした足取りで進んでいた。


「このまま住宅街を突っ切るのね、ラヴィ?」

「んむ、逃走経路は一直線だ。偽装した様子もないから、追跡を想定しているとは考えにくい。或いは、それも出来ぬほどの手負いの身か。いずれにせよ好都合だ」


 ラヴィの靴は、目の覚めるような真っ赤なスニーカーだった。服を千切って、瞬く間に出来上がった一品である。幽霊は貧乏だから金がないのではなく、必要ないから所持しないのだろう。

 衣食住はおろか、生命すら超越した存在。つくづく常識の範囲外だと感じた。

 うっすらと汗を掻く。アスファルトからの輻射熱もあって、朝方に見た予想最高気温を軽く超えた暑さになっているだろう。温暖化と言われてもピンと来ないが、外気の暑さと白い建物の眩しさは、節約精神を呼び起こすのに効果絶大だ。

 ――帽子を被ってくるべきだったかな。

 萌は額を拭いつつ、ラヴィの黒い日傘を見た。虫眼鏡を使って焦がす実験を思い出し、暑さが増すのではという印象も受けたが、日差しを遮るには黒が一番良いらしい。これまた服の一部から作っている。

 少し広い道に出て、どんどん人通りの多い方へ向かっていく四人。たまに人と擦れ違うが、みなラヴィのゴシック服を一瞥するだけで通り過ぎていく。隣人への無関心が叫ばれる昨今だが、今回はそれが良い方向に作用したらしい。


「ちょっとラヴィ。本当にこっちなの? 駅前の商店街に向かってる気がするんだけど」

「心配要らん。狸はイヌ科だ。この小さな鼻は、幾多の食物の気を吸引してきたんだぞ」

「――やっぱり食べ物なの?」

「悪いか」

「……」

「こらこら、冷めた視線で見るでない。愛嬌たっぷりの頼れるマスコットだぞ? 虐待は禁止だ」

「……」

「ごめんなさい。じっと見ないで……」

「コラ、前二人。口動かさずに足動かせ」


 そんな一幕も交えつつ四人は歩を進めていき、やがて、駅前の小さな広場から続く、屋根付きのアーケード街へと入っていった。昼が近い事もあってか、人混みはやや一段落といった様相を呈している。普段の休日であれば、仲間と連れだってゲーセン前で屯する学生の姿もあるのだろうが、今日は萌達の中学校だけが特別とあって、一般的には普通の平日と変わりがないようだ。


「おっ、新台入れてるじゃねえか。こりゃ後で行かねえとな」

「甘いわね、百万石。パチンコ屋ってのは、いつでも新台入荷を宣伝してるものなのよ」

「ふっ、甘いのはそっちだぜ。俺が見たのはその奥のゲーセン! クレーンゲームのぬいぐるみだぁっ!」

「な、何ですって!」

「フフフ……勝ったようだな! たまには!」

「――二人とも、歳を考えようね」


 アーケードの真ん中で突発的にネタを始めた二人に、やや離れた位置から突っ込んだ萌は、いつの間にか立ち止まっていたラヴィを振り返った。


「ラヴィ、どうかした?」


 萌が何気なく呼び掛けると、ラヴィは突然両手で頭を押さえ、その場に(うずくま)った。


「こ、この感覚……。恐ろしい……」

「えぇっ?」


 萌は慌てて駆け寄った。


「だ、大丈夫、ラヴィ?」

「まずい……。奴がいる……」

「おいおい、追ってきたんだから当然だろ? さっさと倒して、後場こそ株に専念するぜ」


 俊平とちえりも近付いてきた。


「ところで、どっからその気配はするんだ?」

「む、向こうの方だ……」


 ラヴィはアーケードの進行方向を指差した。全長約八百メートルを誇るアーケード街はほぼ直線に走っているが、反対側の出口がさっぱり見えない。アーケード内にある最初の十字路の左角には、さっき俊平がネタに使ったゲーセンが、右角にはファストフード店がある。


「とくに狐の姿はないわよ」


 ちえりが行き交う通行人に目をやった。


「それとも、別人になりすまして逃亡中とか?」

「いや、奴は動いていない。息を潜めて待機している……。しかし、圧倒的な力だ。くっ、ま、まずい。このままでは為す術なく負けてしまう……」


 ラヴィは身体を強く抱きしめ、怯えの色を隠そうともせずガタガタと震えた。今までとは比較にならない狼狽えように、只事ではないという気持ちが一層高まる。

 萌は中腰の姿勢になって、恐る恐る尋ねた。


「どこにいるか、見当はついてる?」

「あ、あの店だ……」


 ラヴィは、角のMマークを指差した。

 ちえりは頬を掻いた。


「思いっきり近くね……。もっと遠くから察知できなかったの?」


 ちえりがもっともな質問をぶつけるが、ラヴィは頭を振った。


「風向きが変わって、いきなり鼻孔をくすぐったのだ……。や、やばい……こやつの実力は、マハ・ラッカの比ではないぞ……」

「えっ?」


 萌を始め、みんなギョッとした。


「狐に怯えてたんじゃなかったの?」

「いや、違う……。あ、あの店の……」

「あの店の?」


 固唾を呑む萌達に、ラヴィは震えながら呟いた。


「あの店の……、ハ、ハンバーガーが怖い……」

「……」


 三人とも、能面のようにすぅっと表情を消した。

 それとは対照的に、ラヴィは目を潤ませつつ、堰を切ったかのごとく喋り出す。


「嗚呼~っ、ハンバーガーが無性に恐ろしい! 芳醇なタレの匂いやレタスの瑞々しさが、私をいとも容易く丸裸にしていく~っ! 奴の一挙手一投足が、たまらなく魅惑的で怖い……ぐふっ!」


 最後の台詞を言うや、ラヴィはがくりと項垂れた。

 ちえりはひどい頭痛に悩まされたかのように額を押さえた。


「あのね、ラヴィ。今は食事は後回し。追跡のほうが大事でしょ?」

「んむ、そうしたいのはやまやまだが、空腹で鼻が利かなくなったらしい。力が抜けてしまったようなのだ」


 ちえりは、ラヴィを探るような目つきで見下ろした。


「我が侭じゃあないのね?」

「失敬な。流石に私も、その程度の分別は(わきま)えているぞ」


 ラヴィは口を尖らせつつおずおずと立ち上がると、白ゴシックのスカートの裾を払った。


「まあ、安心しろ。落ち着いた状況で大量のハンバーガーを退治した暁には、すぐさま追跡に復帰しよう」

「テイクアウトじゃ駄目?」

「避けた方が良いな。負傷しているとはいえ、奴も馬鹿ではない。うっかり奴の縄張りに侵入したが最後、私の能力が著しく弱体化している事実がたちまち露見してしまうだろう。萌一人では心許ないから私がサポートに回る腹積もりだったのだが、他の能力も低下している現状では足手まといにしかならん。このままだと、不意打ちはおろか、逆に寝首を掻かれかねんぞ」

「――そんな致命的なリスク、早めに言ってよ」

「すまん。何せ実体化したのが久方ぶりでな。とりわけ私の腹は、徐々に空腹感を覚えるタイプではなく垂直落下式に感じるタイプらしく、違和感の正体に気付くのが遅れてしまったのだ」


 ラヴィはそう言うと、面目なさそうに頭を下げた。

 ちえりは腰に手を当てていたが、ふーっと息を吐くと肩の力を抜いた。


「どうする、みんな? あそこで食べる?」

「ケッ、そんなに怖いなら行かなきゃいいだろ? はっはー、俺って親切だな、オイ」


 その途端、ラヴィはゆらりと俊平の前に立ち、がっちりと両肩を掴んだ。


「早急にカタをつけねば、手に負えぬほど怖くなるぞ、私が・・


 口内にはチラリと牙が覗く。八重歯という訳ではなく、本物の獣の牙だ。ちえりとはまた違った凄絶な笑みに、さしもの俊平もたじろいだ。


「おいおい……、心に波風を立てるなよ。これからは、恐怖も強風も抜きでいこうぜ」

「ほほぉ、実に良い回答だ。それでは早速、バーガー退治と洒落込もうぞ」


 ラヴィは悦に浸っているようだ。だから、目元が笑ってないのは気のせいだろう。


「ったく、現金な奴……」


 俊平はぼやいた。


「ところで、誰が金出すんだよ?」


 ラヴィはコロッと天使の微笑みに変わると、人差し指を可愛らしく該当者に向けた。


「私食べる人、君払う人」

「やっぱ俺かいっ!」


 どうやら、予想はしていたらしい。

 萌はスマホを取り出すと、昼は駅前で食べる旨を母の幸子に連絡した。


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