2-6 ヒーロー爆誕
「ふぅ……、ごちそうさま」
マハ・ラッカは、チャイナドレスの赤いお腹をさすった。時を同じくして、頬を押さえたラヴィが、抑揚のない声で笑い始める。
「パ、パトラッシュ……。僕はもう駄目だよ……」
「おっ、おい、大丈夫か?」
俊平が肩を揺すった。
「とりあえず、その福笑いに失敗したような顔はよせ。夢に出る」
「あははは、そんなにペロペロ舐めるなよ~ぉ……」
「おいコラ、戻ってこーい。それが駄目なら、せめてそこで寝てろ」
「寝ろ? ――そうとも、僕はネロ……。ああ、ルーベンスの祭壇画、『キリストの昇架』と『キリストの降架』が……」
「だから、現実逃避はやめろぉー!」
俊平は涙声でがくんがくんと揺さぶった。萌の涙腺も決壊しそうだ。
「あー、もう!」
パニックの連鎖は、ちえりにも波及した。
「せっかく幽霊や妖怪に会えたっていうのに、これじゃ台無しだわ! 爆発騒ぎが沈静化したと思ったのに、なんで立て続けに災難に巡り合わせるのよ!」
その直後、ラヴィは突如シャンと背筋を張り、怜悧な表情を取り戻した。
「ありがとう、ちえり……。お前は今、次に繋がる発言をした」
「え? 何か言った、私?」
「爆発だよ、爆発」
ラヴィはぐっとトーンを抑えた。
「ちえりと俊平、お前達は不安そうな顔で奴の間抜け面を堪能しておけ。くれぐれもこちらを顧みないようにな」
ラヴィはそう言い残すと、萌に向き直った。
「萌、私は先刻、こけしを持って合言葉を唱えれば、剣になると告げたよな。それと同様に、別の言葉を叫べば爆発を起こすことも可能なのだ」
「えぇっ?」
「ぐずぐずしている暇はない。今は私を信じて、力強く起動の言葉を叫ぶのだ」
「う、うん、分かったよ」
萌は半ば反射的に頷いた。
「それで、何て言葉?」
ラヴィは一呼吸したのち、厳かに口を開いた。
「コーチ剣」
「――高知県?」
「違う!」
ラヴィはくわっと目を見開いた。
「イントネーションが激しく違う! いいか、山内一豊や坂本龍馬で有名なあの南国土佐とは何の関係もない! 県の花はヤマモモ、魚はカツオ! 安芸郡馬路村のゆずは絶品だ! だがしかし、あの県とは一切関係ない! ノータッチだ!」
立て板に水のごとく澱みのない弁舌だが、それが逆に怪しさを浮き彫りにしている。
「何でそこまでムキになって否定するの?」
「えぇい、余計な詮索は無用! さあ、腹の奥底から、魂の叫びを絞り出すのだ!」
今までとは正反対なほど熱弁を振るうラヴィに、萌の心は急速に冷めていった。
不審を抱いた眼差しを向けると、ラヴィは若干俯きがちになった。何らかの負い目を感じているのだろう、表情には翳りが見られる。
しかし、それが儚げに映ってしまい、萌は図らずも動揺した。これではまるで、萌のほうが悪人ではないか。
――仕方ない、言わないと助からないしね。
萌は溜め息混じりに呟いた。
「コーチ、剣」
「声が小さい! もっと元気よく!」
「え、えぇっ?」
すかさずラヴィから叱責された萌は、すっかり狼狽えてしまった。
「ほら、ちゃんと叫べ!」
「コ、コーチ剣」
「まだだ! まだ足りん!」
「コーチ剣!」
「いかん! まだ躊躇いの残滓があるぞ! 羞恥心などかなぐり捨てろ! 臍の少し下、丹田に力を込めるのだ!」
「そ、そんなに力説されても……」
熱血コーチに「コーチ剣」の絶叫方法を指導される……、さっぱりいただけない。
「萌」
俊平が背中を向いたままボソリと呟いた。
「照れてる場合じゃねえだろ」
「俊平っ……!」
萌は、ハッと胸を衝かれた。
「気恥ずかしい? 馬鹿野郎、この程度が何だよ。代理がオッケーならさっさと引き摺り下ろしてやりたい所だぜ。――だがな、俺は残念ながら勇者じゃねえんだ。こいつはお前にしか出来ないことなんだよ、萌」
「俊平……」
「お前が選ばれたんだ。正義のヒーロー、『こけしマン』に……」
そこで俊平は固まった。
「どうしたの、俊平……?」
俊平は小刻みに震えている。もしや何らかの攻撃を受けたのかと、不安になる萌。
しかし。
「こ……、こけしマン?」
俊平は吹き出した。
「何だそりゃっ! ブッ、ブハハハハッ!」
「俊平ぇー!?」
腹を抱えて蹲る俊平。必死に笑いを噛み殺している。ちえりがその背中を何度も足蹴にするが、全く収まる気配はなく、床を叩きながら延々と痙攣し続けている。まあ、立場が逆なら萌も吹き出した気がするから、正面切って責める気持ちはないのだが、折角の心遣いが台無しだとは思う。
――でも、確かに。やるしかないか。
軽く頷いた萌は、覚悟を決め、大きく息を吸い込んだ。
「コーチ剣!」
「よし!」
ラヴィは満足そうにガッツポーズをした。
「いいぞ、その調子だ。今のが、剣を出すときのキーワードだぞ」
「――えっ?」
何てのたまった、このド天然。
萌は愕然とした。
「今の要領で、爆発時の言葉も絶叫してくれ」
「ちょ……、ちょっと待てぇー!」
「あぁ~、駄目駄目。声量はいいが、叫ぶ文句が全然違うぞ」
「違うのは、ラヴィのアドバイスだー!」
萌はラヴィに詰め寄った。
「あのさぁ、ラヴィ。恥を忍んでやっとの思いで叫んだんだよね。だから、真っ先に爆発の言葉を伝授してほしかったわけさ、うん」
「わ、分かった。悪気は無かったんだ。だから鼻先がくっつきそうなほど接近するのはよせ。熱々のカップルだと誤解されるぞ。本っ当に疚しい気持ちは無かったんだ、本当だぞ」
ラヴィの挙動不審さはどこか小動物を連想させた。それにしても、「本当」と連呼される度に嘘臭さを感じてしまうのは何故だろう。
ラヴィは、萌のジト目に居たたまれなくなったのか、あてどもなく視線を泳がせた。
「んー、では改めて、爆発の合言葉を伝えよう。その言葉とは……」
わざとらしく数回咳払いをしたのち、ラヴィは大きく両手を広げた。
「ハリマヤ・ボンバー」
「高知だぁー!」
萌は容赦なく突っ込んだ。




