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14才の萌  作者: らう゛ぃ
10/33

2-2 普通の女の子

 作戦は、先程俊平が言った手筈通り、まずは斥候として萌が玄関に忍び込み、人に出くわさないよう周囲を警戒するという、極めてオーソドックスなものだった。辺りに人気がないようなので、ちえりにOKサインを送り、その間に萌は湿った靴下を脱ぐ。全員が玄関に入ると、少女のガラスの靴を手間取りながら脱がし、ちえりが手に持ち、忍び足で二階に移動。一行は、無事に俊平の部屋へと戻ることができた。

 押し入れの衣装箪笥から特大サイズのバスタオルを二枚用意し、まずは一枚をウォーターベッドと低反発枕の上に敷く。そこに少女を寝かせてから、もう一枚を上に掛ける。水滴や草が付着しているからと言って、部屋の持ち主が汚れるのを嫌ったのだ。そこに羽毛布団をかけ、寒さ対策を万全にする。また、一緒に持ってきた頭飾りとガラスの靴は、部屋の隅に二つ折りにした昨日の経済新聞の上にきちんと並べておき、ブーケは抽斗から出した雑多な道具を片付けてからパソコンの脇に置いた。ちなみに萌の靴下だが、手頃なビニール袋をもらって、それに突っ込んでいる。


「やれやれ。これでひとまず片付いたな」


 俊平は、一丁上がりとばかりに手を叩くと、キャスター椅子に深く腰掛けて大きく息をついた。


「でも、見直したよ」


 萌が心底意外そうに俊平に話しかけた。


「俊平のことだから、部屋に入った途端にパソコン画面と睨めっこするのかと思った」

「そりゃあ萌、株は平常心が大切だからな。いかな俺様でも、気持ちを落ち着かせるには若干の猶予が必要だったのさ」

「――ふぅ~ん」

「何だよ、放送コードすれすれの気色悪い笑みなんか浮かべやがって。文句あんのか」

「いや、べっつに~」


 素直じゃない親友の言動に、萌は我知らず頬が緩んでいた。

 本人もバツが悪くなったのか、派手に頭を掻きむしってみせた。


「ったく、前場は十一時半で終了だからな。主役が行くまでそっちは任せたぜ」

「はいはい」


 萌と俊平がこんなやりとりをしている間、ちえりはウォーターベッドの脇に膝立ちし、少女と自分の額とを触り比べていた。


「うーん、とくに熱はないみたいね。体に外傷もないようだし。普通の女の子だわ」

「流石だな、姉者。俺達若輩者には、どこからツッコめばいいのか見当もつかねえぜ」


 任せたと言った舌の根も乾かぬうちから早速茶々を入れる俊平。すかさず椅子を半回転させると、嫌みったらしく口角をつり上げた。


「『フツーのオンナノコ』? ほほぉ、最近はいきなり空中に現れるのが普通なんですか」

「五月蠅いわね。私が言ってるのは、病気や怪我をしてなさそうだってことよ」

「ははぁ、それはつまり、最先端のオカルトは診療行為まで可能と。実に素晴らしい」

「俊平、俊平」


 萌は俊平の肩を小突いた。


「その辺にしといたほうがいいよ」

「うむ、これ以上やると悪魔の総元締めを敵に回すからな。ナイスブレークだ、萌」

「誰が悪魔よ」

「うぉーい!?」


 俊平は大袈裟に椅子を揺らしてみせた。


「な、何という事だ……。自覚があったらしい。しかも、超極秘事項をいともあっさり盗聴するとは、さてはお主、地獄耳!? やっぱり悪魔だったかぁー!」


 ちえりはスッと目を狭めた。表情に生気はなく、死んだ魚のような瞳で俊平を捉える。


「百万石、謝るなら今のうちよ」

「す、すんません……。ボク言い過ぎました。だからハンダは勘弁して」


 俊平は小刻みに震えながら、両手を目の前で擦り合わせて必死に懇願した。「蛇に睨まれた蛙」というよりは、一茶の句が頭をよぎる。「やれ俊平、必死に手をするゴマをする」。若干違うのはご愛敬だ。

 やれやれ、しょうがないなあ俊平は……。

 萌は苦笑しながら、ベッドで安静にしている少女に目を向けた。

 ふかふかの羽毛布団に包まれたスミレの国のお姫様は、今も静かに眠っている。その光景は、あたかも熟練の人形師に命を吹き込まれたアンティークドールのように見えた。


「――ん?」


 そのとき、少女の眉間に小さな縦皺が寄ったかと思うと、可愛らしい鼻声が漏れ聞こえた。肩をよじらせ、布団をかき分けるようにしてしなやかな腕が出現する。細かく痙攣していた瞼は、蕾が花を咲かせるかのごとく、長い睫毛を伴ってゆっくりと開いていった。

 すごい……、無数の星が瞬いてる……。

 萌は思わず息を呑んだ。

 澄みきった夜空を想起させる青紫色の瞳は、回転するビー玉のように幽玄な色合いが渦を巻いており、じっと見つめていたら吸い込まれてしまいそうだ。またひとつ、彼女の神秘的な魅力が深まった気がした。

 少女は仰向けのまま、部屋の様子に首を巡らせると、傍らにいたちえりに顔を向けた。


「ここはどこだ?」


 紫色の唇を使い、はっきりした口調で尋ねる少女。随分と落ち着いた物腰だ。華奢に見えるがか弱さはなく、耳触りのよい声は自然とよく通る。姿形こそ同年代だが、仕草や表情には大人びたものがあり、堂に入っていた。

 対するちえりも、やや緊張した面持ちながら、彼女に呑まれることなく口を開いた。


「この部屋は、私の後ろにいる少年の部屋よ」


 横目でちらりと見やるちえり。


「小生意気な少年の、ね」

「おいおい、滑舌悪いなぁ、ちえりは。正しくは『小粋な少年』だろ?」


 すかさず入った俊平の軽口を、ちえりは一笑に付した。それきり意に介した風もなかったが、表情からは堅さがとれたようである。

 少女はベッドから上半身を起こした。冷静沈着そのものといった様子で、視線だけを動かして状況を窺っている。警戒しているのだろう。

 ちえりもそう思ったのか、柔和な笑みを浮かべて胸に手を当てた。


「まずは自己紹介するわね。私の名前は伊藤ちえり。伊藤でもちえりでも、好きなほうで呼んでちょうだい」


 そのまま、手を萌へと向ける。


「で、そこに立ってる、眉目秀麗な優等生が、岩崎萌君っていうの。頼りになるわよ」

「そっ、その紹介の仕方はちょっと……」

「何照れてんだよ、萌」


 戸惑った萌の腰付近に、すぐさま俊平の肘鉄が入る。こういう反応には異様に聡い資産家の息子に、萌は苦笑してみせた。

 ちえりは、そんな庶民派の御曹司を、この上なくぞんざいに指差した。


「それと、頭とガラと目つきの悪い可哀想な彼は、加賀俊平っていうの。渾名は百万石。ま、この情報はいつでも脳内から削除してもらって構わないわ」

「やれやれ、素敵な枕詞を三つもつけて下さり、恐悦至極に存じますなぁ。こういった、一見些細な事からイジメは始まるんだぞ? イジメ反対、格好悪ーい。精神的苦痛を覚えたぞ、提訴だ提訴ー」

「――それだけ反論してて、よくそんな戯言が言えるわね」


 ちえりは呆れたように呟くと、がらりと表情を変えて少女に向き直り、優しく微笑んだ。


「さぁ、今度はあなたの番。名前はなんていうの?」

「私の名か」


 少女は口元に手を当て、しばし考える素振りを見せたのち、晴れやかな顔つきになった。


「ん、さっぱり思い出せん」

「えっ」


 ちえりは思わず聞き返した。


「それってまさか、記憶喪失ってこと?」

「いや、記憶はあるからちょっと違うな」


 少女は言葉を選ぶような感じで、こめかみに指をツンツンと当てた。


「とりあえず、他の事柄について自己紹介させてもらうか。私はこけしに取り憑いていた幽霊でな。前回は、四半世紀ほど前に現世(うつしよ)へと実体化したのだ」

「幽霊? あなた、幽霊なの?」

「んむ」


 少女は鷹揚に頷いた。


「空中散歩と人間観察が主な日課でな。最近の活動実績は、羊羹の拾い食いに始まり、道端に落ちてたポン菓子のつまみ食い、他にはお供え物の落雁の失敬といったものだ。首尾は上々だな」


 飄々とした語り口の少女。外見や話の中身から想像される子供っぽさとは裏腹に、非常に理知的な話し振りである。とりあえず、間食が大好きな浮遊霊だということは十二分に理解できた。


「さて、そんな感じで安逸な日々を過ごしていた記憶はあるのだが、不可解なことに、名前だけがすっぽりと欠落しているんだ。そもそも、あったのかな、名前なんて?」

「いや、あるだろ」


 間髪入れず俊平がツッコミをいれた。


「思い出せないなら、俺が仮に名付けといてやるよ。鹿之助馬太郎、あるいはムラサキ・オテショーなんてどうだ」

「破壊的な名前だな。主に人間関係を」


 驚いたことに、絶妙のタイミングで幽霊少女がツッコミ返した。


「俊平とやら、お前のネーミングセンスは人類史上初……、いや、地球開闢(かいびゃく)以来のひどさだ。将来子供を授かったとしても、絶対に名前の決定には携わるでないぞ」

「ひでぇ言われようだな」


 でも、多分正解だね。

 俊平の独特な言葉のセンスを知る萌は、激しく咳き込んだ。

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