いつもの夢(後)
ーー。
再び、不意に景色が変わる。
もう彼は結末を知っているが、否が応でも見せつけられる。視線を外すことは、許されない。
学生服に身を包んだ三崎が、腫れた顔をさすりながら帰宅する。
「ただいまー……って、誰もいないよな」
自嘲気味に笑いながら居間に上がり、彼は救急箱を取り出す。もう何度もこなした事なので、手つきに特に乱れもなく、鏡を見ながら消毒を塗っていく。
「お邪魔しますよ〜」
その後ろ、玄関から声がした。鍵を開けたままにした彼が悪いのだが、驚いて手を滑らせる。
「あっ、また怪我してるじゃない! 喧嘩でもして来たの?」
「べ、別にねーねには関係ないだろ…。真己がなんか言ってたのか?」
素早く上がり込んで来た"ねーね"に彼はたじたじになりながら、それでも処置を続ける。
「しょーちゃん、中学に上がってから喧嘩ばっかりしてるって聞いたわよ。この間も顔腫らして帰って来てたじゃない」
「……仕方ないだろ、あいつらがカツアゲとかアホな事してるんだから」
「まぁ、しょーちゃんは昔っから正義感と負けん気が強いしね、確かに仕方ないかなぁ…」
「わかったら、ねーねは早く家に帰れよ。また倒れたりしたら、真己が心配するだろ」
「あれ、倒れたの、しょーちゃん知ってたっけ?」
「あの時にベッドまで担いでったの俺だぜ? そんな事も忘れたのかよ」
「……あー、そうだったそうだった! その節はどうもね」
話しながらも手早く終わらせていく。この時の彼は違和感を感じていたのに、その原因を深く考えてはいなかった。
(…本当はもう覚えていなかったんだ。倒れた事そのものも、きっと)
見る事しかできない彼は、ただ、思う。それはどんな気持ちだったのだろう、と。自分の身に起きた事を、自分自身が覚えていられない、とは。
けれどそんな事には構わず、目の前の"ねーね"と中学生の彼の会話は続く。
「しょーちゃんがいてくれるから、助かるわ。私もまーちゃんも安心ね〜」
「…なんで真己が出てくるんだよ…」
「ふふ、なんでもよ」
心底安心したように、"ねーね"は彼の手を握った。彼はその手を握り返し、そのまま立ち上がる。
「ほら、本当に帰らないと、真己が困るだろ。あいつ料理できないんだから」
そう言って、彼は彼女を引き起こす。観念したように立ち上がると、彼女は眉を下げて言った。
「そうねぇ、もう少し教えておけば良かったかなぁ…」
「? 教えればいいじゃん、今からでも」
彼は彼女を連れて家を出ると、そのまま彼女の手を引いて幼馴染の家まで送る。
「足元、気をつけてな。最近はねーね、よく転ぶって言ってたから」
「もう、まだ私、そんなに老けてないわよ」
「俺の倍は生きてるだろ」
そんな軽口とともに、手を放す。
「もう!」
そう言って困ったように笑うと、彼女は彼の短い髪を撫でる。
「何かあったらまた頼るから、しょーちゃんも無理しないでね」
「わかってるよ。子供じゃないんだから、やめてくれって」
照れ隠しでその手をはねのけて、彼は帰る。後悔もなく。また明日にでも会えると信じて。
(その手を、握っていれば、良かったんだ)
観客にしかなれない彼は、深い後悔とともにそう願うだけだ。その夜に起きる事を知っている彼にできるのは、そんな後悔だけだ。
彼女と最後に交わしたのは、そんな未来を語る言葉であったのに。結末は呆気ないものだった。
夢の終わりは、いつもこうだ。
"ねーね"は翌朝、寝室で遺体となって発見される。ドアノブにベルトを掛けての首吊り自殺。
第一発見者は幼馴染を迎えに来て異変に気付き、その寝室を開けた三崎翔太だった。