聞き覚えのない名前
彼女は虚を突かれたように一瞬動きを固めたが、彼の真剣な表情と真摯な態度に、居住まいを正して答える。
「私は、金城千代と申します。…えぇっと、聞き覚えのあるお名前でしたか?」
「金城、千代、さん……」
やや弱々しくもある彼女・金城の質問に答える為ではなく、自分に言い聞かせるようにその名前を復唱する。彼の記憶にある"ねーね"の名前とは、一文字も被っていない。
「いえ、やはり初めましてのようです。すみません、金城さん」
自分に落とし込めたのか、彼は改めて彼女に視線を向ける。苦笑いのような、安堵にも、哀しみにもとれるその表情は、見ている側が辛くなるようなものだった。
「えっと……謝られる事ではないと思います」
困ったように笑う彼女に、三崎は申し訳ない事をした、と思う。他人を気遣う事はできるのだ。
何か言わなければ、と思う間に、彼女は言葉を紡ぐ。
「というか、誰かとこうしてお話しする事が久し振りにできたので、むしろ感謝していると言いますか…」
何故だか照れたような笑顔。彼はそこに"ねーね"の面影を重ねた。
ずっと守りたかった人。守れなかった人。眩しいのは、朝日のせいだけでは無い。
「そうだ、お茶でもしませんか? ここら辺のお店は開くのも早いですし、どこのお店でも美味しいですよ!」
彼は感傷に浸りかけたが、金城の言葉にハッとした。そして、楽しそうな彼女を見つめながら、申し訳なさそうに応じる。
「えっ? いや…これから寝ないといけなくて、ですね」
これは紛う事なき事実であり、彼にとっては当たり前の事だ。仕事の疲れはあまり無いが、金城との出会いは刺激が少々強すぎた。
「そうですかぁ、残念です」
あからさまにがっかりした様子で、彼女は言う。そこには悲壮感は無い、さっぱりとした残念感。
しかし直後に気を取り直したように、彼女は彼を見た。
「三崎さん、覚えましたからね。またの機会には是非、ご一緒しましょう!」
「いや、あの…」
「それではまた!!」
言いたい事を言い澱む三崎に、彼女は一方的に別れを告げ、去っていく。足音も無く。
(どうやってお茶を飲むんだ、とか、言わせてくれなかったな…)
何とも言えないモヤモヤした感情を抱えながら、彼も帰途へとつくのであった。