7章 憎しみや恨みでは贖えないもの
彼の横に置かれたテレビの中で、次々に悲惨な光景は映し出されていく。
その光景に彼は目を瞑りたかった。…自分が助かった事を後悔した。
―――が、やはり生を受けた以上…やらなくてはいけない事は最後まで貫かないといけないものであった。
悲しみが心の淵を巣食う。どうしようもない疎外感に襲われた彼は、この町の行方を案じていたのだ。
今回の航空事件はハルバード王国へのヘイトを確実に上昇させた。
パチュリーは彼の暖かな左手を両手で握り、そこにある"生"という物を確かめていた。
温もりが、彼女の両手を包む。学校も、今までずっと同じであった彼との親交は深く、いつの間にか別の感情も生まれていた―――。
それは彼女自身が表沙汰にはしたくない、秘密で甘い感情。
誰にも把握できない、心の静かな縺れ合いは何処かチョコレートやケーキのように甘く、そして溶けそうな…。
刹那であった。突然、3人の鼓膜を震わせたのは大きな爆発音であった。
それとほぼ同時に病室のドアが吹き飛び、通路では黒煙で視界が途切れてしまっている。
上がる悲鳴。泣き叫びの声は沈黙の病院内を包み、喧噪的な足音が通路に響く。
「…奴らよ!…ハルバード王国の兵士たちだわ!…パチュリー、行くわよ!
―――まだジェネシスは戦えないわ、何としても彼を守るのよ!」
「分かったわ!」
2人はそれぞれ武器を構え、酸素マスクを当てられている彼を死守せんとする。
彼は突然起こった事象に何も理解出来ないでいた。それは飛行機を墜落にまで導いた、あの爆破テロ犯との遭遇と同じような…似たような感情であった。
そして病室内にも黒煙は入っていき、それと同時に武装化した、マシンガンを携えたハルバード兵が3人雪崩れ込んできたのだ。
無抵抗な彼を拉致するためなのか?3人は武器を構えていた2人をまずは処分しようと試みた。
パチュリーは元から持っていた、護身用の電気ロッドを取り出した。
何時もは只の棒きれだが、スイッチを付けると中に設置された発電機が回転、電気を纏う仕組みとなっている。その発電機もエネルギーの消費を最低限に抑えたものであり、単3電池二つで1年は持つらしい。
一方、慧音は自らの拳を信じているのか、ガントレットを拳に装着する。
革製のガントレットは使い勝手がいいものの、柔らかいが故に敵に与える衝撃は小さい。
その分、自身の力強さで賄うというのだろうか。
「…慧音さん、手で戦うんですか」
「私だってまだまだ現役よ?昔は教師だってしてたんだから」
教師の職に元々就いていた彼女は教え子を守る為、護身術を鍛えていたらしい。
実際、空手はかなりの上手で、女性でありながら男を打ち負かすほどの強さを誇っている。
今までは不審者なぞに襲われた事は無かったが…此処で役立つとは想像もしていなかったようだ。
「…ただ、此処で護身術が役立つとはね…!」
慧音は右手の拳を3人の兵士に差しだし、戦う構えを取る。
武装兵たちはマシンガンを片手に、銃口を2人に向けて緊迫した空気を作り出す。
パチュリーも電気ロッドに電気を纏わせ、音が静かに鳴り響く。
「悪いけど…ジェネシスには手を出させないわ!」
慧音は先手を討ち、勢いよく1人の兵士の腹部に正拳突きを放った。
とてつもない衝撃の一撃は兵士の胃の腑の中を逆流させ、そのまま嘔吐に導かせる。
すぐに離れた慧音に向け、反撃のマシンガン連射を行う兵士たちだが、慧音は銃弾の雨を空中回転回避などの俊敏な身体の動きで躱していく。
ジェネシスは寝ていたが、目の前で起こっていた戦いに呆気を取られていた。
「こっちにもいるのよ!」
慧音に集中して銃を連射していた兵士たち2人の背後から電気ロッドで殴ったのは彼女であった。
力は比較的に小さい彼女の電気ロッドの一撃は衝撃よりも感電の方が大きかった。
2人もマシンガンを地面に落とし、そのまま地面に倒れてしまう。
―――襲い掛かってきた3人の撃退は完了したのだ。
慧音は倒れている3人を通路に放り出し、マシンガンを回収した。敵の武器を奪うことで、再利用できるからだ。
「…ありがとう。このままでは死ぬところだった」
「…男の癖に拳一つでダウンなんて恥ずかしいものね、ホント」
ジェネシスの声に対し、自分の右手拳に優し気な吐息を吹き掛け、兵士たち3人を皮肉った。
しかし、まだ追手は存在していたのだ。黒煙の中から姿を見せた、スーツ服の女性が2人の前に現れるや、すぐさま持参していた剣を構える。
新たな敵の登場にパチュリーと慧音はすぐに気づき、再び戦う姿勢を取った。
「…まだ敵はいたのね!しかも貴方はハルバード王国の特殊部隊…!」
「…とっととやっつけるわよ!」
2人はそう言うに対し、敵である彼女は剣先を2人に向けた。
胸にはハルバード王国の特殊部隊の証である金色の勲章を付け、薄水色のショートボブを黒煙に靡かせ、
剣の刀身の白銀に喧噪たる声々を共鳴させて―――。
「…こちらレティ・ホワイトロック。間もなく対象の擁護者との戦闘に入ります」
◆◆◆
彼女は勢いよく剣で斬りかかってきたに対し、2人を身体を反らして躱す。
振り返って剣戟を迸らせる彼女に対してパチュリーは電気ロッドでその剣を受け止めた。
鋼同士の摩擦が響き、金属音が聞こえ渡る。
「…貴方たちの目的は一体何なのよ!」
「私は上の命令に従っているだけだ。今回のミッションは"ジェネシスの誘拐"。其のミッションを遂行しているだけに過ぎない。勿論、今回の飛行機テロも、な」
「…いい加減にしなさい!」
怒号を放った慧音は鍔迫り合いを行っていた彼女の背中に拳の一撃を蒙らせようとする。
しかし、すぐに反応したレティは剣で慧音にカウンターを試みたのだ。
彼女の不意打ちとも言える攻撃に竦んだ慧音を救うべく、電気ロッドで一撃を叩きこんだのはパチュリーだ。
背中から受けた攻撃に一瞬怯み、その間に慧音は態勢を立て直す。
レティはすぐに起き上がり、剣で2人に斬りかかった。
回転斬りで同時に斬られた2人は斬り傷だけは回避したものの、そのまま地面に尻餅を付いてしまう。
そんな2人に対して、懐から拳銃を取り出して向ける、冷酷な表情を浮かべた彼女の姿がそこには顕在していた。
2人は咄嗟の彼女の攻撃に隙を突かれ、今や追い込まれていた。
斬られた衝撃で武器を遠くに投げてしまい、冷や汗を掻いて彼女の顔を見上げていたのだ。
「…死ね」
冷淡なる言葉と共に引き金を引こうとするレティ。
―――彼はもう我慢できないでいた。自身の所為で巻き起こる戦いを仲間に押し付けているという罪悪感が心に篭り、その不愉快極まりない心情に歯痒くなった彼は酸素マスクを取っては投げ捨てた。
自身を心電図と繋ぐコードをすぐに取り、ベット横に置かれたブレイズバリスタを片手に…一気にレティに向けて飛びかかった。
ベッドからの急襲。まさかの一撃を蒙ったレティは左肩に大きな斬り傷を負ってしまう。
スーツ服から滲み出る紅色。拳銃を地面に落とし、元々は構えていた右手で左肩の出血を止血するべく、必死に抑える。
彼女は苦しそうな顔をしながら、自身のイヤホンの先にいる相手に連絡を取っていた。
「こちらレティ…負傷を受け、撤退を要請する」
そのまま彼女は3人を前に、再び通路の黒煙の中に消えてしまったのだ。…逃走である。
未だに悲鳴は響き渡り、病院内は地獄の模様と化していた。
…胸苦しさが彼を襲う。尻餅を付いて、レティの拳銃に怯えていた2人は咄嗟の出来事を理解出来ないでいた。
◆◆◆
辺りに寂寥たる空しい風が静かに吹く。ガウンタイプの病衣を纏っていた彼は裸ギリギリの状態であり、女性2人の前では恥ずかしい姿でもあった。
「…ジェネシス!貴方、怪我は大丈夫なの!?」
ブレイズバリスタを片手に携えていた彼を心配したのはパチュリーであった。
彼の容態をずっと緊張して見つめていた彼女だからこそ、ジェネシスの身を案じていたのだ。
同じ考古学研究者として、失ってはいけない存在―――何故、彼が王国から狙われているかはよく分からないが…それでもずっと寄り添ってあげたかった思いは一途であった。
「…私の怪我は大丈夫だ。…それよりも、私の為に戦ってくれて…ありがとな、パチュリー」
「…ふ、フン!貴方なんかの手伝いなんて面倒でやってられないわ!」
「これが俗に言うツンデレって奴か…」
彼は困惑しながらも、彼女の何処か優しい感情をひしひしと感じていた。
慧音はそんなジェネシスに助けられた事を詫び、同時に彼の様子を心配した。
急な運動は体に負担が掛かるのが現実だ。彼自身、胸苦しさをさっきから感じている。
「さっきは助かったよ。…ありがとな、ジェネシス。
…それで、だが…怪我は本当に大丈夫なのか?」
「…怪我を心配してられる程、今の状況は芳しくないんだがな…」
そう言った時、病室の窓を隔てた向こうの世界では黒煙が幾つも立ち昇っていた。
それはフィラデルフィアと言う国家の興亡の道を辿っている姿のようにも思えたのだ。
どうしてハルバード王国はフィラデルフィアを攻撃するのか。彼は理解出来ないでいた。
頭が痛くなる。ベッドからすぐに起き上がった身として、やはり無謀であったのか。
しかし、時間は彼を待たない。フィラデルフィアを滅亡へと差し向けるハルバード王国の侵略を止めるには…彼自身も又、戦うしかないのだ。
「…行こう。…私はこの姿…病衣だが、時間は待ってくれない」
「…分かったわ」
「行きましょう」
燃え行く通路。泣き叫びや慟哭が響く病院をハルバード王国から取り戻す為にも、銃が合体した大剣を両手で携えて…。
「…フィラデルフィアは、私たちが守る!」




