25章 大空のセイレーン
GT-Rをそのまま運転し、高速道路に乗り上げたジェネシス。
柔らかくも硬いような…矛盾した手触りのハンドルを両手で握って、遠く見える管制塔を目指していた。
パチュリーは暇そうに窓から見える景色を眺めている。
こいしに関しては後ろの広々した席を使って、1人で御飯事を始めている。エアーである点が何とも空しいが。
「…ねえ、ジェネシス」
「…何だ」
パチュリーにぶっきらぼうに話を振られ、彼も適当に答えた。
GT-Rは静まっている車内とは反比例して、コンクリートとタイヤの摩擦音を響かせる。
高速道路である以上、他の車も速い。車に追い越し追い越されの関係は、何処か考えさせられる。
「…ジェネシスは何で私を連れて行こうと思ったのよ。…いつもは厄介な扱いをしてたのに」
ジェネシスは幼馴染である彼女を余り好ましく思わず、敬遠していた。
と言うのも、彼の過去に最も忠実であるからだ。…抉られたくない、そんな感情が渦巻いて…。
彼は彼自身なりの立ち振る舞いをしている。其れに関して彼女が何も言わないのも…。
「…お前が『行きたい』って行ったからだろ」
「…素直じゃないのね。…私は既に分かってるけど」
彼女は車を運転する彼の横顔を覗いては、そう呟いた。
太陽の陽の光は明るく、車内を照らす。…凹んだ跡の傷も、既に消えている。
その凹みが彼の何かと関連があるのでは無いか―――そう考えた時、何処か変な感情に至った。
不思議だった。無機質で、遠い未来に思いを馳せている自分…。
パチュリーは考えるのを止めた。…止めないと、永遠に考えていそうな気がしたからだ。
車はやがて空港の立体駐車場前に近づく。
ウィンカーを点灯させて、彼は曲がって立体駐車場に入る。
訪れたのは2回目。しかし、1回目に来た際の状況が鮮烈過ぎたが為に余り記憶に残っていない。
最上階まで車を運び、そのまま彼は静かに停車させた。
後ろの席を向けば、こいしは何時の間にか寝てしまっている。
彼は彼女を揺さぶって起こすと、彼女は気持ちよさそうな欠伸を上げて目を覚ました。
コンクリートで出来た駐車場に降り立つと、寒い風が身に染みる。
遠くでは銀翼を光らせた天使が天に向かって羽ばたいて行った。…静かなエンジン音を立てて。
そのまま彼らは空港へ趨いた。やはり比較的新しい建物は綺麗で、中は人でごった返している。
彼がコーヒーショップの前に訪れた時、以前は存在しなかった、通路の真ん中に建てられた遺碑があった。
大きな岩盤が設置され、其処には何人かの名前が刻まれている。
…彼とこいしはあの日の出来事を浮かべた。…此処で悲劇があった事を。
彼らは遺碑の前で立ち止まった。パチュリーは不思議そうな顔を浮かべていたが、彼は辛辣であった。
「何してるの?
「…ああ、分かってるさ。…早く行こうか」
そのまま近くのコーヒーショップに3人は入店した。
この時、こいしは何処か浮かれないような顔と共に、遺碑を睨んでいたような気がした。
しかし、其れは彼の思い違いだろう―――。
「…私はブラックを頼むわ」
「こいしは何時ものカプチーノ~!」
「…全てが私の奢りか。…果てさて、私は何時まで貢がなくてはならないのか…」
パチュリーとこいしに注文を押し付けられ、溜め息をつく彼。
自分の注文も合わせるとなると、合計は1000円弱か。長財布を取り出しては千円札を支払う。
お釣りとして穴が開いた白銀の硬貨1枚が帰ってくる。彼はそれを受け取ると、飲み物3つを持って運んだ。
彼女たちは滑走路が綺麗に見える、外側の座席に座っていた。
其れはこいしと曾て訪れた際に座った席と同じ場所―――飛行機が鮮明に景色として映っている。
腰を下ろし、彼女たちにそれぞれコーヒーを渡す。
彼は以前と同じブラックを頼んでいた。…パチュリーと同じものだ。
ガラスの向こうの世界では銀翼を輝かせて飛翔していく天使たちが存在していた。
それらを前に、彼らはゆっくりと飲む。…すぐ飲むのではない、味わって飲んでいた。
ジェネシスはパチュリーとこいしに挟まれて座っていた。と言うのも、取っておいてくれた席が其処だったからだ。
多くの空港利用者で賑わうコーヒーショップ。
実はこの店がフィラデルフィアに於いても極めて有名な老舗コーヒー店の分店だとスマホでのネットサーフィン中に知った時、この混雑を初めて納得出来たが。
「…綺麗ね、飛行機」
「…見る分には綺麗だな。…ただ、墜落する可能性がある」
「…ジェネシスさん、トラウマなんだね。…あの事件の事」
こいしがそう言うと、彼はわざと音を立ててコーヒーを飲む。
其処には彼なりの考えがしっかりと示唆されていた。…が、当の本人は気づけないでいた。
「…天使は何処までも飛べる羽を持つ。…だが、永遠に飛べるとは限らない」
彼はそう言うと、過去のトラウマを心の奥に封印させた。
目の前に広がっている景色は広々としており、航空機が行き来する光景はカッコよさを思わせる。
…彼は飛行機を"天使"と見立てた。ニューエイジの象徴となった発明はフィラデルフィアを更に発展させたのだ。
…しかし、彼は天使も永遠の存在では無い、と儚い現実を悟った。
―――いずれにしろ、何時かは自分たちも死ぬ。避けられない運命なのだ。
「…天使、ね。…まあ普通に利用しないでいいと思うわ。…私も貴方の身になって考えたら、ね」
「恐ろしい話だよな。…一度起こった出来事は抹消されることなんてない、永遠に刻まれる」
インターネットだと主に「cookie」と言う物が存在している。其れはページ閲覧の履歴みたいな物であった。
cookieを削除すれば過去には戻れない。しかし存在している以上、何度でもやり直せるのだ。
…現実は違う。バーチャルリアリティーとは何だ?過去に戻れるものをリアルと呼ぶのは少し違和感を感じさせるものであった。
「…そうね」
3人は明後日の方向を静かに見つめていた。
其処にあったのは―――"寂寥"。何処か空しくも、希望を抱えていた。
彼は机上に置いてあるブラックコーヒーに自身の顔を投影させた。揺れ動く波の中に自分の表情がはっきりと浮かんでいる。
飛行機は今日も尚、飛んでいる。そう考えると、自らが置かれた立場と言う輪廻に余裕を持てた気がした。




