1章 調査書
―――フィラデルフィア国際考古学研究所。
中心街から離れた、熱帯雨林が開けた広大な野原に存在する近代的なコンクリートの建物。
4つの棟で形成された研究所の一角、とある部屋にてジェネシス博士は机上の山積みの調査書を見ては落胆した。
彼は面倒な事が嫌いだ。山を彷彿とさせる紙の姿に目を瞑りたかったが、やはり現実からは逃れられないでいた。
「ジェネシスさーん」
勢いよく扉を開け、白衣を纏っていた彼の元に元気よくやって来たのは新人考古学者の古明地こいしである。
お気に入りの帽子を被って、今日もジェネシス博士の手伝いをする。
彼女は新人である為、多くは見習いとして既存の考古学者に配置させるが、こいしはジェネシスの元へやって来た存在である。
彼もまた、彼女を妹分のように可愛がっていた。
「来たのか、こいし。…それよりも、だ」
「うわぁ…何ですか、コレ」
彼女も彼の落胆の原因を理解するや、一番上の書類を適当に手に取った。
其処には「チャカ・リプカ」と呼ばれる遺跡と共に、モノクロの神殿の写真が添付されていた。
ピラミッドのような形は、まるでマヤ文明のチチェン・イッツアを催しているかと疑えるほど疑似していた。
「…チャカ・リプカ。…マター博士が担当している、未発掘の遺跡だ。
「変な名前~」
彼女は爛漫に部屋内を動き回る。
回転したり、謎のポーズを決めたり、帽子を指で回転させたり。
暇そうな彼女は無意識に動き回っているが、それでも今年の考古学入試試験では首席合格した逸話を持っている。
「…変な名前かもな。…確かにスワヒリ語は日本語訳で読むと不思議に感じるかもな。
…ちゃんとこの遺跡にも意味はあって、スワヒリ語で「燃え上がる灼熱の太陽」って意義があるんだ」
「燃え上がる灼熱の太陽…だったら最初からそう名付ければいいのに」
「それじゃあ只の文章だ…。…其れに、覚えやすい特徴的な名前を名付けたほうが印象に残るしね」
山積みになっていた書類は一概には言えないが、殆んどはチャカ・リプカに関してのものであった。
彼はため息をつくと、置いてあるティーポッドから紅茶を2つのカップに淹れる。
そして呑気に過ごす彼女に一杯を渡し、自らの口にもう1つのカップを付ける。
甘い臭いと舌触りが、やはり紅茶であることを理解させてくれている。
「美味し~い!…何処から手に入れてるの、これ?」
「フィラデルフィア中心街の茶店で買った茶葉だ。私はそこまで茶葉に詳しくは無いからね、覚えていないよ」
「なのに茶店へ行くの?へぇ~。不思議ー」
「趣味だ、私にだって偶には流浪の旅に出たい時がある」
「いつもじゃん。だって此処に帰ってきたのはつい一昨日でしょ?
それまで2か月も此処に姿を見せないで、何処に行ってたかって問えば熱帯雨林の中で野宿!?
何考えてるのか分からないよ、こいしには」
ジェネシスは流浪の旅が好きだ。
行く宛の無い、無計画な旅を彼は愛し、自分の車である日産のGT-Rと共に走っていた。
彼は旅行代理店が計画する、詰め込まれた行き先を時間制で旅するツアー制の旅行をひどく気に入らないでおり、曾て新聞の投書欄に投書し、掲載された過去がある。
果たして其れが名誉なことなのか、不名誉なことなのかは彼自身には分からないでいたが。
「お前と同じ、無意識だ」
「ふ~ん…」
鼻で返事したこいしを後ろに、彼は書類の一枚を手に取った。
担当学者:マター博士…70台前後で、顎に生えた長い白髭が特徴の考古学者だ。
其れはジェネシスよりも遥かに先輩と言える立場で、彼もまた尊敬している人物だ。
国際名誉教授に選ばれた彼の軌跡は果てしなく、20台後半であるジェネシスには到底真似できない道のりであった。
そんなマター博士だが…チャカ・リプカに行く為に此処を旅立ってから、およそ2か月が経つ。
帰ってくると言われていた予定日よりも二週間が経過し、研究所内でも慌ただしくなっていった。
其れもそのはず、国際名誉教授である。彼の死は人間国宝の死に値するほど、大きなものであった。
しかし、流浪の旅を一つの思念と考えていた彼はマター博士に心配の欠片すら持っていなかった。
と言うのも、彼はマター博士を信頼していたからだ。
すると2人の元に、疲弊した様子を示しながらやって来た、ジェネシスの同僚であるパチュリーがいた。
彼女も同じ考古学者であり、同期のジェネシスとはよく喋る存在でもあった。
「…ぱ、パチュリーか。どうしたんだ」
「ジェネシス!貴方…マター博士の話を聞いた!?」
彼女は顔を真っ青にしていた。
その様子はジェネシスを一つの思考に案内させ、そして彼もまた、最悪の事態を想定した。
そうでは無い事を祈りつつも、彼女に静かに問いかける。
「…いや、まだだ…。…一体何があったんだ」
「兎に角、今からすぐに研究所長の部屋に行きなさい。呼んでたわ、貴方たちの事を」
「それにはこいしも含まれているのか?」
「そうね。…2人に頼みたいことがあるとか何とか…」
「分かった」
左の人差し指を口に咥えて、ただ静かに呆然としていた彼女は身長からして幼い子供と履き違えそうになるが、此れでも立派な考古学者である。
彼は彼女に手招きすると、父親についてくる幼子のように立つ。
そしてパチュリーに言われたがまま、そのまま研究所長の部屋へ赴いた。
何処か悪寒を寄せながらも、横に小さく佇む彼女を見ると、やはり心が癒された気がした。