↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

『婚活アドバイザー成田の異世界相談録』

【妹視点】姉が辺境伯に嫁いだ途端、私の縁談が三件とも消えました

掲載日:2026/11/02

「クラリッサ様。このたびの縁談は、白紙に戻させていただきます」


「……はい?」


 私は、目の前の使者が何を言っているのか理解できなかった。


 エーレンベルク伯爵家の次女、クラリッサ・エーレンベルク。十八歳。


 金髪碧眼の美しい令嬢として、王都の社交界ではそれなりに知られている。


 お父様は、いつもおっしゃっていた。


『クラリッサこそ我が家の宝だ。リーゼはお前の引き立て役にすぎん』


 リーゼとは、四歳年上の姉のことだ。


 茶色の髪に灰色の瞳。地味で、いつも帳簿や書類に囲まれている人だった。


 そのお姉様が、三か月前、北方のグランフェルト辺境伯に嫁いだ。


 正直、驚いた。


 けれど、辺境伯領は王都から遠い。


 私は、もっと素晴らしい方と結婚する。


 そう信じていたのに。


「……なぜですの?」


 私は、ヴァルデン侯爵家の使者を見つめた。


 相手は侯爵家の嫡男。正式な婚約前とはいえ、両家は具体的な条件を話し合っていた。


「ご提出いただいた釣書について、事実と異なる記載が確認されまして」


「……釣書?」


「外国語の習熟度、領地会計の管理経験、慈善事業の実績などです。実際に担当されていたのは、リーゼ様ではありませんか?」


 胸の奥が、ちくりとした。


「……お姉様?」


「加えて、リーゼ様の持参金が、クラリッサ様の婚礼準備に流用されていた件も確認されました」


「そ、それは……お父様が……」


「事情は承知しております。しかし、我が家としては、これ以上お話を進められません」


 使者は深々と頭を下げ、退室した。


 ……どうして?


 どうして、私が断られるの?


 ◇◆◇


「ヴァルデン侯爵家め! 何様のつもりだ!」


 お父様は激怒した。


「我が家のクラリッサを断るなど、見る目がない! もっとよい縁談を用意してやる」


 私は、ほっとした。


 そうよね。私が悪いはずはない。


 ところが、一週間後。


 二件目の縁談も断られた。


 さらに十日後。


 三件目まで、顔合わせの前に白紙になった。


 理由は、どれも似たようなものだった。


 釣書の虚偽。


 伯爵家の財産管理。


 そして、姉への仕打ち。


「全部、リーゼのせいだ!」


 三件目の破談が決まった夜、お父様は酒杯を机に叩きつけた。


「あいつが辺境伯に嫁いでから、ろくなことがない!」


「……そうですわね」


 私は頷いた。


 けれど、以前のように心から同意できなかった。


「安心しろ、クラリッサ。お前は美しい。それだけで十分だ」


 いつもなら嬉しかった言葉。


 でも、その日は胸の奥が冷たくなった。


 ――美しいだけで十分。


 だったら、どうして三件とも断られたのかしら。


 ◇◆◇


 翌朝、私は自室で釣書を広げた。


【外国語:三か国語に堪能】


【領地会計:管理経験あり】


【慈善事業:孤児院支援活動を主導】


【特技:刺繍、詩作、舞踏、乗馬】


 三か国語?


 挨拶くらいならできる。でも、難しい会話は無理だ。


 領地会計?


 帳簿を見たことはある。実際に計算していたのはお姉様だった。


 孤児院支援?


 一度だけ訪問した。寄付金の管理や物資の手配は……お姉様。


 私は、釣書を握りしめた。


 まるで、私ではない誰かの経歴が書かれているみたいだった。


 そのとき、使用人たちの噂を思い出した。


『リーゼ様は、王都の婚活相談所に通っていらしたそうですよ』


 当時の私は笑っていた。


 自分では結婚相手も見つけられないなんて、お姉様らしい、と。


 でも、お姉様は結婚した。


 私は三件とも断られた。


 気づけば私は、外出用の帽子を手に取っていた。


 ◇◆◇


 王都の路地裏。


 大通りから一本入ったところに、その建物はあった。


『縁結び相談所』


 ずいぶん地味な看板だ。


 扉を開けると、くたびれた服を着た中年男性が座っていた。


 しかも、机の上には緑色のスライムが乗っている。


 ……なぜ、スライムが?


「いらっしゃいませ。婚活のご相談ですか?」


「……あなたが相談員ですの?」


「はい。成田と申します」


「リーゼ・エーレンベルクをご存じ?」


「リーゼさん? はい。以前、ご相談を受けました」


「私は妹のクラリッサです」


「……そうでしたか」


 成田さんは、静かに頷いた。


 私は釣書を机に置いた。


「私にも、よい結婚相手を紹介してくださいませ」


「わかりました。まずはお話を聞かせてください」


 ◇◆◇


「クラリッサさん。外国語がお得意なんですね」


「ええ、もちろんですわ」


「三か国語に堪能、とありますが、どのくらいお話しできますか?」


「……挨拶なら」


「では、こちらの『外交文書の翻訳経験あり』というのは?」


「それは……お姉様が翻訳したものです」


「領地会計の管理経験は?」


「……帳簿を見たことはあります」


「実際の管理は?」


「……お姉様が」


「孤児院支援活動を主導、とありますね」


「訪問したことはあります」


「寄付金の管理や、物資の手配は?」


「……お姉様です」


 ……。


 何なの、この人。


 どうして、そんなことばかり聞くの?


「刺繍は?」


「少しなら」


「詩作は?」


「先生に添削していただいて……」


「乗馬は?」


「……馬に乗ったことはあります」


 成田さんは、最後まで話を聞いた。


 そして釣書を机に置いた。


「クラリッサさん。少し厳しいことを申し上げてもよろしいですか?」


「……どうぞ」


「この釣書、あなたの経歴というより、お姉さんの経歴になっていませんか?」


 胸の奥を、何かで突かれたような気がした。


「そ、そんなこと……」


「実際に担当していない仕事を、自分の実績として書くのはよくありません」


「お父様が、そう書くようにと……!」


「そうだったんですね」


「私が勝手に書いたわけではありませんわ!」


「はい。そこは大切な事情だと思います」


 成田さんは静かに頷いた。


「ただ、これから結婚するのは、お父様ではなく、クラリッサさんですよね」


 私は何も言えなかった。


 ◇◆◇


「……お姉様は、どんな釣書を書いていたのですか?」


 気づけば、私は尋ねていた。


「詳しい内容は、ご本人の許可なくお話しできませんが」


 成田さんは少し考えた。


「最初は、ご自分の長所がわからないと悩んでいらっしゃいました」


 ……お姉様が?


「でも、誰かが困っていたら自然に手を貸せること。細かい仕事を投げ出さないこと。相手の話を最後まで聞けること。そういうところを評価してくださる方がいたんです」


 私は、お姉様を思い出した。


 朝から帳簿を整理し、使用人の相談を聞き、お父様に頼まれた書類を作る。


 それでも、私が新しいドレスを見せると、


『よく似合っているわね』


 と笑ってくれた。


 私は、その笑顔を当たり前だと思っていた。


「……成田さん」


「はい」


「私には、何があるのでしょう」


 自分でも驚くほど小さな声だった。


 成田さんは、少し考えてから言った。


「それを、一緒に探しましょうか」


 机の上のスライムが、ぽよんと跳ねた。


『――おじさん、今のいいこと言った!』


「……ミドリ、聞いてたの?」


『――ずっと聞いてた!』


「……スライムが喋りましたわ」


「簡易念話です。驚かせてすみません」


 成田さんは、少し困ったように笑った。


 なぜだろう。


 その姿を見ていたら、張り詰めていたものが少しだけ緩んだ。


 ◇◆◇


 それから、私は相談所へ通うようになった。


 最初にしたことは、釣書の書き直しだった。


「クラリッサさん。好きなことは何ですか?」


「……わかりません」


「では、最近楽しかったことは?」


 私は、しばらく考えた。


「……お花を飾ったことです。屋敷の玄関に飾る花を選んだら、使用人が喜んでくれたんです」


「それは、いいですね」


「でも、いつもはお姉様が選んでいたので……」


「今回はクラリッサさんが選んだんですよね」


「……はい」


「それなら、あなたの経験ですよ」


 そんなこと、考えたこともなかった。


 次の相談では、宿題を出された。


「今度までに、誰かの役に立ったことを一つ教えてください」


 私は困った。


 誰かの役に立つなんて、考えたこともなかったから。


 ◇◆◇


 その帰り道。


 屋敷の裏庭で、若い侍女が花瓶を割ってしまったところに出くわした。


「申し訳ございません、お嬢様!」


 侍女は真っ青になって頭を下げた。


 以前の私なら、きっと叱っていた。


 でも、その日は違う言葉が出た。


「……手を切っていない?」


「え?」


「破片で怪我をしていないかと聞いているの」


「……だ、大丈夫です」


「そう。なら、よかったわ」


 私は散らばった花を見つめた。


「花瓶は別のものを用意しましょう。お花は、まだ使えそうね」


「……お嬢様?」


「一緒に飾り直しましょう」


 侍女は驚いたあと、泣きそうな顔で笑った。


「……ありがとうございます」


 その笑顔を見たとき、胸の奥が少し温かくなった。


 ◇◆◇


 次の相談でその話をすると、成田さんは嬉しそうに頷いた。


「それは、よかったですね」


「でも、私は片づけを手伝っただけです」


「それで十分だと思いますよ」


 成田さんは、白い紙に書き込んだ。


【好きなこと:花を飾ること】


【得意なこと:人と話すこと】


【大切にしたいこと:相手の気持ちを考えること】


 立派な経歴ではない。


 でも、初めて自分のことが書いてある気がした。


「……成田さん。私、今までお姉様をずっと見下していました」


 声が震えた。


「お姉様は地味で、私より価値がない人だと……。でも、私が自慢していたことのほとんどが、お姉様のしていたことだったんです」


 涙が、ぽろりと落ちた。


「私、ひどい妹でした」


 成田さんは静かに言った。


「クラリッサさん。過去にしたことは、なかったことにはできません」


 私は俯いた。


「でも、これからどうするかは選べます。お姉さんに謝ることも、自分の力で生きていくことも」


「……選べる?」


「はい。もちろん、謝ったからといって許してもらえるとは限りませんけどね」


 その言葉は、少し痛かった。


 でも、初めて誰かが本当のことを言ってくれた気がした。


 ◇◆◇


 その頃、伯爵家では問題が起きていた。


 お姉様が嫁いでから、屋敷の仕事が回らなくなっていたのだ。


 使用人への給金の支払いが遅れ、領地から届く報告書は積み上がるばかり。


 ある日の夕方、私は執務室から聞こえる会話に足を止めた。


「旦那様。このままでは、来月の支払いに支障が出ます」


「何だと!」


「リーゼ様が管理されていた帳簿を、引き継げる者がおりません」


「そんなもの、誰でもできるだろう! ならば、リーゼを呼び戻せ!」


 私は息を呑んだ。


「辺境伯夫人になったからといって、実家への恩を忘れるとは何事だ!」


 ……お姉様を、呼び戻す?


 あれだけひどい扱いをしておいて?


 私は、初めてお父様に対して怒りを感じた。


 そして、これまでお父様の言葉を疑いもしなかった自分が、恥ずかしかった。


 ◇◆◇


 数日後、お父様が私を執務室に呼びつけた。


「クラリッサ。新しい縁談を用意したぞ」


 相手は五十代の裕福な商会主だった。


 年齢や婚姻歴が問題なのではない。


 ただ、相手の希望には『若く美しく、社交の場に同伴できる妻』とだけ書かれていた。


 私の考えも、将来の希望も、何一つ尋ねられていない。


「……お父様。この方は、私が何を好きなのかご存じなのでしょうか」


「そんなことは、結婚してから知ればよい! お前は美しい。それで十分だ」


 私は、深く息を吸った。


「……お父様。私は、この縁談をお受けしません」


「……何だと?」


「お断りします」


 お父様の顔が、みるみる赤くなった。


「誰に向かって口を利いている!」


「……お父様に、です」


「お前の結婚は、家のためにあるのだ!」


「でも、結婚するのは私です」


 お父様が言葉を失った。


「私は、自分で相手を選びたいのです」


 声は震えていた。


 それでも、言えた。


 生まれて初めて、私はお父様の決めた道を断った。


 ◇◆◇


 もちろん、それですべてが解決したわけではない。


 お父様は激怒し、私の外出を禁じようとした。


 けれど、私は王都の法務窓口に問い合わせ、成人した貴族女性の権利を調べた。


 お父様が結婚相手を推薦することはできても、私の同意なしに婚姻を成立させることはできない。


 そんなことすら、私は知らなかった。


 そして、ずっと避けていた問題も確かめた。


 お姉様の持参金のことだ。


 帳簿には、私のドレスや宝飾品の購入に使われた記録が残っていた。


 お姉様の結婚が決まった際、伯爵家は借り入れを行って返済していた。


 私は宝石箱を開けた。


 お姉様のお金で買われた、私の宝石。


 それを身につけて、私は何度もお姉様を笑った。


 ……最低だわ。


 私は、自分に贈与された宝石を売却した。


 そのお金を、未払いになっていた使用人の給金の一部に充てた。


 伯爵家が支払うべきものを、私がすべて肩代わりできるわけではない。


 それでも、何もしないままではいられなかった。


 その話を聞いたお父様は激怒した。


「勝手なことを! お前のものは伯爵家のものだ!」


「いいえ。私に贈られた品です」


「誰にそんなことを吹き込まれた!」


「自分で調べました」


 お父様が目を見開いた。


「それから、お姉様に仕事を頼むのであれば、正式にお願いしてください」


「……何?」


「お姉様は、もうこの家の使用人ではありません」


「実の父親に向かって、何を言う!」


 私は、初めてまっすぐ父の目を見た。


「お姉様は、ずっとこの家を支えていました。私たちは、それを当たり前だと思っていました。でも、私はもう、当たり前だとは思いません」


 お父様は何も言わなかった。


 ただ、顔を真っ赤にして私を睨んでいた。


 ◇◆◇


 それから一か月。


 伯爵家の評判は、さらに悪くなった。


 持参金を返還するための借り入れは残り、領地の財政管理にも問題が見つかった。


 取引先の商会は契約条件を見直し、お父様の新しい事業も資金調達が難しくなった。


 ある日、私は執務室の前でお父様の声を聞いた。


「リーゼに手紙を出せ!」


「すでに三度お送りしております」


「ならば四度目を送れ!」


「……辺境伯家からは、正式なご依頼であれば文書で内容を提示するようにと」


「実の娘だぞ! 親を助けるのが当然だろう!」


 私は、静かにその場を離れた。


 お姉様は、もう戻らない。


 きっと、それでいいのだと思った。


 ◇◆◇


 私が相談所へ通い始めて、二か月が経った頃。


 成田さんが、一枚の書類を差し出した。


「クラリッサさん。お見合いをしてみませんか?」


「……私に?」


「もちろんです」


「でも、私の釣書は……」


「書き直しましたよね」


 成田さんは笑った。


【外国語:基本的な挨拶が可能】


【得意なこと:花を飾ること、人と話すこと】


【現在学んでいること:帳簿の読み方、家計管理】


【大切にしたいこと:互いの考えを尊重できる関係】


「……こんな釣書で、よろしいのでしょうか」


「いいと思いますよ」


「でも、以前よりずっと地味ですわ」


「そうですね。ただ、こちらの方がクラリッサさんらしいと思います」


 私は、紙を見つめた。


 以前の釣書は、誰かに褒めてもらうためのものだった。


 でも、今の釣書は。


 私が、私として生きるためのものだ。


「……お相手は、どんな方ですの?」


「王都の図書館で働いている、フェリクス・リーヴェルトさん。子爵家の次男で、二十四歳です」


 ……子爵家。


 以前の私なら、きっと断っていた。


 でも。


「……どんな方なのですか?」


 成田さんは嬉しそうに笑った。


「本が好きで、少し不器用ですが、誠実な方ですよ」


 ◇◆◇


 お見合いの日。


 私は、淡い水色のドレスを選んだ。


 美しいと思ってもらいたい。


 それは、もちろんある。


 けれど、今日は私のことを知ってもらいたい。


 そして、相手のことも知りたい。


「はじめまして。フェリクス・リーヴェルトと申します」


 応接室に現れた青年は、少し緊張した様子で頭を下げた。


 茶色の髪に、穏やかな灰色の瞳。


「クラリッサ・エーレンベルクです」


 私も頭を下げた。


 ……沈黙。


 どうしましょう。


 何を話せばいいのかしら。


 すると、フェリクス様が少し困ったように笑った。


「……実は、こういう場に慣れておりまして」


「……え?」


「あ、いえ。慣れておりません、の間違いです」


 私は、思わず笑ってしまった。


「ふふっ」


「……すみません」


「いえ。私も緊張しています」


 そう言うと、フェリクス様も笑った。


 なんだか、少し楽になった。


「クラリッサ様は、お花がお好きなのですね」


「ええ。最近、少しずつ勉強しています」


「どんな花がお好きですか?」


「季節の花が好きです。同じ部屋でも、花を変えるだけで雰囲気が変わるんです」


 私は、つい夢中で話してしまった。


 慌てて口を閉じると、フェリクス様は微笑んだ。


「素敵ですね。誰かが喜んでくれるのが、嬉しいんですね」


 そんなふうに言われたのは、初めてだった。


「……はい。そうなのかもしれません」


 今度は、私が尋ねた。


「フェリクス様は、どんなお仕事を?」


「王都の図書館で、古い書物の整理をしています。傷んだ本を修復したり、目録を作ったり」


 フェリクス様の表情が明るくなった。


「古い本には、昔の人が何を考えていたのかが残っています。同じ出来事でも、書いた人によって見方が違うこともあるんです」


 私は少し考えた。


「……人も、同じかもしれませんね」


「人、ですか?」


「はい。同じ人でも、見る人によって違って見えることがありますから」


 フェリクス様は、少し驚いたあと、微笑んだ。


「……そうですね」


 その笑顔を見たとき、胸の奥がほんの少し温かくなった。


 ◇◆◇


 お見合いのあと、成田さんに尋ねられた。


「どうでしたか?」


「……不思議な方でした」


「不思議?」


「私のことを、美しいとも、伯爵家の令嬢らしいとも褒めないんです」


 成田さんは、黙って聞いていた。


「でも……私の話を、ちゃんと聞いてくださいました」


 成田さんが微笑んだ。


「それは、よかったですね」


「……はい」


 私は頷いた。


「……また、お会いしたいです」


 ◇◆◇


 それから、フェリクス様とは何度かお会いした。


 図書館で。王都の庭園で。小さな喫茶店で。


 会うたびに、少しずつ話すことが増えた。


 ある日、私は思い切って尋ねた。


「……フェリクス様。私の家の噂を、ご存じですか?」


「……はい」


 胸が、きゅっと縮んだ。


「でも、私はクラリッサ様ご自身のことを知りたいと思っています」


「……私、以前はひどい人間でした」


 私は俯いた。


「姉を見下して、何でも自分が一番だと思っていて……」


 フェリクス様は、しばらく黙っていた。


 そして、こう言った。


「私も、立派な人間ではありませんよ。失敗もしますし、間違えることもあります。でも、間違えたときにどうするかは選べると思っています」


 ……。


 どこかで聞いた言葉だった。


 成田さん。


 あなたも、同じことを言っていましたね。


 ◇◆◇


 その頃、お父様のもとに正式な通知が届いた。


 伯爵家の財産管理について、監査が行われるというものだった。


 持参金の流用は返還済みだったが、帳簿の不備や借り入れの処理について確認が必要になったのだ。


 お父様は激怒した。


 けれど、もう誰も、お父様の怒声だけでは動かなかった。


 使用人たちは正式な指示を求め、取引先も書面での確認を要求した。


 以前のように、お父様の一言で何でも決まることはなくなった。


 そして、私も決めた。


 ◇◆◇


「……家を出る?」


 お父様が、呆然とした顔で私を見た。


「はい。王都に、小さな住まいを借ります」


「どこで暮らすつもりだ!」


「花屋で働きながら、勉強を続けるつもりです」


「伯爵家の娘が、花屋で働くだと!? 恥を知れ!」


 以前なら、泣いていたかもしれない。


 でも、今は。


「……お父様。私は、もう誰かの引き立て役にも、誰かの飾りにもなりたくありません」


 お父様が言葉を失った。


「自分で働いて、自分で考えて、自分の人生を選びたいのです」


「……リーゼと同じことを言うのか」


 私は首を振った。


「いいえ。私は、私の人生を歩きます」


 ◇◆◇


 王都での暮らしは、思っていたより大変だった。


 朝早く起きて、花屋へ向かう。


 水を替え、花を選び、店先を整える。


 花の名前を間違えた。値札を付け間違えた。店主に叱られたこともある。


 でも、不思議と嫌ではなかった。


 自分が何を間違えたのか、わかるから。


 そして、次はどうすればいいのか考えられるから。


 以前の私は、失敗をすべて誰かのせいにしていた。


 でも、今は違う。


 失敗したら謝る。


 わからなければ聞く。


 できなければ練習する。


 それだけのことが、こんなに難しくて、こんなに気持ちのよいことだったなんて。


 ◇◆◇


 ある日の夕方。


 花屋の閉店準備をしていると、フェリクス様が訪ねてきた。


「お疲れさまです、クラリッサ様」


「フェリクス様!」


「図書館の帰りに、少し寄ってみました」


 フェリクス様は、店先の花を見つめた。


「……綺麗ですね。この花を一束いただけますか?」


「もちろんです」


 私は花を包んだ。


 すると、フェリクス様が少し緊張した様子で言った。


「……クラリッサ様。これからも、こうしてお会いできませんか」


 胸が、どきんと鳴った。


「私は……クラリッサ様とお話しする時間が、とても好きなのです」


 美しいから。


 伯爵家の娘だから。


 立派な経歴があるから。


 そんな理由ではなく。


 ただ、私と話す時間が好きだと。


 そう言ってくれる人がいる。


「……私もです」


 フェリクス様の顔が、ぱっと明るくなった。


「……本当ですか?」


「はい。私も、フェリクス様とお話しする時間が好きです」


 ◇◆◇


 その夜、私は机に向かっていた。


 宛先は、北方のグランフェルト辺境伯領。


 お姉様への手紙だった。


 謝りたいことが、多すぎた。


 お姉様を見下していたこと。


 お姉様の仕事を、自分の手柄だと思っていたこと。


 お姉様の持参金が使われたと知りながら、何も言わなかったこと。


 そして、お姉様の苦労を知ろうともしなかったこと。


 私は、ゆっくりと筆を動かした。


『リーゼお姉様。


 今さら手紙を書くことを、お許しください。


 私は、ずっとお姉様を見下していました。


 お姉様がしてくださったことを、当たり前だと思っていました。


 私が立派だと褒められていたことの多くは、本当はお姉様がしていたことでした。


 それなのに、私は感謝するどころか、笑っていました。


 本当に、申し訳ありません。


 私は今、王都で花屋の仕事をしています。


 失敗ばかりですが、少しずつ、自分でできることを増やしています。


 お姉様に許していただけるとは思っていません。


 ただ、一度だけ、謝りたかったのです。


 どうか、お幸せに。


 クラリッサ』


 書き終えたとき、涙が便箋に落ちた。


 私は、もう一度最初から書き直した。


 お姉様には、きちんと読める手紙を送りたかったから。


 ◇◆◇


 返事が届いたのは、それから三週間後だった。


 北方からの封筒。


 見慣れた、お姉様の文字。


 私は、震える手で封を開けた。


『クラリッサへ。


 手紙を読みました。


 あなたが自分の人生を歩もうとしていることを、嬉しく思います。


 ただ、私たちが以前のような姉妹に戻れるかどうかは、まだわかりません。


 私にも、整理しなければならない気持ちがあります。


 それでも、あなたが幸せになることを願っています。


 どうか、自分を大切にしてください。


 リーゼ』


 私は、何度も読み返した。


 お姉様は、許してくれたわけではない。


 それでも、私の幸せを願ってくれている。


「……ありがとう、お姉様」


 私は、手紙を胸に抱いた。


 ◇◆◇


 それから、さらに数か月が経った。


 伯爵家の財政問題は、まだ完全には解決していない。


 お父様が信用を取り戻すには、長い時間がかかるだろう。


 お姉様は、北方で幸せに暮らしていると聞く。


 私は、王都で花屋の仕事を続けている。


 そして、フェリクス様とは正式に交際を始めた。


 まだ、結婚の約束はしていない。


 でも、急ぐ必要はないと思っている。


 お互いのことを、もっと知りたい。


 そんな気持ちが、少しずつ育っている。


 ある日、私は久しぶりに『縁結び相談所』を訪ねた。


 ◇◆◇


「クラリッサさん。お久しぶりです」


「ご無沙汰しております」


 私は、小さな花束を差し出した。


「成田さんのおかげで、私は自分のことを少し好きになれました」


 成田さんは、穏やかに笑った。


「それは、よかったですね」


「それから、フェリクス様とも順調にお付き合いしています」


「おお。それは何よりです」


 机の上の緑色のスライムが、ぽよんと跳ねた。


『――おじさん! お祝いだね!』


「そうだね、ミドリ」


『――お祝いにはパン!』


「……君は、いつでもパンだね」


 私は、思わず笑ってしまった。


 すると、ミドリがこちらを向いた。


『――クラリッサさん! 幸せ?』


 私は、少し考えた。


 以前の私なら、立派な家に嫁ぐことや、誰よりも褒められることが幸せだと答えただろう。


 でも、今は。


「……ええ。幸せです」


 ミドリが、嬉しそうに跳ねた。


『――よかった!』


 成田さんも笑った。


「……うん。よかったですねぇ」


 私は、窓の外を見た。


 王都の空は、よく晴れていた。


 お姉様。


 私は、まだあなたのようにはなれません。


 きっと、これからも失敗するでしょう。


 でも、もう誰かと比べて自分の価値を決めることはしません。


 私は、私として。


 自分の幸せを、見つけていきます。


 ◇◆◇


 その日の夕方。


 花屋の前で、フェリクス様が待っていた。


「クラリッサ様」


「フェリクス様!」


「もしよろしければ、新しくできた喫茶店へ行きませんか?」


「まあ、素敵ですわ」


「それから……帰りに、花を見に行きませんか? 王都の南に、小さな庭園があるそうです」


 私は嬉しくなった。


「ぜひ!」


 フェリクス様が、手を差し出した。


 私は、その手を取った。


 温かい手だった。


 ……ああ。


 きっと、こういうことなのね。


 誰かの引き立て役でもなく。


 誰かに選ばれるための飾りでもなく。


 ただ、自分として生きて。


 その自分を、大切にしてくれる人と歩いていく。


 それが、私の幸せなのだ。


 私は、フェリクス様と並んで歩き出した。


 秋の風が、頬を優しく撫でていった。


 ――完――

最後までお読みいただき、ありがとうございました!


本作は『「お前は妹の引き立て役だ」と父が言うので、婚活アドバイザーに相談して先に嫁ぎました』の妹・クラリッサ視点の後日談です。

https://ncode.syosetu.com/n6908my/


姉の結婚をきっかけに、自分自身と向き合い始めた妹の物語をお届けしました。


婚活アドバイザー・成田とスライムのミドリが活躍する連載本編『46歳、社畜のオタク婚活アドバイザーですが、異世界転生したらコミュ力だけで無双してしまいました ~妻子持ちのおじさん、帰宅を目指して魔王すら成婚させる~』も投稿中です。

https://ncode.syosetu.com/n9705mx/


少しでも面白いと思っていただけましたら、評価やブックマークで応援していただけると嬉しいです!


今後ともよろしくお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
なんだろう・・・・読後に胸が温かくなる良い話でした(愚父除く)
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。