公爵令嬢の婚約者に手を出して、道連れにしました。幸せでした。
「カチェリーナ、貴様とは婚約破棄する!そして、このニアと婚約する!」
第二王子がそう叫んで、私を腕に抱いた。
やった…、やったわ。
ようやくこの時が来た…!
今この瞬間、誰よりも注目を浴びているのは、この私だろう。
私、男爵令嬢のニアは喜びが溢れてしまいそうで、なんとか笑みを殺した。
第二王子はそのあとも、くどくどと婚約者であるカチェリーナ公爵令嬢を責め立てた。
学園の生徒はざわめきが止められない中、当の公爵令嬢は何も言わなかった。
ただ一瞬、カチェリーナ公爵令嬢のあのアイスブルーの瞳と目が合った。
腹の底からぞわりとした興奮が湧いてきて、我慢できずにニヤついてしまったことだろう。
ああ、ようやくこれで幸せになれるかもしれない。
私の淡い願いとともに、学園での大騒ぎは幕を閉じることとなった。
結果として、第二王子とカチェリーナ公爵令嬢は婚約を解消された。
第二王子は2週間牢獄に入ったあと、廃嫡が決まった。
私は学園を退学となり、実家である男爵家は爵位返上を言い渡された。
家では母親になじられ、父親にはこれでもかというほど殴られた。
執事長は顔を真っ青になって、メイドは我を忘れて皿を投げた。
怒号が飛んで、物が飛んで、めちゃくちゃだった。
父の拳が鼻に当たって、鼻血が出た時が限界だった。
「あはっ、あはははははっ!きゃははははは!」
壊れたように笑い出した私を見て、父は殴る手を止めた。
母は悍ましいものを見るように、息を呑んだ。
静まり返った部屋の中で、私の笑い声だけが響いた。
「キャハハハハッ!」
まるで少女のように笑って、ずっと笑って、止まらなくて、父がいよいよ震え出した。
「おま、お前なんかもう面倒見てやらん…!今すぐ出てけっ!」
そう言って、身一つで家を追い出された。
誰も助けてくれたりはしなかった。
私は袖で鼻血を拭って、歩き出した。
晴れた空に、街がいつもより綺麗に見えた。
「私、本当にやったのね」
高揚感に包まれたまま、私は空を見上げた。
あのカチェリーナ公爵令嬢の瞳のような、アイスブルーが広がっていた。
「やり遂げたわ。本当に、うまくいってよかった…!」
嬉しくて、やっぱり笑ってしまう。
「はあ、カチェリーナ様…」
私はスキップしたい気分を堪えて、殴られて痛い体を庇いながら、街へと消えていった。
私の生まれは、平民だった。
男爵当主の父と、元子爵令嬢の母との間にできた庶子だ。
男爵である父が援助してくれていたから、そこら辺の平民よりは裕福だったのかもしれない。
でも、その対象は私ではなかった。
母は、貴族ではない自分のことが受け入れられていなかった。
14歳まで貴族令嬢だった母にとっては、多少しょうがないことだったのかもしれない。
矜持が邪魔したのか、過去が邪魔したのか、私は知らない。
母は、貴族に返り咲くことだけを追いかけていた。
だから、幼馴染だった父に体を許して、男爵の愛人という立場を得た。
父は母のことが好きだったようで、当時の婚約者を退けるように母にのめり込んだそうだ。
母にたくさんお金を使い、家まで与えて、母を囲った。
そうして、私が生まれた。
父が愛しているのは母だけで、母が愛しているのは父の立場だけ。
たくさんの援助金は、ほとんどが母の心満たされるものへと変わった。
平民に合わないドレス、宝石、部屋の内装、花やお菓子、高級な紅茶。
それらが全部、母だけのものだった。
むせ返るほどの身の丈に合わない華美の中、私はいつもお腹が空いていた。
母が自分のためだけにお金を使ってしまうから、私は平民以下だった。
親がいるから孤児院にも行けない。
外聞を気にする父からは外に出ないように言われていた。
それでも、あまりにもお腹が空いた時には、外に出て雑草や残飯を探した。
そんなある日、たまたま外に出ていた日に街中で行われていた炊き出しと遭遇した。
私は、縋るようにその列に並んだ。
外面だけは気にする父に服だけは与えられていたから、質のいいワンピースを着た娘がその列に並ぶものだから、他の人に煙たがられた。
そんなこと、気にしている余裕などなかった。
受け取った温かいシチューに、ご飯ってあったかいんだと思った。
私は一心不乱にがっついた。
お皿いっぱい食べられる機会なんて逃せなかった。
それは異様な光景だったと思う。
私がその場の目撃者だったのなら、どこかの裕福そうな家の子が汚らしく野犬のようにご飯を掻き込んでいるなんて、私だって遠巻きで見る。
それなのに、1人の少女が近づいてきたのだ。
私と年齢も変わらなそうな、私よりもずっと綺麗な服を着た、優しげな女の子。
年相応の笑顔で、笑いかけてくれたのだった。
運命の出会いだった。
「あなた、お腹空いているの?」
そう心配そうに声をかけてくれた女の子は、もう一杯のシチューを持って、私の隣に座った。
誰も近寄らなかった私のそばにやってきて、その皿を手渡してくれた。
「本当はおかわりはだめなのだけれど、これあげるわ」
「…」
私は何て答えていいのかわからなくて、黙ってシチューを見た。
母だって父だって滅多に私に話しかけてこないから、戸惑うだけだった。
「私の分ってことにしておくから」
「…食べて、いいの?」
「ええ、食べて。お腹が空くと悲しいから」
言われている意味はその時はわからなかったけど、私はその皿を受け取って、誰にも奪われないうちにまたがっついた。
少女はただそれを見ていた。
取り上げられることも、怒ることなく、ただ見守っていた。
アイスブルーの瞳が、印象的な子だった。
私が二杯目を平らげると、その子はハンカチで私の口を拭ってくれた。
びっくりして、体がこわばった。
まるで、年下の子を面倒見るようだった。
私が何も言えずにいると、少女は誰かに呼ばれた。
「カチェリーナ様、戻ってきてください〜!」
「はーい」
そうして綺麗な所作で立ち上がると少女は私に礼をして、炊き出しをしている大人たちのところへ戻っていった。
私は、その後ろ姿を目に焼き付けた。
「…カチェリーナ」
あんなに綺麗で優しい人は、はじめてだった。
同じ年頃の子とまともに喋ったのも、はじめてだった。
彼女の名だけは忘れてはいけない気がして、頭の中で何度も繰り返した。
あとから知ったことだが、炊き出しは王族の慈善活動の一つで、カチェリーナ様も主催側としてお手伝いしていたみたいだった。
半年に一度行われていた炊き出しに、そのあと毎度参加しても、その日以降カチェリーナ様を見ることはなかった。
私に転機が訪れたのは、12歳の時だった。
父が奥様と離縁して、母を夫人として迎え入れたのだ。
私も、ついでと言わんばかりに男爵家の屋敷に連れて行かれた。
母がはしゃいでいた姿は、今でも覚えている。
父と元奥様の離縁の理由は、子どもができなかったからだと聞いていたが、それもそうかもしれないと思うのに時間がかからなかった。
「元奥様の次は、お嬢様に暴力を振るうなんて…」
そう使用人が零しているのを聞いた時、なんとなく腑に落ちた感触がした。
あれだけ殴られるのなら、元奥様は逃げられてよかったのかもしれないと、他人事のように思った。
引き取られてからというものの、父から殴られるのは日常茶飯時となった。
気に入らないことがあると、関係のない私が殴られる。
外面を気にする父だから、見えるところには傷はできなかった。
それでも、その時いた使用人は優しくて、父に隠れて傷の手当てをしてくれた。
私も、それほど気にしていなかった。
だってこの家では殴られても、ご飯が出てくる。
『お腹が空くと悲しい』が少しだけわかった。
お腹いっぱい食べられることを知ると、お腹が空くのは耐えるのが難しいんだと知った。
だから、感謝してご飯を食べた。
あの子が私に二杯目をくれたのは、すごいことだったんだと感じた。
カチェリーナ様への尊敬が、日に日に増していくようだった。
やっぱり外聞を気にする父なので、教育はそれなりに受けられた。
そうして、私はカチェリーナ様の存在を知ることとなったのだ。
カチェリーナ様は公爵令嬢で、第二王子とは5歳の時から婚約者だった。
やっぱり特別な人だったんだと思った。
年は、私より1つ上だった。
そして、貴族学校なるものがあると知った。
その学校は三学年在学するので、私もカチェリーナ様と同じ時期に通えるとわかった。
目の前が明るくなるようだった。
そこからは、勉強にも励んだ。
カチェリーナ様と会える時に、恥ずかしくない自分でいられるようにと一生懸命頑張った。
そうして、家庭教師にも褒められるぐらいになった頃、いよいよ入学となった。
男爵令嬢が公爵令嬢と話す機会なんてないだろう。
ましてや学年も違うのだ、一目見られるだけでも貴重なことだ。
それでも、もう一度お会いしたかった。
できることなら、お礼が言いたかったけど、いきなり「あの時は、ご飯を恵んでくださってありがとうございました」なんて言われても意味がわからないだろう。
だからせめてご挨拶ができたらいいななんて夢を見ながら、期待と不安を胸に学校の門をくぐった。
だけど、そこに待っていたのは、絶望だった。
カチェリーナ様は、第二王子に疎まれていた。
何が気に食わないのか、婚約者らしいことは全部拒否され、大事にされていなかった。
カチェリーナ様を馬鹿にして、侮辱して、罵っていた。
みんなに憧れられるべき高貴なご令嬢は、憐れまれていた。
それどころか、第二王子は平民の女と寝てはとっかえひっかえして遊んでいた。
「頭が固いカチェリーナの体まで固かったら、抱くのも無理だな」と同じくらい馬鹿な令息たちと笑っていたと知った時に、私の中で何かがブツリと切れた。
こんな奴、カチェリーナ様に相応しくない。
だから、第二王子のことを徹底的に調べ上げた。
もちろん、カチェリーナ様のことも調べた。
贔屓目に見ても、カチェリーナ様に非はなかった。
王族に連なるものとしての教育はほとんど済んでいた。
第二王子の仕事も、肩代わりしているようだった。
王妃様には気に入られていた。
ご自分のお父様の領地の孤児院には定期的に訪問し、寄付もしていた。
学校でも、わかる人にはしっかり支持されていた。
周囲の人からは、穏やかで慎ましいという評価だった。
身分を笠に着て誰かを不当な扱いをするなんてことも見受けられなかった。
淑女の仮面が完璧なだけかもしれないけれど、あの時のような笑顔は見られなかった。
本当は飛び級で卒業できるほどの実力だが、同じ学年の第二王子よりも早く卒業するわけにはいかないという理由だけで、学校に通われているという情報まであった。
どれだけ調べても、カチェリーナ様が悪く言われる何かがなかった。
それに比べて、第二王子は酷かった。
女遊びが激しく、公務はサボってばかり。
それどころか授業もサボっていて、教師は手を焼いていた。
それなのに外面はいいから、貴族の間でも第二王子派がいるくらいだった。
別に頭が悪いというわけでもなく、要領はいい。
押さえるところは押さえている、厄介なタイプだった。
それなりにできるからこそ、傲慢だった。
カチェリーナ様を馬鹿にするくせに、その能力は買っているのか、面倒なことは押し付けていた。
特に女性関係で揉めることが多いが、それもお金を握らせて黙らせていた。
これは使えると思った。
最低限の常識はあったようで、手を出すのは平民ばかりだった。
それでもプライドの高い、王族だという矜持のある男が、平民で満足するわけがないと思った。
本当は貴族の女を組み敷きたいのだろう、と。
だから、カチェリーナ様を嫌っていながら、手放さないのかとも思った。
そう思ったら、余計に怒りが湧いた。
私も一応貴族令嬢だ。
貴族の父と元貴族の母から生まれた、血だけは貴族にかなり近い私。
それでも、実際はただ庶子で、王族から見たら平民みたいな男爵家の娘。
貴族の女に手を出したい欲が叶い、尚且ついざとなったら揉み消せそうな女。
格好の餌になれると思った。
私が、第二王子と不貞を働いたら。
それがずっと続いて、第二王子がカチェリーナ様を手放してもいいと思ったら。
カチェリーナ様が、見合わない第二王子から解放されるとしたら。
カチェリーナ様が何も悪くないままに、ことを終えられるのなら。
その巻き添えで、男爵家もろとも地に落とせるとしたら。
私のやることが決まった瞬間だった。
そこからは、早かった。
第二王子は簡単に落ちたし、恋人のように振る舞いながら、都合のいい女を演じた。
いつだって第二王子を持ち上げ、まるであなたしかいないという馬鹿な女になった。
所詮は愛人の子どもねと学校内で言われても、痛くも痒くもなかった。
第二王子にもらった宝石の一部を換金して、高い避妊薬を買った。
店主に将来子どもが産みにくくなる可能性があると言われたが、どうでもよかった。
触られるたびに顔が引き攣りそうになり、抱かれるたびにあとから吐いたが、それもどうでもよかった。
私にできた目標に近づくために、努力した。
意外にも骨抜きになった第二王子は、優秀な兄と秀才な婚約者に挟まれて、苦労しているようで、私に愚痴まで零すようになった。
ベッドの中でカチェリーナ様の文句を聞くのが、唯一の褒美だった。
「あいつは飛び級して卒業して、俺を晒し者にしようとしたんだ」
と言っているのを聞いて、カチェリーナ様はやっぱりすごいんだと嬉しくなった。
「ニアはあんな陰険な女と違って、裏表がなくて癒される。ニア、愛してる」
「私も、殿下を愛しております。私のこと、ずっとそばにおいてくださいね」
そう言って、可愛く見えるように微笑んだ。
あの時の少女が見せてくれた、純粋な笑顔を頑張って纏った。
第二王子が愛おしそうに私を抱き締めても、何も心が動かされなかった。
そうして、カチェリーナ様の学年の卒業パーティーの時、第二王子が盛大にやらかしてくれた。
あのカチェリーナ様との婚約破棄を、堂々と宣言したのだ。
「カチェリーナ!貴様とは婚約破棄する!」
ああ、私、うまくできたんだ。
嬉しかった。
喜びたかった。
舞い踊りたかった。
はじめて第二王子に抱きついて、心からありがとうと言いそうになった。
予想以上にうまくいって、怖いくらいだった。
あの瞬間、学校ではじめてカチェリーナ様と目が合った。
アイズブルーの瞳に何がのっていたのか私にはわからなかったけれど、全てが報われたような気がした。
目を合わせてもらった瞬間を、私は一生忘れない。
父にはいつものように殴られた。
母にははじめて引っ叩かれた。
執事長は、震えていた。
たった1人しかいないメイドは、暴れ回った。
男爵家の爵位返上はおまけだったが、ここから解放されるなんておまけにしては出来過ぎだった。
最高だった。
貴族に戻ったことで、母は湯水のようにお金を使っていた。
愛人として囲んでいたのなら、裕福なままだったろうに、今の男爵家はかなり危うい状態だった。
使用人を雇えるお金がなくて、1人1人と消えて、私に優しくしてくれた使用人はとっくにみんないなくなっていた。
残ったメイドは、父の前で私を殴ってもお咎めなしだから残っているような人だった。
執事長だけは、先代の男爵に顔向けできるようにと頑張っていたが、それもここまでだ。
私は、平民に戻った。
何もかも終わった。
空は、溶けるようなアイスブルーだった。
鼻血のついた服の裏に縫い付けておいた、第二王子にもらった残りの宝石を換金して、ここから遠くへと向かった。
これは私が勝手にやったことだ。
そして、私の自己満だ。
恩返しでもなんでもない。
カチェリーナ様が、一生知らなくていいことだ。
それでも、私の心は人生で一番晴れやかだった。
あれから数ヶ月経って、私は地方の宿屋に住み込みで働いていた。
「ニアちゃん。次こっちの掃除ね〜」
「はーい」
子どもじゃないだけで雇ってもらえるのだから、ありがたい。
毎日お腹を空かせていた頃には、考えられないことだ。
「そういえば、第一王子が婚約したらしいぞ」
宿の下の階は食堂になっていて、お客さんで賑わっている。
「え、ずっといなかったじゃないか」
「なんか慎重に選んでいたらしいからな」
「それで、誰になったんだ?」
思わず、耳がそちらに向いてしまう。
「なんか浮気されていたお嬢さんになったって」
「なんだい、それ」
「ほら、ちょっと前に廃嫡になった王子と婚約していた人だよ」
「へえ〜!その人と第一王子の婚約したってことは、その女の方に落ち度がなかったってこったなあ!」
「やーね、巻き込まれて可哀想に」
「ちょっと、ニアちゃん。手が止まっているよ」
「あ、はいっ!すみません!」
私は急いで、掃除をしにその場所を離れたのだった。
その日の夜、ベッドの中で泣いた。
「よかった、よかった…!」
お腹が空いた時も、殴られている時も、王子に抱かれている時も泣かなかったのに、涙が止まらなかった。
もう朝焼けに染まっていく空を見ながら、もっと仕事をしようと決めた。
私の働いた税が、いつかカチェリーナ様にも使われると思ったら、俄然やる気が出た。
次の目標が決まった。
あの馬鹿王子は、カチェリーナ様に何も贈り物をしていなかった。
あの美しいアイスブルーに似合うドレスを身に纏って、誰よりも笑っていてほしい。
民を慈しみ、優しさを惜しみなく使ってくれるあの優しい人の生活が潤えば、それでいい。
そして、私にシチューを手渡してくれた時みたいに、また笑ってくれたら嬉しい。
「はあ、ありがとうございました、カチェリーナ様」
私はかつてないほど穏やかな気持ちで、仕事までのあと少しの時間眠りについたのだった。
了
お読みくださりありがとうございました!
毎日投稿134日目。




