多元世界を管理してる神だけど、なぜか日本からの転生者が尽きない件。〜スローライフも悪役令嬢も追放ざまぁも、全部こっちで仕分けてます〜
私は神だ。
……と言っても、雷を落としたり、海を割ったり、人間に啓示を与えたりするタイプではない。
私の職場は、多元世界管理局・転生配属課。
仕事内容は、死んだ魂の深層心理を読み取り、適切な世界線に振り分けること。
ものすごく雑に言えば、配属係である。
平穏を望む魂には、戦乱のない世界を。
刺激を望む魂には、魔物も冒険もほどほどにある世界を。
復讐を望む魂には、因縁を安全基準内に収めた世界を。
己の価値を証明したい魂には、努力がちゃんと報われる世界を。
そうやって、なるべくミスマッチが起きないように振り分ける。
地味だが、大事な仕事だ。
大事な仕事なのだが。
「はい、次の人」
私が呼ぶと、白い面談室の扉が開いた。
入ってきたのは、黒髪の少年だった。
年齢、十六。
死因、交通事故。
出身、日本。
私はその三項目を見た時点で、静かに目を閉じた。
また日本かぁ。
「あ、あの……ここって、もしかして……」
「転生前の面談室。説明いる?」
「異世界行けますか!?」
「説明いらなかったね」
少年の目が、さっきまで死んでいたとは思えないほど輝いた。
この反応も、ここ最近では見慣れたものだ。
普通の魂なら、まず自分が死んだことに混乱する。泣く。怒る。家族の名前を呼ぶ。こちらとしても、できる限り丁寧に説明する。
だが日本人は違う。
白い部屋。
謎の神。
死亡直後。
この三点が揃った瞬間、だいたいの者が状況を察する。
「チート能力って、もらえますか?」
ほら来た。
「能力付与は、配属先の世界線と魂の適性によるね」
「じゃあ、鑑定とか収納とか言語理解とかって……」
「転生三点セットね」
「三点セット!?」
「最近、希望が多すぎてこっちでも呼び名がついた」
私は手元の端末を操作しながら、少年の魂を覗き込む。
表層心理では、彼はこう思っていた。
のんびり暮らしたい。
危ないことはしたくない。
田舎で畑でも耕して、静かに暮らせたらそれでいい。
なるほど。
口で言う分には、とても慎ましい。
「希望は?」
「えっと、できればスローライフがいいです」
「うん」
「戦闘とか政治とか、面倒なことには関わらずに」
「うんうん」
「田舎でゆっくり暮らして、畑とかやって、たまに料理とかして……」
「いいね。理想的な第二の人生だ」
私は頷きながら、さらに深層へ潜る。
すると、そこには広大な畑があった。
ただの畑ではない。
植えた薬草は、なぜか古代竜の呪いを解く万能薬に育っている。
作った野菜は、王都の高級料理人が泣いて欲しがる品質。
村に魔物が襲ってきたときは、本人が鍬を一振りしただけで討伐完了。
助けた少女は実は隣国の姫。
拾った犬は神獣。
趣味で作った水車が産業革命のきっかけになり、村人たちは口々に言う。
『君が来てくれて、本当に助かった!』
『すごい!でも本人は無自覚なんだ!』
『ただ者じゃないとは思っていたが、まさかここまでとは!』
私は静かに深層心理から戻った。
「君さ」
「はい」
「スローライフって言ったよね?」
「はい!」
「魂の奥で、村のGDPが王都を抜いてるんだけど」
「じーでぃーぴー?」
「気にしなくていい。こっちの話」
私は端末にメモを入れる。
希望:スローライフ。
実態:低刺激型無自覚無双願望。
備考:本人に自覚なし。
「君、目立ちたくないタイプ?」
「あ、はい。できれば普通に暮らしたいです」
「魂の奥で王様から勲章もらってたけど」
「えっ」
「あと村人がスタンディングオベーションしてた」
「えっ」
「ついでに竜も懐いてた」
「竜も!?」
ちょっと嬉しそうにするな。
こういうところだぞ。
「じゃあ、候補を出すよ」
私は端末に世界線候補を表示した。
「まず世界線F-021。魔物なし。戦争なし。貴族なし。ギルドなし。土地は肥沃。村人は穏やか。君は農家の三男として生まれ、畑を耕し、近所の娘と結婚し、子供と孫に囲まれて一生を終える」
「えっ」
「理想的なスローライフだね」
「いや、その……」
少年の顔が曇った。
わかる。
わかっていた。
「何か問題でも?」
「あの、魔法とかは……?」
「ない」
「冒険者ギルドは……?」
「ない」
「森で珍しい薬草を見つけたりとか……」
「ない。普通のよもぎならある」
「よもぎ……」
「いいよ、よもぎ。餅に入れるとおいしい」
「いや、そうじゃなくて」
少年は困ったように視線を泳がせた。
魂の表面では、まだ必死に「本当にのんびり暮らしたいだけなんです」と言い張っている。
しかし深層心理では、古代遺跡の扉が開いたり、謎の美少女が倒れていたり、村長が「君しか頼れん」と泣きついてきたりしている。
うるさい。
魂の奥がだいぶ賑やかだ。
「じゃあ候補その二。世界線M-330。魔法あり。農村あり。魔物あり。ただし君は本当に一般人。特別な力なし。畑仕事は天候に左右される。病害虫も出る。収穫が悪ければ普通に困る」
「それはちょっと……」
「スローライフだよ?」
「もう少し、こう……便利な感じで……」
「便利」
「たとえば、アイテムボックスとか」
「出たね」
私は端末に指を滑らせた。
少年の魂から、追加の希望が次々と浮かび上がってくる。
鑑定。
収納。
言語理解。
成長補正。
魔法適性。
料理補正。
農業補正。
薬草知識。
動物に好かれる体質。
魔物に襲われてもなぜか生き残る幸運。
本人は目立ちたくないが、周囲だけが価値に気づく環境。
「君さ」
「はい」
「それ、スローライフじゃなくて、低難易度ファンタジー経営シミュレーションだね」
「け、経営はしませんよ?」
「魂の奥で村の特産品ブランド化してるけど」
「えっ」
「王都に支店も出してる」
「王都に!?」
本人が一番驚いている。
深層心理というのは、本人の自覚よりだいぶ正直だ。
口では「普通に暮らしたい」と言っていても、心の奥では「普通に暮らしていたら勝手に評価されたい」と思っていたりする。
責めるつもりはない。
人間なんてだいたいそんなものだ。
ただ、申請書には正直に書いてほしい。
こちらの処理が増えるから。
「能力付与について説明するよ」
「はい!」
少年が身を乗り出した。
やはり本題はそこか。
「まず鑑定。便利だけど、見える情報には制限がある」
「なるほど」
「収納。容量無限はだめ。物流と経済が壊れるから」
「あー……」
「言語理解。これは付ける。ないと最初の村で詰むからね」
「助かります!」
「成長補正。努力量に応じて伸びる形にする」
「最初から強いわけじゃないんですね」
「最初から強い農民、怖いでしょ」
「たしかに」
「魔法適性は土と水を強めにする」
「土と水……地味じゃないですか?」
「農業したいんでしょ」
「あ」
「薬草育てたいんでしょ」
「あ」
「畑をやるなら、火属性で爆発するより土壌と水分管理できたほうがいいよ」
「たしかに……」
少年は素直に頷いた。
このあたりは悪い子ではない。
ただ、物語への期待値が高すぎるだけだ。
最近の日本人転生者には、この傾向が強い。
彼らは死後の混乱より先に、ジャンルを確認する。
そして自分が主人公かどうかを気にする。
世界は、舞台ではない。
彼らの人生ではあるが、同時に現地人たちの人生でもある。
私はそこを間違えないように配属する。
たとえ相手が、魂の奥でドラゴンをペットにしていても。
「最終候補。世界線B-1182」
端末に、一つの世界線を表示する。
「剣と魔法あり。農村あり。魔物あり。ギルドあり。王国あり。転生者受け入れ実績あり。テンプレ耐性も高い」
「テンプレ耐性?」
「勇者が月に三人湧いても、経済と治安が即死しない世界って意味」
「すごい世界ですね」
「すごいというか、慣れてる」
世界線B-1182は、転生配属課では有名だ。
多少のチート持ちが来ても、世界側が勝手に帳尻を合わせる。
珍しい作物が生えれば、現地の商人が適正価格をつける。
強い魔物が倒されれば、ギルドが素材流通を管理する。
謎の便利道具が出ても、職人組合が制度に組み込む。
要するに、転生者がやらかしても壊れにくい。
ありがたい世界だ。
たまに現地の管理神から「そろそろ日本人を送るの控えて」と連絡が来るが、ありがたい世界だ。
「君はそこで、辺境の村の少年として生まれる。土と水の魔法適性あり。言語理解あり。収納は小容量。鑑定は植物と食材に限定。成長補正は農業・調理・基礎魔法に限る」
「限定多くないですか?」
「無制限にしたら、君は三年後に王都で商会王になる」
「なりませんよ!」
「魂の奥でなってる」
「なってるのか……」
少年は少しだけ恥ずかしそうに俯いた。
自分の本音を他人に見られるのは、かなり気まずいらしい。
まあ、こちらは仕事なので毎日見ている。
人間の深層心理は、だいたい散らかった部屋に似ている。
本人は見せるつもりがないものほど、目立つ場所に置いてある。
「でも、あの」
「ん?」
「僕、本当に……前の人生では、あんまりうまくいかなくて」
少年の声が、少しだけ小さくなった。
さっきまでの浮ついた期待が引いて、魂の奥に別の色が見えた。
学校。
教室。
笑い声。
スマホの画面。
言い返せなかった言葉。
家族に心配をかけたくなくて、何でもないふりをした夜。
なるほど。
無自覚無双の下にあるのは、いつものやつだ。
誰かに認められたかった。
自分にもできると思いたかった。
次は、失敗してもやり直せる場所が欲しかった。
私は端末から視線を上げる。
「うん」
「だから、その……今度は、少しだけ楽しく生きたいです」
「それを最初に言ってくれると、こっちも助かるんだけどね」
「あ、すみません」
「謝らなくていいよ。人間は本音にたどり着くまでが長い生き物だから」
私は申請内容を少しだけ修正した。
世界線B-1182。
配属先、辺境の農村。
家族関係、良好。
初期環境、安定。
近隣住民、善良。
魔物被害、低頻度。
ただし、本人の努力がちゃんと誰かに届く余地を残す。
チートは最小限。
でも、報われる道筋は消さない。
「君に必要なのは、世界最強の力じゃない」
「はい」
「たぶん、畑で採れた野菜を食べた誰かが『おいしい』って言ってくれることだ」
少年はぽかんとした顔をした。
それから、少しだけ笑った。
「……それ、いいですね」
「でしょ」
「でも、ドラゴンとかは……」
「未練が早い」
「すみません」
「まあ、絶対に出ないとは言わない」
「出るんですか!?」
「君の人生次第。あと世界側の都合次第」
少年の顔がぱっと明るくなる。
だから、そういうところだぞ。
私は笑いをこらえながら、最後の承認印を押した。
面談室の床に、淡い光の魔法陣が広がる。
少年の魂がゆっくりと透けていく。
「あの、神様」
「神様でいいよ。名前は覚えなくていい。どうせ転生したら忘れるし」
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
少年は一度頭を下げて、それから光の中へ消えていった。
配属完了。
世界線B-1182、転生者受け入れ成功。
私は端末に最終記録を残す。
希望:スローライフ。
実態:低刺激型無自覚無双願望。
処理:農村ファンタジー世界へ配属。
付与:限定鑑定、小容量収納、言語理解、土水魔法適性、努力連動型成長補正。
備考:根は素直。承認欲求やや強め。ドラゴンへの未練あり。
そこまで入力したところで、受付通知が鳴った。
私は椅子の背にもたれ、軽く息を吐く。
今日の日本人転生者、これで二十七人目。
まだ午前中である。
悪役令嬢。
ここ最近、日本人女性の転生希望者から、やたらと聞く単語である。
最初に聞いたときは、正直よくわからなかった。
悪役なのか。
令嬢なのか。
悪役をやりたいのか。
令嬢をやりたいのか。
それとも、悪役という立場を踏み台にして、令嬢として快適な人生を送りたいのか。
結論から言えば、最後が一番近い。
少なくとも、私の部署に来る悪役令嬢希望者の大半は、本気で悪事を働きたいわけではない。
彼女たちが欲しいのは、悪役の罪ではなく、悪役の立場。
貴族の家柄。
高い教養。
美しいドレス。
広い屋敷。
有能な侍女。
破滅フラグ。
婚約破棄イベント。
そして最近は、そこに溺愛ルートが付く。
人間の欲望は、年々オプションが増える。
「それで、悪役令嬢にはなれますか?」
白い面談室の中央で、スーツ姿の女性が言った。
年齢、二十八。
死因、過労に伴う事故。
出身、日本。
日本人転生者、本日二十八人目。
まだ午前中である。
私は端末を開き、彼女の魂の基礎情報を確認した。
仕事は事務職。勤務態度は真面目。責任感は強め。上司運は悪い。睡眠時間は短い。趣味は乙女ゲーム、漫画、小説投稿サイト巡回。
なるほど。
だいぶ仕上がっている。
「一応聞くけど」
「はい」
「悪役はやりたい?」
「悪事は嫌です」
「令嬢は?」
「なりたいです」
「破滅は?」
「絶対嫌です」
「婚約破棄イベントは?」
「欲しいです」
「だよね」
私は深く頷いた。
悪役令嬢希望者は、破滅を嫌がる。
だが、なぜか婚約破棄の壇上には立ちたがる。
処刑は嫌。
国外追放も嫌。
修道院送りも嫌。
家名没落も嫌。
でも、王子から「お前との婚約を破棄する!」とは言われたい。
そのあと冷静に論破して、周囲に「さすがです、お嬢様」と言われたい。
ここまでは、まあ定番だ。
問題は、最近の希望には続きがあることだ。
「あと、溺愛ルートはありますか?」
「出たね」
「出たね、なんですか?」
「悪役令嬢希望者の追加オプション人気一位」
「一位なんですか」
「うん。ちなみに二位は有能な侍女、三位はざまぁ後の悠々自適」
「わかります」
「わかるんだ」
「わかります」
彼女は真顔で頷いた。
わかるらしい。
「溺愛って、具体的には?」
「私だけを見てくれて、でも重すぎなくて、仕事の邪魔はしなくて、ピンチのときは助けてくれて、普段は信頼して任せてくれて、たまに嫉妬してくれるくらいで」
「注文が高級旅館の口コミみたいだね」
「大事なので」
「大事だね」
私は端末にメモを入れる。
希望:悪役令嬢。
追加希望:破滅回避、婚約破棄イベント、適度な溺愛、有能な侍女。
備考:欲望の同時接続あり。
「で、婚約破棄はされたいんだよね?」
「はい」
「でも溺愛もされたい?」
「はい」
「破棄されたいの? 愛されたいの?」
「両方です」
「人間、欲望の同時接続やめようか」
彼女は少しだけ気まずそうに目を逸らした。
だが、魂は正直だ。
私は彼女の深層心理を覗き込む。
そこには、豪奢な大広間があった。
シャンデリア。
赤い絨毯。
ざわめく貴族たち。
壇上でこちらを指さす王子。
『エリシア、君との婚約を破棄する!』
その瞬間、彼女は静かに微笑み、完璧な証拠を突きつける。
王子は青ざめる。
取り巻きは黙る。
ヒロインは涙目で謝る。
観衆は息を呑む。
有能な侍女は背後で誇らしげに頷く。
そしてその場に、隣国の王子か、冷酷公爵か、無口な騎士団長が現れる。
『君を傷つける者は、私が許さない』
なるほど。
欲張りセットだ。
「君さ」
「はい」
「婚約破棄はイベントとして欲しいけど、本当に捨てられるのは嫌なんだね」
「……そうですね」
「王子本人が好きというより、理不尽に捨てられる側じゃなくて、ちゃんと選ばれる側になりたい」
彼女は黙った。
表情は落ち着いていたが、魂の奥がわずかに揺れた。
図星らしい。
「前の人生では、あまり選ばれなかった?」
私がそう言うと、彼女は苦笑した。
「選ばれなかったというか……便利に使われた、のほうが近いかもしれません」
魂の奥に、前世の記憶が浮かぶ。
会議室。
積まれた書類。
曖昧な指示。
責任だけ押しつけてくる上司。
手柄だけ持っていく同僚。
断れずに引き受けた残業。
帰りの電車で、頭の中だけで何度も繰り返した反論。
ちゃんと説明してください。
それは私の仕事ではありません。
できないなら、できないと言ってください。
私の時間を何だと思っているんですか。
なるほど。
この魂が本当に欲しいのは、恋愛だけではない。
発言権だ。
それと、尊重されること。
「希望世界線を出すよ」
私は端末に候補を表示した。
「世界線R-044。乙女ゲーム風貴族社会世界。魔法あり。学園あり。婚約制度あり。王族あり。破滅フラグあり。溺愛ルートも複数あり」
「複数!」
「食いつくね」
「大事なので」
「さっきも聞いた」
世界線R-044は、転生配属課ではそれなりに人気の高い世界線だ。
王族、貴族、魔法学園、舞踏会、婚約破棄、断罪、ヒロイン、攻略対象、領地改革、隣国の王子。
必要な要素がだいたい揃っている。
ただし、恋愛感情の矢印が増えすぎて、因果律が毛糸玉みたいになっている。
管理する側としては、あまり触りたくない。
だが、受け入れ実績は豊富だ。
「君は公爵家の長女、エリシア・フォン・ルクレールとして生まれる。五歳で前世の記憶を思い出す。十六歳で王立学園に入学。婚約者は第二王子」
「王子の性格は?」
「顔は良い」
「性格は?」
「顔は良い」
「二回言った」
「察して」
「ああ……」
第二王子レオンハルト。
能力は高い。顔も良い。魔力もそこそこ。
ただし、若干自己陶酔が強い。
人の話を最後まで聞かない。
あと、重大発表を人前でしたがる。
婚約破棄向きだ。
向いていていいのかは知らない。
「ヒロインは?」
「平民出身の光属性持ち。明るく努力家。悪い子ではない。ただし、周囲の攻略対象たちが勝手に盛り上がるので、本人の知らないところで揉め事が起きやすい」
「その子とは敵対したくないです」
「深層心理でもそこは一致してる。君、ヒロインにはかなり優しい」
「よかったです」
「ただ、攻略対象たちをまとめて説教したい欲はある」
「あります」
「あるんだ」
「あります」
即答だった。
私はさらに深層を見る。
彼女の中には、華やかな舞踏会よりも強い映像がある。
領地の帳簿。
使用人の勤務表。
孤児院の衛生環境。
老朽化した水路。
前任者が放置した書類の山。
悪役令嬢というより、改革派管理職である。
「君、領地経営に興味ある?」
「あります」
「即答だね」
「前世では、改善案を出しても通らなかったので」
「うん」
「だから今度は、自分の判断でちゃんと環境を良くしたいです」
「王子より領地だね」
「はい」
「婚約破棄より人事権だね」
「……否定できません」
彼女は苦笑した。
悪くない。
むしろ、かなり適性がある。
悪役令嬢希望者には二種類いる。
ひとつは、断罪イベントで見返したい者。
もうひとつは、破滅フラグを口実に、自分の人生を自分で立て直したい者。
彼女は後者だ。
ただし、溺愛オプション付き。
「能力付与はどうする?」
「魔法は使えますか?」
「使える。君は水属性と風属性の適性が高い」
「攻撃魔法は?」
「あるけど、君の深層心理ではあまり重要じゃない」
「そうなんですか?」
「君が本当に欲しがってるのは、広域浄化魔法と書類自動整理魔法だね」
「書類自動整理魔法、あります!?」
「食いつきが溺愛の時と同じくらい強い」
「だって便利じゃないですか!」
「まあ便利だけど」
悪役令嬢ものにおける魔法とは、舞踏会で花を咲かせたり、光属性で奇跡を起こしたり、氷の刃で敵を牽制したりするものだと思っていた。
少なくとも、私の部署に来る希望者はそう言いがちだ。
だが彼女の魂は違う。
書類を整理したい。
帳簿の不正を見抜きたい。
水路を整備したい。
孤児院の衛生環境を改善したい。
使用人の勤務表をまともにしたい。
令嬢というより、現場改善である。
「では、付与内容を調整するよ」
「お願いします」
「前世記憶は五歳時点で覚醒。魔法適性は水と風。社交補正あり。礼法習得補正あり。数字に強くなる補正あり。あと、書類整理魔法は初級から」
「ありがとうございます!」
「そこまで喜ばれるとは思わなかった」
「前世で欲しかったです」
「それはそう」
私は世界線R-044の受け入れ条件を見る。
公爵家長女、エリシア・フォン・ルクレール。
本来の世界線では、第二王子への執着からヒロインに嫌がらせを行い、学園卒業パーティーで断罪され、国外追放。
典型的な破滅ルートだ。
ただし、今回は違う。
彼女は王子に執着しない。
ヒロインもいじめない。
むしろ攻略対象たちの雑な言動を議事録に残す気満々である。
「この世界線なら、君が動けば破滅は避けられる」
「本当ですか?」
「うん。まずヒロインをいじめない。これで破滅要因の三割は消える」
「基本ですね」
「次に王子の話を鵜呑みにしない。これで二割」
「なるほど」
「攻略対象たちが勝手に勘違いして走り出したら、議事録を取る。これで一割」
「議事録」
「言った言わないは揉めるからね」
「わかります」
「残り四割は、君の実家と領地運営。味方を増やして、家臣団をちゃんと整えること」
「急に現実的」
「悪役令嬢の破滅は、だいたい恋愛問題の顔をしてるけど、根っこは政治と家の問題だから」
「重いですね」
「貴族だからね」
彼女は真剣な顔で頷いた。
このへんを面白がれるなら、向いている。
ドレスと舞踏会だけを求めている魂は、貴族社会でだいたい胃を壊す。
笑顔で紅茶を飲みながら腹を探り合う生活は、見た目ほど優雅ではない。
あれは、砂糖菓子の皮をかぶった会議である。
「ひとつ注意」
「はい」
「溺愛ルートは、幸福保証ではない」
「えっ」
「溺愛って言葉は便利だけど、現実に寄せすぎると束縛とか依存とか権力差とか、いろいろ面倒なものも混ざる」
「たしかに……」
「だから君には、相手から大事にされるルートは用意する。でも、自分の判断を相手に預けるルートにはしない」
「自分の判断を」
「そう。君が欲しいのは、誰かに所有されることじゃなくて、ちゃんと尊重されることだと思うから」
彼女は黙った。
深層心理の奥で、いくつかの映像がほどける。
誰かに助けてほしい。
誰かに選んでほしい。
誰かに大切にしてほしい。
でも、本当は。
自分で決めたい。
自分の言葉で断りたい。
自分の居場所を、自分で作りたい。
私は端末を操作し、配属条件を少しだけ変更した。
破滅フラグ、発生可能。
ただし、理不尽な冤罪は証拠収集により回避可能。
ヒロインとの友好ルート、開放。
領地改革ルート、強化。
溺愛候補、過干渉抑制。
侍女との信頼関係、初期値高め。
「君には、王子に選ばれる人生じゃなくて、自分を雑に扱わせない人生を送ってもらう」
「自分を雑に扱わせない……」
「そう。婚約破棄イベントは、あってもいい。溺愛ルートもあっていい。でもそれを人生のゴールにしないこと」
「はい」
「王子を論破したあとも、愛されたあとも、人生は続くからね」
「……そうですね」
彼女は静かに笑った。
さっきまでの勢いとは違う、少し落ち着いた笑い方だった。
「それで、侍女は?」
「有能な子を配置する」
「ありがとうございます」
「ただし、万能ではない。ちゃんと休ませてあげること」
「もちろんです」
「深層心理で、侍女に残業させる未来が少し見えたから」
「えっ」
「前世の悪い文化、持ち込まないでね」
「気をつけます」
大事なことだ。
異世界に行っても、労働環境を壊す者は壊す。
ブラック企業出身者が、必ずしもホワイトな職場を作れるとは限らない。
むしろ「自分も耐えたから」と言い出すと、世界は一気に濁る。
そこは厳しめに見ている。
「最終確認」
「はい」
「君は世界線R-044、公爵家長女エリシアとして転生。五歳で前世記憶覚醒。水風魔法適性、社交補正、礼法補正、数字補正、初級書類整理魔法を付与」
「はい」
「目標は破滅回避。ついでに領地改革。ヒロインとは敵対しない。王子は必要に応じて論破。溺愛はされても飲み込まれない。侍女は大切にする」
「はい!」
「よし」
私は承認印を押した。
面談室の床に、淡い光の魔法陣が広がる。
彼女のスーツ姿が、少しずつ光にほどけていく。
「あの、神様」
「ん?」
「私、今度はちゃんと怒ってもいいんでしょうか」
彼女は不安そうに言った。
「前は、怒るのが下手で。嫌なことを嫌って言えなくて。だから、もし次の人生で理不尽なことがあったら、ちゃんと怒りたいです」
「いいよ」
私は即答した。
「ただし、怒る相手と怒り方は選ぶこと」
「はい」
「怒りは便利だけど、雑に使うと自分も焦げるからね」
「焦げる」
「火属性みたいなものだよ。君は水属性だけど」
彼女は少し笑った。
その表情から、張り詰めていたものが少しだけ抜ける。
「じゃあ、行ってらっしゃい」
「行ってきます」
彼女は光の中へ消えていった。
配属完了。
世界線R-044、転生者受け入れ成功。
私は端末に最終記録を残す。
希望:悪役令嬢。
実態:破滅回避、婚約破棄鑑賞、適度な溺愛、人生主導権回復願望。
処理:乙女ゲーム風貴族社会世界へ配属。
付与:前世記憶、水風魔法適性、社交礼法補正、数字補正、初級書類整理魔法。
備考:本当に捨てられるのは不可。ちゃんと選ばれたい欲求強め。侍女の労働環境に注意。
悪役令嬢希望者の九割は、破滅フラグを折りたい。
そして最近は、折ったフラグの上に溺愛ルートを建てたがる。
私は椅子の背にもたれ、軽く肩を回した。
今日の日本人転生者、これで二十八人目。
まだ午前中である。
追放ざまぁ。
日本人転生者の希望ジャンルの中でも、かなり扱いが難しい部類である。
何が難しいかというと、まず本人たちがだいたい嬉しそうに追放されたがる。
普通、追放は嫌なものだ。
仲間外れにされる。
役立たず扱いされる。
居場所を失う。
信じていた相手に背を向けられる。
つらい。
なのに、彼らは言う。
『パーティーを追放されるところから始めたいです』
始める場所、そこじゃないと思う。
「あの、俺……」
白い面談室に立った青年は、少し気まずそうに頭をかいた。
年齢、二十三。
死因、駅のホームでの事故。
出身、日本。
日本人転生者、本日二十九人目。
まだ午前中である。
「できれば、パーティーを追放されるところから始めたいです」
私は端末を開き、彼の魂の基礎情報を確認した。
前世では会社員。勤続一年半。
趣味はゲーム、小説投稿サイト、動画視聴。
性格は穏やか。自己主張は弱め。
職場では雑用を振られがち。
友人関係は広くない。
恋愛経験、なし。
褒められた記憶、少なめ。
なるほど。
だいたい見えてきた。
「一応聞くけど」
「はい」
「追放されたいの?」
「はい」
「仲間に?」
「はい」
「そのあと見返したい?」
「めちゃくちゃ見返したいです」
「だよね」
私は深く頷いた。
追放ざまぁ希望者は、追放そのものを求めているわけではない。
本当に欲しいのは、その後である。
自分を馬鹿にした連中が困る。
自分を追い出したパーティーが落ちぶれる。
自分の能力の価値に後から気づく。
謝りに来る。
でも、もう遅い。
そして、その横にはだいたい新しい仲間がいる。
美少女剣士。
天才魔法使い。
獣人の斥候。
聖女。
たまに竜娘。
なぜか全員、主人公への好感度が高い。
人間の欲望は、パーティー編成に出る。
「希望を詳しく聞こうか」
「えっと、最初は無能扱いされてるんですけど、実は俺の支援スキルがめちゃくちゃ重要で」
「うん」
「パーティーを追放されたあと、俺は新しい仲間に出会って、そっちではちゃんと評価されて」
「うん」
「元のパーティーは俺がいなくなったせいでどんどん落ちぶれて」
「うん」
「あとから戻ってきてくれって言われるんですけど、そこで『もう遅い』って」
「言いたいんだね」
「言いたいです」
青年は照れくさそうに笑った。
ここまでは、定番である。
問題は、このあたりからだ。
「新しい仲間は?」
「え?」
「いるでしょ。魂の奥で待機列ができてる」
「待機列」
「金髪剣士、銀髪魔法使い、獣耳斥候、聖女、あと小さい竜」
「小さい竜まで!?」
「君の魂だよ」
青年は露骨にうろたえた。
本人はまだ「仲間が欲しいだけです」という顔をしている。
だが深層心理は、だいぶ正直だった。
そこには、新しいパーティーの姿がある。
気の強い女剣士が、照れながら言う。
『あんたの支援、悪くないじゃない』
無口な天才魔法使いが、袖をつまむ。
『あなたがいると、魔法が安定する』
獣人の斥候が、しっぽを揺らす。
『ご主人……じゃなかった、リーダーの匂い、落ち着く』
聖女が、両手を胸の前で組む。
『あなたは、私たちに必要な人です』
そして小さい竜が肩に乗って鳴く。
『きゅい』
なるほど。
ハーレムだ。
「君さ」
「はい」
「新しい仲間、全員女性だけど」
「偶然です」
「魂の奥で偶然って言い張るの、だいぶ無理があるよ」
「いや、でも、恋愛とかじゃなくて、ちゃんと信頼される仲間というか」
「うん。信頼はされたい」
「はい」
「あと、ちょっとずつ好意も向けられたい」
「……はい」
「でも露骨に迫られると困る」
「はい」
「けど他の男と仲良くされると少しもやっとする」
「……はい」
「面倒だね」
「すみません」
謝るほどのことではない。
人間の深層心理など、だいたい面倒だ。
特に承認欲求と恋愛欲求と復讐願望が同じ部屋に入ると、すぐ散らかる。
私は端末にメモを入れた。
希望:追放ざまぁ。
実態:承認欲求、報復願望、所属欲求、ハーレム願望。
備考:「もう遅い」への執着強め。恋愛責任への覚悟は弱め。
「じゃあ候補を出すよ」
私は世界線をいくつか表示した。
「まず世界線G-518。剣と魔法の冒険者世界。君は支援術師。初期パーティーは性格最悪。ちゃんと追放される。君が抜けたあと、元パーティーはかなり落ちぶれる」
「それです!」
「さらに、新パーティーは女性四人。全員、君の支援能力を高く評価する」
「最高じゃないですか」
「ただし」
「ただし?」
「好感度上昇が速すぎて、三ヶ月後にはパーティー内恋愛感情が渋滞する」
「渋滞」
「女剣士と聖女が遠回しに張り合い、魔法使いは無言で袖を引き、獣人斥候は距離感が近い。小さい竜は全員に嫉妬する」
「小さい竜も?」
「小さい竜も」
「かわいいですね」
「かわいいで済めばいいけどね」
私は世界線G-518の未来予測を開く。
戦闘では強い。
ざまぁの満足度も高い。
だが、恋愛関係の管理に失敗するとパーティーが割れる。
青年本人は優柔不断なので、たぶん全員にいい顔をする。
その結果、元パーティーより新パーティーのほうがややこしくなる。
「君、この世界だとたぶん全員に『君だけが大切だ』みたいな態度を取るよ」
「そんな不誠実なことは……」
「魂の奥でやってる」
「やってるのか……」
「あと、誰も選ばずに『みんな大切な仲間だから』で逃げようとしてる」
「逃げてますね」
「逃げてるね」
青年は肩を落とした。
自覚はあるらしい。
「候補その二。世界線P-204。学園冒険者世界。君は支援スキル持ち。無能扱いされて追放。実は君の能力が最強クラスだと判明。新しい仲間は全員女性。学園寮で共同生活」
「共同生活」
「食いつくね」
「いや、設定として」
「設定としてね」
私は端末をスクロールする。
「ただし、君の支援スキルが強すぎる。全能力三倍、常時回復、状態異常無効、経験値共有。君がいるだけで軍事バランスが壊れる」
「そんなに」
「強いね。あと学園寮ハーレムは、生活導線の調整が地獄」
「生活導線?」
「朝の洗面所、風呂、洗濯、部屋割り、買い出し、夜中の相談イベント」
「あー……」
「冒険より大変だよ」
ハーレム希望者は、だいたい関係性の維持コストを見ない。
複数人から好かれるということは、複数人の感情に向き合うということだ。
それを怠ると、恋愛ではなく会議になる。
しかも議題が毎回重い。
「最後の候補。世界線C-309」
私は別の世界線を表示した。
「冒険者ギルド安定運営世界。剣と魔法あり。魔物あり。パーティー制度あり。支援職の評価制度あり。君は補助術師として生まれる」
「追放はありますか?」
「ある」
「ありますか!」
「ただし、理不尽度は低め」
「えっ」
青年の顔がわかりやすく曇った。
そんなに理不尽が欲しいのか。
欲しいのだろう。
理不尽を受けたあとで、正しさを証明したいのだ。
「この世界では、君は最初のパーティーと方向性が合わなくなる」
「方向性」
「向こうは短期決戦型。君は準備と継続戦闘に強い支援型。戦術が噛み合わない」
「はい」
「だからリーダーが言う。『このままだとお互いのためにならない。一度別々に活動しよう』」
「円満じゃないですか」
「うん」
「ざまぁは?」
「薄い」
「薄い……」
「そのかわり、新パーティーとの相性がかなり良い」
青年の顔が少し上がった。
わかりやすい。
「構成は?」
「女性三人と、あと一匹」
「一匹」
「獣人斥候、女騎士、薬師兼魔法使い、小さい竜」
「小さい竜、いるんですね」
「君の深層心理が強く希望してるからね」
「そんなに」
「肩に乗せたい欲がすごい」
「乗せたいです」
「正直でよろしい」
私は世界線C-309の詳細を確認する。
獣人斥候は、明るく距離が近い。
女騎士は、生真面目で責任感が強い。
薬師兼魔法使いは、研究気質で少し口が悪い。
小さい竜は、魔力に敏感で懐きやすい。
全員、青年の支援術と相性がいい。
ただし、好感度の上昇は段階式。
最初から全員が惚れるわけではない。
戦闘を重ね、助け合い、食事を共にし、失敗を補い合う中で信頼が積み上がる。
つまり、ハーレムというより、信頼関係から始まるパーティーだ。
「この世界線なら、君はちゃんと必要とされる」
「はい」
「ただし、最初から全員に好かれるわけじゃない」
「えっ」
「当たり前でしょ。初対面だよ」
「まあ、そうですね」
「好感度は積み上げ式。支援して、話を聞いて、約束を守って、ちゃんと向き合うこと」
「ちゃんと向き合う」
「そう。ハーレムは報酬じゃない。人間関係だよ」
青年は少し困ったような顔をした。
深層心理の中で、都合よく自分を褒めてくれる女性たちが一瞬だけ揺らぐ。
その奥に、もっと小さな願いがある。
誰かと一緒にいたい。
必要とされたい。
自分がいても邪魔じゃない場所が欲しい。
それが、ハーレムという派手な包装紙に包まれている。
「君に必要なのは、元仲間が地面に額をこすりつけることじゃない」
「はい」
「君がいて助かるって、ちゃんと言ってくれる人たちだと思う」
「……はい」
「あと、小さい竜」
「はい」
「そこは譲らないんだね」
「そこは、はい」
私は少し笑いながら、配属条件を調整した。
世界線C-309。
職業、補助術師。
初期パーティー、相性不一致。
離脱イベント、発生。
理不尽度、低め。
元パーティーとの再会、あり。
謝罪イベント、あり。
ただし破滅はなし。
新所属先、女性中心パーティー。
ハーレム可能性、あり。
ただし好感度は行動依存。
小型竜との遭遇イベント、初期配置。
「『もう遅い』は、少しだけ用意しておく」
「本当ですか!」
「ただし、相手を潰すためじゃない。境界線を引くための言葉としてね」
「境界線」
「戻ってくれと言われたとき、戻りたくないなら戻らなくていい。そのときに言えばいい」
「もう遅い、って?」
「そう。でもできれば、もう少し言い方は考えて」
「えっ」
「『もう遅い』は気持ちいいけど、若干会話を終わらせすぎる」
「たしかに」
「おすすめは、『今の仲間と進みます』」
「真面目ですね」
「真面目なほうが効くこともある」
青年は小さく笑った。
その笑い方は、さっきより少しだけ軽い。
「能力付与はどうなりますか?」
「君には支援術の適性を付ける。強化、索敵補助、疲労軽減、軽い回復。派手ではないけど、パーティー全体の生存率を上げる能力」
「地味ですね」
「追放ざまぁ希望者、だいたい地味な能力を軽く見すぎ」
「そうなんですか?」
「支援職が抜けると、現場は普通に崩れる。補給、回復、索敵、撤退判断。目立たないものほど命綱だよ」
「……それ、ちょっといいですね」
「でしょ」
私は能力詳細を詰める。
強化倍率は高すぎない。
ただし持続時間は長め。
味方の癖を読むほど効果上昇。
疲労軽減は戦闘後に効く。
索敵補助は危険予測型。
回復は応急処置程度。
ただし、連携が深まるほど伸びる。
最強ではない。
だが、必要とされる力だ。
「あと、君には最初から全部を説明する仲間を配置する」
「全部を説明する仲間」
「大事だよ。前世の職場、説明不足でだいぶ削られてたでしょ」
「……はい」
「次は、聞いても怒られない環境に行こう」
青年は唇を噛んだ。
目元が少し赤くなったが、泣きはしなかった。
人間は、こういうとき泣くのを我慢しがちだ。
魂になってまで我慢する必要はないのに。
「でも、俺、役に立てますかね」
「それは君次第」
「ですよね」
「ただし、役に立つ機会は用意する。君が努力したぶん、ちゃんと誰かに届く世界にする」
「……ありがとうございます」
「どういたしまして」
私は承認印に指をかける。
その前に、ひとつだけ確認した。
「最後に聞くけど」
「はい」
「ハーレムって、全員を幸せにする覚悟まで込みで希望してる?」
青年は固まった。
魂の奥で、美少女たちが一斉にこちらを見る。
女剣士。
獣人斥候。
薬師兼魔法使い。
聖女候補。
小さい竜。
小さい竜まで真顔で見ている。
「えっと」
「うん」
「全員を幸せにするって、重いですね」
「重いよ」
「もっとこう、自然に好かれて、自然に仲良くなって、自然に……」
「自然という言葉で責任を薄めない」
「はい」
「好かれたいなら、向き合う。選ばれたいなら、選ぶ覚悟も持つ」
「選ぶ……」
「選ばない選択もある。でもその場合は、相手に期待だけ持たせないこと」
「……はい」
青年はゆっくり頷いた。
深層心理の中で、都合のいいハーレム映像が少し落ち着く。
代わりに、焚き火を囲む小さなパーティーが見えた。
誰かが笑う。
誰かが文句を言う。
誰かが鍋を焦がす。
小さい竜が肉を盗む。
青年が支援魔法で疲労を和らげる。
女騎士が「助かった」と言う。
獣人斥候が「次も頼むね」と笑う。
薬師が「まあ、悪くない」と目を逸らす。
なるほど。
こっちのほうが、たぶん長持ちする。
「最終確認」
「はい」
「君は世界線C-309、補助術師として転生。初期パーティーとは相性不一致で離脱。新しい女性中心パーティーに加入。支援術適性、連携熟練度補正、危険予測補助を付与。小型竜との遭遇イベントあり」
「はい」
「元パーティーとの再会と謝罪イベントはある。ただし破滅はさせない」
「はい」
「ハーレムルートは開放。ただし好感度は行動依存。雑に全員へいい顔をすると、普通に怒られる」
「普通に怒られるんですね」
「普通に怒られるよ。異世界の女性も人間だからね」
「肝に銘じます」
「よし」
私は承認印を押した。
面談室の床に、淡い光の魔法陣が広がる。
青年の輪郭が、少しずつ光に溶けていく。
「あの、神様」
「ん?」
「もし元のパーティーに戻ってくれって言われたら」
「うん」
「俺、戻らなくてもいいんですよね」
「いいよ」
私は即答した。
「誰かに必要とされたからって、必ず応えなきゃいけないわけじゃない」
「……はい」
「君の居場所は、君が選んでいい」
青年は目を伏せた。
それから、少しだけ笑った。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」
彼は光の中へ消えていった。
配属完了。
世界線C-309、転生者受け入れ成功。
私は端末に最終記録を残す。
希望:追放ざまぁ。
実態:承認欲求、所属欲求、境界線設定願望、ハーレム願望。
処理:冒険者ギルド安定運営世界へ配属。
付与:支援術適性、連携熟練度補正、危険予測補助。
備考:「もう遅い」への執着あり。小型竜への期待強め。ハーレムは行動依存に設定。
追放ざまぁ希望者の九割は、相手を破滅させたいと言う。
そして、そのうちの七割くらいは、新しい仲間がなぜか全員女性である。
でも深く読めば、その多くはただ、自分を雑に扱わない場所を探している。
ついでに、ちょっと好かれたい。
いや、かなり好かれたい。
私は椅子の背にもたれ、軽く息を吐いた。
今日の日本人転生者、これで二十九人目。
まだ午前中である。
俺TUEEE。
日本人転生者の希望ジャンルの中でも、かなりわかりやすい部類である。
強くなりたい。
誰にも負けたくない。
周囲を驚かせたい。
馬鹿にしてきた相手を黙らせたい。
でも、普段は力を隠したい。
最後が少しややこしい。
力が欲しい。
見せたい。
でも最初から見せびらかすのは格好悪い。
だから隠す。
そして必要な場面でだけ解放する。
つまり、見せたい。
力を隠したい者の九割は、隠していることに気づいてほしい者である。
「あの、闇属性ってありますか」
白い面談室に立った少年は、真剣な顔でそう言った。
年齢、十四。
死因、病死。
出身、日本。
日本人転生者、本日三十人目。
まだ午前中である。
私は端末を開き、少年の魂の基礎情報を確認した。
中学生。
入院期間、長め。
学校への出席日数、少なめ。
趣味、ゲーム、漫画、動画視聴、ノートへの設定書き込み。
自己評価、低め。
想像力、かなり強め。
黒い服への憧れ、強め。
なるほど。
これは濃い。
「一応聞くけど」
「はい」
「普段は力を隠したい?」
「はい!」
「でも本気を出したら周囲に驚いてほしい?」
「はい!」
「怒ると瞳の色が変わる?」
「できますか!?」
「だよね」
少年の目が輝いた。
さっきまで死んでいたとは思えないほど元気である。
こういう瞬間、神としては少しだけ安心する。
いや、内容はだいぶ面倒なのだが。
「希望を聞こうか」
「最強がいいです」
「直球だね」
「でも最初からバレるのは嫌です。普段は目立たない感じで」
「うん」
「でも本気を出したら、先生とかクラスメイトが『ば、馬鹿な……!』ってなって」
「うん」
「できれば闇属性で」
「うん」
「魔眼もあって」
「うん」
「封印されし力みたいなのもあって」
「うん」
「あと、専用武器は黒い剣がいいです」
「技名は?」
「あります」
「あるんだ」
少年は少しだけ頬を赤くした。
「言ってもいいですか?」
「仕事だからね。聞くよ」
「《虚無を喰らう終焉の黒炎》です」
「強そう」
「強いです」
「どういう技?」
「黒い炎で、相手の魔法を全部燃やして、空間ごと斬ります」
「十四歳の想像力、空間すぐ斬りがち」
「だめですか?」
「だめとは言ってない。世界線による」
私は少年の深層心理を覗き込んだ。
そこには、魔法学園の訓練場があった。
同級生たちが笑っている。
『あいつ、魔力量低いらしいぜ』
『地味だよな』
『どうせ大したことないだろ』
少年は黙っている。
だが、強敵が現れた瞬間、彼の右目に黒い紋章が浮かぶ。
『仕方ない……少しだけ、本気を出す』
そして大地が割れ、空が黒く染まり、教師が叫ぶ。
『なんという魔力だ!』
クラスメイトたちは青ざめる。
『今まで力を隠していたのか!?』
少年は静かに背を向ける。
『別に。面倒だっただけだ』
なるほど。
かなり仕上がっている。
「君さ」
「はい」
「力を隠したいって言うわりに、開放シーンの照明が派手すぎるね」
「照明?」
「魂の奥で空が黒くなってる」
「あ、かっこいいですね」
「自分で言うんだ」
「かっこいいので」
「素直でよろしい」
私は端末にメモを入れる。
希望:俺TUEEE。
追加希望:闇属性、魔眼、封印能力、黒い剣、力を隠す展開。
備考:技名先行型。演出過多。空間切断に注意。
「じゃあ候補を出すよ」
私は世界線をいくつか表示した。
「まず世界線D-000。剣と魔法の完全無双世界。君は生まれつき最強。魔力無限。全属性適性。魔眼あり。黒剣あり。封印あり。初戦で教師を気絶させる」
「それです!」
「ただし」
「ただし?」
「三日で飽きる」
「えっ」
「敵は全部ワンパン。授業は全部知ってる。模擬戦は全員棄権。先生は君を恐れる。友達はできにくい。王国は君を兵器として見始める」
「それは……」
「あと、毎回『仕方ない、本気を出すか』をやると、五回目くらいで周囲が慣れる」
「慣れるんですか」
「慣れるよ。人間は適応するからね」
最強は気持ちいい。
だが、最強だけでは物語は続かない。
苦戦がなければ成長もない。
成長がなければ、喜びは薄くなる。
神としては、そこを調整しなければならない。
「候補その二。世界線K-666。闇属性優遇世界。君は希少な闇属性持ち。魔眼あり。黒い剣あり。禁忌魔法あり」
「最高じゃないですか」
「ただし、闇属性の社会的印象が悪い」
「悪いんですか」
「そりゃ闇だからね。教会に目をつけられる。村人に怖がられる。教師に警戒される。友達作りの難易度が上がる」
「えぇ……」
「あと、禁忌魔法を使うと寿命が削れる」
「削れるのはちょっと」
「闇属性を何だと思ってるの」
「かっこいい属性だと……」
「かっこいいものには、だいたい取り扱い説明書が必要なんだよ」
少年は少し不満そうだった。
気持ちはわかる。
闇属性は、音の響きが強い。
黒炎。
魔眼。
禁忌。
封印。
古代。
深淵。
このへんの単語は、中学生の魂に刺さりやすい。
刺さりすぎると、技名だけでノートが一冊埋まる。
「じゃあ最後の候補。世界線D-777」
私は端末に別の世界線を表示した。
「魔法学園世界。才能あり。魔物あり。大会あり。強敵あり。闇属性もある。ただし、最初から最強ではない」
「最初から最強じゃないんですか」
「違う」
「えー……」
「でも伸びる。ちゃんと練習すれば、かなり強くなる」
「練習……」
「嫌そうな顔しない」
少年は露骨に視線を逸らした。
俺TUEEE希望者は、努力を嫌がるわけではない。
ただ、努力している場面を長く見せるより、努力済みの状態で登場したがる。
要するに、結果が先に欲しい。
これも人間らしい願いだ。
「君には闇属性の適性を付ける」
「本当ですか!」
「ただし、世界線D-777の闇属性は、悪の力じゃない」
「違うんですか?」
「影、静寂、吸収、集中、隠密、精神干渉への耐性。そういう方向」
「黒炎は?」
「高等魔法」
「魔眼は?」
「条件付き」
「封印されし力は?」
「ない」
「ないんですか!?」
「封印されし力って、管理側からすると事故物件なんだよ」
「事故物件」
「いつ暴発するかわからない力を子供に入れるわけないでしょ」
「たしかに……」
納得はしたようだが、まだ未練は見える。
魂の奥で、黒い鎖に封じられた巨大な力がうずいている。
うずかなくていい。
私はそれをそっと小さくした。
「かわりに、魔眼は入れる」
「やった!」
「ただし、効果は相手の弱点が全部見えるとかではない」
「違うんですか?」
「君の魔眼は、魔力の流れを見抜く目。相手の魔法の癖、術式の綻び、自分の失敗原因が見える」
「地味じゃないですか?」
「強いよ」
「そうなんですか?」
「自分の失敗原因が見えるのは、かなり強い」
少年はきょとんとした。
無理もない。
彼が欲しいのは、敵を一瞬で倒す力だ。
でも、彼に必要なのはたぶん、失敗しても次に進める力である。
「君、前の人生であまり学校に行けなかったね」
少年の表情が少し固まった。
魂の奥に、白い病室が見えた。
窓際のベッド。
点滴の音。
スマホの画面。
学校のグループチャット。
体育祭の写真。
自分のいない集合写真。
返信しようとして、やめたメッセージ。
行きたかった。
でも行けなかった。
混ざりたかった。
でも混ざれなかった。
馬鹿にされたわけではない。
いじめられたわけでもない。
ただ、置いていかれた。
それはそれで、かなり痛い。
「君の深層心理では、魔法学園がかなり大きい」
「……はい」
「最強になりたいより、みんなと同じ場所に立ちたいのほうが奥にある」
少年は何も言わなかった。
闇属性や魔眼や黒い剣の下に、小さな願いがある。
教室にいたかった。
友達と笑いたかった。
テストで一喜一憂したかった。
放課後に寄り道したかった。
誰かに名前を呼ばれたかった。
だから彼の深層心理は、魔法学園を舞台に選んでいる。
ただの無双ではなく、遅れてきた青春として。
「世界線D-777なら、君は魔法学園に入れる」
「本当ですか」
「うん。しかも、君みたいに体が弱かった魂でも問題なく動ける身体にする」
「走れますか?」
「走れる」
「剣も振れますか?」
「振れる」
「授業も受けられますか?」
「受けられる」
少年の魂が、ぱっと明るくなった。
黒炎や魔眼の話をしていたときより、ずっと強い光だった。
なるほど。
やっぱり、こっちか。
「ただし」
「はい」
「最初から無敵にはしない」
「……はい」
「周りにも才能ある子はいる。君より得意な子もいる。模擬戦で負けることもある」
「負けるんですか」
「負けるよ」
「笑われますか」
「笑うやつはいるかもしれない」
少年の表情が曇った。
私は続ける。
「でも、笑われても終わりじゃない世界にする」
「終わりじゃない」
「先生はちゃんと教える。友達はちゃんと声をかける。失敗した理由は魔眼で見える。練習すれば次は少し良くなる」
「……それなら」
「うん」
「やってみたいです」
私は端末に配属条件を入力する。
世界線D-777。
魔法学園世界。
闇属性適性、付与。
魔眼、魔力視認型。
黒剣、将来的入手イベントあり。
黒炎、上級到達後に習得可能。
封印されし力、却下。
成長補正、努力連動型。
身体能力、健康状態良好。
失敗許容環境、強化。
「黒い剣は、最初からじゃなくていい?」
「最初からは無理ですか?」
「入学初日に黒い剣持ってたら浮くよ」
「浮きますか」
「浮く。君、目立ちたくないんでしょ」
「あ、そうでした」
「忘れるの早いね」
少年は照れ笑いした。
「じゃあ、黒い剣は?」
「学園二年目くらいに、遺跡実習で見つける可能性を入れておく」
「遺跡実習!」
「嬉しそう」
「嬉しいです」
「ただし、ちゃんと仲間と協力して手に入れること」
「一人で封印を解くんじゃないんですか?」
「一人で封印を解くと、だいたい先生に怒られる」
「先生に怒られるんだ……」
「怒られるよ。遺跡実習は授業だからね」
私は最後に、技名について確認する。
「《虚無を喰らう終焉の黒炎》だけど」
「はい!」
「長い」
「長いですか」
「詠唱中に殴られる」
「それは困ります」
「短縮名を考えよう」
「えっと……《黒炎》?」
「だいぶ現実的になったね」
「でも、決め技のときは長いほうを言ってもいいですか?」
「年に一回くらいなら」
「年一」
「大会決勝とかね」
「大会決勝!」
「食いつきすぎ」
私は少し笑った。
この少年は、たぶん本当に楽しみにしている。
戦うことではなく、舞台に立つことを。
自分の足で立って、誰かと競って、負けたり勝ったりすることを。
「最終確認」
「はい」
「君は世界線D-777、魔法学園世界へ転生。健康な身体、闇属性適性、魔力視認型の魔眼、努力連動型成長補正を付与」
「はい」
「最初から最強ではない。練習すれば強くなる。失敗もする。負けることもある」
「はい」
「黒い剣と黒炎は将来的に可能性あり。ただし、封印されし力はなし」
「そこは残念です」
「安全第一」
「はい」
「あと、技名は場面を選ぶこと」
「はい」
「授業中に叫ぶと普通に注意される」
「気をつけます」
少年は真面目に頷いた。
想像すると少し面白い。
魔法学園の訓練場で突然《虚無を喰らう終焉の黒炎》と叫び、教師に「長い、減点」と言われる未来が見える。
まあ、それくらいなら平和だ。
私は承認印を押した。
面談室の床に、淡い光の魔法陣が広がる。
少年の黒いパーカーが、ゆっくりと光にほどけていく。
「あの、神様」
「ん?」
「俺、強くなれますか」
「なれるよ」
「本当に?」
「本当に」
私は端末を閉じた。
「ただし、誰にも負けない強さじゃない」
「じゃあ、どんな強さですか」
「負けても、次の日にまた練習場へ行ける強さ」
少年は少し黙った。
その言葉の意味を、彼なりに考えているようだった。
「それ、かっこいいですか」
「かなりかっこいいよ」
「じゃあ、それがいいです」
「うん」
私は頷いた。
「行ってらっしゃい。今度はちゃんと、放課後まで楽しんでおいで」
少年は目を丸くした。
それから、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「行ってきます」
彼は光の中へ消えていった。
配属完了。
世界線D-777、転生者受け入れ成功。
私は端末に最終記録を残す。
希望:俺TUEEE。
実態:自己証明願望、青春参加願望、失敗許容環境への希求。
処理:魔法学園世界へ配属。
付与:健康な身体、闇属性適性、魔力視認型魔眼、努力連動型成長補正。
備考:技名先行型。黒剣への期待強め。封印されし力は安全上却下。
俺TUEEE希望者の九割は、誰にも負けたくないと言う。
だが深く読めば、その多くはただ、負けても笑われない場所が欲しいだけだったりする。
ただし、技名はだいたい長い。
私は椅子の背にもたれ、軽く息を吐いた。
今日の日本人転生者、これで三十人目。
まだ午前中である。
現代知識チート。
日本人転生者の希望ジャンルの中でも、かなり自信満々な者が多い部類である。
石鹸を作る。
マヨネーズを作る。
紙を作る。
水車を作る。
活版印刷を広める。
農業改革をする。
衛生概念を広める。
複式簿記を導入する。
商会を立ち上げる。
気づけば王侯貴族から一目置かれる。
流れとしては、まあわかる。
前の世界では当たり前だった知識が、別の世界では革命になる。
それは事実だ。
ただし、問題がある。
知っていることと、できることは違う。
名前を知っていることと、仕組みを理解していることも違う。
そして、仕組みを理解していることと、現地社会に導入できることは、さらに違う。
現代知識は強い。
だが、税制と権力構造と原材料と物流と職人組合と宗教観を舐めると、だいたい燃える。
「ああ、なるほど。異世界転生ってやつですか」
白い面談室に立った男は、妙に落ち着いた顔でそう言った。
年齢、四十六。
死因、心筋梗塞。
出身、日本。
日本人転生者、本日三十一人目。
まだ午前中である。
私は端末を開き、男の魂の基礎情報を確認した。
会社員。営業職。管理職手前。
趣味、歴史動画、経済解説動画、異世界小説、家庭菜園動画を眺めること。
知識欲、強め。
実践経験、項目により差が激しい。
自己評価、やや高め。
前世での評価、本人の期待より低め。
なるほど。
危険な香りがする。
「説明いる?」
「いえ、大丈夫です。だいたい把握しました」
「最近の日本人、死後の飲み込みが早すぎる」
男は少し得意げに笑った。
「現代知識で無双、できますよね?」
来た。
「一応聞くけど」
「はい」
「石鹸?」
「作ります」
「マヨネーズ?」
「作ります」
「農業改革?」
「やります」
「活版印刷?」
「興味あります」
「水車?」
「いけると思います」
「複式簿記?」
「名前だけなら」
「だよね」
私は深く頷いた。
複式簿記希望者、だいたい名前だけは知っている。
借方と貸方の話をすると、魂の奥が少し静かになる。
「希望を詳しく聞こうか」
「やっぱり、文明レベルの低い世界に行って、現代知識で発展させる感じがいいですね」
「うん」
「衛生概念を広めたり、農業の収穫量を上げたり、商売で成功したり」
「うん」
「あと、料理ですね。マヨネーズとかカレーとか、そういうので貴族に気に入られて」
「うん」
「最終的には、領主とか王族に相談役として重用される感じで」
「なるほど」
私は男の深層心理を覗き込む。
そこには、異世界の市場があった。
屋台で男がマヨネーズを出す。
現地人が驚く。
『なんだこの濃厚なソースは!』
貴族が驚く。
『ぜひ我が屋敷の料理人に教えてくれ!』
王が驚く。
『この者は天才か!』
次に男は石鹸を作る。
街の衛生環境が改善する。
さらに水車を作る。
農村が潤う。
商会を立ち上げる。
孤児を雇う。
領主から信頼される。
商人ギルドの古株が妨害してくるが、男は現代知識で論破する。
そして、若く美しい女領主か、やたら有能な未亡人商会長が微笑む。
『あなたの知恵が、この国を変えるのですね』
なるほど。
中年向けフルコースだ。
「君さ」
「はい」
「マヨネーズの前に、卵の安定供給どうする?」
「えっ」
「油は?」
「あー……」
「酢は?」
「作れませんか?」
「作れるけど、品質管理いるよ」
「なるほど」
「あと、保存と流通。暑い地域だと傷むよ」
「たしかに」
「それを王都で売るなら、既存の料理人ギルドと商人ギルドに話通す必要がある」
「ギルド、面倒ですね」
「現地の経済圏だからね。マヨネーズは液体の政治だよ」
「液体の政治」
男は微妙な顔をした。
私は端末にメモを入れる。
希望:現代知識チート。
実態:承認欲求、再評価願望、文明改良欲求。
備考:知識に動画由来の空白多め。マヨネーズへの信頼強め。
「候補を出すよ」
私は世界線をいくつか表示した。
「まず世界線E-001。文明レベル低め。衛生概念薄め。身分制度強め。君が石鹸や料理を広めれば、かなり目立つ」
「いいですね」
「ただし、権力者の保護なしで目立つと、商人ギルドに潰される」
「潰されるんですか」
「利権を荒らすからね」
「でも、良いものを広めるだけなら」
「良いものだから揉めるんだよ」
「うっ」
「既得権益は異世界にもある」
男は腕を組んだ。
少しだけ現実に引き戻された顔をしている。
「候補その二。世界線E-404。現代知識にめちゃくちゃ優しい世界。石鹸を作れば聖女扱い。マヨネーズを出せば宮廷料理人が泣く。水車の図を描けば技師が即理解。商会は一年で大成功」
「最高じゃないですか」
「ただし」
「ただし?」
「既に日本人転生者が十四人いる」
「多いですね」
「石鹸は三種類ある。マヨネーズは各社競合。カレーは辛口派と甘口派で派閥ができた。活版印刷は導入済み。複式簿記も一部商会で採用済み」
「やることないじゃないですか」
「そうなんだよ」
この手の世界線は、転生者に優しすぎる。
その結果、転生者が集まりすぎて市場が飽和する。
今ではマヨネーズだけで四ブランドある。
先日、現地の管理神から「これ以上、白いソースの使者を送らないでくれ」と苦情が来た。
白いソースの使者とは何だ。
「最後の候補。世界線E-202」
私は端末に別の世界線を表示した。
「文明レベルは中世後期から近世手前。商業あり。職人組合あり。農村の生産性は低め。衛生環境に改善余地あり。ただし、現代知識だけで無双はできない」
「できないんですか」
「できない」
「ではなぜ候補に?」
「協力すれば変えられる世界だから」
男は眉をひそめた。
「協力」
「うん。君は知識の種を持っていく。でも、形にするのは現地の職人、農民、商人、役人、学者たち」
「私が主導する感じでは?」
「主導はできる。でも、君一人では無理」
「そこはチートでなんとか」
「ならない」
私は即答した。
「石鹸ひとつ作るにも、油脂、灰汁、香料、型、乾燥場所、販売経路、価格設定、衛生教育がいる」
「はい」
「農業改革なら、土壌、水利、種、肥料、農具、労働力、税制、村の権力構造が絡む」
「税制が出てくるんですね」
「出てくるよ。収穫量が増えても、税が増えるだけなら農民は動かない」
「それは……そうですね」
「印刷を広めれば、識字率、宗教、検閲、紙の供給、書記官の雇用問題が起きる」
「雇用問題まで」
「現代知識は便利だけど、社会に入れると社会が反応する」
男は黙った。
魂の奥で、マヨネーズを持って貴族が喝采する映像が少し薄くなる。
代わりに、泥だらけの農道や、職人の工房や、帳簿を睨む商人の姿が見え始めた。
「君は、知識を認められたいんだよね」
「……まあ、それは」
「前の人生で、自分のほうがわかっているのに、聞いてもらえなかったことが多かった?」
男は苦笑した。
「そうですね。提案しても、上は動かない。若い連中には古いと言われる。かといって、自分が何か大きなことを成し遂げたわけでもない」
「うん」
「だから、別の世界なら、自分の知識にも価値があるんじゃないかと」
「あるよ」
私は言った。
「ただし、知識は君の価値そのものじゃない」
「え?」
「知っていることは武器になる。でも、それを誰かに渡せる形にするのは、別の力だよ」
男の魂が揺れた。
深層心理の奥に、前世の職場が見える。
会議で流された企画。
若手に雑に扱われた助言。
上司からの曖昧な評価。
家に帰って見た動画。
歴史の偉人、経済の仕組み、技術革新の話。
自分も、どこか別の場所なら。
その思いが、現代知識チートという形になっている。
「君に必要なのは、王に『天才だ』と言われることじゃない」
「はい」
「たぶん、君の話を最後まで聞いてくれる相手と、君が最後まで話を聞く相手だ」
男は目を伏せた。
「私も聞く側に回るんですか」
「もちろん」
「異世界なのに?」
「異世界だからこそ」
私は端末を操作し、配属条件を組み立てる。
世界線E-202。
地方都市の商家に転生。
前世記憶、十二歳で覚醒。
計算能力補正。
語学補正。
基礎衛生知識の整理補助。
ただし、万能製造スキルはなし。
現地協力者との縁、強化。
職人への説明力、努力連動で成長。
商会立ち上げ可能性あり。
成功は段階式。
「能力付与は、派手なものは少なめにする」
「魔法は?」
「生活魔法くらいは使える。火起こし、水浄化、乾燥補助」
「地味ですね」
「現代知識チート希望者、地味な生活魔法を軽く見すぎ」
「そうなんですか?」
「水を綺麗にできるだけで、衛生改革の難易度が下がる」
「ああ、なるほど」
「あと、計算と記録の補正を付ける。帳簿を読めるようにする」
「複式簿記ですか」
「まず単式をちゃんとやろうか」
「はい」
「名前だけで経理改革しない」
「刺さりますね」
男は少し笑った。
悪い人間ではない。
ただ、現代知識という言葉に、自分の未練を乗せすぎている。
日本人転生者には、こういう者が多い。
何かを変えたい。
世界を変えたい。
社会を変えたい。
でもその奥にあるのは、だいたいもっと小さな願いだ。
自分の人生が、少し変わってほしかった。
「マヨネーズは作ってもいい?」
「許可制?」
「いや、禁止はしない。ただし最初の武器にするのはおすすめしない」
「なぜです?」
「食文化は繊細だからね。いきなり知らない白いソースを出しても、地域によっては警戒される」
「白いソース」
「あと、卵と油を大量に使うと庶民には高い。貴族向けに売るなら料理人との関係が必要。庶民向けにするなら原価が課題」
「マヨネーズ、思ったより難しいですね」
「マヨネーズで国を取ろうとする者は多いけど、卵の値段で止まる者も多い」
「世知辛い」
「異世界も世知辛いよ」
私は少しだけ肩をすくめた。
「まずは何から始めるのがいいんですか」
男が聞いた。
さっきまでの自信満々な声ではなかった。
でも、悪い変化ではない。
「水と記録」
「水と記録」
「井戸の管理、排水、手洗い、煮沸。あと帳簿、在庫、取引記録。地味だけど効く」
「地味ですね」
「世界を変えるものは、だいたい地味だよ」
「そういうものですか」
「そういうもの」
私は最終条件を確認する。
現地に、頑固だが腕の良い石鹸職人候補。
数字に強い商家の娘。
水路に詳しい老技師。
村の事情を知る農民代表。
改革を嫌うが話せば理解する領主補佐。
このあたりを近くに配置しておく。
ハーレムにはしない。
この男の深層心理には少しだけ「年下の美少女に尊敬されたい」が見えたが、そこは今回は主軸ではない。
現代知識チートに恋愛まで全部載せると、会議が長くなる。
「一応、協力者に若くて優秀な女性はいますか?」
「いる」
「おお」
「ただし、君の知識に感心する前に、矛盾点を突っ込んでくる」
「ああ……」
「君を持ち上げるための人材じゃなくて、君と一緒に考える人材」
「厳しいですね」
「そのほうが伸びる」
男は少し悩んだあと、頷いた。
「それでお願いします」
「いいの?」
「はい。最初はもっと、こう、周囲を驚かせたいと思っていましたけど」
「うん」
「たぶん私は、驚かせたいというより、役に立ちたかったんだと思います」
「いい本音だね」
「神様に褒められると変な感じですね」
「私も人間を褒めると勤務時間外労働みたいな感じがする」
「神様にも勤務時間ってあるんですか?」
「あることになっている」
「実際は?」
「ないようなものだね」
男は笑った。
私も少しだけ笑った。
「最終確認」
「はい」
「君は世界線E-202、地方都市の商家に転生。十二歳で前世記憶覚醒。計算補正、記録補正、生活魔法、基礎衛生知識整理補助を付与」
「はい」
「現代知識だけでは無双できない。協力者と話し、現地の事情を学び、少しずつ変えていく」
「はい」
「マヨネーズは後回し」
「後回しですか」
「後回し」
「わかりました」
「石鹸も、まずは職人に相談」
「はい」
「複式簿記は、名前だけで導入しない」
「はい」
「よし」
私は承認印を押した。
面談室の床に、淡い光の魔法陣が広がる。
男のくたびれたスーツ姿が、ゆっくりと光にほどけていく。
「あの、神様」
「ん?」
「私は、本当に世界を変えられますか」
「少しなら」
「少し」
「世界を丸ごと変えるのは、大変だからね」
「でしょうね」
「でも、井戸の水が綺麗になったり、帳簿の不正が減ったり、子供が腹を壊さなくなったり、職人が正当な値段で仕事を受けられるようになったり」
「はい」
「そういうのも、ちゃんと世界を変えるって言うんだよ」
男は目を細めた。
前世で、たぶん誰にも言われなかった言葉なのだろう。
魂の奥で、少しだけ何かがほどける。
「それなら、やってみたいです」
「うん」
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
男は光の中へ消えていった。
配属完了。
世界線E-202、転生者受け入れ成功。
私は端末に最終記録を残す。
希望:現代知識チート。
実態:再評価願望、社会貢献欲求、対話不足による承認飢餓。
処理:近世手前の商業都市世界へ配属。
付与:前世記憶、計算補正、記録補正、生活魔法、基礎衛生知識整理補助。
備考:マヨネーズ信仰あり。複式簿記は要学習。現地人の話を聞くこと。
現代知識無双希望者の九割は、世界を変えたいと言う。
でも深く読めば、その多くはただ、自分の言葉がどこかに届いてほしかっただけだったりする。
私は端末を閉じた。
これで、本日三十一人目の日本人転生者の処理が終わった。
まだ午前中である。
いつからだっただろう。
日本からの魂が、こんなに増えたのは。
スローライフを望む少年。
悪役令嬢になりたいOL。
追放ざまぁからハーレムへ向かいたい青年。
闇属性に憧れる中学生。
現代知識で無双したいおっさん。
みんな、口にする願いは違った。
畑を耕したい。
破滅フラグを折りたい。
見返したい。
最強になりたい。
世界を変えたい。
だが、深く読めば、根っこは少し似ていた。
もう一度、やってみたい。
別の場所なら、少しはうまく生きられるかもしれない。
今度こそ、誰かに届くかもしれない。
そういう願いが、形を変えて、異世界転生という申請書になって私のところへ届く。
面倒だ。
本当に面倒だ。
チートの希望は細かい。
世界線の調整は大変。
現地管理神からの苦情は増える。
勇者は在庫過多。
マヨネーズは供給過多。
悪役令嬢世界の恋愛矢印は毛糸玉。
追放ざまぁ世界のハーレム管理は、だいたい会議になる。
俺TUEEE希望者の技名は長い。
それでも。
私は、彼らの魂を読むたびに思う。
人間は、どうしようもなく面倒くさい。




