1.警告文を貼り出す
短編版と似た別作品として、こちらもお楽みいただけましたら幸いです。
初日は朝、昼、夜の三回、二日目からは昼のみの更新予定となっております。
よろしくお願いいたします。
その日、わたくしは王立学園の掲示板に、一枚の警告文を貼り出した。
『婚約者のいる生徒は、他者と適切な距離を保つことを心がけましょう』
緑色の生地が貼られた掲示板には、いろいろなお知らせが貼り出されている。
その中央。
最も目立つ位置。
紙は大きく、文字も太く。
掲示板のある場所は、昇降口の前の廊下よ。
登下校する時、全生徒が、この警告文を目にするはず――。
授業終了の鐘が鳴ると、生徒たちは、警告文を横目に見ながら帰っていった。
――そして、校内にほとんど生徒の姿がなくなった頃。
その警告文の前には、隣国語の教師であるサウル先生が立っていた。
貴族らしいジュストコールという長い上着とキュロット姿。どちらも青緑色なのは、瞳の色とあわせたのね。
サウル先生は長い銀髪をサラリとかきあげて、小さなため息をついた。
ため息をつきたいのは、わたくしの方よ。
「サウル先生、少しお時間よろしいかしら?」
わたくしが声をかけると、サウル先生はこちらを向いた。
「ああ、ロザンナ先生」
サウル先生は、銀縁眼鏡の奥でオドオドと視線を彷徨わせた。
この警告文が誰に対してのものであるのか、理解できているようね。それなら、話が早いわ。
サウル先生は、女生徒たちからは『銀の貴公子』なんて呼ばれて人気のある先生なの。冷たい美貌が素敵なんですって。
「一年生の上位貴族クラスに、ヴィア王国の第二王子で留学生のアウレリオ君がおりますでしょう」
「いますね」
あらあら、サウル先生ったら、ほっとしたような顔をしたわ。
なにか勘違いでもしたのかしら?
「サウル先生は隣国語――ヴィア王国語が堪能でしょう? アウレリオ君のお宅に、この連絡帳を届けてほしいのです」
わたくしはサウル先生に、連絡帳の入った茶色い封筒を見せた。
「私がか? そんなことは事務員にやらせては? 片道で一か月はかかる。私がなぜ……」
サウル先生は侯爵家の五男で、受け継ぐ爵位がないから教師になったの。
対するわたくしは、貧乏子爵家の四女。すっかり嫁ぎ後れの二五歳で、平凡な茶色の髪と瞳なの。実家にお金がなくて持参金が出せないから、仕方なく王立学園の教師になったのよ。
わたくしは実家の爵位も、年齢も、サウル先生より下。
サウル先生はいつだって、わたくしに上から物を言うのよね。
サウル先生、ここは職場よ。
今のわたくしは、学年主任なの。
あなたは、上司に指図するつもり?
――わたくしが持っているのは、この『王立学園の学年主任という役職』一つだけ。
こんなちっぽけなわたくしだけど……。
この武器一つで、どこまで戦えるか見せてあげるわ。
「ここで問題です。サウル先生が、なぜ連絡帳を届けに行かなくてはならないのでしょうか?」
わたくしはサウル先生に笑いかけた。
侯爵家……。そうね、たしかに上位貴族だわ。金も権力もあるわよね。
サウル先生はご実家に頼んで、上位貴族クラスの担任のダビド先生を王立学園鉱山分校に左遷したの。
ダビド先生は貧乏な伯爵家の三男で、放課後は騎士部の顧問として、剣術や乗馬のご指導もされていたのよ。
――ダビド先生が、一体なにをしたというの?
サウル先生は、ダビド先生が目障りだったのよね。
ダビド先生は若くて熱血な体育教師で、いつの間にかサウル先生と人気を二分するまでになっていたもの。
ダビド先生のことは、なにも心配いらないのだけれど……。ダビド先生は荒れている鉱山分校の方が、お力を発揮できそうな方ですもの。
だけど、わたくしや、他の先生方は……。
サウル先生……、こんな学期の途中に、私情でなんということをしてくれたの……。頭がおかしいとしか思えないわ……。
担任まで任せられる後任の教師なんて、この貴族社会では、そう簡単には見つからないの。
サウル先生がめちゃくちゃなことをしてくれたおかげで、わたくしが学年主任と上位貴族クラスの担任を兼任しているのよ。
他の先生方も、そんなわたくしをフォローして、宿題やテストの丸付け、教材作りなどを手伝ってくれている。
三年生の数学のトマス先生なんて、学者肌で剣術も乗馬もお得意ではないのに、若い男性教師というだけで、騎士部の顧問をやらされているわ。
トマス先生が顧問をしていたカードゲーム部は、二年生の歴史のテレサ先生が、刺繍部の顧問と掛け持ちよ。テレサ先生は、「カードゲームなんて、やったこともないのに……」と嘆いていたわ。
わたくしたちが、どれだけ大変な思いをしていると思っているのよ……。
「行きます。ヴィア王国の王宮まで行かせていただきます。私が行けばいいんでしょう」
サウル先生は不機嫌な顔で、わたくしの手から茶色い封筒を奪い取った。
さすがにサウル先生のご実家も、五男のために次から次へと王立学園の教師を左遷しまくるなんて、体裁が悪くてできないでしょうからね。
――わたくしはチャンスを逃したりしない。
『次の機会』なんてものが、いつ巡って来るかわからないじゃない?
下手すると『次』なんてないこともある。
戦というのはね、攻められる時に攻めるのよ。
「下位貴族クラスの担任は、わたくしが代行いたします。わたくしもヴィア王国語が得意ですから、後のことはなにも心配いりませんよ。授業の進捗状況だけ、わかるようにしていってくださいね」
「……わかりました。資料をまとめたら、すぐヴィア王国に発ちます」
サウル先生はひどく慌てて、職員室に戻っていったわ。
わたくしを『貧乏子爵家の四女』と、ずっと見下していたものね。
そんなわたくしが、ヴィア王国語が教えられるほど得意だなんて、思ってもみなかったのでしょうね。
サウル先生は、前にアウレリオ君と図書室で口論していたことがあるの。
わたくしがヴィア王国語で口論している二人を見たからって、どうせ理解できないとでも思っていたのよね。
サウル先生から見たら、わたくしなんて、ただの本の好きな冴えない国語教師。
サウル先生は、わたくしが二人の口論を不思議そうな顔で見てから、そそくさと逃げ出したとでも思っていたはずよ。
――ああ、よかった。早速、一人片付いた。
一年生の下位貴族クラスには、クーラ男爵家の庶子であるマリサさんがいるの。マリサさんは、華やかなピンクブロンドに、菫色の瞳。顔はとても愛らしく、女性らしいスタイルをしているのよ。
マリサさんは、公爵令嬢のベアトリスさんからイジメにあっていたの。ベアトリスさんは、このミセリア王国の王太子殿下の婚約者でもあるのよ。
サウル先生は、マリサさんとイジメの件で何度も何度も個人面談を行っていたの。
個人面談室ではもちろん、放課後の空き教室、校舎の屋上、図書室の本棚の陰なんかでもね。
サウル先生ったら、『相談に乗っていた』と言うのなら、しっかり問題を解決してほしいものだわ。
アウレリオ君もマリサさんとは、とっても親しいの。アウレリオ君は、ヴィア王国の第二王子殿下なのよ。いずれは国王を支えることを期待されて、このミセリア王国に留学してきたの。
ヴィア王国の国王陛下には、わたくしが連絡帳に書いた内容を読んで、マリサさんについてご判断いただくわ。
そうそう、ヴィア王国ってね、行くのは簡単だけど、帰りはけっこう物騒なところを通らないといけないの。
同じ道を通って帰って来るはずなのに、不思議なこともあるものよね。
サウル先生も充分お気を付けになって、無事に戻られるといいわね。




