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透明人間になった女の子の話

掲載日:2025/11/23


 ある日、透明人間になった。


 私はツヴァイ、帝国の王女だ。


 私の母は帝国に侵略された敗戦国の王女だった。本来なら一族もろとも処刑されるところをその類稀な美貌を見初めた皇帝に召し上げられ唯一生き残った王族が母だった。


 そんな母の子供である私も異国の血を強く受け継いでいた。帝国では珍しい色彩と顔立ち、そこにいれば視線が集まりそこにいなくても噂話に尾鰭がつく。奇異や好奇に晒されて毎日誰かに見られる日々、唯一の味方だった母がいなくなってから私は本当にひとりぼっちになった。


 そんなある日無理やり出席させられた夜会でとある令息に呪いをかけられた。なんでも私が彼を誑かし婚約者との縁を切らされたらしい。

 冗談じゃない、こちとら人と話す時間よりも小動物と話している時間の方が長いような女なのだ、貴様のことなぞ知らん。冤罪としか言いようのない話だが、当の令息は自身の命を代償にした渾身の呪いを私にかけた。


 そして私は透明人間になった。肉体はそこにあるのに私の臓物から髪の毛一本にいたる全ての要素が見えなくなった。今の私はドレスが勝手に動いているようにしか見えない、私は嘆いた、これ以上他者との違いを作らないで欲しい。ただでさえ浮き彫りだった存在なのに呪われた透明人間だなんて目立つどころの騒ぎではない。


 まあしかし人間慣れるもので、透明人間になってから半年も過ぎれば恐怖の視線もあまり気にならなくなった。

 ついでに言うなら私が体の一部と認識したものはすべからく透明になるようで、私は衣服も消し完全に透明化して城を歩くという遊びをするようになった。


 これが結構面白いのだ。他の王女たちのお茶会に混じってお菓子の盗み食いをすれば彼女たちは誰が勝手に食べたのかと互いに疑い始める。私だって王女なのだから別に変なことはしていないよね?


 他にも夜中にピアノを勝手にならしたり、皇帝の演説中に目の前で踊ってみたり、不貞行為を繰り返す貴族に呪うぞ〜と囁いてみたり。


 そんな日々だったが、ある日皇帝が魔術師を連れてやってきた。どうやらあの夜会から皇帝は私の呪いを解ける魔術師を探していたようで旅する魔術師の男に解呪の依頼をしたそうだ。


 彼は豪奢な客室で見えないはずの私に手を振った。


「やあ王女様、僕は黒曜の魔術師ケルネリオンだ。君の父上に迷惑なお願いをされた可哀想な魔術師だよ」


 長く艶のある黒髪に、アメジストが嵌ったような双眼の男だった。複雑な模様が描かれたローブを纏い、私のことを面倒くさそうに見ていた。


「さあ疾く治してしまおう。君の呪いを解くまでこの城を出ないという誓いを君の父上に立てさせられてしまってね、こんな辛気くさい場所にはあまりいたくないんだよ」


 ケルネリオンはそう言うと私のソファの横に座った。少し距離が近い、近くで見るとかなり体格が良く背が高いことが分かる。今まで城に従事する魔術師なら見たことがあるが、みな痩せていて不健康そうだった。なんでも日夜、自らの血や臓物を魔術に捧げているため彼らの体はスカスカらしい。


 ケルネリオンのアメジストの瞳がこちらを見下ろす。彼には私の目など見えていないはずなのにどうしてだか覗き込まれているような感覚に陥ってしまう。


「……これか」


 彼は何かを見つけたように呟いた。目を絞るように細めてしばらくの間見つめ合う、見えているはずがないのに彼ははっきりと私を見ていた。

 

 少しして彼は私の額を指先でトンと押した。

 え?と思ってケルネリオンを見ると、彼は何かを考え込むように伏せ目がちに眉を顰めていた。


「あの……呪いは解けたのですか?」


 少なくとも私の目には自分の腕や髪はまだ映っていない。彼は言葉を選ぶように「……いや」と呟いて、こちらを見た。


「どうやらとてもしぶとい呪いらしい。どうにか解く方法を考えるのでもう少し待っていろ」


 彼はそう言って、また見えてないはずの瞳を捉えた。


 こうして透明人間と魔術師の変わった生活が始まったのだ。


 □□□


 ケルネリオンは不思議な男だった。

 言葉や仕草一つ一つに品性を感じるのに少しだけ崩れていて気やすさが滲み出ている。

 私が完全に透明化して城を歩き回っている時もどうしてだか彼には見つかってしまう。あまり危ないことはするなと部屋に連れて帰られて不服そうにしていたら、ケルネリオンは「そんなに暇なら」と魔術を見せてくれた。


 彼の魔術はとても綺麗だった。私が知っている魔術と言えば呪いをかけたり幻術をかけたり怪しげな部屋で悪魔を召喚したりするものなので、こんなにも綺麗な魔術が存在するのかと心の底から驚いた。


 城の魔術師はみな自分の魔術を秘匿したがるけれど、彼は私にたくさんの魔術を見せてくれた。なんでも彼によると自分の血や臓物を生贄に捧げるのも魔術を隠したがるのも三下のやることらしい。魔術書を読ませてくれたり、彼の使役する精霊を見せてくれたり、私は母がいなくなってから初めて心の底から笑顔になれた。


「なあツヴァイ、そんなに魔術に興味があるなら君もやってみるか?」


 ある日、ケルネリオンが部屋の中を花畑にする魔術を見せてくれていた時、彼の口からそんな言葉が飛び出した。

 私は花を摘みながら目を瞬いて「無理だよ無理」と首を振った。


「私に魔術が使えるわけないじゃん。私にはこんなにすごいことできないよ」


 私が無理無理と言っていると、ケルネリオンは「ふむ自覚はないのか」とどこか呆れたように呟いた。


「自覚って?」


「魔術の才の自覚だ、今まで感じたことはないか?例えば小動物と話せたり夢で起こったことが現実になったり昨日植えたはずの種が一夜で花になっていたり」


 それら全てに覚えがあった。しかし初めて小鳥と喋った時嬉しさから母に話すと「決して口外してはいけない」と言われたのだ。


「君の父の皇帝は魔術師の家系ではないのでおそらく母方のものだろう。しかもとても古い魔術だ、今の並いる紛い者の魔術師共ではなく精錬とした密度の濃い僕に近い魔力だ」


 そう言われて私はどくんと胸が高鳴った。ケルネリオンのように魔術が使えるかもだなんて。でもそんな興奮は自然とすぐに冷めていった。


「無理だよ、こんな私が魔術だなんて。自分の呪いも解けないのにケルネリオンみたいなことはできないよ」


 私が摘んだ花を口元に近づけてそう言うと、彼は何かを言いたげに口を開いたがすぐに飲み込んで閉ざした。


「……そう自分を卑下するなツヴァイ。君はよく私なんかと言うが鏡を見てみるといい、君ほど美しい女性を僕は見たことがない」


 やたらとくさいことを言ったケルネリオンに私はむぅと頬を膨らませて「私……透明人間なんですけど」と呟いた。


「なら僕の目を見るといい、僕の目に君がどれほど美しく映っているのか見せてやろう」


 ケルネリオンはそう言うと指先をクイっと動かして魔術で私を浮かせた。「ひゃっ」と悲鳴をあげる私に構わず彼は手繰り寄せるように私を近づけると、その膝の上にぽすんとお尻を着かせた。


 ソファに座った彼に横抱きにされた。驚いて彼を見ると間近に迫ったアメジストの瞳に見つめられていた。

 その端正な顔立ちに頬が熱くなる。スッと顔を逸らすと背中に回された方の手で強制的にケルネリオンの方を向かされた。


「逸らすな。僕の瞳を正面から見て認識しろ、君自身の中に眠る力とそれを束縛する鎖を。そうすればきっと……」


 アメジストの双眼に囚われて私は瞬きすることもできずに彼の瞳の中の自分を見た。見たと言っても透明人間なのだからそこに映るのはドレスだけなのだが、ふと瞳の真ん中に小さな蒼い炎のようなものが見えた。


「そうだ、それが君だ。そして君を縛る鎖を見るんだ」


 そう言われると蒼い炎にガッシリと巻き付くように蒼い鎖が見えてきた。しかしその鎖はまるで炎を守るように巻きついていて私にはその鎖がなんなのか分からなかった。


「この炎が私なら、この鎖はなに?どうしてそんなに私を縛るの?」


 自然と口から溢れるような言葉にケルネリオンはアメジストの瞳を閉ざした。彼は私を膝の上から下ろして隣に座らせた。


「それは……君が見つけるべき答えだよ。僕が教えてあげるのはルール違反なんだ、世界から怒られてしまう」


 彼はそう言って私の見えないはずの頭を撫でた。優しげに細められた紫の目に私は首を傾げることしかできなかった。


 □□□


 それからもケルネリオンと魔術を交えた日々を過ごした。彼の隣にいると心が温かくなる、まるでひだまりの中にいるような心地よさに溶けてしまいそうで毎日がとても楽しくて仕方がなかった。


 ある日、私は皇帝に呼び出された。

 玉座の間に座る皇帝が跪いた透明な私を睥睨して問いかけてきた。


「呪いの方はどうなっている」


「……今のところは解呪はできていません」


 私は俯いたまま赤いカーペットを視界を埋めて答えた。どうせ透明なので少々の無礼をはたらこうが気付きやしない。


「なら今の魔術師は処分して新しい魔術師を探そう」


 私は今度は顔を上げて「はぁ?」という言葉をなんとかして飲み込んだ。皇帝は頬杖をつき顎髭を撫でて私を見下ろしていた。


「……恐れながら陛下、あの魔術師はよくやっています。それに処分しなくても国外に追放すればよろしいのでは?」


 内心「ふざけんなっジジィ!」と罵声を浴びせながらも取り繕った言葉を言うと、皇帝はアリを潰すような顔で答えた。


「あの者とは其方の呪いを解くまで城から出ないという誓いを立てさせている、流浪の魔術師など邪魔なだけだ」


 だからこの男と話すのは嫌なのだ。母の一族を皆殺しにしておいて母のことを最愛と呼ぶのも、皇帝の寵愛を受けた亡国の王女がどれほど邪険に扱われるか知ろうともしないのも、ケルネリオンを殺そうとするのも全てが頭にくる。


「新年祭までには新しいのを見繕ってやろう、それまでにせいぜい励めとあの役立たずの魔術師に伝えておけ」


 そう言って私は御前を下がらされた。そして自室で私は盛大に怒りを机に叩きつけていた。


「なんなのよあの男!人の命をなんだと思っている!お前なんてノミムシにも劣るバカだ!十回死ね!」


 私が机をバン!と叩いてそう叫ぶと向かいに座ったケルネリオンが愉快そうに笑った。


「ならそう言ってやればいいじゃないか、多少はスッキリするだろうよ」


「い、言えるわけないでしょ?相手は皇帝よ?」


 慌てて首を振ると彼は「そうかい?」とこちらを見てクッキーを齧った。


「それにしてもそうか、僕はあと二月もせずに死ぬのかぁ」


 どこか他人事のようなケルネリオンに私は「もっと慌ててよ!」と叫んだ。


「慌てるかぁ……僕は今まで呆れるほど長い時間を生きてきたが最後が君の隣なら案外悪くないかもしれないな」


「だめよ!死んだら許さないんだから!新年祭までに呪いを解きましょう、そうすれあなたは助かるわ!」


 どうしようもなく呑気な彼の様子に、彼が死ぬことを想像してしまい涙が溢れてきた。どうやら涙は透明にならないようでそれを見てケルネリオンはアメジストの目を見張り慌ててそっと指先で涙を掬った。


「すまない……泣かないでくれ……君に泣かれると僕はどうしていいか分からなくなる。大丈夫、僕は死なない君の呪いを必ず解くよ」


 今までになく焦った様子に溜飲を飲み「うん……」と頷く。それでもケルネリオンはまだ心配なのか眉を顰めていた。


「でもそうか、君の呪いか……」


 難しそうに考え込むケルネリオンに胸が不安になってくる。これだけすごい魔術師の彼でも解けないなら一体誰なら解けると言うのか。


「そんなに強い呪いなの……?」


「……そうだね、とても強い呪いなんだ。だから君にも呪いを解くのを手伝って欲しい」


 私は「え?」と首を傾げた。しかしケルネリオンは全く意に返さず話を続けた。


「言っただろう?君には魔術の才がある、君は君の内部にある呪いを調べるんだ。大丈夫きっとツヴァイならやれる」


 突然の話ではあったけれど言い出したのは私だしとりあえず「分かった!」と頷いておく。

 ケルネリオンは私の返事を聞き嬉しそうに微笑むとそっと私の頬を撫でた。すると彼が触ったところの泣き跡がスゥと熱が引くように治っていった。


「……うん、大丈夫。きっと君ならやれるよ」


 優しげに細められた紫色の瞳に胸が高鳴った。最近ずっとこうだ、その目に見つめられて触れられるだけでそこが熱を持ち血が沸騰する。こういう時ばかりは頬が赤く熱っているのが透明なおかげで見えないのに感謝した。


 □□□


 それから呪いを解こうと奮闘した。できそうなことをできるだけ試してみる、そうするうちにだんだん魔術について分かってきた気がした。


 しかしやはり呪いは解けなかった。そもそもケルネリオンよりも弱い私ではケルネリオンでも解けない呪いなどその尻尾を掴むこともできないのではと思った。


 しかしケルネリオンが皇帝に殺されることだけは嫌だった。だから毎日毎日私は自分の中の呪いを調べていた。


 とある夜、私は今日もダメだったとため息を吐いて鏡の前に座った。透明だから見えないのだけれど、いつも寝る前は化粧台に座って髪を梳かしていたので今日も誰にも見えない髪をブラシですいていた。


 その時ふと、ケルネリオンの言葉を思い出した。彼は先日私に『鏡を見てみるといい』と言った。それに私は『私……透明人間なんですけど』と返したが今になって何も映らないはずのない鏡がどうしてだか気になった。


 じぃと目の前の鏡を見た。もう何ヶ月も見ていない自身の姿はやはり映らなかった。しかし見続けていると胸の辺りに蒼く揺らめく何かが見えた気がした。目を凝らすとそれが燃え出る炎であることが分かった。


 ……ああこれは『私』だ。


 そして唐突に理解した。この蒼くて美しい炎は私そのものであると。そして『私』に巻き付く蒼い鎖もだんだん浮き出てきた。


 それはあの時ケルネリオンが『なら僕の目を見るといい』と言って見せてくれたものだった。小さくて脆くて懸命に燃え続ける剥き出しの『私は』に蒼い鎖が守るように巻きついている。


「この炎が私なのだとしたら、この鎖は『呪い』?」


 随分とイメージと違う。呪いとはもっとおどろおどろしいものだと思っていた。しかしこの呪いは随分と優しげだ「離れてよ」と言ってしまえば消えてくれそうなほど優しげだったが私がどれだけそう念じても束縛は解かれなかった。


「むぅ確かにこれはしぶとい呪いね」

 

 鏡の中の私に巻き付く鎖を睨む。それにしても本当に強力な呪いだ、あの夜会で令息は自身の命を捧げて私に呪いをかけたがそれでもただの坊ちゃんにここまでのことができるのか疑問に思った。


 しかし慣れないことをしたせいなのか急激な眠気が襲ってきた。私はふわぁとあくびを一つすると、明日もがんばろ、と布団に潜り込んで眠りについた。

 


 それからまたしばらくして王女たちの茶会に招かれた。庭園の中で彼女たちが会話に花をさかせている間私は端っこでぽつりと終わるのを待っていた。


 彼女たちの母親はみな国内の有力者の娘か、どこぞの国の王女様だ。透明人間になる前はよくこうして無理やりに招待されて陰でクスクス笑われたりお茶を被せられたものである。


「ツヴァイ様、本日はお越しいただき光栄ですわ。実はお父様から最近あなたを茶会に招待していないと指摘されまして……今はあなたの珍しい髪が見れなくて残念ですわ」


 私と同じ年に生まれた王女が私の方を見て口を歪ませて笑う、他の王女たちもみな合図したようにクスクスこちらを見て笑い出した。しかし全くもって全員目が合ってないので私から見たら随分間抜けな絵面だった。


「お父様は亡き最愛の忘形見であるあなたをとても大事にされてますからね……あなたがそのような姿になってもこうして気遣ってくださるのですもの、本当に羨ましいわ」


 それにしてもこのお茶会に私を入れたのは皇帝だったのか。本当にどこまでも目障りな存在だ。

 私が透明人間になってから皇帝の子供達たちは怖がって避けてくれていたのに、なぜわざわざ渦中に放り込むのか?もはや嫌がらせと思ってもおかしくないだろう。


「本当に羨ましい限りですわ、わたくしたちではあなたやあなたのお母様のような色がごちゃ混ぜになったような奇妙な髪色にはなれませんもの」


 ……なんだか不思議な気分だった。前まではここにいるだけで本当に嫌な気分になったのに今は何も感じない。あれだけ嫌みたらしかった王女たちも母親の代理戦争に使われている哀れな駒のようにしか見えなくなった。


 私の母は皇帝の最愛だった。祖国を侵略した男に愛されても全く嬉しくなかっただろうけれど、他の妃たちはそんな母を妬んだ。母がいなくなってからは母によく似た特徴を持つ私を攻撃しだした。私の不思議な髪や目の色を笑い謗り、色がごちゃ混ぜになったようだと馬鹿にした。


 ……ああそうだ、私はあの頃毎日『見えなくなればいいのに』と思っていた。


 嫌だった、ただの髪色に下品もクソもないのにどうして笑われなければならないのか。母が綺麗だと褒めてくれた髪と瞳を嫌いになりたくないのに擦り減るように糸が細くなっていった。


 ――そしてあの夜会の日、その糸がプツンと音がして切れてしまった。


 それを思い出して私はガタンと立ち上がった。周りで無作法を咎める声がしたけれどそんなもの無視して私は自室に駆け込んだ。


「ケルネリオンっ!!」


 バン!とドアを蹴破る勢いで雪崩れ込んだ。そこには艶のある長い黒髪をしなだらせたケルネリオンがソファで本を読んでいた。


 彼は突然飛び込んできた私に動揺することもなく「やぁツヴァイ」と紫色の瞳を細めた。


「そんなに慌ててどうしたんだい?呪いを解く方法でも思いついたのか?」


 からかうように笑うケルネリオンを見据えて私はズカズカと歩き彼の向かい側のソフィアに腰をかけた。


「……呪いを解く方法は分からない、でも呪いの正体なら分かった」


 ほんの少しだけ見開かれたアメジストの目が興味深そうに細められる。長い足を組んで両手を膝の上で握りケルネリオンはいつもと態度を変えて私を見た。


「おもしろい、ならば答え合わせをしてあげよう。君の魔術の師であり黒曜の魔術師であるこの僕が直々に」


 □□□


 私はずっと人に見られるのが嫌だった。奇異や好奇の目で見られるたびにその目玉を潰してやりたくなるほど私は見られるのが嫌だった。

 そしてあの夜会の夜私は願ってしまったのだ。私が誑かしたらしい令息が『お前なんて透明になって誰にも見えなくなればいいッ!!』と叫んだ言葉に酷く共感してしまった。


「……私は自分で自分を呪っていた。誰にも見えなくなればいいと、透明になれば私の色を馬鹿にすることもできない。だから私は自分で『透明人間になる呪い』をかけていた」


 私の答えにケルネリオンは「そうだね」と正解したことを褒めるように微笑んだ。


「正確には令息の呪いを土台にしたものだけどね。自らの命を犠牲にして君を呪ったが、その呪いは吹けば飛ぶような程に脆弱な呪いだった。あの呪いは本来なら一日もたたずに消えるはずだったんだ、それを君が新しく作り直した」


 ケルネリオンは私の中身を覗くようにアメジストの目を細めた。


「……どうして教えてくれなかったの?」


 少し責めるような口調になってしまったが彼は気にせずに「んー」と目を閉じた。


「魔術にはたくさんの制約があるんだよ、その一つに自らを呪った呪いはまた自らしか解けないというものがある。僕も驚いたよ。面倒な帝国に捕まって王女の呪いを解いてくれって言われて、さっさと解いて逃げようと思っていたらまさか君は自分で自分を呪っていたんだからね」


 私は少し罰が悪くなった。私の存在は彼にとってとてつもないほどイレギュラーだったのだろう。


「すぐに出ていくつもりで立てた『君の呪いを解くまで城から出ない』という誓いもあって僕は困ったよ。でも君は魔術に天賦の才を持っていた、君が自分で呪いを解けるように僕は君に魔術を教えた。そしてはっきりとした助言もできない中でこうして君は答えに辿り着いたんだよ」


 彼は嬉しそうに笑ったが私は少しだけ悲しくなった。彼にとって私との日々はただ私に呪いを解かせるためだけのものだったと言われているような気がした。


 私は頭を振った、私のせいで彼はここにとらわれているのだ。そんなことで悲しむ資格はない。


「……でも呪いの正体が分かっても解き方が分からないわ。もう新年祭すぐそばまで来てるのに、このままじゃあなたが……」


 私の搾り出すような声にケルネリオンはひどく眩しげに目を細めて私の手を握った。


「大丈夫、よく考えるんだ。呪いの解き方はいろいろある、一つ目が魔術の理論で攻めるものもう一つが呪いを実行不可能にすることだ」


「実行不可能……?」


 よく分からず首を傾げるとケルネリオンは「そうだ」強く頷いた。


「魔術は誓いだ。呪いを実行不可能にしてしまえば役目を果たせず瓦解する。思い出して、君はあの時何を願い何を呪ったんだ?」


 黒曜の魔術師はそう言って私の手を握りしめた。


 □□□


 新年祭は新年を祝う帝国のお祭りだ。国中の貴族が集まり一斉に城にかえす、一年で最も城に人がごった返すイベントである。


 そんな渦中の真ん中で皇帝は挨拶にくる貴族たちを軽くあしらって大ホールを見回した。

 何度一年を繰り返してももうあの美しい髪は見れないのだと実感する。彼の最愛の妻であるメーデルが死んだ瞬間から彼の心にはポッカリと穴が空いたようだった。


 彼女は田舎の田舎のとても小さな国の王女だった。まるでアリを踏み潰すように帝国はその国を侵略した。

 目障りな王族は処刑するのが帝国の慣習だった、けれど当時まだ王子だった皇帝は運命に出会ってしまった。


 彼女の名はメーデル。彼女はこの世のものとは思えない美貌をしていた、儚く可憐な女神のようないでたちで、特にその国の王族特有の珍しい髪と瞳に皇帝は囚われてしまった。


 どうにか父帝に願い出て重鎮を説得してメーデルを妻として迎え入れた。本来ならば家族共々処刑されていたのだ、彼女は自分を救ってくれた皇帝に深く感謝しているはずだ。


 彼女と結婚して一年もしないうちに子供が産まれた。もしかしたら皇帝の子供ではないのではと囁かれたが彼女と初めて愛し合った時彼女はまだ生娘だった、皇帝は愛する妻が自分を騙す筈がないと煩い者を黙らせて王女ツヴァイを授かった。


 ツヴァイは本当によく母親に似ていた。特にそのダイヤモンドのような不思議な髪と瞳が瓜二つで、皇帝にとって正妃の子よりも大事な子供だった。


 メーデルは産後の肥立が悪くツヴァイを産んでからずっと体調が悪かった。そのため二人目以降は授かれなかったが皇帝はメーデルのことをずっと最愛と言い続けた。


 しかし六年前にメーデルは死んでしまった。数週間泣くばかりだった皇帝だがふと一人の娘を思い出した。ツヴァイ、最愛の忘形見、天国にいるメーデルに「私の分まで愛して」と言われているようだった。


 そんな愛娘がとある夜会で『透明人間にになる呪い』を受けた。その呪いは素人がかけたとは思えないほど強力で城の魔術師では歯が立たなかった。


 そんな中一人の旅魔術師の噂を聞いた。その男は黒曜の魔術師と呼ばれ黒曜石のような真っ黒な長い髪が特徴の偉大な魔術師らしかった。その男を捕まえるのに半年以上かかったが無事に捕獲し誓いも結ばせた。


 これで安泰かと思ったが半年たっても黒曜の魔術師はツヴァイの呪いを解こうとしなかった。それどころかツヴァイの部屋に入り浸り怪しげな魔術を教えているらしい。


 透明人間になってからツヴァイも気落ちしてお茶会や式典にもめっきり顔を出さなくなった。時折呼び出してやっても気力がなさそうで、毎日部屋に引きこもり黒曜の魔術師に心を奪われてしまったと噂されている。


 皇帝は魔術師を追い払おうと心に決めた。半年たって功績がないのもそうだが、メーデルに似た娘が誰かのものになるのが許せなかった。


 今日の新年祭もツヴァイは来ないようだ。まああの魔術師は今日でいなくなる今度こそ呪いを治せる魔術師を見つけてツヴァイのメーデルに似た髪と瞳を取り戻すのだ。


 宴も後半に差し掛かる頃、ふと二階のバルコニーホールで何かが動いた気がした。あそこは今日は立ち入り禁止のはずなのに人影のようなものが立っている。


 ……なんだ、あれは?


 侍従に確かめに行くよう指示を出そうとした瞬間、突然ホールのシャンデリアが消えた。真っ暗で何も見えずごった返していた貴族たちも困惑している。


 するとその時バチっと先ほど物陰が見えたところ辺りのバルコニーホールが照らされた。暗闇に慣れた目に強烈な光が痛くてクッと目を細めたが次第にそこにいるナニカが見えるようになった。


「……透明人間だ」


 誰が呟いたか分からないがみなが思ったことだろう。二階のバルコニーホールにドレスを着た透明人間、最愛の忘形見である愛娘――ツヴァイが立っていた。


 □□□


 怖い。緊張で吐きそうだ。

 私は新年祭が開かれているホールの二階で一人手に拡声の魔術具を持ち立っていた。

 この国のほぼ全貴族が私を見ている。視線は嫌いだ、そらは傷つけることはあっても癒し守ることはない。特に私に向かう視線はすべからく悪意が乗っていた、だから私は透明人間になりたいと望んだのだ。


 しかし今日はそれを断ち切らねばならない。呪いは結局呪いだった、人を救うことはできない。私は呪いを解くためにここに来たのだ。


 私は拡声の魔術具に魔力を流した。思い出すのは、黒く艶やかな長い髪とアメジストのような双眼。優しげで温かな彼の姿を思い出せば緊張も多少は焼き切ることができた。


 ……待っててね、ケルネリオン


 私はゆっくりとしかし記憶に残るようにはっきりとした声を出した。


「……私はツヴァイ、透明人間の呪いを受けたこの国の王女です」


 静かなホールに私の声が響く。みなが息を呑む中で私は大きく息を吸った。


「まず私からみなさんに伝えたいことがあります。私はみなさんのことが……――大ッッッッ嫌いです!!!!!」


 ワンワンワンと反響する中、数瞬の後ホールの空気が凍りついた。凍っている方が壊しやすい、私はまた息を吸って口を開いた。


「嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い、大っ嫌い!お前たちなんて死んでしまえばいい!お前たちは生まれてきたこと自体が間違いだ!ドブネズミ!神様の失敗作!この世に蔓延るウジ虫ども!母の祖国を侵略し一族を皆殺しにしておいて最愛だとほざく皇帝も、皇帝が勝手に盛り上がっているだけなのに母にばかり嫉妬し母がいなくなれば幼い私を攻撃してきた妃たちも、母親に操られて代理戦争の駒にしかなれない王女と王子たちも、私や母を笑い上位者に従うことしかできない腰巾着の諸侯どもも、どいつもこいつも大嫌い!生きる価値もないゴミどもが、生まれてきてごめんなさいとでも言ったらいいわ!」


 一息で言い切った。息切れしていることを悟らせないように魔術具を切り呼吸を整えていると、瞠目している貴族の中から「ツ、ツヴァイ?」と伺うような声が聞こえた。


「ど、どうして……そんなことを言うんだい?もしかしたらあの魔術師に言わされているのかい?」


 それは皇帝の声だった。よたよたとした頼りのない声に私はハッと馬鹿にしたように笑った。


「どうして?言わないだけで私はずっっっとこう思っていましたよ皇帝陛下。全て私の本心で長い年月の間に腹の中に溜まり腐っていったあなたたちへの嫌悪や憎悪だ。自分の胸に聞いてみてはいかがです?ああ!あなたは母にあんな仕打ちができるくらいですもの、もしかしたら心がないのかもしれませんね!」


 もはや緊張はどこかに吹っ飛んでいった。今あるのはずっと箱の中に押し込んでいた憎しみのみだ、一度溢れ出た想いは流れる滝のように止まることはない。


「わ、わしは其方を父親として心の底から愛しておる!死んだ其方の母の分も其方を愛すると決めたのだ!」


 ああなんて愚かしいのだろう。おかしくておかしくて私は酷薄とした笑いが込み上げてきた。


「はははっそれはあなたがただ髪フェチなだけの変態だからでしょう。亡国の姫を最愛にするなんてどうかしている……本当に愛していたのならひっそりと隠してあげればよかった!あなたが寵愛なんかを与えるから私の母がどれだけ他の妃から妬まれ蔑まれ殺されかけたか!」


 二階の入り口に警備員が駆けつけてきたがここには魔術の結界が張ってあるからすぐには壊せないはずだ。


 私は愕然とした皇帝に向けてさらに言葉を重ねる。


「あなたは私を娘として愛してもいない、あなたから向けられる薄寒い視線は不愉快極まりなかった……私の呪いを解きたいのもただもう一度私たちの髪が見たいだけでしょう」


 皇帝は図星をつかれたように押し黙った。


「それから何か勘違いしているようだが私はお前の娘ではない」


 突然落とされた爆弾発言にさっきとは違う意味でホールの中が凍りついた。皇帝は乱心して「そんなはずはない!」と叫んだ。


「確かにツヴァイは随分早く生まれた、だがわしはメーデルと最初に愛し合った時彼女が生娘であることを確認している!結婚してからも監視の目があり不貞をすることはできなかったはずだ!」


 私はこの人は本当に何も見えていなかったのだなと思った。私の母であるメーデルが、祖国を滅ぼした男に屈服するわけがない。そんなやつに股を開くくらいなら母きっと自害している、母はそういう人だ。


「不思議なことをいうのですね皇帝陛下……母はあなたとは一度も交わっていない、私の母を従順で儚げな女だとは思わない方がいい。あなたが愛し合ったという女性は母の魔術で作られたただの幻想ですよ」


 そう実は私の母は魔術師だった。特に占いや幻術の類が得意で、何度も寝室へアタックしてくる皇帝を母は幻術で躱していたらしい。


「私は母と、あなたに殺された母の恋人との子供です。不思議に思わなかったのですか?私はあまりにもこちらの国の特徴を受け継がなさ過ぎている。まあ私を嬉々としていじめる者たちには都合が良かったのかもしれませんね」


 私は今は見えない髪をいじる。この髪も瞳もあまりにも純血すぎる、どう考えてもハーフではない。


 あと一つ言っておくが、実は私の母はちゃっかり生きている。六年前私が十二歳の頃、母はお得意の幻術で自身の死を偽装した。

 その時私は母から尋ねられた。共に逃げるか、一人で残るか、母は私とよく似た容貌で私に問いかけた。


『いいですか?あなたはいつか運命の人に出会います。あなたを守り慈しみ愛してくれる方があなたの前に現れる。しかし今この城を出ていくとあなたは運命に巡り合えません。できるならばあなたが運命に出会うまで共にいてあげたかったのですが……母はもう疲れました。選びなさい、母ともに逃げ出すか、それともこの地獄で一人運命の人を待つか』


 そして私は地獄で運命の人を待つことにした。その選択をした時母は少し悲しげに微笑み城を出て行った。


 ……結局、私の運命の人は誰だったんですか?お母様


 一瞬あのアメジストの瞳が脳裏をよぎったがすぐに頭を振る。彼は全てが終わったらここを出ていくだろう、そして私は捕えられて処刑される。なるべく多くの人を巻き込んで死ぬつもりだが、ここから生き延びることは不可能だろう。


 私はもうなりふり構わずに口を動かした。


「哀れだな、母に騙された皇帝も、そんな母に嫉妬して自らの格を下げた妃たちも、付き合わされた子供たちも、見下げたものだ。この脳足りんの蛮族どもが!」


 私がそう叫ぶと、魂が抜け落ちたような皇帝がフルフルと体を震わし真っ赤な顔でこちらを睨んだ。


「ふ、ふざけるなよ!どれだけわしをコケにすれば気が済むのだ!?少し可愛がってやればいい気になって……生きて帰れると思うなよッ!」


 皇帝の言葉を皮切りにホールに集まった他の諸侯たちも口々に怒りを表した。まるで波のように動き私を敵意剥き出しで睨んでくる。

 私は自分の腕を見た、相変わらず透明のままだったが、私の中の『私』に絡みつく呪いの鎖がどんどん崩壊してきているのを感じる。


 ……もうひと押しだ


「ええ私も死を覚悟してここにいます。でもどうせ死ぬのならば最後は派手に暴れようと思うのです」


 貴族たちの動きがピタッと止まった。何を言うのかとおどろおどろそうにこちらを見上げるのを、私は心の底から笑い飛ばしながら答えた。


「別に暴力を振るおうと言うわけではありませんよ?私はあなたたちのように人を殴って従わせる蛮族ではありません……ただ私には私のやり方があるだけです」


 まさしく悪女と言ったふうに私は笑う。透明だから見えているはずないのだが、彼らはゴクリと唾を飲み込んだ。


「……私の母が魔術師だったことをもうお忘れですか?実は私も魔術師なんです、この場にいる全員に呪いをかけるなんて造作もないのですよ」


 私が悪い笑みを浮かべながらそう言うと、彼らは数秒間を置いてから、絶叫した。

 私は内心でほくそ笑む。もちろん嘘だ、そんなこと魔術初心者の私にできるわけがない。これは私という存在をその脳に決して消えない記憶として焼き付けるためのものだ。


 私は胸の前で祈るように両手を合わせ、魔術書に書いてあった呪いの呪文を唱えてみる。

 

「――終わらぬ悪夢 結ばれる悪縁 終焉の前触れは今訪れる 汚れた魂に救いはなく 恨みの種が花開く 堕ちよ鉄槌 断罪の時 蛮族どもに永遠の苦しみを」


 そう言い切って両腕を広げた。すると多少なりとも成功したのか闇が凝縮したようなドス黒い煌めきがホールに降り注ぎ貴族たちがさらに絶叫した。


 すると『私』を縛り付ける呪いの鎖がビクビクっと震え出した。そして耐えきれないと言わんばかりに鎖が粉々に弾け飛んだのを感じた。


 それはまるで魂が解放されたようだった。それと同時に体の中心から透明だった体に、まるで絵の具を垂らしたように色が付いていく。胸や腕に白く美しい肌色が広がり、瞳は星瞬くように光が灯った。

 そして極め付けは髪だった、何もなかったはずのところにまるで美しいオーロラが広がるようにさまざまな光が複雑に反射して混じり合う美しい銀髪が現れた。


 それはもはや神聖さすら感じるほどに美しい光景だった。儚い虹色が光と共に入り混じり、その輝きはまるでダイヤモンドのようだった。


 ここにいる全ての生命の視線が集まる。なんとも一年ぶりの感覚だ、私はこの視線から逃げたくて自分に呪いをかけたのだ。


 ケルネリオンとの会話を思い出す。あの時彼は私に、何を願って自分を呪ったのかと問うた。

 私は願った、誰の何にも残らない空気のような存在になりたいと、誰の記憶にも記録にも残らない、いてもいなくても気にされないような存在に。


 あの土台となった呪いが透明化だったため透明人間になったが、私の想いはただそれだけだった。


 それを実現不可能にするために、言ってしまえば私をどうようもないほど無視できない存在ににするために、私は今日こんなことをした。


 まああれらの罵倒は全て本音だが、狙い通りに私の呪いは解かれた。苛立ち、同情、恐怖さまざまな感情とともに彼らの頭に消えない傷を刻みつけ呪いを実現不可能に追い落とし破壊した。


 髪の先まで色が戻り私は約一年ぶりに見る自身の髪を摘んだ。光の当たる角度によってさまざまに変化して見える本当に不思議な髪だ。地は銀のはずなのにところどころに桃色や水色や黄色が淡く入り混じり幻想的な雰囲気を覚える。


 はぁとため息をつきぱっと手を離す。それだけで奥の方にいた皇帝が膝から崩れ落ちた。相変わらず気持ちの悪い人間である。


 さて、これからどうしようか。

 私の呪いが解けたということはケルネリオンは無事に城から出られるだろう。しかし私は違う、もう透明ではないしこれだけ喧嘩を売ったのだから逃げられるとは思えない。


 二階に張った結界がそろそろ破られそうだ。貴族たちも呆けているがすぐに怒りの形相で襲ってくるだろう。


「お母様の占いも外れることがあるのね……」


 ……私を守り慈しみ愛してくれる存在は、結局現れませんでしたよ


 それだけが心残りだ。この地獄のような城で六年も待っていたのに運命の人はこなかった。私はきっとそうやって波の狭間の中で揺蕩うように沈んで消えていく運命なのだろう。


 子供の頃よく同じ夢を見ていた。その夢の中で私は誰かを心の底から好きになっていてその人のためならなんだってできた。顔も声も名前も何も覚えていないけれど、私は夢で会ったその人こそが母の言う運命の人なのだろうと思った。


 その人にただ会いたくて母親と一緒に逃げるのを断りここにとどまったが結局夢は夢のまま眠るべきだったようだ。


 それでも、もし運命を自分で決めていいなら私はあのアメジストの瞳に見つめられたい。あのまなこに見守られている時だけは心の底から得にも言えないような幸福の泡が湧き上がってくるのだ。


 ……そう言えば彼は私の姿を知らないんだっけ


 出会ってから今まで写真でも見せたことがない。この色彩は褒めたたえられることもあれば酷く貶されることもある。なんとなく彼に貶されるのは嫌だなと思いながら私は自分の頬に一筋の涙が溢れていることに気がついた。


 ……ああそうか、私はケルネリオンのことが好きなのか


 今になってようやく分かった。この心に巣食う感情の名前を、それは恋だ。こんな無茶をすることができる原動力がただの恋心で最後にそれに気づくだなんて本当に呆れるほどに救えない。


 でも、そうか。これが恋か。


 最後にとてもいいものが知れた。これを胸に抱きながらなら死ねるなら本望かもしれない。


 ただ最後にまるで自然とこぼれ落ちるように口から言葉が漏れてしまった。


「……大好きだよケルネリオン……」


 そう呟いた瞬間二階の結界が破られて警備兵たちが雪崩れ込んできた。しかしそれと同時に天井から凄まじい轟音と共にナニカが突っ込んできた。


「――僕もだよツヴァイ」


 泣きたいほどに愛おしい声が耳元を掠めた。そして風に攫われるように私はそれに抱きしめられて城から姿を消した。


 □□□


 心臓が弾けちゃうんじゃないかってほど高鳴っている。

 私は今ケルネリオンの腕の中で、空飛ぶにドラゴンに乗り夜空を駆けていた。すっぽりと収まりのよい抱き心地に最初から私のために作られた腕なのではと思ってしまう。


「あの、ケルネリオン……助けてくれてありがっ……んぅ!」


 視線を彷徨われながら意を決して上を向くと突然唇を奪われた。それは触れ合うだけの優しいものだったが私の頭の中は真っ白になった。

 

「どういたしまして、もうあんな無茶はしないように」


 彼は紫色の瞳に熱を宿して私を見下ろした。瞬間、バッと唇を手で押さえて「なっなっ……」と頬が真っ赤になるのを感じた。


「な、なんでいきなり、キスっ……」


 私が必死に言葉を搾り出していると彼は不思議そうに首を捻って艶やかな黒髪が肩から落ちた。


「想い合う恋人同士がして口付けして、なにがおかしいんだ?」


 恋人という単語にまたボン!と顔が温まった。ケルネリオンは「違うのかい?」と私の宝石のような瞳を覗き込んで問うた。


「君は僕が大好きで僕も君を愛している、この関係にこれ以上の説明が必要か?」


 その言葉に私は少しむぅっと頬を膨らませて彼を見つめ返した。


「あなたが私を愛しているだなんて……あなたは私に呪いを解かせたくて一緒にいたんでしょう?どうしてそこからあ、愛してるになるのよ」


 不満そうな私にケルネリオンは愛おしそうげ目を細めて私の頬をスルリと撫でた。


「……最初はそうだったかもしれない。でもだんだん君と過ごす時間を重ねるたびに、君と話をするたびに、君との日々が宝石のように輝きだした。そして気づいたんだ、人はこれを愛と呼ぶのだと」


 また近づいてきた唇を今度は指先で止めて口付けを阻止する。彼は少々不満そうにしながらも私の指先をペロリと舐めると離れていった。


「全てが終わったら話そうと思ってたんだ。君は僕が助言もできない中よくやってくれた、本当は呪いが解けたらすぐに突入するつもりだったんだけど、君の結界があまりに強すぎて壊すのに時間がかかった、遅れてごめんよ」


 ケルネリオンは本当に申し訳なさそうに伏せ目がちに私を見つめた。それがなんだか可愛くて「いいよ」と笑い彼の頬に手を伸ばした、すると彼は伸ばされた私の手を掴み自分の頬に押し付けて熱を感じるように目を閉じた。


「ツヴァイ……君が好きだよ愛してる。僕の運命の人、僕の最愛の人。君に触れて初めて僕は自分が孤独であったことに気がついたんだ」


 私の手首に熱い唇を押し付けて彼は愛を伝える。暗い夜空に愛の言葉が満ちて星が瞬く、少しだけ恥ずかしかったけれど私は「ありがとう」と笑い彼の手を取って控えめに頬擦りをした。


「私も、あなたが好きよケルネリオン……夢の中で会った時から私はあなたと出会うのを心待ちにしていたの」


 あれはきっと予知夢だったのだろう。そういえば母も子供の頃私の本当の父親と夢で会ったことがある言っていた。もしかしたら私の血筋はそういう能力を持っているのかもしれない。


「今は夢じゃないよ。これから先続く人生の中で必ず君を守り、慈しみ、愛していく。君はもう悲劇の王女じゃない、僕の運命の人で最愛の人のただのツヴァイだ」


 彼はそう言って怪しげな光を目に宿し私の頬を撫で唇を撫でまた頬を撫でた。


「……やっぱり、君ほど美しい女性を僕は見たことがない。僕の恋人は世界で一番綺麗な人だ」


 彼の言葉に少しだけ不安になり私は自分の虹色に淡く光る髪を撫でた。月明かりに照らされた髪は水色が強く輝き夜空をオーロラのように彩っていた。


「……ケルネリオンは私の髪と目、嫌じゃない?」


 不安げに問われた質問を吹き飛ばすくらいの勢いで彼は「嫌なわけあるか」と答えた。その手が私の髪を一房とって自身の唇に押し当てた。


「君の髪は世界一素敵だよ、その瞳もまるでオパールのようでとても綺麗だ」


 紫の瞳が愛おしげに細められる。なんだか恥ずかしくなってきて私は口元を手で覆った。


「魂も外見も心も、僕が見てきた中で一番綺麗だ……そして今の照れている君はとてつもなくかわいいらしい」


「あうぅ……もういいよぉ」


 ちょっと身が持たない。今までそんなふうな目でそんなふうに言う人などいなかった、というかずっと透明人間だったから素顔を見られているだけでかなり恥ずかしい。


「……ていうかこのドラゴンはどうしたの?あと私たちはどこに向かっているの?」


 明らかな話題逸らしにケルネリオンはクスリと笑ったが私の朱色に染まった顔を見て満足したのか「んー」と少し考えだした。


「ちょっと手伝って欲しいと頼んだら快く引き受けてくれたんだ。とりあえず帝国から離れようと思っているけど、そんなに急がなくてもいいかもな、ツヴァイがかけた呪いで今頃城の中はひっちゃかめっちゃかだろうし」


「え?そうなの?」


 私はびっくりしてケルネリオンを見上げた。すると彼は「これで無自覚か」とおかしそうに笑った。


「あの呪いは見事なものだったよ。君の魔力が大きかったのもあるだろうけど余程彼らに恨みが溜まっていたんだろうね、あそこまでドス黒い呪いを見るのは数世紀ぶりだ。もうあの帝国は立ち行かないかもな」


 確かに私の人生十八年分の恨みを全てぶつけたが、そこまでのことになっているとは。性格が悪いかもしれないが正直いい気味だと思った。


「そんなことより僕たちのこれからについて考えよう。僕は君の隣ならどこでもいいが、君は何かやりたいこととかあるかい?」


 長い時間を生きる彼にとって一つの国の衰退など大したことではないらしい。私は少し考えて「あ!」と思いついた。


「私、魔術師になりたい!ケルネリオンみたいなすごい魔術を使ってみたい!」


 私がそう言うと彼は「そうか」と心底嬉しそうに笑った。


「いいね、君はきっと誰よりも偉大な魔術師になれる。君は今日から僕の弟子だ、この黒曜の魔術師が手取り足取り教えてあげるよ」


 今の所偉大と言うよりも恐怖だと思うが、少なくともあの城で王女として過ごすよりもずっとずっと幸せだろう。

 私がぽやぽやと微笑んでいるとケルネリオンは何かを思い出したように「ああ」と漏らした。


「せっかく恋人になったんだから、魔力を合わせよう。多分僕たちは相性がいいからそんなに違和感はないと思う」


「魔力を合わせる?」


 私が首を傾げると彼は「そうだよ」と頷いて説明をした。なんでも魔術師はパートナーと魔力を流し合ってほとんど同質のものにするのが普通らしい。本当は夫婦になってからするのだが待ちきれないから早くしたいのだとか。


「大丈夫今は誰も見ていないから、恥ずかしがらないで。君は魔力を流し慣れていないからとりあえず今日は僕が君に流すだけだけど、な?いいだろ?」


 なんだかよく分からないが、まるで子犬のようなケルネリオンが可愛いかったので私は「いいよ」と頷いた。すると彼はぱぁあっと笑顔になり私の手を絡めとるように握った。


「じゃあ流すぞ、辛かったら言ってくれ」


 静電気が流れるみたいな感じかな、と甘く構えていた私にケルネリオンはとろけるように微笑み繋がれた毛をギュッと握った。その時、全身を走った妙な感覚に私は「ひゃあっ」と思わず声を上げてしまった。


「大丈夫か?痛かったりしたらすぐ言ってくれ」


「……ん、いや……痛いとかじゃ、ないんだけど……あっ……」


 全然痛みはない。むしろなんというか、全身がもじもじしてしまうような感覚というか、味わったことのない感覚が全身を支配した。

 異物が体に入ってくるのにそれを受け入れてしまっている。私が思わず体をみじろぐと、ケルネリオンは殊更笑みを深めて手を絡めさせた。


「そんなになるってことは僕たちは本当に相性がいいんだな。大丈夫、僕の魔力を受け入れて。体の力を抜き僕に身を委ねるんだ……そう、上手だねツヴァイ……」

 

 言われるがままとにかくケルネリオンを受け入れると、どんどん全身が甘く溶けていく感覚に陥った。思考が鈍り、視界が潤む。体の一番深いところに甘やかな何かが溜まっていった。


「大丈夫、怖くないよ。君の中に僕を入れて、君の全てを僕に見せて、君に僕という存在を刻み込ませて」


 ケルネリオンはそう囁いて私の手を強く握りしめた。

 

 それからしばらく甘い拷問のような時間を過ごしたが、ケルネリオンが「今日はこれくらいかな……」と呟き、私に魔力を流すのを止めた。


 はぁはぁと息がきれて体の力が抜ける。全身が熱が出たように火照り、もうクタクタで何もできないでいるとケルネリオンが私をとても愛おしげに見つめ労るように頭や頬を優しく撫でた。


「よくがんばったねツヴァイ。本当はもっと注いでおきたかったんだけど、そしたら我慢できなくなりそうだから今日はここまでにしておくよ。僕を受け入れてくれてありがとう……」


 そう言うとケルネリオンは私の額にちゅっと口付けを落とした。その柔らかな感覚にまた全身が震えた。彼はその後も頬や顎や鼻先や瞼にキスを落としたが、もはや拒む力は残っていなかった。


「ツヴァイ、愛してるよ。僕は君に出会うために今まで生きてきたんだ。世界で一番君を幸せにする、この先何十年と何百年とそれを証明しよう。君はもう透明になる必要なんてない、君の全てを僕は暴きそしてもっと君を好きになるよ」


 嘘偽りのないその紫の瞳に私は涙が出そうになった。ああなんて、なんて幸福なのだろう。乾いていた心に幸せが流れ込んでくる、霜の降りた蕾が優しさに絆されていく。あれだけ誰にも見られたくないと思っていたのに、もっとずっと見て欲しいと思ってしまう。


 私は震える手をそっと彼の頬に伸ばし微笑んだ。


「私も……夢の中であなたと出会ってからずっとあなたを探していた。あなたになら見られても構わない……あなたの瞳で見つめられるだけでまるで魔術のように、心の奥底から幸福の泡が湧いてくるの。あなたは本当にすごい魔術師ね」


 私の心から溢れた言葉にケルネリオンはシャボン玉が弾けるように破顔した。そしていつの間にか流れていた涙を指先で掬い宝石のような瞳で私を見つめた。


「……ねぇなんだか口寂しくなってきたわ。最初のは一瞬すぎて分からなかったし、今ならちょっと強引でもクタクタだから抵抗できないかもよ?」


 上目遣いにケルネリオンを見つめると、彼は紫の瞳を見張り飢えた獣のように怪しげに口角を上げた。

 熱に侵された瞳が鋭くこちらを見つめる。狙われた唇を挑発的に開くと、スッと伸びた大きな手におとがいを掬い上げられかぶりつくような口付けを交わした。


 星が瞬く夜空に、オーロラが広がるように髪がたなびく。月明かりに照らされた二人の影が溶けるように一つになっていく。


 かくして、のちに『金剛の魔術師』と呼ばれるようなる少女と、その師であり恋人でもある黒曜の魔術師との果てなき色鮮やかな旅が始まったのだ。

 

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