【書籍化記念SS】フランシーヌ皇女の選んだ人
sideフランシーヌ皇女
この国にようやく辿り着いたシルヴィとの、久しぶりで楽しいお茶会が終わった。シルヴィからもらったこのロイヤルブルーの絹の布、素敵なドレスになるわ。
そういえば、今日は珍しく、アランの姿がなかったわね。一緒に来たはずだけど、ふふ、きっとお父様に呼び出されたのね。
◇
部屋に閉じこもっていた頃、廊下越しに聞こえてきた噂話で、アランのことは知っていた。
他国出身でありながらこの国での爵位を得た。戦場で武勲を挙げた。そして、「狂乱の死神」怖い噂ばかり。
でも、それが、シルヴィの護衛になるためだったと知ったときは、さすがに驚いた。
私も皇女。
爵位や立場を得ることが、決して華やかで清らかな手段だけによるものではないと、理解している。そして、それを命じているのがお父様である皇帝だということも知っている。
だから、きっと幼い頃からの絆があり、アランはシルヴィのために命を懸けたのだと、そう思って、感動していた。
……けれど、まさかアランがこの国に来た当時は、シルヴィと出会ったばかりの仲だったなんて。
そちらの方が、よほど驚いた。まあ、人はそれを「運命」と呼ぶのかもしれないわね。アランはきっと運命を感じ取っていたのだわ。
「運命」か……。
先ほどシルヴィから聞いたコンスタンの話を思い出すと、つい頬が緩んでしまう。まさか、シルヴィの元婚約者の話をしていたときあのコンスタンが「絶妙に不機嫌な顔」をしていただなんて。
シルヴィは、コンスタンをからかうように言っていたけど、アランの方が、コンスタンより、ずっとわかりやすい。
だって、シルヴィがほんの少しでも他人を褒めようものなら、彼は背後から、隠そうともせずに不機嫌を滲ませるのだもの。
それを見て、コンスタンは震え上がっていたわ。
シルヴィは振り返りもしなかったけれど、それでも、ちゃんとアランの不機嫌さに気づいていた。だって、そのときの彼女は、とても上機嫌だったのだから。きっと、アランが不機嫌なのが、嬉しかったのね。
私は、そっと祈る。
どうか、シルヴィが。彼女のために本気になれるアランとともに、幸せでありますように。
◇
久しぶりにシルヴィと昔話をしたせいだろうか。忘れたつもりで、丁寧に仕舞い込んだはずの記憶が、今になって静かによみがえった。
あれは、私がまだ、ただれた顔を鏡で見ることができなかった頃。厚いカーテンを閉め切った寝室は、昼間でも薄暗かった。
香草の匂いと薬の気配が重なり、息をするたび、吐き気と苛立ちが募っていた。
「……誰?」
控えめなノックの音に、私は苛立ち混じりに問い返した。
「私だ。コンスタンだよ」
コンスタン。会いたくない。見られたくない。今の顔を。
「帰って!」
即座にそう言ったのに、私の拒絶など最初から想定していたかのように、扉は静かに開く。きっと、お父様から許可をもらっているのだろう。
でも、彼は一歩も踏み込まず、入口に立ったまま、私を見た。包帯の下の皮膚が引きつる感覚がして、思わず顔をそらす。
「顔を隠す必要はないよ。皮膚が一枚変わっただけだろ」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「……なに、それ。全部変わったわ。もっとよく見てごらんなさい。これが、これが、皇女の顔?」
震える声を抑えきれない。
「君は君だ。歩き方も、声も、考え方も、私を見る目も。何一つ、変わっていない」
彼は即座に否定した。
「嘘よ! だったら、どうして皆、目を逸らすの? どうして侍女は泣くの?……あなたも、本当は同じなんでしょう!」
思わず叫ぶ。彼は一瞬、唇を噛んだ。
「それでも、私は、君から目をそらさない。逃げるつもりなら、最初から来ない」
「帰って……。優しくしないで。そんな目で私を見ないで。そんなふうにされたら……期待してしまう」
私はベッドの端を掴み、俯いた。
「明日も来るよ」
彼はそれだけ言い残して、踵を返した。
けれど私は、その後、彼を遠ざけ続けた。顔も、本心も、頑なに隠し続けた。
何度訪ねてきても、「会わない」と冷たく侍女に伝えさせる。でも、そのたびにコンスタンが長い時間、扉の前に立ち続けていたらしい――それを知ったのは、ずいぶん後になってからだった。
◇
「フランシーヌ」
名を呼ばれて振り返ると、笑顔のコンスタンがそこに立っていた。
「今日は、シルヴィ様と?」
「ええ。久しぶりにお話しできて、とても楽しかったわ」
そう答えると、彼は安堵したように微笑んだ。その表情を見て、ふと、シルヴィから聞いた話を確かめたくなった。
「――ねえ、コンスタン」
歩き出しかけた足を止め、くるりと振り返る。
「何でしょう?」
書類を抱えた彼が、ほんの少し身構える。その様子がおかしくて、思わずくすりと笑ってしまった。
「シルヴィがね、教えてくれたの。私が昔、シルヴィの元婚約者を褒めちぎっていた時のこと」
その瞬間、彼の瞳が、ほんのわずかに揺れた。
「その時あなた、絶妙に不機嫌な顔をしていたそうよ。ねえ、コンスタン? 優しい笑顔の裏で、悔しくて、悲しくて、でも、何も言えなくて。そんな顔をしてくれていたのかしら」
一歩、距離を詰める。彼は観念したように、深くため息をついた。
「……否定は、しません。あなたが、ほかの男のことを褒めちぎるたびに、正直、聞いているのがつらかった」
「まあ! もし、あなたがあの時、少しでも、嫌だと言ってくれていたら。私は、すぐにでも辞めたのに」
「……!」
彼の目が、驚いたように見開かれる。私は、柔らかく微笑んだ。
「いい? これからは、私が誰かを褒めたら、嫉妬して、不満を言って、本気で怒るのよ」
一瞬の沈黙のあと、彼の指が、私の頬に触れる。
「今度は、どんな感情も隠しません。あなたが誰かを褒めるたびに、嫉妬します。不満も言います」
「ええ」
「だから、あなたも。もう隠すのは、やめてください」
悲しげに微笑むコンスタン。そうだったわ。ずいぶん、辛い思いをさせてしまったのだった。
「ええ、約束する。もう、扉の前で待たせないわ」
「そうですよ。あなたがどれだけ遠ざけても、無駄だって分かったでしょう?」
何度も背を向けたわ。何度も、冷たい言葉で追い払った。けれど、それでも彼は、いつも待っていてくれた。
まっすぐに私を見つめるその瞳から、もう目を逸らさない。視線が重なったまま、私たちはそっと笑い合った。




