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「それで、傷の具合はどうなのだ?」
僕の話を聞いた若様は、まず一番に傷の具合を心配してくれた。
里に戻って頭領への報告を終えれば、任務の為の班は解散し、僕は何時も通りの日々に戻る。
即ち忍びの修行と、若様へのお仕えだ。
既に大蜘蛛様へのお目通りを終えていた若様は、任務の話を聞きたがったので、僕は六座が頭領にしていた報告を参考にしながら、若様に任務での出来事を話す。
しかし、同じ話を聞いてすぐに心配の言葉が出る辺り、若様は甘いというか、優しい。
頭領なんて、話が僕に及んだ時に一瞥するくらいしかしなかったのに。
もちろんそれは、僕が若様の側近衆の候補で、世代も同じで親しいからだというのはあるんだろうけれど。
実は、僕は若様が大蜘蛛様とのお目通りで、頭領のような性格に一変しやしないかと案じていたので、悪い予想が外れたようで何よりだ。
この世界では、妖怪に魅入られて人が変わってしまったなんて話は、幾らでも転がっているから。
「傷跡は残るでしょうが、問題ありません。手当てが良かったんでしょうね」
胸に手を当て、僕は若様にそう答えた。
大きな傷は、治る際に瘢痕化し、残ってしまう。
瘢痕は皮膚や筋肉よりも硬く、伸びないので、大きく動くと胸元にそこを引っ張られるような感覚が生じる。
まぁ、要するに少しばかり違和感があるって事だ。
でもこれもすぐに慣れるだろうし、瘢痕も少しずつ、ゆっくりだが小さくなって、やがては消えてしまう可能性もあった。
何しろ僕は、まだまだ身体が成長する時期だし。
傷口に菌が入って化膿すると拙かったが、そこは本当に、すぐに茜が的確に手当てしてくれたのが良かったんだと思う。
妖怪とはいえ、四つ足で地を歩く獣の爪で刻まれた傷だ。
どんな菌が付いてるかわかったものじゃない。
この世界には、少なくとも忍びの里には、菌という存在はまだ知られていなかったが、経験則で得られた治療はある。
僕の傷口を洗った水は、茜が水行の忍術で生み出したもので、間違いなく清潔だった。
そうする事で傷が膿むのを防げるとわかって、茜は手当をしてくれたのだ。
後はまぁ、ちゃんと気を高めておけば、身体が菌や、妖怪の陰気に負ける事はないだろう。
「そうか、確か手当てをしたのは、茜という娘だったか。で、どのような娘だった?」
少し楽し気に、若様がそう問うてくる。
別に、大して何もなかったんだけれど、というか寧ろ若様の方が、そういう事があったばかりだと思うのだが、流石にそれを言うのは野暮で、礼を失するか。
若様の顔は、大蜘蛛様にお目通りする前に比べて、少しばかりやつれていたし。
さて、茜とは殆ど言葉を交わさなかった。
ただ任務に向かう道中は、こちらを観察してはいたように思う。
使う忍術の属性は、少なくとも火と水。
戦い方は殆ど目にしてないが、少なくとも忍術の腕は確かだった。
化け猫を退治するのに使った娑三華という術は、下忍が扱う忍術の中ではかなり高度なものだ。
術を合わせる為に、動く速度と術の威力を三人が等しくしなきゃならない。
また火力が非常に強いので、自分や仲間が巻き込まれぬよう、術を完璧に制御する事も求められる。
だから正直、あの場で六座が娑三華の使用を決めたのはかなり意外で、怖い話だった。
何故なら茜はともかく、初めて任務に出た僕の実力も、大まかにではあろうけれど、六座は把握してたって事だから。
これまで大して関わりのなかった六座がそれを知ってるならば、恐らく頭領も同様だろう。
……流石に幾つかの忍術を改良して秘匿してるところまでは、バレてないと思うけれど、やっぱりここは怖い場所だ。
まぁ、話を戻すが、茜に関しては忍術と手当が上手いって事くらいしか知らない。
なので楽しそうな若様には悪いが、期待に沿えそうな話はできそうになかった。
あぁ、でも、一つだけ思うのは、この世界に生まれてからあんなに優しくして貰えたのは、茜の手当てが初めてだったか。
若様も、優しい人柄はしてるんだけれど、その人が優しいのと、誰かに優しくして貰えるのって、似てるようで全然違うし。
「そうですね。人の手が優しいと思ったのは、初めてかもしれません」
僕がそう答えると、若様はちょっと、何とも言えなさそうな顔をした。
これは、しまったか。
そういえば里の子供の中でも、若様だけは父と母を知っている。
あの頭領が若様に優しい顔を見せているとは、あんまり思えないけれど、それでも母親はきっと若様に優しいのだろう。
でもその優しさが、この里では当たり前のものではないのだと、若様だって理解をしていた。
それこそが身分の違いなんだけれど、そこに心を痛めるくらいに、若様は賢くて優しいから。
若様は、忍びに向いていないのかもしれない。
頭領のようになられても困るけれど、若様にはあの酷薄さが、幾らかは必要に思える。
そうでなければ、今のままの若様だと、いつの日か僕が里を抜ける準備を整えた時、……放って行ってしまう事に躊躇いを覚えてしまいそうだ。